ゲーム+α日記(2002年1月)

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1/30(水)

 虚栄心から始まる付き合いがある。
 興味を持った一番の理由が、内容自体でなく、内容についての語りでもなく、さらにその外側、それが置かれている立場にあるとき。
 遊びたがられているらしい、にもかかわらずなかなか手に入らないらしいという情報を得たとき。
 その情報が自分の中で成長し始め、一人歩きしていく。

 ここにあるのは、そんな珍しいものを他人ではなくこの自分が所持し、遊べていると感じることによる優越感。真偽も定かにせず鵜呑みにした情報を土台とする、足場のがたついた、他人によって支えられ内側には支柱のない誇らかな気持ち。
 評判のゲームを体験しているということ、そして、体験しているということを公にすること、それが重要であり目的なのだ。内容を通り越した、虚栄心の終点がそれだ。そのものを目の前にしながら、直視できていない。醜い。

 『はじめてのおるすばん』(ZERO)を人形になった気分でインストールしている間、そんなことを思っていました。
 遊び続けるのが辛いです。『ドラクエ7』で似た過ちを犯したことを思い出した。他人の希望と自分の希望の間に、いつになったら線を引けるようになりますか。


1/27(日)

 昨日今日と『斑鳩』が楽しめなかった。正確には、昨日楽しめなくなっていることに気づいて、その原因と対策を一日かけて考えて、今日実践してみたけどちょっとしか成果が出なかった。
 原因は、1〜3面が「とりあえず死なない」程度の低レベルなパターンで自分の中で固まりつつあること、そこから抜け出そうとせず、先の面に進むことだけを目標としていること、無理に抜け出そうとするとたちどころに死ぬこと、以上三点のようだ。

 固定されたパターンは作業になる。作業はやっていてつまらない。で、作業のくせに手元が狂ってミスしたりする。ミスらないのが当然と思っているからあわて、機嫌も損ねる。決して優れているとは言えないパターンを守るのに疲れ、練習したい4面にようやくたどりつけたところでゲームオーバーになる。
 と、ここまでが昨日から今日にかけて思いつくまま並べた問題点で、さしあたりの対策として、作業感を除くために1面をもっとうまくできるよう取り組もう、そう向上心が大切だ! なんて無理にも気持ちを盛り上げながら臨んだらうまくいかず凹む、というのが今日。
 楽しめないので2プレイしかできませんでした。

 考えてみれば、これはゲームに取り組む前と同じ状態だ。現状が一つのパターンに落ち着いているように、ゲームを遊んだことのないうちは「何も知らない」状態に落ち着いている。そっちが基底状態で、今は一段階励起された定常状態、みたいなものだろう。
 パターンを改良しようとしてすぐ死ぬのも同じ。初めて遊んでうまくこなせるわけがないように、新たな挑戦はすぐには報われない。そこを乗り越えて初めて楽しめる状態がやってくる。乗り越えるための壁が、活性化エネルギーとしてそこにある。

 ゲームを楽しめる状態というのは、壁を乗り越えてから落ち着くまでの間に集中しているのかも知れない。壁を乗り越えるために自分が注ぎ込んだエネルギーの余剰が、乗り越えた後で楽しさに変換され放出される。自分はそれをゲームから受けて面白がっているのかも知れない。
 そのゲームを遊んだ経験の総体を平均化してみれば「面白い」という一つの値が出るかも知れないけれど、各段階では面白さにばらつきが出るはず。今は次の段階の面白さを得るための過渡期なのだと考えよう。夢中になるときがきっと来る。それを信じて頑張ろう。
 って、その決意を一週間保たせなきゃいけません。そのためにこうやって文字にしておく必要があるのかもしれない。

 一般的に言うところの「壁に突き当たる」というのは、ただ困難を前にするというばかりじゃなくて、うまい下手に程度の差こそあれ、きっとこういう状態も指すんでしょうね。
 あと、ゲームを遊ぶ上でこれほど気持ちに左右されるようになるなんて、自分でも思ってもみませんでした。


1/25(金)

