ゲーム+α日記(2001年2月)

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2/28

 まさかSuperLite 1500シリーズに『フランベルジュの精霊』『Screen』が仲間入りしているなんて。例の白パッケージ中央に控えめに微笑む2タイプのギャル絵を店頭で見つけてびっくり。
 よそのタイトルを毎度毎度引っ張ってこられるサクセスは凄い、というのもありますが、なぜキッドがこの2本を放出したのか分からない。遅まきながら注釈ですが、上記2タイトルはコンシューマ専門美少女ノベルゲーメーカーのキッドが出したオリジナルパソゲーからの移植タイトル('01/3/3訂正)です。
 今からキッドフォロワーになるにはいいかも知れません。私が遊んだ『メモリーズオフ』と『てんたま』から他の作品のレベルを推定すると、喜怒哀楽がたっぷりと味わえると思います。とくに中二つが。ブランドイメージが働く方向はプラスだけじゃない。
 でもねえ、ギャルゲーなんて、好きな人は1万出すけど嫌いだったら金つけられても嫌、っていう典型的なジャンルでしょうに。安くして売れるとは思えないのですが。というかその流れに向かい始めたら最後って気がしないでもない。


2/25

 発売日のことを思い出して、閉店10分前に駆け込んでCD売場に直行、探してみたらありました『Sense Off』ドラマCD。こんな田舎でもさすがは石丸電気、底力を見せてくれます。
 ドラマCDと言えば『ひざの上の同居人』のそれに接して以来の悪い印象しかなく、もっともあれはアドリブ性を重視なんて取り繕ってましたが内実はその場しのぎの急仕上げ品、それじゃいいものが生まれるはずもない。そういう代物とは一線を画したものであるはず、あのいやな記憶を忘れさせてくれるはず、と期待して聞いてみたところ、きちんと作ってあったのでほっとしました。

 元のゲームが声なしだったことに対する不安は大きかったのですが、驚くほどイメージに合った声質と演技だったことに感心。この感じ方には個人差があるのだろうか?
 シナリオは、ゲーム内のテキストが多めに入っているのが特徴でしょうか。新鮮味があまり感じられませんが、これには必然性があるので…って、うわ、こりゃ重大なネタばれだ。って書くこと自体がネタばれのきっかけに。いけませんいけません。
 ラストでちょん、と拍子木を打ったような仕掛けもあることだし、シナリオにもおおむね満足(偉そう)。聞きながら他のこととかできません。
 以下、ちょっと気になったところをメモ(この先本格的にネタばれにつき反転表記)。

 「運命的なものに気づかず、いつの間にか互いに引き合っている」ことの繰り返しがこのゲームの基盤になっていると感じていたので、終盤の主人公の行動、自覚的に「相手」を探してしまう行動にはやや疑問が。ここだけ突然『AIR』が紛れ込んできたように思えました。
 もっとも、それが成瀬のあの締め台詞につながっている、と見ても良いのかも知れない。あれは「そして(私たちの手によって)私たちの世界は(今や私たちとは別人であるあなたから)閉じられた」という意味でしょうから。
 さっきの疑問(=私感)をシナリオと結びつけると、そういう疑問に思える行動をとる直弥はもはやプレイヤー(この場合はリスナーか)からかけ離れているのだ、そんなリスナーはもう成瀬と一緒の世界にはいない、だから彼女はリスナーを遮断する、となって自分としては納得できるからまあいいや。

 あと、この商品は2枚組で、もう1枚はオリジナルサントラです。ゲームCDから直接聞けるからいらない、かと思っていましたが微妙にエコーのかかり方が違うような。ゲームの体験版も入っているんでしたっけ。ゲーム未プレイ者がこのCDを買うとは思えませんが。
 ついでに、ライナーノーツには各シナリオ担当者、各BGM担当者が明記されています。興味のある方はチェックをどうぞ。私の予想は大外れ。とほ。


