ゲーム+α日記(2000年10月)

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10/29

 2週間出張しての研修が終わった。
 研修中はゲームとも離れた生活を送った、かと思いきや、50円で5機設定というナイス環境のゲーセンを発見してしまい
『サイヴァリア・リビジョン』に精を出す毎日。
 練習の思い出が小指ならぬ薬指に残った。初日に左手第一関節近くにできたレバー操作による水ぶくれが日を経て固まり、マメとして定着する頃になってようやく、全滅せずにゲームを終わらせることができた……「クリアした」という達成感がちっとも感じられない終わり方だからそう表現せざるを得ない。
 X-B面をボム頼みのごり押しでどうにかクリアし、さて次の面と身構えていた目の前でスタッフロールを流された時の脱力感と来たら、もう。

 そして仮の宿に帰ればゲームボーイカラーで『ポケモンでパネポン』(このページの左の絵柄が同時消しを強要してくるようで困る)に明け暮れる。
 それにしても、テトリスでこの手のバリエーションを見るといい加減うんざりする気持ちなのに、パネポンの場合は受け入れられるのはなぜだろう。カービィだヨッシーだポケモンだとあざとくいじられまくりなのに。首が痛くなるくらい熱中しましたよ。姿勢の問題と寝不足とで。


10/22

 一旦戻って来ることができた。先週は『プリズマティカリゼーション』のキャラ絵をハートマークの縁取りで切って使っていたイメクラのチラシを見つけたりして、やあ都会ってば恐ろしいところだべや。
 帰宅途中で秋葉原に寄り、
『北斗の拳 世紀末救世主伝説』のオープニング〜タイトル画面を見る。オープニングはなぜムービーじゃなくポリゴン? 視点を変えられたりするのか?
 アニメを再現した頑張り具合、頑張ってますというそのことに注目したいオープニング。それが終わった時点で「プッ」と吹き出して立ち去った人もいた(しかし「プッ」という漫画的な発語を、カタカナでそう表すのが最も正確だと感じさせるやり方で口にする人を見たのは初めてです)が、続くタイトル画面の「スタートボタンを突け!」の方が自分としてはツボ。『爆裂無敵バンガイオー』の「勇気あるものだけがスタートボタンを押してもいい」の次くらいにはキました。

 帰り着いてまず、録画しておいた先週の競馬中継を見る。秋華賞のティコティコタックが3番手から直線を抜け出す様子は、馬に混じって犬が走っているみたいでけなげさを感じた。同じ斤量でもあの馬には応えているに違いない、ジョッキーが大きく見えるもの(それはジョッキーが大柄だから?)。
 レースに感銘を受けたので思わずダビスタを立ち上げ、ひとしきり楽しむ。
 ……
 いや! 何しに帰ったんだ『ガンパレード・マーチ』のためじゃないか。
 と気合いを入れ直して頑張ること3時間、ようやく「降下作戦」(敵の密集地帯にただ1機で乗り込み全滅させるというイベント。超難関)を成功させた。
 今日の責務を果たした感じ。これでもう1週間留守にしてもよい、と思えた。

 えー、『ガンパレ』が戦争シミュレーションでもある、というのは前に書いたっけか?


10/15

 リンク先を2件追加してシルバーガンページの更新を終了したい。サイト持ちにできることなんて更新関連しかないのです。

 2週間留守にしますので、その間更新はしないと思われます。土日に(『ガンパレ』を遊びに)戻って来られればついでに更新、ということもあるかも知れませんが。
 いやもう、ウェブ接続は半月しなくてもそれほど苦にならないけれど(ギャップを埋めるのが大変ではある)、今『ガンパレ』を断てというのは非常に厳しい要求でありますよ。


10/14

 『ガンパレード・マーチ』で示された世界のモデルから、現実の世の中の成り立ちというものを教えてもらった気がしています。切り離された要素どうしを結びつけることが面白さにつながるのであり、それはこのゲームに限らずあらゆることに関わるのだということを。
 おおげさじゃなくそう思う。そしてそれはスタッフの狙いでもあったのだ。説明書巻末にそう明記してある。好ましい方向になら、どんどんゲームに影響されればいい。
 「何でもできる」とは、ただ街中の全ての家に入れるということでも、どんなものの上にも乗れるということだけでもなく=点々と孤立したイベントが山ほどあるということだけではなく、無関係な要素を関連させることで勝手にプレイヤー独自のストーリーを編み出せるということ。
 似た考え方が鈴木光司『ループ』の冒頭にもあったことを思い出す(それがコンピュータには真似できない人間の特性だ、と言っていたっけ?)。ただ『ループ』がその考え方を、物語の冒頭、導入のための方便として使っていたきらいがあるのにひきかえ、『ガンパレ』はほぼ全体がそれだ。

