ゲーム+α日記(2000年3月)

'00年 2月 1月
'99年 12月 11月 10月 9月


3/28

 「MOON.」ハッピーエンドを見る。このゲームで予習していた人たちが「ONE」を深読みできたというのなら分かる気がする。予備知識があればいいってもんじゃないけれど、知っていたおかげで可能性が広がるのは間違いない。
 いきなり「ONE」から始めて充分楽しめるならそれが一番いいのかも知れないけれど、そんなことができる人は深読み能力を発達させすぎじゃないかとも思う。
 未見グラフィック2枚とおまけは放棄。惰性のほかに理由の見つけられないことを続けるには、他にやりたいことがありすぎる。ゲームに限ってさえ。


3/26

 ぐわー、プリズマページの新ネタを作ろうとゲーム立ち上げてテキストを筆写していたら、エンディングや設定に関する自分なりの理解が揺らいできてしまった。更新なんかできやしない。もう一度練り直さなければ。悔しいなあ。
 それでも、一シナリオ通しプレイし直したおかげで文章の仕掛けに改めて気づいたりして楽しいひとときではあった。仲の良い知人二人が喧嘩したことで生まれたわだかまりをどう解消させたものかと、夕飯食いながら考える主人公。食後に出した結論が「腹に抱えるものは徐々に消化していけばよい」だって。こういうところでは感心せざるを得ません。だから専門ページを作ったんだ。
 その感心を早く形にしたい。焦ってもできないものはできないけれど。悔しいなあ。


3/23

 20日の日記では何も考えずに使ったけれど、「運命」と「定め」の意味は重複しているのか? 考え出したら予想外に難しい。
 直感的にはそうではないように思える。混乱してきたので「運命」を辞書で引く。いくつか意味があったがそのうちの一つが「宿命」とほぼ同義なので、「定め」を包含しているとも言えそう。
 いつも意外な語釈を見せてくれる「新明解国語辞典」第五版だが、今回はかなり説明に苦労していた。ちょっとどうかと思う用例もあり、他の辞書がどう規定しているか知りたくなった。
 「定められた未来」のほうが合っていそうだな。

 名前だけしか知らず、知名度を調べるためインフォシークで検索したら2,196件ヒットして驚いた(元ネタの新聞名関連ではきっと1割もないだろう。ちなみに「ダービースタリオン」だと14,682件、さすが)「ウイニングポスト」の3作目の98年度版をプレイステーションで遊んでいる。
 最新作「4」がどう変わっているか分からないけれど、光栄(当時)のシミュレーションという堅そうなイメージからはこんなぶっ飛んだ初期設定は思いも寄らなかった。
 30億円を資金に一頭の馬の血筋を競馬界に広めたい? 目標の一つが「中央競馬におけるその馬の血統支配率(全競走馬数に対する、その馬を父方の祖先に持つ馬の数の割合)が5%を超えること」? 
 経済動物などという観念の入り込む余地のない愛着心が、生類憐れみの令に通じる偏執さを感じさせました。30億ですぜ。素晴らしい道楽。しかし馬の血筋を同系統で染め上げることがサラブレッドのためになるんでしょうか。
 もっとも、ストーリー(とか登場人物の大仰なセリフとか)にうなずけないだけでゲームは楽しいので、テンポのもたつきや貧相なレース画面に耐えられれば長いこと遊べると思います。

 いつから、「設定のもっともらしさ」なんて気にするようになったんだろう。ただ楽しめれば良かったはずなのに。


3/20

 ゲームショップのゲームボーイコーナーを見ていたら、隅っこに他より長くて大きめの箱が置いてあった。
 こんなサイズのパッケージ出てたっけ、と不思議に思って手に取ってみたら「ファイアーエムブレム トラキア776」だった。
 なぜこんなところに、という思いと、妙に納得できる気持ちが半々の状態で、手に持ったままの箱をレジへ。
 …買うんかい。前作「聖戦の系譜」もクリアしてないのに。この先10年くらいは絶対やらないと思う。

 「聖戦の系譜」の特徴といえば「定められた運命」ことニセ確率計算である。セーブデータが同じならリセットしようが手順さえ守れば全く同じ展開になる(例えば敵の攻撃が外れる確率が5%であっても、その直前からやり直したら外れるものは毎回外れる)というけったいなルールだけれども、一度きりの人生がもしこのルールで動いていたらどうなのだろう。そうであったとしても何ら問題なく生きていけるし、その違いを知覚することはできない。
 神様(仮)が敷いたレールの上を全くそれに気づかないで通り過ぎて一生を終えて、死んでからそのことを知らされて「全ては仕組まれていたことだったのか!」と愕然としながら昇天していったりして。
 いやだッそんな世の中! 助けて量子論!

