ゲーム+α日記(2001年4月)

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4/28

 『痕』ほぼ終了、と思われます。
 キャラごとの話の展開に気が使ってある。一話ずつは文章スキップ機能が強烈に効いているせいもあってさっぱりと短い。その時間のかからなさと、エンディングの後の追加ヒントのおかげで、繰り返しプレイを進んでする気になる。そして、追加シナリオが本筋のフォローだったりもする。
 gM(現:ジーエム)で「壮大な物語」って確か紹介していた覚えがあって、遊ぶ前は身構えていたんですが、良くまとまった小品という感じでした。

 ところで、この分岐の広がり方ってゲームっぽいなと一瞬思いましたが、そうか? 自分は、デジタルデータを操って遊ぶものに対して一律にゲームと名付けているだけじゃないか?
 前回通ったときは見あたらず、何もないものと思いながら再びそこを通りがかったときに、あるはずのない分岐を見つけたときの驚きを、このゲーム(や『雫』)は多く用意していますが、ゲームってそういうものだったっけか、とちょっと考えて、それに答えを出すためには、まず自分がゲームの定義をしなければならないことに気づき、それはとても面倒で時間のかかることだと見当がついたので挫折。
 とりあえず、本では作れないこの刺激に対しては、何か呼び方を考えた方がいいようです。本でも再読することで違うものを見出すことはあるけれども、それは読む側が変わったのであって読まれる側は何も変わらない(楓ふうに)。これは立場が逆ですから。
 あ、それをビジュアルノベルって呼んでいるのか。あるいはサウンドノベル?
 でも、今問題にしていることって、絵や音とつながるものじゃないんですよね。


4/26

 家では『痕』進行中。楓に呼ばれる。

 主人公いろいろ思い出していってますが、それを目の当たりにしているこちらにも、掘り起こされる記憶がありました。
 それは過去でありながら(思い出すんだから過去のことに決まってる)、これが世に出た当時は存在しなかったもの。生まれた後先が逆転し、自分の中でのみ振り返るべき歴史となっている、その転倒ぶりを興味深く感じています。
 つーかそれはただの個人的体験ですが、そういうのがあるから今私がこのゲームを遊ぶことに意義があるはずなのです(←弁解しております:広く理解され得ない感想を書いてしまっていることに対して、情けないのは重々承知ながら、そう思いたくない、そういう意識を逸らしたい、という気持ちが働いています)。

 このシナリオのどこに重点を置いて発展していった先があのタイトルのあのシナリオなのか。スタッフロールの後の台詞を見るとバッドエンドらしいですが、ちっともそう感じられません。
 遊んでいる最中からフラッシュバックしてやまないあのタイトル、『Sense Off』のせいだと思われます。

 うわ!? リーフのページを探してたまたま見つけたけど、『AIR』ドリームキャスト移植だって? やるじゃないかNECインターチャネル!


4/24

 2日も前のことを今日の日記に持ち出すことについて特に何とも思わないまま、先週末にゲーセンで遊んだ『プロギアの嵐』のことなど書いていきたい。
 あとどれだけアーケードでゲームを出してくれるか分からなくなってきたカプコン社(でもそれはどのメーカーでも同じことだな、告知されるかどうかの差だけで)による横スクロールシューティング。横シューといえば地形がつきもので、せせこましい移動は不得意なスティックよりパッドで遊びたいといつも思っている私としては、かねてゲーセンの横シューは敬遠していましたが、このゲームには地形がない。
 それだけでも喜ばしく思いコインを投入すると、自機選択画面、ついでパートナー選択…なに?

 自機にはガンフライヤーという子機を標準でつけることが出来るのですが、自機の次はこの子機の性能選択、と見せかけてその実「子機を操るパイロット(女の子)の選択」が求められるのでした。
 とりあえず瞳に負けん気を宿した子を選んで戦場へ飛び立てば、タイトルの示すとおり嵐のような弾幕がお出迎え。いやきっと先のステージに進めば弾密度のインフレ率は天井知らずなのに違いなく、お客さん向けのステージで嵐なんて単語を使ってしまうと後ほどの形容に困るのでしょうけれども。とにかく、このゲームは弾を避けまくるという横シュー界の非主流派なのでした(言い切っていいのか?)。

 それにしても(ここまで前フリ)、男女一対で戦闘機に乗り込む、という設定には非常に心惹かれるものがありました。といっても、プレイ評価であるらしい「好感度」によってエンディングがどうこう、といったギャルゲー的味付けが楽しみなのではありません(そっちを楽しむには腕前が足りない)。「自分が死んだら相手も死なせてしまう」と思ったとき、無性に生き延びたくさせられるのです。
 「この星のために」「みんなのために」でもなく、「自分のために」でもない、広すぎず狭すぎずのちょうどよい守備ターゲットがすぐそばにいる。強力なショットで活路を切り開いてもらうかわりにこちらは操作担当、つまり俺はあの子の命を預かった立場。俺は死んでも構わないが、あの子が道連れになるのは許されない。守らねばッ!