 だから、特集記事に惹かれて「電撃プレイステーション」を読んでしまったことは失敗だった。どんなことができるかは、苦労して自分が見つけてこそ価値のあるものだったのに。忘れろ忘れてしまえ。
 この雑誌の価値は、記事の内容そのものよりも、ドラクエ特集その他を押さえてこのゲームを表紙に持ってくるほど力のこもったバックアップをしたという事実にある。

 そして同じ雑誌の巻末新作情報に『ANGEL DOLL』なるタイトルを見つける。都築和彦がグラフィック・シナリオを担当するアドベンチャーだそうな。
 むー。『ひざの上の同居人』を遊んでいた頃とは違い、都築氏の著作にいくつか触れた今となっては……原画担当だけだったら買いなのに、との思いが……


10/11

 むむむ、とりあえず思いつくタイトルとして『サクラ大戦』、あれと比べたい。
 日中は鼻の赤いコピーロボットに『サクラ大戦』を遊ばせといて、夜に額で記憶転送。ついでにネットワークゲームの感覚も似たやり方でつかめればなお有り難い。

 …『ガンパレード・マーチ』を楽しむためとはいえ、本末転倒なことを希望しているような気がしますが。


10/9

 新作ソフトの数が多くなり、一つ一つのタイトルに気を配ることができなくなって久しい。だから、あるゲームに影響を与えている別のゲームを網羅でき、史実を追うように進化の過程を説明できる人は本当にすごいと思う。
 そしてそういう人はこの
『ガンパレード・マーチ』をどのように評価するのだろうか。自分の経験からでは「ときメモオンライン・エヴァンゲリオン風味」とくらいしか呼べそうにない、とんでもなくボリューム一杯、説明書が130ページもあるこのゲームを(←UOなんてやったことないくせに。いや多分こんな感じなんだろうと思って)。

 なぜ昔『ときメモ』にはまらなかったかを思い出させられてしまった。面白いゲームですねえ、と笑って終わらせることでそれ以上考えないようにしていた『ときメモ』の特色、プレイヤーからキャラクターへ働きかけるのに電話で連絡させるシステムが辛かったということを。
 『ガンパレ』も『ときメモ』同様、待っていたら話は進まない。他人とコミュニケーションを図るためには「提案」というコマンドを使わなければならないのだ。ただ近づいてボタンを押せば話しかけたことになるというのと違って、明確な目的意識を持ってコマンドを入力しなければならない。きっつー。
 最近、流されるままのアドベンチャーばかり遊んでいた身にはきついです。
 でも、うん、これこそがゲームだ。きついけれどもこのゲームをしばらく続けてみようと思う。

 あ、これの何が「きつい」のか実感湧かない方は、ときメモが楽しめるならこのゲームも楽しめるかと。


10/7

 ゲームを遊ぶには集中力とそれを持続させるバイタリティが必要だということを『ゲーム批評』11月号を読みながら痛感する。特にこの夏のFF・ドラクエに要求されるパワーは莫大なものであったはずなのに、二作をクリアした上で両シリーズを俯瞰し、最新作の位置づけからシリーズのゲーム史における意義までを考察するなどという空恐ろしいエネルギーが冒頭から繰り出されるわけですよ。それも4人から。
 圧倒される。読んでると息が詰まるので、時おり欄外の類型的な読者一行コメントに目を移して、そこに同類を見つけ格落ちの安心感を手にするのです。うまいこと機能している。

 ゲームまでは至らない薄い気合いを本に向けたりしていますが、短編集『エンガッツィオ司令塔』(筒井康隆、文藝春秋)で震える。「首長ティンブクの尊厳」から思い浮かべるものは読む人ごとに異なるでしょうが当方の場合は『ONE』。いやあ、どっちもどっちでいいんじゃないですか。と逃げてみる。
 そしてこの小説から連想したのが『AIR』でなくて『ONE』だったことが、両者の違いを意識させてくれた。『AIR』には憧れや希望がない。淡々としている。そして最も強く感じるのは閉塞感で、広々とした青空とそれはあまりに対照的だった。
 (「魔法」は? いや、あれも望むというよりは「当然使えるようになる、予定に入っている」という感じではないかと)