 『グラディウスジェネレーション』を最終面まで遊ぶ。各面とも小手先の工夫が入っていて面白い(←褒めてるのか?)。
 中でも、いかにもカニが登場しますよ、と言わんばかりの舞台(広い空間、上下に壁、敵は歩いてくる地上機が上下一体ずつ、遅くなるスクロール)で現れた仕掛け(敵とは呼べない)は楽しめた。この場面には、スーファミ時代の驚きがぎゅっと詰まっています。
 この面だけは先に答えを見ちゃダメだ! 奴の動きは予測できないからずるいと言えば言えるけれど、一度見れば切り抜け方は分かるし、何より笑ってしまったので良し。言葉にすれば「ハハハずりぃよ〜」であって、決して「きったねえぞコラ」バーン(パッドを叩きつける音)という死に方ではないのです。
 それにしても、あの仕掛けの正体はいったい何なんだろう。あと、今思い出したが、ボスラッシュに出会わなかった。ないんだろうか。


1/23(水)

 連日午前様じゃあ遊ぶ暇がない、かといって帰宅即就寝というのも虚しすぎる、ので、買って置いたまま遊べていなかったゲームボーイアドバンス『グラディウスジェネレーション』をちょっとだけプレイ。
 ちまちまながらきちんと遊べます。上下スクロールの反応が鈍い(画面端近くまで行かないとスクロールしない)のと、スピード1速と2速の間がほしいのの他は、まず不満なし。案外、今みたいな気分の時にぴったりのゲームかも知れません。気分転換にちょうどいい。

 ところでこのゲームには「ヒント」というモードでお手本プレイが収録されていますが、これが死んだ後戻される全場面での「復活の手引き」になっています。電源を切ってもクリアした地点がセーブされ、どこからでも続きが遊べるシステムを補足するために設けられたのでしょう。やり直したときは初期装備、だからどこでも復活できるようになってくれ、そうなるまで遊んでくれ、と言われているよう。
 グラディウスシリーズのマニアックな側面がこういう形で注目されるとは。この高速決着ぶりは、携帯機ならではのグラディウスの遊ばせ方かも。なかなかうまくいかないのでストレスはたまりそうですが。


1/20(日)

 今週の休養は短い。(北国の夏は短い、という趣で)

 フリーな時間が日曜の午前中だけっつうのはちょっとこたえます。それは休日じゃなくて休憩レベルだろう。今よりも、これから一週間のことが心配。今日はせめて、いつもより早く寝よう。
 そんな調子だったので、『斑鳩』も1プレイのみ。しかし3面ボスを初めて倒せた! これまでは隠れ続けてやり過ごすチキンプレイだったので感激しております。こうやればいいんじゃないだろうかと頭の中で練っていた方針が通用したものなので、喜びもひとしお。
 残り時間が4秒だろうがなんだろうが、大きな前進であります。
 むう、しかしこのペースだと、喜びつつ上達していく途上でゲーセンから消えるような気がする。一回一回のプレイで喜んでいる段階を越えてからが本番なのだろうに。

 「自信が確信に変わった」というすっかり有名なフレーズを初めて聞いたときは、語感の良さに松坂投手はうまいこというものだと感心しましたが、その感心はせいぜい語感どまりでした。
 ちゃんと考えると、自信というのは予想で、確信というのは回顧なのですね。自信には推測が入っているから100%ではないけれど、確信はすでに100%の状態を経験しているから、揺らぎのなさには大きな違いがある。ある状態が未来から過去に移ったことで、その状態に関する思いは揺るぎないものになる。
 ところで、経験を通さずにある状態を時間移動させることはできないだろうか。いや、それは自分の状態である限りできないのだけれど、「時間移動させた気になる」ことはできないか。
 そういう気分になることはあります。他人が達成するのを見ればいい。それは自分の経験ではないから、できた秘訣や細かなコツは分からないけれど、少なくともそれが「できる」のを知ることはできる。いくら自分一人で予想して「できるに決まってる」と思っても、実際にできているのを目の当たりにするのには及ばない。
 そこで、自分の予想について、あたかもすでにできているかのように、あるいは他人が達成できたのを見ているかのように、確信を持った気になることはできないか。
 確信が欲しいのは、再現できるようになりたいからです。一度できたものは二度三度と繰り返せるはず。ならば、まだできていないことがらについても、「できない」のではなく「ゼロ度できた」とかむりやりにも肯定形で表し、成功への壁を低くする助けとすることができないだろうか。できるような気がするのです。
 その分、初めてできたときの感激も薄まる? 理屈ではそうなりますが、たぶん薄まらないでしょう。その辺、人間は都合よくできているに違いない。