 リセット(生き直し)必須という「エムブレム」シリーズの基本思想とこのシステムは相容れないけれど、そこが気に食わないせいで「聖戦の系譜」がクリアできない、というのは言い訳に過ぎませんね。


3/17

 久しぶりにfjを覗いたらしょうもないものを見てしまった。
 質問とそれへのあやふやな解答につけた横槍フォローが発端。ものを訊ねるときの姿勢に一喝、嘘を垂れ流す行為へ戒告。肝心の答えはなし。
 そこを突っ込まれ、勿体を付けるつもりはないと情報を披露。
 その中に誤りがあることが発覚、指摘されるも、虚偽を発信したことについての謝罪に類するものはなく、己の言動の正しさのみ力説。
 挙げ句の果てに、議論を避ける理由として「そのカテゴリーから離れた一般的な話に関心はない」と来た。

 それだったら「質問するときの態度」なんてマクラに振るなよ。
 自己正当化に弄する言辞のご立派なこと。「自分の常識=世間の常識」という信念の強固なこと。情報交換の場でなぜそこまで自分を押し出しますか。構ってもらいたいならもっと愛嬌を振りまけばいいのに。
 その唯我独尊ぶりに献杯。

 さて気分転換に「MOON.」でも続けよう(結果、転換する向きがさらに下方へ)。
 昨日出した「陵辱」がらみで。このゲームの該当シーンには迫り来るものがある。テキストもさることながら、場面ごとにとっかえひっかえ出てくるグラフィックが、当事者の「拒絶」「狂乱」「絶望」といった心理をそのまま伝える雰囲気を持っているのが素晴らしい。絵が題材と実によくシンクロしている。
 念を押すけれども「MOON.」を褒めているのです。邪推してはいけない。


3/16

 「MOON.」から受ける「雫」の感触というのはテーマ由来のものじゃないかもしれないと思えてきた。
 シナリオ終盤の展開のしかた、話の流れとか、得られる能力のイメージとか、おまけシナリオの内輪なはしゃぎっぷり(トホホ)なんかは、思わず手を叩いて画面を指さすほどに「雫」だったけれども、全体を通してみれば必ずしも似てはいないのかも。

 主人公が女の子、というのが良い。
 「雫」の主人公は身勝手で、シナリオは彼の身勝手さを等身大に描いている点で優れていると感じた。「MOON.」のシナリオは、彼女(たち)の受ける屈辱をプレイヤーのものとして受け取れる点で自分にとって好ましい。
 かつて、「雫」の被害者(と書いてヒロインと読む)瑞穂も「トゥルーエンドを迎えれば救われる」などと発言してしまったことがあった。それはわがままな主人公の視点で見た、希望を多分に含む思い込みに過ぎなかったことを、今逆の立場で知らされる。記憶操作なんかでどうして彼女に安らぎが訪れるものか。
 無根拠な憶測の罪を、このゲームで心身両面への陵辱を感じ取ることで償いたい。

 物事を切り刻んで、自分の都合にだけ合うように再構成すると、他人から見てわけの分からないことになりますね。


3/14

 で、競馬の知識もアーケードゲームの内実にも詳しくない自分には、昨日のように面白そうな題材は扱えないわけです。誰か書かないかな。

 それはそうと「MOON.」(正確には「MOON. RENEWAL」だけれども内容変わらないみたいなんで)。ベストエンドでないみたいだがひとまずクリア。
 「ONE」で留まらずに遡って良かった。といってもこのゲームを「Kanon」から作り手軸で通して眺める気に、今はあまりなれない。それより「雫」との関係が非常に気になる。
 このボリュームで、このしつこさで、「雫」と関連の深いテーマを語ってもらえるとは思わなかった。嫌悪を覚えながらも感心、吐き気さえ催しつつ満足。わざわざ買い出しに出かけた甲斐がありましたよ。

 「似てる」と決めつけることで違いを見過ごさないよう注意しなければ。


3/13

 「ダービーオーナーズクラブ」の魅力はどこにあるのだろう。

 初めてこのゲームを遊んだとき、自分の知る競馬ゲームとのギャップの激しさに驚いた。
 「気合いを入れられて」闘志のステップを踏んだり、調教を嫌がって逃げ出したり、野菜サラダを精悍な表情で噛み砕く馬。実力と釣り合わない人気の印。獲得総賞金で出られるレースが決まるというシステム。「セガ競馬場」の存在。
 そこには、ダビスタなどが目指してきた「実在する競馬の再現」という目標はかけらも見られない。たとえ実名の馬が出走してきたとしても、その競走内容は偶然の一致の域を出ない。

