ゲーム+α日記(2001年5月)

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5/29

 『DT』のテキストに話芸を感じつつ、一通りクリアまで突っ走る。
 しゃべり言葉が巧みなんですよ。特に後半部の主人公である女子高生、「あめいっち」こと飴井由佳(あめい・ゆか)の台詞群が楽しい。
 あめいっち、なんてのが自称だったりすると目も当てられない寒さを引き起こしかねません。呼び名は呼ばれるためにあるもので、自分から名乗ってもかっこいいものじゃないです。そこを少し警戒していましたが、ゲームを進めていったら他称だったので安心しました。
 しかもただのあめいっちじゃない、「みんなのあめいっち」! そんなふうにあだ名が付く面倒見の良さ、という性格設定が素晴らしいと思います。

 そんな彼女は、友達に話の続きをするとき、「それで、」の代わりに「で。で。で。」とつなげます。下校の途中で戦いに巻き込まれてしまい、撃退した後でも、とどめを刺さないことをその敵に咎められて「えっと、友達が待ってるんで」とか口走ります。それが理由になってないことに、言った後すぐに気づいたりします。
 何というか、すごく勢いがある人です。彼女に接する人は、その勢いで親切にされてしまう。でも、その親切は一人に特別なんじゃなくて、誰にでも分け隔てない態度の表れだということが、そのうち分かる。そして、その態度のために、彼女には恋人はいない(いなかったはず。というか、この性格でいたら変だとの思い込みがある。違ったかな?)。
 良い。これは萌えとさえ言えよう、ってあれ? 感心の対象が、言葉遣いからいつの間にかキャラの立て方(立ち方)に。

 ということで、このゲームでは言葉が非常に大きな力を握っているのです。

 そんな感じで、女子高生の元気な発言は楽しく読ませてもらっていますが、その一方、朝日新聞で最初に目にする欄で自分語りをされた日には、楽しみをごっそり持っていかれた気分。他の記事の受け取り方にまで影響が出てくるように思います。
 特に今月に入って、「天声人語」からウェブ日記くささが漂ってきてしかたないので、早く元の調子を取り戻してもらえないかと願ってやまない毎日です。


5/27

 まずい。
 買ったもののちょっと覗くだけにするつもりだった
『DT Lords of Genomes』に、かなり引き込まれてしまいました。
 ゲームボーイソフトでカードバトルなら珍しくない、と思わせて、このゲームのもう一つの特色、「ハイパーテキストモード」が大変面白いのであります。

 画面にぎっしり詰まった文章(ほんとに多い)の中に未知の単語が出てきたとき、その単語を選ぶと画面が解説文に切り替わる。その説明文の中でもまた謎ワードが(多くの場合)あって、日常語ばかりになるまで次々にページを繰っていくことができる。
 文中に埋め込まれたリンクを辿って別の文章へ、というのはウェブ上でおなじみの作業ですが、それをゲームボーイで、それも読みやすく扱いやすいものを目にしてびっくりしました。
 各ボタンが左クリックとかスクロールバーとか「戻る」とかに対応していて、しかも重要なことに、私はこのゲームをゲームボーイカラーで遊んでいますが、これなら左手一本で操作可能なのであります。ちょっと親指を伸ばせば、画面を遮らず本体を支えたままでABボタンに届くために。これ、アドバンスではちょっと無理なんじゃないだろうか。ボタンの割り振りを変えられたりしない限り。
 つまり電車の中で吊革につかまりつつどんどん読み進められるし、右手にジュースとか持ちながらも目は画面に釘付け、といった「ながらプレイ」もOK。
 課題は左手がどれだけの間本体の重さに耐えられるかどうか、ですが、それさえ克服できればの条件付きで、ゲームボーイに実にふさわしいゲームです。

 文章から文章へ移動、といっても、ある話から別の話へ飛ぶのではなくて「一つ一つの話に出てくる注が共通」というものなので、本に当てはめるならゲームブックよりも辞書というか百科事典というか。かなりおしゃべりな、ページをめくる手間のいらない事典です。
 そして、このゲームは事典のシステムに乗せてストーリーを語ろうとしているのでした。これは面白い、ってあれ? 感心の対象が文章の見せ方からいつの間にか物語の見せ方に。