 もっとも、震えたのは表題作「エンガッツィオ司令塔」が頭に残りすぎたから。これは夢に出ます。いや出てたまるかあんなものが。


10/4

 本に読まない自由があるというように、ゲームにも遊ばない自由があること、現在の自分がその自由を満喫しているのだということ。
 この二点にたどり着くまで、長いこと苦しんだ気がする。

 ゲームなしには一日も過ごさなかった頃でも、遊べなくなるようなら生きていても仕方ないとは別段思っていなかった。ただ、そこにあることが当然としか捉えていなかった。
 自分にとってゲームは必需品なのか? そうだと決めつけていたことがここ1年ほどのうちにだんだん分からなくなってきて、やがて疑問と正面から向き合う時が来た、それが『ドラクエ7』を買ったとき以降のことだった。今日こそはと思いながらどうしても遊ぶ気にならなかったドラクエのパッケージを毎日見ては、何がプレイの妨げになっているかをぼんやり考えていた。

 ゲームの世界、ゲーム以外の何物もない世界があるのだと思うことは、たまにある。でも多分、そこに行こうとして今の自分が四六時中ゲームをやり続けても、そしてそれが他人には「ゲームだけの世界」への逃避行そのものにしか見えなかったとしても、思い描いているその世界にはたどり着けず、上辺だけ、表面だけをなぞった模倣で終わるのだろうという、なぜかこれは確信に近い感覚も、同時に抱いていることに、気づいてもいる。

 決してゲームのせいではないし、せいにするつもりもない。評判の良いゲームも、遊んだら面白そうだと思うゲームも、どちらも山ほどあって、それを知っていながら、いくつかは手元にあってさえ、なお遊ばない自分が悪い。
 ゲームは面白い。それだけを忘れなければ、この先も付き合っていけるだろう。

 ってこれがダビスタ日記をつけた者の物言いだろうか。


10/2

 先週末は秋葉原へ出かけた。
 ご当地一の規模を誇るゲーセン「トライタワー」には今『レイディアントシルバーガン』が置いてあります。ワンプレイしました。パターンがまるで出てこないまま、3面を抜けられませんでした。苦笑が湧いてきました。
 これは何とかしなければいけません。ファンページを持つものとして、できることをしなければ。

 『AIR』がどこでも山積みなのにはびっくり。商品がありすぎて値が下がっているようです。山一杯の初回限定版。全ての人に「Ornithopter」(初回特典ゲームミュージックアレンジCD)を、との意気込み?
 『Kanon』までとは違い、欲しい人にはもうあらかた行き渡っているのでは。ゲームの出来不出来と値崩れとは別、ドラクエだって作りすぎれば叩き売られる。売る側は早いとこ店頭から物を片づけ、在庫のことなどひた隠しにして小出し&高値安定で辛抱するのが良いのではないかと思います。

 そんなことをなぜ週が明けてから報告するかというと、昨夜は軽い気持ちで遊んだダビスタから抜け出せなかったから。
 白毛が! リアルシャダイ×ノーリュート×ラピスラズリという配合(無茶苦茶だ)で生まれたのは神々しいばかりのオーラを身にまとった白毛馬!
 引き当てれば最強馬育成に血道を上げるプレイヤーさえもひとまずその目的を後に回して育成しようという気にさせる(多分)珍イベントたる白毛誕生は、そろそろ切り上げようかと思い始めた矢先のできごと、一般的にはセーブして後日丁寧に育成しようというものなれど、今回のプレイもまた
いつも通りノーセーブ、一回こっきりの共有不可能な記録=記憶にその場で残すしかない。
 そして走らせてみればあら不思議、父からスタミナを桜花賞馬の母からスピードを授かったこの馬は、マヤノトップガンとの叩き合いに幾度となく敗れながらも5歳秋にみごと天皇賞・ジャパンカップを連覇、さらに翌夏には宿敵トップガンを下して宝塚記念までも手中に収める。
 凱旋門賞こそオペラハウスとアルカングの挟み撃ちに遭って惜敗したもののG1を3勝した馬の権利としてめでたく顕彰馬に。
 このときほど数値の塊が愛おしく、残らないデータが恨めしく思ったことはなく、電源を落とす寸前まで殿堂入りの記念に展示された愛馬アイスブランド号の絵、風なびく草原に立つ油絵調の勇姿を目に焼き付けておりました、とさ。

 あのレースこのゴール前と数々の場面が思い浮かび、悶々とするあまり寝付けなくなるありさま。ましてサイトの更新など思いも寄らなかった秋の夜長でありました。



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