ゲーム+α日記(2002年2月)

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2/26(火)

 なぜ「ハルジオン」の歌詞に惹かれたのか、思い当たるものを見つけたので、昼下がりの頭を覆っていた眠気が吹っ飛んだ。
 自分はあれに『ONE』を見ていたようなのだ。
 改めて二つを比べてみれば似ているところなんて少ないようだけれど、誰もいないところにいて、そこでもやっていける支えがあるというところが、そう思わせたんだろう。
 この際、現実とか、誰もいないところから現実へ戻ってくるかどうかとかは、自分にとっちゃどうでもいいらしい。

 『ONE』についての自分のイメージは、他人のそれから丸ごと引き継いだものであるため、『ONE』自体に触れようとするときは、そのイメージが名札を伴って現れる。その名札は、恐らく一生はがれない。
 しかし今や、そのイメージを他のものに当てはめようとするときは、どうやら他人の名札を意識しなくてすむようになっているみたいだ。『ONE』のことを考えずにそのイメージを取り出せるということは、そのイメージが自分の基盤になったということだと考えていいのではないか。
 つくづく、厄介なものをしょいこんだものだと思う。

 そんなことを気に留めながら「天体観測」を聞いてみると、そこに『Kanon』が見えてくるから不思議。
 かつてともにあり、今となっては失われたものを再び得るために、勝手に決めた守りごとに従って何かが起こるのを待つ、というこの歌の内容は、そのままあゆ・名雪シナリオのクライマックスじゃないか。
 そこは、自分が『Kanon』の話で一番好きだったところでもある。じっとしていられなかった主人公がこれしかないと決めつけて取った行動が、奇跡が起こるための条件であり、また唯一の条件でもある、と思わせてくれたところが。その結果としての奇跡を目の当たりにしたとき、それまでの流れがこの一点に収束したのを感じ、その様子に打たれて画面の前に釘付けにされたのだ。
 あのとき、「話の流れからすれば何かが起きるに決まってる」といった類の、物語を俯瞰する視点を、自分は全く持っていなかった。こういうときは、話の先が読めない自分の限界に感謝したくなる。
 ということで、この曲も好きになりました。

 ファミ通の投稿ページに「天体観測」ネタが前フリなしで出ていてちょっと驚いたのがつい最近、先週号のことだった。自分はこの曲を、今回のアルバムで初めて通しで聞いたのだがうかつだった、ゲーマーの間じゃそんなに有名な曲だったとは…(←普通に有名なんだろ)


2/24(日)

 BUMP OF CHICKENの「ハルジオン」は名曲だった。
 自分に目を向けてくれるものが一つあって、それだけがあって、それが花であるところが良い。ここには他人がいないのだ。

 あの歌詞から思い浮かぶ、荒涼とした大地に立つ男と花一輪、という風景に憧れたのだと思う。待って待ち続けて、その思いが届かないうちに花の命は一旦絶える。でも彼は残された新しい芽に気づいてくれ、改めて水を注いでくれた。それに応えて芽は、変わりない思いとともに再生する。そして、虹を含む水を注がれ、それを一身に集めた芽は、足し合わされた光を色に変えて、白い花を咲かせるのだった。
 きれいにまとめるなあ。力強いメロディーに乗った「あれは僕のタメ咲いてた」ってところで泣きそうになりました。その場所に行きたい。行って、自分を見守る花に気づきたい。彼がかなりうらやましかったものです。

 唯一残念だったのは、歌詞に「僕ら」が入っているところ。人は一人しか出てこないんだ、単数でいいじゃないか。こんな気分を連帯させようとしてどうする。通じる人だけに通じればよいのです。
 他は全部「僕」なのに一箇所だけ。実に惜しい。

 あの感動を引きずって、アルバム『jupiter』を買いました。
 遊んでないからゲーム話ができません。


2/21(木)