5/25

 自分の『プリズマ』への態度が、前回PS版の時のはだいぶ違っていることに気づきました。
 最初に遊んだときは、良くも悪くも主人公に密着し過ぎたようです。彼を嫌って、その感情が自己嫌悪であることに気づいて、それからはほぼ主人公になりきって。
 その結果、物語への没入度は異常に高まりましたが、システムの意義とかシナリオとシステムとの結びつきとかのゲーム的なポイントへは、あまり目を向けられていなかったように思います。
 もっとも、主人公はあの特異な時間の流れに気づけないでいるので、彼に同化したつもりの自分が同じくゲームの外からの視点を持てなかったのは無理もない、とも言えます。

 今回は少し様子が違う。彼の台詞の内容も、いつもいつも真に受けたりはせず、「彼はそのように思考する人物である」「彼にそのように思考させる背景がどこかにある」などの捉え方をしているみたいです。
 このゲームでは台詞に声は当たっていませんが、主人公の声を想像してみると、前にプレイしたときより心なしか明るく響いているような。


5/23

 自分が縮んだ気分になれて大変面白い。でも、訳文に特定の単語が出過ぎる(原文もそうだったのでしょうが)のが気になる。それに、特定の行だけ幅広フォントを使うっていうのは、レイアウトの合わせかたとしてはかなりまずいんじゃないだろうか。それとも、あれには行数調整以外の意味があったんだろうか。
 なんて思いながら『スパイダー・ワールド 賢者の塔』(コリン・ウィルソン、講談社ノベルス)という分厚い新書をちまちまと読み進めていましたが、こんなに厚いのにラストは思いっきり「次巻に続く」じゃないですかこれ。気になって仕方なくなるから未完結の物語は読まないことにしているのですが、そうとは知らず最後まで付き合ってしまい、落ち着きません。
 後書きを先に読んでおけば良かったのか。

 不完全燃焼感を胸に、ドリームキャストに『プリズマティカリゼーション』をセットして、へんてこ移植の音楽が気にならなくなるくらい(一周だけ)プレイ。
 始める前は「気になったところは即チェック!」とメモ魔になる勢いでしたが、最初から気合いを入れすぎると途中でしぼんだときに復活できない恐れがあるので、緩やかプレイに変えました。PS版からどんな文章が追加されたかをメインに見ていこう(1年半前の内容をどこまで覚えているんだろう?)
 『キャプテン・ラヴ』は『プリズマ』の次かな(結局二番手なのか)。


5/21

 『プロギアの嵐』2度目のクリア、前回の喜びは夢じゃなかったんだ。そして今回は最終面に来るまでに2機失っていたことを考えると、週末プレイヤーの割にはまだ上達しているようでもある。
 細々とでも楽しめるゲームがアーケードにできて嬉しい。これがなければ、今ゲーセンに足を運ぶことはないなあ。

 と気分良くゲーム屋に立ち寄ると、廉価版『キャプテン・ラヴ』が目に入ったので購入。このタイトルの再販は、ちょっと微笑ましい奇跡だったように思う。
 最近友人からもらったメールに、このゲームの感想が書いてあった。好評のようで良かった。プレゼントした甲斐があったというものだ。
 この店で廉価版を買うのは2枚目になる。自分の中では、今一番気軽に買え、安心して贈れるゲームという位置づけでいる。バカゲー好きから遠藤久美子フリークまで、幅広くお勧めできる一作と言えよう(「二点があれば直線が引ける」という例)。
 店内を見回ると、先ほどの低価格コーナーから離れたアドベンチャーゲームコーナーにも『キャプテン・ラヴ』があった。あちこちに置いておけば、目を付けられてたくさん売れるかも知れない。俺に。

 そこまで言っておきながら自分自身まだクリアしていないのはいかがなものか、と、書いているうちに思えてきた。『ドラクエ7』の後に、って誓いを立ててしまったんだよなー。でも、これ遊んでその次に必ず、というのではなく、遊ぶつもりのないゲームの後に、なんていう誓いに何の意味がある?