 ゲームする時間が少ないし、他人の『斑鳩』プレイを見ることもできないものだから、そんなことばっかり考えてます。せめてイメージトレーニングの力を上げよう。


1/17(木)

 携帯電話の情報を集めてみる。

 今使っているP208は、かなり遊べて、頑張ればプリインストール作品に負けない(少なくとも気持ちの上で)着メロが作れる点が非常に気に入っていました。ほかに小さいし軽いし電池の持ちにも不満ないし、iモード非対応で迷惑メールも来ないし、さらに電話もできる(主な用途はアラーム)という優れものでした。飽きが来ないというか、飽きが来るまで使っていられる名機だったと思います。
 と、すでに過去形を連発しているように、そろそろ機種変更してみようという気になってます。理由が「飽きた」というのは贅沢かも知れないけれど、変えるきっかけとしてはこれ以上なく理想的だと思うのです。そういう贅沢を受けられる幸せを噛みしめつつ、各機種の能力を比較検証。
 iアプリで超絶に面白いゲームが出たという話も聞かないし、ここは最近出揃った感のある211iにしてみようと思っています。
 それにしても、登場当時最先端だったP208の3和音・3オクターブ・128音というスペックが、その後三世代を経ても、着メロ入力機能に関する限り増強されていない(←02/1/21訂正。書き方が紛らわしかった)のが意外でした。P211iは既成曲の和音数(32音)と液晶の色数(65536色)に力を傾けすぎている気がします。
 まあ、今時着メロを手入力しようなんて流行らないんだろう。ダウンロードしてくればいいんだから、その方が楽だろうな(iモード未経験のため、ぼんやりと事態を想像してみる)。


1/15(火)

 方針を守って……というより改良を図って、『斑鳩』イージー4ボスまで進む。
 ちょっとゆとりのあるうちに自機の色を確認してから、修羅場の前に一瞬「黒黒黒今は黒! ゆえに黒弾幕に突っ込んでよし」と暗誦するというのが、考えた末に編み出した「改良」でした。
 感覚で動けるようになるまでは、行動の前にワンテンポ判断を置こう。遠回りではあるけれども、そのほうが確信を持って行動できる。『Sense Off』の珠季が、判断を挟むからこそストレートに感情を出せる、と言っているようなものだ。
 そして、生き延びることだけ考えるなら、4面道中はそれほど難しくないはずです(隠れ続けるから)。今回はボスの攻撃を把握する前に死んだ。続きはまた週末。


1/13(日)

 『ドラクエ4』に関しての自分の予想が外れていたことを思い知らされた。
 どんな作戦を試そうが、彼クリフトがスクルトを唱えてくれることはなかったのである。

 もしかしたら、死を糧にして成長するのかも知れない。たしか、ファミコン版はそういうシステムだった。説明書に、全滅しても次はもっと賢く戦うからリセットしないでくれ、といった注意書きがあったような気がする。あったはずだ。気になってきたのでファミコン版を引っぱり出してチェックしてみた。記憶通り、最後のページにそのように記載されている。
 そんなことを思い出して、バルザック戦で何度かクリフトを殺してみた。しかし彼は相変わらずだった。
 一度だけ、パーティー内で彼一人が生き残ったターンに「いのちだいじに」でスカラを自分にかけたことがあった。彼はそのターンで殺されたが、私は希望を持った。次の戦いで勇躍、私はその作戦を指示した。彼は身を守り続け、やがて回復に忙殺され、そして散っていった。