 それにしても、シューティングを遊ぶのにもシチュエーション萌えを導入し始めた自分からは、ギャルゲーを遊びだしたときから確実に、かつて大切にしていた何かが失われ続けているのだ、と思わずにはいられません。
 あと、きっつい弾幕も子機には当たらないんだよなー。きっとZ軸方向に避けているのでしょう。彼女も必死なんだ。指輪あげるから、今度その避け方を教えて下さいな(宝石でなきゃいやだって?)。

 これで自爆(による難易度調整)があったりしたら相当いやな気持ちになれるんですが。どうかありませんように。


4/22

 どうにかこうにか青ゼルダ終了。しかし負けた! 私は敗北したのであります。
 第8ダンジョンのボスが倒せず、悩むこと2日。万策尽きた手元には、週刊ファミ通の今週号があり、その中にはまさに詰まった箇所の答えが…!
 今にして思えば、当該誌をぱらぱらとめくってその記事があることを見つけた時点で、負ける運命は定まっていたのかも知れない。その場では読まなかったにせよ、買ったわけだし。
 結局見てしまいました。自分の力だけで解くことを諦めたことによる空しさが、クリアした喜びを半減させています。
 かといって、あのまま悩んでいても解決の糸口は見いだせそうになかった。どうしようもなかった。そう、どうしようもなかったんだ。
 そんなことを自分に言い聞かせなければいけないほど、無念の思いは強い。ゲームを解いてこれほど釈然としないなんて。

 釈然としないと言えばこのゲーム、クリアしたところで物語はちっとも終わってくれません。どうやら同時発売の片割れ、『大地の章』(命名:赤ゼルダ)を解くことで、初めて大団円への道が開けるらしい。
 赤青セットとして見ると、この仕掛けが購入&プレイの動機としてうまくプレイヤーに作用するかどうかが重要だろう。私には作用しそうもなかった。理由は、この仕掛けがゲームの中身から離れてしまっていると感じたから。ゲームに取り込まれているべき仕掛けがゲームからはみ出していて、それでいて楽しく遊べた、というのは興味深い。
 いや、一言で済ませるなら、ストーリーが面白くないということなんですが。わざと回りくどくしているつもりはないです。


4/18

 青ゼルダに復帰して、現在第8ダンジョンの入り口。クリアまでの残り所要時間は、これまでのペースから約3時間と計算される。どうやら今週で終わらせられそうだ。

 ゲームを遊ぶのに、最近は買ったときからもう一段階の踏み台が必要になってきました。昔なら、新しいゲームを「手に入れた」ことがそのまま遊ぶための駆動力となってくれていましたが、1本解く間に複数本買ってしまう最近では有効に働かない(そういう買い方をするせいだろう)。
 そこで一つきっかけをここで作ります。どうにも遊ばずにはいられないように気持ちを駆り立てよう。
 「次は『痕』を遊ぶぞ!!」
 心の中では何十遍も唱えていた台詞ではあるけれども、口にすれば力を持つこと間違いなし。これで遊ばないとしたら、PCが壊れたクラスの言い訳が必要になるでしょう。

 今宣言を終えて複雑な気持ちなのは、そうまでしないと取りかかれないのが変だと思っているから? それとも、口に出すならもう少し別のタイトルが良かったと感じているから?


4/15

 ナイスゲームズにジーエム(不定期刊?)にゲーム批評とまとめ買いしたものの、これだけ文章系が重なると一度には消化できず、まだ読み残しがけっこうあります。というより拾い読みに近くなってくる。
 ナイスゲームズの厚さには恐れ入るほかありませんが、この雑誌は広告まで統一感を出そうとしているのか。おじゃま館という中古ショップの広告があるのですが、1ページの三分の二を使って店員5人がお勧めゲーム(主にギャルゲー)について語っています。対談の模様がページの大半を占拠し、商品や値段のデータが下段に追いやられているその構成は、この雑誌の記事と記事の間に潜り込んでいれば何の違和感もないのですが、まさにその理由で広告として異常に見えます。
 その中で『プリズマティカリゼーション』を非ギャルゲー的視点でプッシュしていながら「でも『てんたま』も買ってたよね」とつっこまれている店員C氏に、鏡の向こうにいる自分を見た気がしました。ああこういう痛さを自分は振りまいているんだな、彼が(俺が)何を主張しようとも『てんたま』を買ったという事実の前には無力なのだな、と。