 というような昨日、日曜日の午後でした。
 1日のずれなんか1年も経てばどうでも良くなるだろうになぜメモしておきたくなるんだろうそれが日記だから。自問自答終わり。です。


5/19

 物語、というよりは筋書きに飢えていたのは事実だけれども、一気に吸収してしまうのも考えもののようで、『ジョジョの奇妙な冒険』を第三部の終わりから第四部全体、初代ガンダムの劇場版3巻、とどめに『To Heart』の超力作SSを一日で摂取して頭がくらくら。何やら熱も出たみたいです。
 最初のうちこそ「ディオのスタンド能力が『瞬間移動させる』から『時間を止める』に変わったのはどのあたりだろう」とか思ったりしましたが、そのうち余計なことを頭に留めておける余裕もなくなり、ひたすら開いては閉じるお話をいただき続けるように。
 しかし読み返してみると第四部も面白いということに気づきました。ジャンプ連載当時は第三部の大盛り上がりを受けたものだっただけに、読む時のテンションが相対的に下がってしまい「つまらなくなった」と感じてたんですが。認識が改まりましたよ。

 その後の2作品でも、思考の垂れ流しぶりは同様。
 割とあっさり人が死ぬなあとか、ガンダムネタで使われる台詞も声量が小さくてボリュームを大きくしないと聞き取りにくいものが多いのは予想外だったとか、ガンダムを題材にしたゲームにこれから興味が持てることだろうとか。
 何かを考える(例:「ロボットには心があるのだろうか」)ときに、考えようとしているものの定義から始めなきゃと思うことが自分の場合よくあるけれど、それはその問題から逃げようとしている意識の現れなんだろうかとか、毎回定義に戻るまでもなく常識や通念を持ち出してくればいいのにそれをしないのはなぜだろう自分には参照できる常識や通念がないんだろうかとか、そんな自分の事情に他人を巻き込みたくないから、定義の問題を持ち出すのは自分の中だけでものを考えるときに限るべきなんじゃないか、でも確かめなくて話がかみ合わなくても困るしなあとか。
 そういったことがらが一瞬だけ浮かび上がって、留まれずにまたどこかへ行ってしまうのでした。多分、筋道を追っていく過程で現れたことだから、物語の途中に置いてきたんだろう。


5/16

 『プロギア』で味わった感情のピークに比べて、地道な忍耐力を必要とするこのゲームの何という違いよと、『エンジェルプレゼント』の片を付けようと頑張りながらつくづく思う。
 なぜ私は夜の貴重な時間をグラフィック集めに邁進しているのだろうと思わずにはいられず、あまりに繰り返しその疑問と向き合ったせいで、答えも出てしまった。
 やっぱり見たいのです、この絵と、それにくっついてくるイベントを。たとえ半ば以上は義務感となっていたとしても。

 このゲームは前に紹介したとおり「自称・泣かせ系」なわけですが、そんなものを自称されたら普通は警戒する。紹介記事とか読者投稿とかではなくて自分からそんなふうに名乗るなんてちょっと図々しくない? とか思う。
 そういえば遊んでみて感心しまくりだった『Sense Off』も、副題に「聖なる物語」なんてつけていて、それを見て遊ぶ前の好感度を落とした覚えがある。もっとも、「聖なる物語」がどういうものか頭に浮かばなかったから落ち着かなくなっただけかも知れない。つけ加えると、あの話が神聖なのかどうか、遊び終えた今でもよく分からない。
 それはともかく。

 『エンジェルプレゼント』に感動は期待していなかった。それが、このゲームを買ったときの自分の正直な気持ちだった。では何に期待していたか、というとそれはもうグラフィックということになる。って唐突に「そういうことになる」ことについて、ギャルゲーを遊ばない人の賛意を得られるとは思えませんね自分で書いていて何ですが。
 あのパッケージの絵を初めて見たとき、「わ、歪んでるな」と思いつつちょっと引かれたのだった。後は、第一印象の「歪み」を許せる気分になるのと、興味が薄れるのとどちらが早いかの競争で、前者が勝ったために購入、今に至る、というわけです。
 そしてこのゲームの内実はストーリー主導ではなくギャルビュワーだった。ということは、期待に応えてくれていた、と考えることができるのではないか。
 そう、まさに、考えることが「できる」。いかにその他の部分がメタメタに駄目でも、いいところがあればそこをクローズアップすることができる。
 当然、他の人には断じて勧められません。この件に関して、自分と同じ考え方が他人にできると、確信を持つことなんてないだろうと思う。