2/24

 ゲーム批評37号には『ガンパレード・マーチ』6ページ記事があります。内容は「ディレクターとシステム設計者は別人であった」「自由度を高めるのではなく、面白いゲームを作るのが目的だと分かった」と要約できるかと思いますが、その記事のうち、システム設計者への取材パートは分かりづらくて、多分取材者も理解できなかったのでしょうが、それを読む方だって理解できなかった。ゲームシステムを作るに当たっての方針が結論だけ示されていて、そこに至る過程が欠けてしまっていました。
 それを補ったものとして(さらにそれ以上にも)読める、制作元
アルファ・システムページ内のあたらしいゲームのはなし。言葉にする力があるなら当事者が最良の解説者になる、当たり前のことかも知れないけれどいい例です。


2/21

 感覚と行動の結びつきから自由になることはできるものなのか、最近よく想像してました。
 それができるなら、例えば眠くてまぶたが落ちそうなときも「ねみーねみー。ましかし、眠いのはさておいて」てな具合で『俺屍』を延々と遊ぶことだってできるんじゃないか、と。遊ぶ方向だけじゃなくて、疲れを感じていてもお構いなしに働くことができるんじゃないか。さらには、ちょっと指切って痛かったりしても、痛覚を放り出して、その指を使って手作業できたりもするんじゃないか。
 つまり、眠いのを我慢して無理して遊ぶのではなくて、体を鍛えたりして疲れを感じにくくなるよう努めるのでもなくて、普通なら感覚から行動へとつながるであろうそのつながりを切り離すことはできるのだろうか、という疑問です。眠いからゲームやめて寝てしまうんではなくて、眠いけれども「それはそれとして」ゲームするか、というような、感覚を無視した行動が、意識的に取れるかどうか。
 使いこなせれば便利だと思う。その試みは大変魅力的に映ります。いや、映っていました。

 わざとらしく過去形にしましたが、今は、それやっちゃったらまずいかもしれない、と思っています。
 ゲームでも仕事でも何でもいいけれども、やりたいことがあるうちはそれでいいかも知れない。疲れたーっていう気持ちの訴えなんか無視して活動できれば、消費時間がそのまま結果につながるような単純作業だったら仕事も早く終わって、結果的に休める時間が増えるのかも知れない。
 でも、そんなふうにしてまでしたいと思っていたことがなくなったとき、切ってしまった結びつきが復元しなかったとしたらどうなるか。何もできなくなってしまわないか。いやきっとそうなるに違いない。
 腹が減った? あそう。どうでもいいやそんなこと。眠い? 寝たければそうすればいいじゃん、特にしなきゃいけないとも思えないけど。
 断ち切ってしまったつながりの糸口はどこかへ行ってしまっているはず。今さらつなぎ直そうとしたって即座に見つかるはずもなく、それまでと同じように、感覚からの要求に対する行動の却下は繰り返される。
 そのうち衝動も訪れなくなって、なんにもない状態に。ごろんと横になって動かなくても、疲れた、寝る! っていうんじゃない、起きてるんだか寝てるんだか、生きてるんだか死んでるんだか分からない。そして思考は曖昧な薄明かりの中に、いつまでも漂い続ける。
 そんな姿が待っているかと思うと恐ろしい。これは恐ろしいことです。

 やー、こんな想像していても、自分にそこまで切れ味のいいハサミの持ち合わせはなくて、ただの取り越し苦労というか時間の無駄というか、そんなこと考えてる暇があるならそれこそ仕事とかゲームとかした方がいいのかも知れない。
 ただ、切り離す方が、つなぐよりはるかに楽なんだというのが何となくですけど見えたことは良かった(ということにしよう)。本気にならなければ、きっとつなぐことはできないのだろう。
 だから、熱っぽくてだるい、これは風邪かも知れない、早く寝よう、というような行動を条件反射的に取れるよう、そういう流れは大事にとっておいたほうがいいと思います。

 でもちょっと誘惑されるな、つながりを断ち切るというのは。できるかどうか分からないという辺りがとりわけ。壊してみたいだけなのか(←それも衝動じゃんか)。


2/18

 『俺屍』がどういうゲームで、どんなふうに面白いかっていうことを語ろうとすると大変困難、やってみようと思ったけれど頭ん中でゲームの要素のあれやこれやがこんがらがってしまい整理がつきません。
 それってウィズを語るのと同じようなもので、難しくて当然かも知れないと思う。ああ、『俺屍』はダビスタとも似てます、ダビスタがウィズに似ているのと同じくらい広い意味でなら。
 だめだ、ゲームシステム自体を言葉にするのは自分の技量では無理のようです。そのゲームを、じゃなくて、そのゲーム「について」、しか記述できそうにない。他のゲームタイトルを挙げるとかのたとえ話にして類推してもらうことしかできそうにない。そんな情けない方針で以下続けます。