 痛いといえば、その感覚が分からないという友人に対して、ちょうど発売直後だった『シスター・プリンセス』を題材に説明しようと試みたことを思い出します。
 「例えば、ちっちゃい子と仲良くなりたいっていう気持ちがあるわけでさ」に始まったその講義自体ははかばかしい成果を生まなかったようでしたが、時折手振りも交えながら架空の妹に向けられる(求める)愛情について熱心に語るその姿こそが痛いということそのものであることを、あの時メタなレベルにおいても示していたのだと、後になってから気づいたものです。
 講義をそれで締めくくれば、一発で理解してもらえたかも知れない。


4/14

 『セガガガ』とりあえずクリア。
 とりあえず、とつけざるを得ない状態、というのも、クリアデータを引き継ぐことで新モードがいくつも現れてしまったからなんですが。シナリオの方向を無理矢理ねじ曲げた感じでやみくもに盛り上がったラストシーンの熱気を、ミニゲームなどだらだらと遊びながら鎮めているところ。

 そのミニゲームの一つに横スクロールシューティングがあるんですが、これがまた目を引く出来に。形式は『メタルブラック』風味、ショットの操作系は『サンダーフォースV』似、そして演出が…!

 ボス登場。
 スペック紹介? 石? そして進化?
 シ、『シルバーガン』(サターンモード6A面)!?

 プレイ途中の方のために隠しましたが、全く遊んでないしその予定もない方は多分見て問題ないと思われますので、反転表示させてみて、画面を一目見たくなって下さい(って、これでそそられる人もあまりいませんか)。いや、笑わせてもらいました。
 しかし、ドリームキャストのパッドってば連射しづらいことこの上なし。疲れますよ。


4/12

 がはー。出てくるゲームが実在のものってのは大きい。
 ちょびちょび進められるモードに入ったので平日でも『セガガガ』を遊んでいますが、開発されるという形で現れるゲームタイトル、その一本一本にまとわりつくストーリーの濃いこと。ゲームの中の開発ドラマと現実が交わって、二重の物語が編み上げられていきます。
 「わずか1ヶ月で『ファンタジーゾーン』を作り上げた素晴らしいスタッフ。しかし市場へのアナウンスが遅れて碌に知名度のないままリリース、不景気と重なって売上本数は散々。でもドリームキャストを1日100万台生産する今日び、いくら頑張ってもマークIIIのゲームじゃ無理ないなあ」
 「80万本売ったら勝利、が条件の、ライバル社との売り上げ対決。ビッグタイトルを求めて開発期間を長めに取ったら、担当チームはキーワード『宝石』の落ちものパズルゲームを大製作(→負け)」
 「心身の疲れが限界を通り越し、ついにプロデューサー逝く。遺作となったRPGは彼の情熱が乗り移ったかのようにヒット、しかしハードがゲームギア」
 素敵すぎるエピソードに彩られ、着実にセガ社はシェアを奪回しております。頑張れ、ぼくらのセガ(エンディングが夢落ちだったらどうしよう)!


4/10

 セガ・シミュレーションなんつって実在の会社名をタイトルに出すくらいだから、事実を題材にしている部分が多いであろう『セガガガ』。このゲームに対して、一つ一つ元ネタを調べて突き止めるといった接し方に対抗できる見方はないものか。
 ゲームとして『セガガガ』を見るとき、必要最小限まで現実との接点を減らしたらどのくらいになるかが知りたい。全ての参照先を知ることなどできないという事実をマイナスと捉えたくない気持ちからその願いが生まれた、ということを自覚しつつ。

 題材をセガではなくどこか別のあるいは架空の会社に置き換えてもこのゲームは成り立つかどうか。そこを出発点として、ネタの集合体であるこのゲームについて、できるだけネタに触れない方向で考えてみたい。
 多分、そんなことを考えて得られた何らかの結論(出るのか?)をまとめるよりも、事実と絡めて面白おかしく紹介した方が、ずっと笑いの取れる文章ができあがるだろう、と考えると、他の人にとって無駄なことを考えているのだとつくづく身に沁みて感慨深いものがあります。しかし、ネタ比較競争を始めたら、より多く知っている人が必ず勝つ、というのが見えてしまっている。負けると分かっている争いは避けるのが得策と言えましょう(誰が戦っているんだ?)。