 ただ、このゲームを終えた今、無性に物語がほしいです。


5/13

 やった! やりましたッ!
 みじめな気持ちでいた昨日から一転、成し遂げた充実感でいっぱい。『プロギアの嵐』、1周クリアいたしました!
 いやあ、まさか本当にクリアできるとは思いませんでした。昨日も書いてますが、私はアーケードのシューティングゲームなんてほとんどクリアできません。これまでの実績を挙げると、いやこんな恥を並び立てるなんて普段なら相当ためらわれるはずですが、今の高ぶった気分はそれを気にさせない。
 ええと、クリアできたのは、『レイディアントシルバーガン』と『ティンクルスタースプライツ』と『サイヴァリア』(初心者用Aコース、『リヴィジョン』含む)と……え? これだけ?
 あらら、両手を用意するまでもなく、片手の指さえ折りきれない体たらく。それも『シルバーガン』と『スプライツ』はサターンで目一杯練習してのものだから、実質1タイトル。「並び立て」られるなら恥にならない。並ばないから恥なのだ。
 なんか落ち込んできた。話を『プロギア』に戻そう。

 <1話完結:本日の『プロギア』>
 今日の初プレイで1面で全滅したとき、「無理しない」「敵の群に飛び込むときは、動きを止めずに気合いの連射で倒し、自機周りの弾を消す」「弾をばらまいてくる空中ザコを見かけたら、即ガンナーモードで安全に弾消し」を堅守し、余計なことを考えないようにした。
 心がけたのはそれだけ。それは、ステージごと、場面ごとの具体策ではない。だから、5面到達時ノーミスという結果は、その心がけの賜物というより、単なるまぐれ当たりと言った方が正しいだろう。でも、まぐれでも何でも、そんなチャンスは二度と逃したくなかった。
 5面ではボムと残機を散財しつつ先へ進む。ボムの抱え死にはもうたくさんだった。そもそも5面道中は耐久力のある空中ザコが多数出現するため、それまで頼みにしてきた方針は通用しない。ひたすら逃げ、撃ち(←ここで「逃げ」が先に来るあたり、腰の引けぶりが著しい)、1100万でエクステンドをもらって、ボス到達時に残機2の残ボム1。
 最初の攻撃でいきなりボムを使う。怖くて仕方なかったというのもあるし、開き直りたかったからでもある。ボムを持っているときと使い果たしたときでは、弾避けの気合いの入り方が違う。その後の攻撃を耐える間は、長いようにもあっという間にも感じられた。ボス戦を通じて、時間の長さの感覚がよく分からなかった。
 じわじわと迫り来る花火弾のプレッシャーに押され、すぐボムボタンに指が伸びる。宝石は既に底をついていて、ボスから離れてボムを撃っても画面端まで届いてくれない。というわけで、ボム中の無敵時間で精一杯、名付けて「俺と一緒に死んでくれ」作戦(ただの重なり特攻)で人差し指と中指がしびれるほど連射する。
 そして、残機0残ボム1まで減ったところで、ついに背景が朱で満たされた(うろ覚え)。
 ばんざーい。ばんざーい。

 前に残機3で5面に突入したのにクリアできなかったのを嘆いたけれど、今日5面で5機死んだことを考えれば、あのとき全滅したのも無理ない。それが実力なのだ。
 2周目到達条件は「クリアしたとき1ミスか2ボム以内」だという。そういうものがあるということだけ頭に置いて…いや、今はそれについて考えられる段階にないな。その条件はあまりに自分の腕前から離れすぎていて、それがどれくらい高い壁かも測れない。満足しきっている今の気持ちから離れたくないだけかも知れないけれど。
 すっごい嬉しい。今の心残りといえば、4面にあるという1UPアイテム(?)の所在くらいなのであります。