 で、『俺屍』はウィズやダビスタみたいに異なるステージが(地上と迷宮、牧場と厩舎のように)組み合わさったストーリー軽視型RPGなわけです(紹介これだけ?)が、類似二作よりも格段に、ステージとキャラクターの密着度が高いと感じられます。
 ウィズだったら、酒場にパーティーを放っておいて別パーティーで遊んでいてもへっちゃらです。ダビスタはもっとゆるやかで、馬を管理しないで何百年と経過させることができる。ゲーム中のどこかで区切りをつけ、新規まき直しをする権限がプレイヤーに与えられています。
 でも『俺屍』ではそれが許されない。のんびりしていたらあっという間にキャラが寿命を迎えて死んでしまい二度と復活しないので、できるだけ効率よく行動しなければならず、そのためには過去の行動を常に参照しなければならない。思い出せなかったらその分だけ不利な展開が待っています。

 一旦ゲームを始めたら、がっちり噛んだシステムの歯車が動きだします。止まることのないハムスターの運動器具に入ってしまった気分。忘れるのが怖くてゲームを中断できません。
 今はまだ自分の足で走っていられるし、時には加速して弾みをつけてしまったりもできているけれども、『俺屍』が真にウィズ的なゲームなら終わりが来ることはないはずで、いつかはシステムに翻弄される日が来る。
 こういうゲームをただ「面白い」で片づけられるか? それだけじゃないものが感じられるので、時間が飛ぶように過ぎるほど没頭した後でゲーム中のことを振り返るとき、不安な気持ちになるのです。


2/16

 さっそくDC『プリズマ』を立ち上げるも、BGMが手ひどく悪化していて萎える。PS版ので充分いい曲だったのだから丸写しで移植すればいいものを、なぜかコードが、リズムが、不快な方向に。
 これらは音源の問題などではなく、聞いててイライラが募ってくるので、DC版を遊ぶ際には一工夫必要だと感じた次第です。テレビのボリュームを消して、場面の展開に合わせてサントラを流す、とか。そんな英語教習ソフトを、光栄が昔スーファミで出してましたね。

 そういうことでDCはひとまず電源オフ。現在は、同時に買ったPS『俺の屍を越えてゆけ』を遊んでいます。そもそも『てんたま』から回収した資金はこの『俺屍』のベスト版とメモリーカード一枚にまず充当したのであり、『プリズマ』に回ったのは余剰金でしかありません。その額数百円。結局、ほとんど定価分の支出が余計にあったことに。
 この『俺屍』ですが、雑誌の評価にあったような「人間版ダビスタ」という形容は、ダビスタではアウトブリード派の自分にもしっくり来ない。まだちょっぴりしか進めていませんが、このシステムやバランスは『ウィザードリィ』に近いと思います。とてつもなく賑やかな、助言がてんこ盛りの『ウィザードリィ』。
 しかし、『俺屍』といい『ガンパレ』といい、うまいこと略せるタイトルのつけかただこと。


2/13

 影響を受けたゲームってのがありまして、それを遊んだ後では世界の見え方が変わってしまっている、その原因がゲームのせいだとはっきり分かる、言わば自分の一部になってしまったゲームのことなんですが。去年遊んだ中では『ガンパレードマーチ』がそうだったし、今年に入って早々『Sense Off』にガツンとやられた。
 で、そういうゲームがあるというのは事実だから仕方ないのだけれど、それを悔しいと思う自分もいるのです。やーアレはすごかったねー心を揺さぶられたねーと、にこにこしながらその手のことを語ることはできない。