 今日印象に残った一言。
 狭い視野から出た自分の考えを修正した後の、
「この問題は、ここ(=この職場)では決して見つけることはできない。だから、こちらで検討できる方法を見つける必要があるんだ」
という、半ばひとり言のような上司の発言。

 これは、
・思慮の足りなさを指摘された直後に自分が感じた、そんな前提にないことを持ち出すなんてずるい、という気持ちを、その上司も前に感じたということ
・他の何かあるいは誰かによってそのことを知らされた上司が、かつていた場所で同じ道をたどろうとしている自分に気づき、「外側」の立ち位置から手をさしのべてくれたということ
そして、
・その外側からの知識を携えて元の世界(今いる職場)に戻り、それを武器にして世界を形作る壁を内側から何とかしてうち破ろうと努力していること
を示しています。
 その言葉のこのような内実を本人は意識していないだろうと思いますが、そういったことが意識されず自然に意味している(示されている)、というところにもしびれました。
 そんなわけで、その打ち合わせをしていたのがすでに日付の変わろうとしていた時間だったけれども、元気づけられて仕事に励んだ私です。

 そういう入れ子構造は『プリズマティカリゼーション』を思い出させずにおきません。
 あー『プリズマ』がまた遊びたくなってきた。


2/19(火)

 先週末から今週にかけては仕事のスケジュールが厳しく、帰ってくると『スターシーカー』の1プレイにさえ集中できずに寝るしかないような疲れ&時間のなさが続いています。
 そんなふうにゲームも出来ないときのせめての楽しみは音楽を聞くことで、最近の通勤中には、録音した『スターシーカー』のBGMと交互に、『黒猫と月気球をめぐる冒険』というアルバムCDをかけていました。

 このアルバムを出した堀江由衣という人のことを私は知らない。ただ一つ、最新のゲーム批評の「悪趣味ゲーム紀行」で「堀江先生など結構男前のボイスアイドル様もおりますが」とあったのがこの人なのかな、という推測を除いて。
 違っていたら笑っておくれ。そんなこと、目の前にあるGoogleなんかで調べればたちどころに数百の関連サイトを伴って明らかになるだろうけれども、さしあたりはそういう知識と離れたところでこのCDを聞いていたいのです。そのものに満足しきらないうちは、情報は先入観に変わるだろう。
 6曲目の「Gravity」を聞いて、どことなくaikoの曲を思い起こしました。連想を呼んだそのイメージ、恋心を抱えた女の子がひとりで(ここ重要)考えごとをしているようすは、最近のaikoの曲では薄まってしまっているようで(相手に気持ちが行き過ぎだと思います……って、やきもち?)、大切なものは失って初めて気づくものだから、かけらとはいえ改めて手に入れたこの雰囲気を大事にしたいと思っているところなのです。
 そして、そんな気持ちにあふれている娘のイメージキャラクターとしては、aikoよりもこっちのほうが適役ではあるまいか、と思わせるジャケットの写真ではありました。

 その写真がこのCDを買った駆動力になっていることを、否定はしない。ただ、購入に先んじてこれをレンタルして中身を一通り聞いていたのもまた事実なのです。
 さて、自分は何に金を払ったのか? 曲に、正確には曲が自分と出会ったというできごとに、なんてスカしたことを言ってみたりするのも、たまにはいいのではないだろうか。
 音楽CDを買うときは、たいていそんな感じです。


2/17(日)

 所用のついでに、といっても、かなり重みのあるついでではあったけれど、『スターシーカー』のアーケード版を遊んできました。
 絵が出て、ゲームをやって、その繰り返しだけと、想像以上にシンプルな作りでした。
 逆に言えば、脱衣表現の禁じられているコンシューマ版では、これだけ盛り込んでようやく裸絵と同等の訴求力だろう、との判断が、移植に際して働いたのでしょう。
 あの身も蓋もない脱衣にそれだけのパワーが……あるものだろうか?
 それにしても、あの扱いはアイドルどころじゃなく、3人のためには家庭用が出て本当に良かった、と改めて思いました(なつきの絵は見てないんだけれども)。あれではゆいがかわいそうだ(結局そこかい)。
 曲の響きはまるで違ったような。アーケード版はもっとストレートな音色のように聞こえました。DC版のはアレンジバージョンなんだろうか。