5/12

 やっと週末だー。と勇んで『プロギアの嵐』を遊びに行くも「それなりに遊ばせてもらいました」の段階に留まる。敵の群に飛び込み、すぐ近くで撃たれる弾にひるまない勇気が出ず、思い切ってやってみたもののそりゃ蛮勇にして無謀です、というような思考停止のプレイに。
 そもそも、家庭用に移植されてないシューティングゲームをクリアしたことって(1周クリアさえ)ほとんどないぞ。それなのに「連休中にクリアしたかった」なんて、高望みというものではないのですか。いや間違いなくそうだと言えよう!
 悔しいというか自分の無力さに打ちのめされているので、沈まないようにどうでもいい無駄口で考えを逸らしております。俺は、あの娘のために、何もしてやれないッ…!(まだ言うか)


5/8

 この前は言葉で表せなかったから、明らかに的外れな要素である販売数なんかを挙げてお茶を濁したけれど、『エンジェルプレゼント』に腹を立てずにいられる理由が何となく分かったような。
 このゲームは、2年くらい前にサターンで遊んだ『With You』に雰囲気が似ています。システムも話も全然似てません。あくまで雰囲気、と、強引な結び付けのような気がしてきましたが、個人の記憶の結合なんて他人にとってはいつでも強引であり得るということでご容赦いただくとして。
 そこで、この2本のアドベンチャーギャルゲーの共通点を探したところ、3つほどあるのではないかと思いました。
 ・絵の力が強い
 ・キャラクターを生き生きと見せてくれるエピソードが豊富
 ・盛り上がりのないストーリー

 イベントにはだいたいそのイベント専用のグラフィックが出てくるものなので、1番目と2番目の項目は連動しています。
 キャラの性格が分かってくるようなできごとを数多く経験していくうち、その世界を気に入り始める。ストーリーはあるのだけれども、クリアしてから思い出せるのは、ゲームに出てきた人たちがいた世界があって、そこにしばらく滞在したというぼんやりした感覚ばかりなのです。そして、その感覚は悪いものではありませんでした。
 むしろ、切れよく収束する物語は、こういった曖昧な居心地の良さにけりを付けてしまわないよう、ない方がいいものなのかも知れません。
 あくまでゲームを遊んだ後の感想なので、「最初からそのつもりだった」などと作者に語られても困りますけれども。いや、困ることはないか。作者の意図は、気にしたい時だけ気にすればいいもので、いつでも気にしなければいけないものでも、気にしなければいけないと迫られるものでもない。

 ここまで書いておいて恐れているのは、残りの話に泣かされるものがあったらどうしよう、ということです。


5/6

 ぐぐ、『プロギア』が〜。
 やせ我慢せずボムを使うよう心がけて序盤の死を回避し、ノーボムで仕方なく迎えた4面ボスもノーミスクリアの快挙。ボスの真ん前で弾の一斉射出を受けたのに無傷だった、などというできごとに、快挙というより神がかり的な力を感じ、いやむしろ俺が神? 覚醒? 残機も3あることだしこれはいける!
 とノリノリ(恥)で5面に乗り込みましたが、その時点で神は凡人に戻ってしまっていたようで、続けさまに撃墜されてボスまで届かず。ゲームオーバーの画面を見つめながら、当分チャンスは回ってこないんじゃないかと思うと、泣きたくなってきました。
 実際週末にならないと遊べる時間が取れないし。連日のピアノ撃ちでだるくなった右腕の復活を待つには、ゆとりのありすぎる休憩時間。連休中にクリアしておきたかった〜。

 さて、『プロギア』はアーケードゲームであり、四六時中遊んでいるわけにはいきません。ゲーム三昧のこの休み、家でも別のゲームに取り組んでおりました。
 それが
『エンジェルプレゼント』(紹介ページがない…)なんですけれども、ううむ。

 とりあえず、騙されたことは間違いありません。何せ広告では「しっとり泣かせるストーリー」「日常に疲れたあなたを癒します」とか謳っていたはず。
 でも、エンディングを二つ見ました(メインヒロイン含む)が、このゲームにストーリーなんてあってないようなもの。これで泣きたいなら、遊びながらワサビをかじるなどの努力が必要かと思われます。ほかにはまばたきしないとか。そんなんじゃ癒されませんっての。