 そのゲームの一部が塊のまま、むりやり自分の中に入ってきて大きな顔で居座っているわけです。ふとした拍子に「あ、どこかで見た風景」と感じて、それがいつか遊んだあのゲームによってそう感じるよう仕向けられているせいだと気づいた瞬間が非常に気まずい。侵入者にやすやすと乗っ取られるほど希薄な主体性しか自分には備わっていないのだと、こういうときは認めざるを得ません。
 原形を留めないくらいに消化した上で自在に操れるか、自分の枠の外とはっきり場所を決めた上で参照するか。ゲームに限らないけれども、情報の活用はどちらかの形でありたい。そのどちらでもない自分は、半ば無意識に引用情報を我が物顔で披露し、他人に見抜かれせせら笑われ、知らないところでこっぴどく恥をかき続けるのでしょう。

 自分にとって憎らしくも欠かせない、そんなゲームの移植版を買いました。DC版『プリズマティカリゼーション』。おととしの出来事は今も尾を引いています。そして恐らく、これからも当分の間は。
 ハードごと買う気合いは出ないにしても、ハードを持っているなら手に入れておきたいソフトであります。定価で売っているのを前にしたらさすがに躊躇しましたが、最後は諦め気味に手にとってレジへ。『てんたま』売却資金も入ったことだしいいじゃないか(と言い聞かせた)。


2/9

 会社の仲間とボーリングをしました。「最下位の人は、みんなが推薦したゲームソフトを自腹切って買う」という、大変リスキーな社会人ルールつき。ってそんなの真っ当な社会人のすることじゃない。
 非常に熱い戦いの末、自分の成績は…ブービー。危なかった〜。

 さて、健闘及ばず敗れたのは、普段からゲームに親しみ、ドリームキャストの『メルクリウスプリティ』なども素で買えてしまう、割とすれたゲーマーでした。
 ボーリングにはゲームと縁薄い人たちも多く参加しており、でもそんな面々に限ってPS2はしっかり所持していて、彼らが負けた場合は『行くぜ! 温泉卓球!!』などを視野に入れていました。しかし、敗者となった彼に生半可なタイトルは効きそうにありません。
 そんな彼をも思わず怯えさせ、思わず「それだけは…」と口に出させてしまう、真のキラーソフト(こんな方向での)に巡り会うことが、まさかあるなんて…

 「ドリームキャスターであることを人生で一番後悔した日」

 (「アメリカ横断ウルトラクイズ」の司会者の口調で)
 先日惜しまれつつその生涯を閉じることになったドリームキャスト。その短い歴史を彩っていたのは、名作・傑作ばかりでは決してなかった…
 ちゃららー、ちゃららー(例の音楽)
 君に贈る罰ゲームは、これだ!!

『カードキャプターさくら 知世のビデオ大作戦 LIMITED BOX』

恥ポイントその1:大きい
 パッケージがとにかくでかい。隣りに並ぶ他のゲームのCDケースが、大きさの引き合いによく出される煙草の箱のような役割を果たしていて、一段と注目度を高めています。
恥ポイントその2:パッケージの絵
 魔法少女っぽい(のか?)奇抜な衣装で恥じらう(大きな「汗」記号つき)女の子と、その様子をハンディビデオで嬉々として撮影する女の子が箱一杯に描かれており、嫌でも人目を引きます。
恥ポイントその3:価格
 新作・新品・限定版なのに、売値が他のソフトと同程度。お店の評価を露骨に示しており、安くて助かるはずなのに納得できません。

 罰ゲーム施行に伴い「レジでタイトルを口に出して在庫を確認する」「『これや! これが欲しかったんやー!』と叫び箱を頭上に掲げる」といったオプションも提案されましたが拒否され、普通に箱をレジまで持っていくことで決着しました。