 だめだ。このAIに成長の余地はないのだ。PS版の説明書に、最初から敵の弱点を突く行動を取ると書いてある。きっと、それ以上賢くはならないのだろう。
 彼を戦力から外すことも考えた。しかし、魔法やブレス攻撃が主体の敵ならともかく、肉弾攻撃が痛いボスキャラとの戦いにスクルトは欠かせない。
 彼はきっと、自分がスクルトを使えることをまだ意識していないのだ。知らないものを責めてもしょうがない。その場合は、知っている者が教えてやらねばならない。そして、自分にはそれができる。ならば、そうする義務があるだろう。
 いつの日か彼がひらめくことを夢見て、そのときの備えとして彼に自ら指導を与えた。

 忍耐力が薄れていることを自覚せざるを得ません。

 愚痴ついでにもう一つ。AIを使うと、彼らの番が回ってくるまで防御の効果が現れません。
 回復する相手を変えたり呪文を変えたりと、そのターンの中でも臨機応変に動いてくれるのが、ターン始めにコマンドを入れたら変えることのできないマニュアルモードと異なるAIの利点のはずですが、彼らはこの判断を、自分の番が来たときに初めて行うようなのです。
 何かするつもりだったけど特別することもないので防御する、というターンの場合、彼の順番が回ってくるまでに彼に与えられるダメージは素のままです。彼は丸腰で攻撃を受けた後で、何もしないことを選択するという間抜けをやらかしてくれていることになります。
 ターン始めの状態が、彼にとって防御に値するものだったとしたら、最初から防御していて欲しいものです。AIプレイヤーにはそのくらいのアドバンテージをあげてもいいと思う。素早さの順に行動するといったって、敵に襲いかかったり呪文を唱えたりするのには時間がかかるだろうけれども、防御は瞬時にできるでしょ?
 メッセージには「身を守っている」と出るのだし。それを見るたびに、たった今守りはじめたんじゃん! と突っ込みを入れてます。


1/12(土)

 『斑鳩』を10日ぶりに遊ぶ。
 なかなか属性変更に慣れることができない。今日は二度連続で、レーザーに別属性で突進してしまい自爆。何が起こったか理解できるまでに、一瞬、間が空く。その後、猛烈な腹立たしさ、悔しさが襲ってくる。目の前が見えなくなるほどの。

 腹を立てたり悔しがったりするのは、全く意味のないことだ。なぜミスしたか、原因を探し、対策を考えなければならない。感情に流されるのは、考えることの対極にある。
 腹が立っている間は分析に回ることはできない。ミス直後には、どうしようもないいらだちが霧のように自分を取り巻いている。その霧が、回顧に向けられるはずの視界を遮る。周りが見えず、どちらに動いたらいいかの指針がないので、いつまでもその場に立ちすくんでいなければならない。
 霧は時間が経てば晴れる。ただ、それは忘れてしまったからで、感情とともにその感情の源であるミスも一緒に消えてしまう。そうなるとまた、同じことの繰り返しだ。ミスして、悔しがって、忘れて、また遊びたくなる。
 そうやって遊ぶのも楽しい。そういう後に残らない楽しさもいいと思う。でも今回の『斑鳩』では、そうしないでみようと思っている。時間を待たず、周りに立ちこめる霧を吹き飛ばしてみよう。忘れてしまう前ならば、霧が消えた後にはミスの原因が残っているはずだから。

 ミスしたシーンを振り返ったところ、レーザーが見えた瞬間に属性変更ボタンを押していることに気づいた。レーザーの目前で、レーザーと逆の属性に変えてしまう。それにはどんな意味があるのか。自分はなぜ、「同じ属性からわざわざ違う属性に変えてレーザーに当たりに行った」のだろう。
 考えてみたところ、攻撃が来たことだけに反応してボタンを押しているせいではないかと思い当たった。どうも自分は「ボタンを押すことで、これから来る攻撃と同じ属性になる」と思いこんで属性変更しているらしい。つまり、焦っているときの自分にとって、属性変更ボタンは「白(または黒)属性になるボタン」になってしまっているようなのだ。それも都合良く、あるときは白になり、あるときは黒になるボタンだと思っているみたいだ。白のまま白のレーザーを迎えてボタンを押してしまうのはそのためだろう。白だったら白のまま変わらないと思っているからだ。
 実際は、自機の色を変更するボタンなのであり、特定の色にするボタンではない。色は二色しかないから、「今の色ではない色の属性になる」ボタンなのだ。