 すでにルールを覚えある程度コツを把握している段階でアーケード版を遊ぶにあたっては、かつてDC版でマウスと格闘し、またパッド操作に苦労したように、スティックとの戦いが焦点になりました。
 右下へ移動させるともれなく下へも追加入力されてしまうのが最大の敵。これではクリアタイムが縮まるはずがない。
 それに比べれば、ボタンがいつも遊んでいるより大きいせいで一本の指で担当させるには心もとなく、なぜか人差し指+中指と中指+薬指の組み合わせで臨んでしまい、中指の役割があいまいになっていざというとき押し間違える、などというハプニングは、おそらく些細なことです。
 とはいえ、パッドに慣れている自分にとって、アーケードゲームにおけるボタンへの指担当問題は常について回ります。多分これは構造的な問題なのでしょう(←これで何か説明したつもりになっている)。


2/14(木)

 良いと思っていた『スターシーカー』の曲を運転中にも聞こうと全曲録音しましたが、初めて通して聞いてみてびっくりした次第です。
 ゲームでかかっている曲なのになぜ初めてなのかというと、この「初めて」は「通して」だけにかかっているのです。もちろん全ての曲を聞いたことはある。しかし、最後まで聞いたことは、今回録音のためにサウンドテストモードで鳴らし続けてみるまでなかった。そしてそれは、恐らくこのゲームを遊んだ全ての人に共通だと思います。

 メインのゲーム中にかかる曲は4種類ありますが、うち3種類が、以下のような構造をしています。
 まず短いフレーズ(Aとする)があって、ほどなくメインと思われるメロディ(B)が始まる。それに続いて、曲は新展開のメロディ(C)へと移る(BとCは主観で切っていますが)。
 この時点ですでにかなり長いです。普通にゲームを遊んでいたら、まずBメロディ中に曲が途切れます。クリアはもちろんのこと、残り時間が短くなればプレイヤーを急かす別の曲に変わるし、そこからタイムが回復すると元の曲に戻るものの最初から演奏し直しとなるため、結局続きは聴けずじまいです。家庭用ならではの機能・ポーズを試みても、一緒に曲まで止まってしまうように作られており、ゲーム中に曲を遮断させることなく聞き遂げるのは至難の業です。
 探すべき星の数が多く、フィールド全体も広い、持久力勝負のステージでのみ、Bメロディの先と出会うことができるでしょう。

 さて、Cメロディを抜けるとやっとAフレーズに戻ってきます。録音する立場では、ここから2周目、とカウントするところです。
 その後、おもむろにさらなる発展形のDメロディがやってくるのを耳にして、そのカウントはリセットされるのです。
 この衝撃は大きいものでした。Dメロディを終えてようやく本当の2周目のAフレーズに帰ってくるまで、1周の演奏時間たるや最大4分。1ステージをクリアするための所要時間はたいてい30秒〜2分といったところですから、この長さはこのゲームに対して破天荒と言えるでしょう。
 一度など、[A→B→C→A→D]→A→B→C→Aで2周終了と勘違いし、録音を止めてしまいました(※2周完録はゲームミュージックの基本)。1周聞いていながら途中のAフレーズにだまされるあたり、我ながら情けない。
 このほかにも、A→B→[C→D]→[C→D]→…と繰り返すために、AやBの再演奏を待っていて延々待ちぼうけを食わされるなど、実にトリッキーな曲が揃っています。というか、だまされすぎではないだろうか自分は。