 買うことが最大の屈辱イベント、これで罰ゲーム終わり、と、その時は思っていたのですが。
 実は全然終わっておらず、むしろこれからが本番といった趣に。

 「続・罰ゲーム 限定版の内容」

 大きな箱から中身を引っぱり出してみると、ゲームCDケースの他に多彩なレアアイテムが。

・立て掛け式時計(&電池)
 四角い時計の文字盤はパッケージと同じ絵柄。長短針とも透けていて、時刻を知るための道具ではないかのようです。
 ちなみに電池は謎の海外品。
・お皿&フォーク&スプーン(&簡易立て掛け台)
 それぞれに二人の女の子があしらわれた食器類。商品の意図するところでは、これでホットケーキを食べて欲しいようですが、なぜ? 二人の好物なのでしょうか。漫画やアニメは一切見たことがなく、関連性が分かりません。
 立て掛け台はお皿のためのものだそうですが、時計に使った方がしっくりくるような気がします。
・抱き枕用カバー
 瞠目の品。まさかこんなアイテムが一般に流通するなんて。
 といっても絵柄は別に裸とかではなくて等身大でさえなく(←余計な注釈のような気がする)、表と裏でひとりずつ印刷されているだけのものですが、しかし抱き枕用ですよ。カバーだけであり中身は各自要調達、なんですが、そんなもの普通に買えるのか? たとえば無印良品の抱き枕なんてあるんだろうか? この分野についてとんと不勉強であり、その市場規模についてはまるで見当がつきません。

 まあそんなこんなで存分に笑かしてもらい元は十分に取った(←あんた払ってない)思いだったのですが、罰ゲームはまだ終わらない。
 そう、肝心のゲームが。

 「最終章・ゲーム自体が罰ゲーム」

 例えるなら
 「いろんな視点でレースを眺めることができるが、進行には一切介入できないレースゲーム」
 プレイヤーは撮影役となって、目的地に向かって移動するもう一人の女の子を追いかけ、様々な角度から「ベストショット」の瞬間を狙うのですが、ぐるぐる視点を回して撮影ボタンを連打していると自動的にクリアできるという奇怪なゲームに仕上がっています。撮影ミスのペナルティはないみたいです。
 つまり、最初から最後まで画面を見ずにクリア可能。そんなゲームにはお目にかかったことがない。
 つうかビデオなのになぜ「瞬間」を狙う?

 ぽちぽちとボタンを押し続けて20分でゲームは終わりました。終わり。ゲームクリアですエンディングです。最後まで遊んでくれてありがとう、ビデオ役の彼女に礼を言われました。
 撮影役は主役の移動に干渉できないから、どんなに頑張っても頑張らなくてもゲームにかかる時間は同じ。20分で必ず終わるのです。
 さらに大問題なのがグラフィック。エンディングで流れたアニメのつぎはぎが最大の見どころと言えるかも知れません。というのも、ゲーム中はアニメではなくポリゴンだからです。視点を回すから。

 ゲームを見せてもらって初めて、彼に申し訳ないことをしたと心から思いました。
 ごめんね。

 何というか、罰ゲームのためにあるような商品。憎いあの人の精神を踏みにじりたいときにいいかもしれません。
 ドリームキャストを持っているとこんな遊び方もできます、という一例をご紹介しました。本例が、半額「処分品」(むごい表現だ。ついこの前まで主力製品だったのに)の販促に役立てば、これに過ぎる喜びはありません。
 ソフトは中古で買ってね。抱き枕カバーの中古品なんて誰も欲しくないでしょうけれども。


2/7

 確かにN64『罪と罰』の操作系は厄介で、慣れるまでにかなり練習が必要だ。でも、あのゲームで一番楽しいのは、手がコントローラーに馴染んでいく過程ではなかったか。画面を見てこうしたいと思ってから実際に手が動くまでの時間が短縮されていく、目と手の連結を阻む壁が少しずつ薄くなっていく、そんなプロセスが『罪と罰』の面白さのキモではなかったか、と思う。取っつきにくい「けれども」ではなく、取っつきにくい「からこそ」『罪と罰』は面白かった。
 彩京系シューティングの弾幕など、「画面上の位置情報を正確に覚えなければとてもやり過ごせない」攻撃がある。それを避けるために覚えるのは「覚えさせられている」感覚がある。そりゃ覚えれば躱せるだろうけど覚えるのはかったるいな、という気持ちがある。それに対して、「見てからの反応で十分対応できるけれどもそのためには操作法に習熟していなければならない」攻撃を避けるために、操作法を練習するのは苦にならない。
 攻略に失敗したときつい口に出してしまいそうな声は、自分の場合前者なら「汚ねえ」、後者なら「くっそう」になる。後者は悔しいが前者は悔しくない。で、悔しさは前進を目指すバネに変わる。
 かといって前者タイプのゲームを遊ばないわけではないけれど、そういうゲームだと知っていてなお遊びたいと思うとき、その動機は「悔しいから上達したい」とは別のところにあるみたいだ(画面中に勲章があふれている様子が見たい、とか)。