 それでも、不思議なことにあまり腹は立っていないのです。
 感心したところは何点かあります。例えば、ギャルビュワーとしての期待には十二分に(過剰なほど)応えてくれています。このゲームは良作とは呼べないかも知れないが労作には違いありません。
 でもそれだけではない、怒りから遠ざける追加効果が他にある。なんだろう。
 理由の一つに、発売初週売り上げ3000本弱という寒い数字があるかもしれません(ドリームキャスト専門誌のどれかで見た)。
 NECインターチャネル謹製のギャルゲーが3000!? こうなると、これから先DC用にソフトを出すメーカーは、セガ含めてみな漢(おとこ)と呼ばなければなりますまい。『AIR』とて例外ではない。


5/3

 これから数日の過ごし方が「ゲームしまくり」になりそうで、それはそれですごく楽しみです。予定が消えてしまった。
 そういうわけで、するつもりのなかった更新などもしてみます。
 改訂版では削除された話を探して、『痕』のおまけシナリオを全部見る。多分これのことだろうと思われる話が、へそボタンを押した先にありました。
 多分、というのは、これがそうなのかどうかを調べてはいないけれども、昔読んだ覚えのある話だったから。こりゃまずいっすね。

 ところで。
 今
『プロギアの嵐』が大変面白いです。ゲーセンに行くのが楽しみっていうのはここ最近なかったけれども、今は外出すれば必ず立ち寄って遊ぶ、というより、外出先にゲーセンが組み込まれているというか。
 なぜこのゲームを、数あるシューティングの中でも特に面白く感じるかを考えてみたのですが、その鍵はショットボタンの機能の多彩さにあると思いました。
 『プロギア』で使うボタンはショット+ボムの2つですが、このショットボタンがただの弾射出に留まらないのであります。その機能を列挙すると

・押してすぐ離すと前方に強力ショット(ファイターモードのショット)、押しっぱなしだと敵機を追尾するショット(ガンナーモードのショット)を発射する
・押しっぱなしだと自機のスピードが遅くなる
・押しっぱなしでない状態と押しっぱなしの状態(正確にはこれがファイターモードとガンナーモードの定義)を切り替えると、画面上のアイテム(指輪、宝石)を吸い寄せて回収する
・同じく、ファイターモードとガンナーモードを切り替えることで、出現するアイテムを指輪か宝石かに切り替える

 ということで、これはもう「便利ボタン」と名付けた方がいい多彩さですが、さらにこのいちいちの機能を、プレイヤーに同時進行で使わせているところが実に良い感じです。
 ここで我々は、一つのボタンに様々な役割を持たせたシューティングゲームとして『マーズマトリックス』を思い浮かべ、あのゲームの不自由さに対する違いをしみじみと感じ取るのです。『プロギア』にはちゃんとボムボタンあるし。

 ここにさらに、

・敵を倒すと、近くの弾がアイテムに変わる
・ガンナーモードで敵を倒した方が、より広範囲の弾をアイテムに変えられる(弾が消える→安全)
・ファイターモードで出る「指輪」を集めていくと、ガンナーモードで弾を消しやすい&高得点のダイヤモンドに格が上がっていく
・ガンナーモードで弾を消すと宝石のランクが下がる(ファイターモードに切り替えたときに)
・ボムを使うと、集めたアイテムが減っていく

などなど、驚くほどたくさんのルールが凝縮されているのでした。
 ああ、同乗者との恋愛的味付けもありましたね。ゲームの最前面に出ているけれども、その要素は小さい小さい。

 「正確には」とか書きましたが、検証したわけじゃなくて(←そればっかり)とりあえず見たままをメモ。ファイター/ガンナーのモードを切り替える、その一瞬に心躍らせる時間は、まだ続きそうです。
 今は5面の途中までしか行けていませんが、その時はボムを都合8発抱えて死んだので、この無駄ボムをナイスボムに変えて、何とか一周クリアを目指していきたい!
 (その程度の腕前では、まだこんなことを口にする段階ではないのでは?)



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