4/8

 週末は予定通り『セガガガ』でセガ再建にいそしむ…といってもまだクリアできていないし、そう漬かっていたわけでもなかった。うう。

 我が家の開発顛末その1:開発ラインが整ったので一気に3本並行で作るよう指示。気がつけば経費(人件費)が火の車で、あと一ヶ月収入がなかったら倒産、の身動きがとれない状態に。
 幸いそこで一本出せて売れてくれたから(『ベアナックル』が40万本弱も)良かったものの、まさに自転車操業。事業計画は慎重に立てましょう。
 その2:テンポよくシェアを拡大しようと思い、三ヶ月連続でリリースできるよう見積もりを立てる。しかし一本はのんびり作っていたらひと月遅れ、もう一本は途中でディレクターが逃げてふた月延期になった。
 結局年末に3本同時に出すことに。期待作を一気に出して共倒れというフィーチャー、このゲームには入っていないようだけれども、なぜ現実にそういうことが起こるかが理解できた気がしました(短絡的すぎ?)。

 主人公の休養中にゲーム作りが進んでいないのが疑問、3章までと4章以降で話の展開の加速度が違いすぎるのが謎。それ以外は、こんな感じで楽しんでおります。


4/5

 詰まった。
 思いつくことは全て試した。といってもできることはあまりなく、ここで頑張っていても埒が明かないように思う。どうも先に進むためにはアイテムか別のフラグが必要なようだ。
 しかし、本当にチェック漏れはないのか。もう一度全ての部屋を見直そう。くそっ、俺の本気はこの程度のものだったのかッ…!

 と熱くなってしまい、さらに時間の無駄遣い。こういうときは一旦ゲームから離れて頭を冷やすべきなのだ。
 以上、青ゼルダ第6ダンジョンで右往左往の図、でした。あーもうマジで悔しい。
 左親指がオーバーヒート気味。方向キーを斜めに入れるのにやや力がいるのに加えて、リンクの移動速度がかなり遅く、キーを押し続ける時間が長くなるため、親指の腹にかかる負担が増してしまいます。
 パッドを布か何かで覆ってその上から操作する、などの工夫が求められています。ゲームボーイアドバンスを買う、というのは対策になるんだろうか。

 椎名林檎がこの前出したシングルの3曲目がどんぴしゃりとツボにはまってしまい、聞かない日はないここ最近ですが、なぜにこれほどかっこいいんでしょうか。このメイドさんの曲は。
 もっともタイトル「愛妻家の朝食」は、曲の主役を妻に限定していないのではありますが。


4/2

 月を、そして年度をまたいで、『セガガガ』および青ゼルダこと『時空の章』に全力投球していきたい。
 どちらか一本に絞ったほうが効率がいいかというとそうではなく、この二本のゲームのテンポと、自分の生活サイクルを合わせると、並行して進めていくのがベスト、というより半ばそうせざるを得ない形に。
 なぜなら『セガガガ』は一区切りつくまでに大変時間がかかるのです。一度ダンジョンに入ったら出るまでセーブできず、気安く出たり入ったりできない仕掛けもあって、一回のプレイに数時間を見込まなければなりません。話が先に進めば事態は変わってくる可能性もあるけれど、現状では平日にそんな時間は費せない。週末から休日にかけて一気にクリアすることになるでしょう。
 関係ありませんが、エンドロールにいろんな店の名前が入っていそうな秋葉原のBGMがやばい。2番が何語か分からないようではモグリですか。

 青ゼルダはその点まことに重宝で、節目節目がほぼ一時間で訪れてくれる。この辺でクリアできないと明日の仕事に差し支える、というぎりぎりのタイミングでヒントが見つかったりしてくれる。
 本気で考えての一時間、というところが重要。頭を使ったよろこび(いいのかそんなことで)に加えて、ボスを倒したり迷宮の入り口を見つけたりと切れ目も明確で、すっきりと電源を落とすことができます。パズルの難しさは相変わらずで、「一画面に一つ、ブロックを作って置いておける杖」の使わせ方には相当高いテンションを感じました。
 投げ出したときの悔しさを想像しながら必死で考え、解けてすごくいい気分なんですが、本気とか必死とか、ゲームボーイに向かっての言葉とは思えません。
 



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