 ゲーム批評最新号の『罪と罰』レビューを読んでそんなことを考えました。


2/4

 今、非常な脱力感のただ中にいます。
 自ら設定した期限に間に合いませんでした。己の無力さを嫌というほど思い知らされています。
 『てんたま』を本日中にクリアすると、あれほど厳しく自分に言い聞かせたにも関わらず。昨晩4時(28時)まで頑張り、今日も朝からずっとPSを起動させ続けたにも関わらず(通算24時間。うわ、丸一日だ)。
 力尽きました。一人厳しいの(隠しシナリオ扱い)がいるんですよ。どこでミスってるのか見当がつきません。外見8歳のくせして無茶苦茶手強い(そのせいだと思う)。ちなみに声は5〜6歳といったところ(誰も訊いてません)。

 そんな徒労感を引きずって散髪などに出れば、座った途端に眠気が襲ってくるのも道理。しかし今日の床屋は虫の居所が悪いのか、うつらうつらし始めたと見るや絶妙のタイミングでハサミを取り落とすわ首筋に超熱い泡を塗ってくれるわで、当方一時たりとも気が休まりません。
 刃物を頭部に突きつけられてなお目を閉じる客から、無限の信頼感を感じ取っていただきたいと願ってやみません。警戒心もあらわに炯々と目を光らせ一挙手一投足を見張られたら、切る方だって落ち着かないと思うのですが。話し相手が欲しかったのかなあ。

 そういうわけで死ぬほど眠いのです。もう寝る。


2/3

 必死に『てんたま』。簡単に紹介すると、イベント繰り越し式(簡易『To Heart』式)システムに乗せて展開される『メモリーズオフ』、といったゲーム。

 へっぽこな順にシナリオを解いていったみたいです。他シナリオは最初のものほどひどくはなかった。「巫女さんのたまご」シナリオは経験上標準レベルにあると思います。
 ただしメインシナリオではこれが最上位であり、他は一つの着想を引っ張り過ぎのもの、普通に見えてラストで作者が変わったみたいに統一感が失われたもの、日本語の現状を憂えたくなるもの(×2本)という惨状でした。そもそもおまけシナリオがNo.1なんてゲームは初めてだ。
 ワーストシナリオのプレイ中は本気で糾弾ページを立ち上げようかと思った。そのつもりで取っておいたメモから引用しますのでご覧下さい。・と〜を除いて原文ママです。

 ・「あら、ケーキと言っても、一口に色々ありますよ」
 ・「私のお気に入りはベイクド・チーズタルトなんですけど、甘さなども抑えることができます」
 ・暇を弄ばせていた
 ・「今はときめくアイドルの〜」
 ・やがて思い出も想い出に変わるときが来るだろう
 ・本人はすぐに他事にコロコロと表情を変え、結局何だったのか分からないままうやむやになってしまった
 ・それに自分よがりな願望だけで〜
 ・理由を作りましたと言わんばかりの態度が、オレの目に疑惑のまなざしを帯びさせる
 ・初音さんがオレのことを好きだと言った以上、少なからずともオレにだって問題はある
 ・「あの二人にはあの2人の気持ちがありますの」
 俺も暇ですね。

 やる気を失わせるトラップも充実。バッドエンド確定フラグを序盤で立てるのはやめていただきたいところ。さっさと安楽死(ゲームオーバー)させてくれれば時間が節約できるのに。
 つーことでこれからネットで情報を漁って、満足できたら手放してこようっと。

 ちゃんとした文章に触れたい、と思い、『てんたま』の既読文章スキップ中に村上龍『希望の国のエクソダス』を読みかける。中に
 「三年前のセガのドリームキャスト以来ネット端末の機能を持つゲーム機がゲーム界の主流となっていた。(中略)さらに昨年セガはメール機能のある新世代機を売り出した」
なんて一節があって黙祷(3月から9900円ですがな!)。



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