 そのミスを防ぐにはどうしたらいいか。答えは単純で、自機の今の属性を頭に入れておくことしかない。今の色がどちらなのかを、属性切り替えのたびに覚えておくしかない。
 自然にこなせるようになるには時間がかかるだろう。実はぱっと見、自機の色が判別できない時がある。白のデザインにも影はあるし、黒といっても一部には明るい色が使われていて、完全に一色ではないからだ。
 次回は試しに、自機そのものよりも、自機の周りを覆うオーラの色を意識するようにしてみよう。白黒というより青赤といった感じだが、青→白、赤→黒と結びつけることができれば道が開けるような気がする。
 なんだか事態をもっとややこしくしているようにも思うけれど、もとのルールがややこしいのだから仕方ない(ということにしよう)。同色なら敵の弾を打ち消せるが異色なら死ぬ、そして敵の攻撃には二色が混ざっていて、属性を変えて対処するよう強く迫ってくる。それがこのゲームの根っこなのだから、そこに文句をつけても始まらない。生き延びるためには、この世界に慣れるよう努力するしかないだろう。

 それにしても、自機と弾、自機と敵の両方を見比べるのはちと辛い。白ボタン・黒ボタンの3ボタン制とどっちが楽だろうと想像してみて、実質7ボタンだった『シルバーガン』の武器セレクトの直結ぶりを懐かしく思い出した。


1/10(木)

 キングレオ、強すぎない?

 ということでPS『ドラゴンクエスト4』を遊んでおります。
 発売週に買って、年末に思い立って4章まで進め、今年に入ってからちびちびと仲間集め。そして前半の締めくくりがこの対キングレオ戦、というわけです。
 『ドラクエ7』のときは初見でリプレイできないほどの衝撃を受けたへっぽこフィールド画面でしたが、もとがファミコンの『4』なら、進化と捉えることができて大納得。極めてすんなりとゲームに入っていけました。この調子なら『7』にも戻れるんじゃないか?
 ああ、そういえばリメイクなど思いもよらなかった4年前に書いた
ファミコン版『4』の思い出にはネタバレがあった(←ならリンク張るなって)。消したほうがいいんだろうか。うむむ。
 なお、PS版は毒の沼地で死ねません。大ショック。

 それはともかく、キングレオ戦。
 直前のイベントから直行で挑んだところ、ボロ負け。3〜4ターンしか保ちませんでした。その後、作戦を変えたりメンバーを入れ替えたりしてみたものの、歯が立たず。
 レベルが足りないのかとしばらく経験値稼ぎ(懐かしい感覚、だが、このゲームではよく出会う)をしてみたり、海を越えた町へ先回りして有り金と引き替えに高級武具を手に入れたりしてみましたが、なにせ吹雪を一ターンに2度食らったら耐えられないのでは、工夫のしがいがない。

 仕方ない。覚悟を決めました。慣例を破り、今回だけは勇者さまの命令を聞いてもらうようにしました。
 いざ対戦。魔法使いの命令コマンドを開いてみると、一度も見たことがなかったため覚えていたことさえ知らなかったお役立ち呪文がずらり。
 こうして、ピオリムで素早さを上げ、スクルト重ね掛けで肉体のビルドアップを図り、マホトーンで口を封じ、ルカニで相手の鎧を剥いだところへ勇者が一撃を見舞い、吹雪が来た次のターンには総出で回復、という本気モードの戦法、名付けて「『多勢に無勢』を思い知れ作戦」で大人げない勝ちを収めました。
 はあ厳しかった。