 じゃあ「ダービーオーナーズクラブ」の面白さは競馬のそれとは異質か、というとそうでもないように思う。ここから先は考えがまとまりきっていないけれど、ポイントはきっと
 「ダビスタのシミュレート対象は『日本の中央競馬』のみ」
 「自分だけの馬を持ち走らせる遊びは富豪の特権」
というところにあるのだろう。この辺は、競馬の発祥から経済の発展に伴い幾度となく塗り替えられる競走馬ビジネスの世界地図、といった歴史・地理・経済的な視点からも、また、時間ではなくコインをつぎ込む必要があるというアーケードゲームであるための条件をどうやって作り上げているか、というゲームシステム上からも追うことができるだろうし、うまくまとめれば興味深い読み物となりそうな気がする。

 そんなところで今日は打ち止め。「MOON.」を遊ぶ。セピア色の回想グラフィックに出てきた初期型サターンに涙した(感情の発露方向が間違っています。もちろん!)。


3/12

 関東圏への出張から戻ってきました。
 東京を経由したときに自由時間を作って、発売翌日でもそれなりにできていたPS2を求める人々の行列を眺めたり、ゲーセンで「グレート魔法大作戦」や「サイヴァリア」を遊んでみたり
MOTさんに「ダービーオーナーズクラブ」の手ほどきを受けたり、今のところ唯一遊びたくて持っていなかったパソゲーであるところの「MOON.」を求めてアダルトゲーム売場に突撃したり、各地の本屋を回って十数冊まとめ買いしたり、電車の中で読書に飽きたら「カードヒーロー」を立ち上げたりと、今週分の日記には事欠かないほどにはいろんな出来事がありました。
 出版・流通の懐の深さに、東京の偉大さを感じます。もう今回はひしひしと。二度とチャンスは巡ってこないかも知れないから、欲しいものならもちろん、買おうか買うまいか迷うくらいなら買う。今回は文庫本についてそれを実行してみました。
 だから帰りの荷物が重くなる。


3/4

 つ、疲れた…
 大変なのが分かってるから「プリズマ」に手ぇつけるのためらったんだ。

 明日から一週間ほど更新なし、そのせいもあって、小さいことこの上ないうちのプリズマワールドを広げるべく頑張ってみたが…一項だけ更新。理科風味つけるのって難しいですね。つっこみ入れて下され。もうへとへと。

 あ、「Kanon」はNECインターチャネルがつかまえたのな。「Memories Off」といい、PS2発売を機にドリームキャストが急速にギャルゲーマシン化していくように思います。


3/1

 あと3日でプレイステーション2が発売になる。週刊ザ・プレイステーション別冊「e-mosion」をめくって対応ソフトの画像のきれいさに感心したりしていた。
 そんな折、ふと気になったのが「ファイナルファンタジー9」のことだった。

 FF9は今年夏発売で、現行PS対応とのこと。今から数ヶ月後、すでにPS2の画質に慣れているプレイヤーが相当数いるところで登場するわけだ。
 さて、ここで問題が! 圧倒的な映像美を! 想像を絶するクオリティのムービーを! PSで追い求めてきたFFが!(←超適当ないいぐさ。7も8も遊んでません) 技術の粋を集めたとはいえ下位互換ハード上で新鮮な驚きをもたらすグラフィックを実現できるだろうか? 自社他社問わず気合いの入った美麗画像の氾濫する中、それを正当な新作として出すことに、スクウェアのプライドはNGを出さないのだろうか?
 ファミコンで作っていた4作目をなかったことにしてスーファミ版を繰り上げた前歴もあることだし、三作同時発表というのが関心を散らせ過ぎな気もするし、9は潰して次回作は来年PS2で…ということにならないか心配しております。

 「心配」するのはなぜかというと、本当に9が予告通り出るならぜひ遊びたいからです。それまで当然現役の我がPS1上にぜひFFの最新作をお迎えしたい。首を長くして待っています。
 過去のFFを遊ぶのは、一年前の小説を読むというよりは、一年前の新聞を読むのと同じ感覚に思えます。今となっては。

 ドラクエは別なんで。どのハードでも、いつになってもいいから、作り手の気が済んだときに登場していただきたい。というより半端な完成度で出すな出させるな。
 出ませんね。



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