 久方ぶりに出会ったバランスのきつさが、実はかなり嬉しかったりします。
 あと、こんな中ボス如きで皆の個性を踏みにじっていては、これから先どうなる? と不安になったところで、作戦の中に、先ほど使った「めいれいさせろ」と似た印象の「おれにまかせろ」を発見。何に使うの?
 ……これだったのかッ! みんな、すまん! 次は任せるから、これで頑張ってね。
 よく考えれば、方針といっても直接命令コマンドがやや遠回りになっただけなんですが、自主性を生かそうとしているような気にさせてくれる、そこが重要なのです。やる気にならなければどんなに面白いゲームだって先には進まない。さあクリフト、ザキでもなんでも好きなだけ唱えるがいい(まだ覚えていないからこその余裕)。

 ところで、アイテムを商人トルネコに見せると鑑定してくれるのですが、これがアイテム一つ一つについて外見とか思い出とか特徴を述べてくれてびっくり。メッセージ群からやりすぎ感が漂ってきます。
 彼は鑑定の際、習慣的に品物を手のひらに載せて観察しますが、それはたとえ対象が「うまのふん」であっても同じで、それを試したときの定型文(「トルネコは うまのふんを手にとってみさだめた」)と、それに続く彼の困惑げな反応には大喜びしました。
 このシステムに縛られているようす。それでこそゲームの住人だと思います。


1/8(火)

 年末に一度聞いて、最近聞き直したところ、後半のサウンドトラックを越えた最終トラックに続きがあることに気づきました。『未来にキスを』ドラマCD。続きなのにボーナストラックと呼ぶのもいかがなものでしょうか。
 ゲームを挟んでこちら側に私たちの世界があり、向こう側にキャラクターの世界がある、「隔たりのある二つの世界」というとらえ方に対して、世界を二つに限らなくすることによってゲームを特別な境界でなくしてしまっているのが『未来にキスを』(や『Sense Off』)なんだろうと思いますが、関わりを持てない対岸のありさまであるこのドラマを聞くのはもの悲しい。とはいえ、なにせ私は彼女に忘れられた、お呼びでない存在でありますから、それも仕方ありません。
 一番悲しい、というか哀れなのは、ぬけがら扱いされてしまっている我らが康介君ですが。まるでゾンビのような描かれ方だ(聞くだけだから見えないけれど)。末路ということばが、ふと思い浮かびました。


1/6(日)

 この正月は、帰省先で主に『逆転裁判』を遊んでいました。
 買ってから2ヶ月半、やっと遊ぶ気になったよ。面白かった。全4話と聞けば短い気もするけれども、ぎっしり充実してました。
 出てくるのが濃いキャラばかりですが、いや濃いって言うとどこか否定的な雰囲気がありますから言い換えよう。キャラの個性がすばらしいと思いました。彼らがみな、何かを主張してくるのが原因だと思います。そこに彼らの意志が感じられるのです。
 基本的にみんな敵なので、弁護士である主人公の言うことをなかなか聞き入れてくれません。少々のことでは揺らがないはずの、その強い信念が、こちらの突っ込みによって揺らぐときの彼らのオーバーアクションぶり、小気味よい効果音、悪あがきの屁理屈などが、どれもたまらなく面白いのです。
 屁理屈をこねるのは主人公も同様で、だから行き詰まりを打開するときの決め手が、必ずしも問題の本筋ではない、重箱の隅をほじくるような指摘であったりもするのですが、そういったゲーム的なクリアがシナリオ的なクリアに巧みにすり替えられ、あたかも自分で物語を進めているように感じられるのもポイント高いです。
 ヒントの出し方も絶妙だし。愛すべき一作でありました。


1/5(土)

 もはや時期を外してますが、それでも、明けましておめでとうございます。

 年末年始は実家で過ごしました。二年参りにも出かけ、今年一年、自分が登場人物となるゲームを始めるために、年の変わり目ジャストにワンコインを投入してきました。
 それは本来、登場人物の役割じゃないはずだけれども。

 今年もよろしくお願いします。



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