 しかし、その苦労を乗り越え、じっくり曲とつきあってみると、聞くほどに味の出てくる音楽だと感じます。
 音色にひねりが利いていてそちらに気を取られるので、聞き慣れないうちはメロディが目立ちません。もっともそれは、私がたまたまピアノの音などに親しみを覚えるせいであって、こういう、みょわーんというかみゅいーんというか、口まねのときにYやWが混ざるタイプの音が好きだったら、この特徴ある音色もごちそうとして受け取れるでしょう。
 自分としては、音に慣れてメロディを追えるようになってから好感度がどんどん上がっていきました。

 そんなわけで、24曲+α、総計58分のサントラは大事にしたいと思います。
 +αはゲームソフトを音楽CDとして再生しようとしたときの警告音。そういうものがあったらラストに入れておくのも、自作サントラの基本だ!(←そんなにも強調する必要がどこに?)


2/12(火)

 やや、前言撤回というか訂正というか補足。
 昨日は『スターシーカー』のフィールドについて「真横という概念がない」と言いましたが、それはミクロな視点で見たものに過ぎませんでした。
 もっと目線を引いて、巨視的なものの見方をしてみれば、そこにはちゃんと真横が存在します。フィールド全体は、個々のマスが六角形なために辺はでこぼこしていますが、大まかには四角形です。それを右から左へ文字通り横断する場合、その動きはまぎれもなく横移動でありました。
 方向キー入力による一歩一歩がジグザグなのは、一歩というミクロな動きではなく、横断というマクロな動きを重視したことから来ていたのですね。
 さらに、フィールド全体が四角形なのは、モニターが四角形であることに由来しているのでしょう。一画面でフィールドの面積を広く取ろうと思ったら、モニターの形に沿うべきだから。これがまるいモニターだったら、フィールドも円形になり(パーツが円形に近いのだから構成もたやすい)、操作系にも変化が見られることでしょう。例えば、弧を描いて移動できるように、入力方向を連続的に変えたらカーソルも滑らかに動く、といったふうに(現行では、入力方向を変えるとカーソルの動きは一旦止まります)。
 何だかすっきりした気分。この世界は理詰めで作られていて、あらゆるものに意味があるに違いありません。

 ところで、パッドに慣れようとしているってことは、多分アーケードにおけるスティック操作にも対応しようとしている、と見ていいでしょう(人ごとのように)。もしゲーセンでこれを見かけたら、コイン投入はまず確定。
 しかしこのタイトルに関しては、家庭用で練習し、アーケード版を攻略する、という流れにオヤジ臭をかぎ取らずにはいられません。脱衣を拝むためにゲーセンですべき努力を、家庭用を買うことで、つまり金でどうにかしようというその魂胆。
 OYAJI気分を一歩先取りすべきかどうか、ちょっと悩みどころです(←悩んでないだろ)。


2/11(月)

 今日も今日とて『スターシーカー』であれこれ試しているうちに、時間は驚くべき速さで過ぎ去っていきます。

・アーケード仕様「どきどきアイドルモード」
 というのが現れたので遊びました。
 このモードでは、三人のプロフィールが一枚出るだけで直ちにゲームに突入します。これがアーケード版なら、これまで遊んできた「どきどきアイドルモード」の、あの長い掛け合いデモは?
 私はてっきり、あのデモはアーケード版にもあって、移植では声を足しただけと思いこんでいました。しかし、これはそもそも存在しなかったのか?
 それなら評価も変わる。こういうものは、あるという前提の元でいい悪いを比較するものなので、ないのに比べたらそれはあった方がいい。あって良かった。
 ただし、ゲームオーバーのときのゆいの「しんじられないよ〜」はないと困ります。この子は困ったりとまどったりしているときの方がかわいい(言いきるようなことじゃない)。

・パッドでプレイ
 マウスにも欠点はあります。マスが多いステージでは、一画面に収めるために一つのマスが小さくなるのですが、マウスだと細かい場所は制御しづらいのです。つい隣のマスを指してしまい爆発→ノーミスボーナスを失って終了、というケースが多く、これは自分の操作ミスでありながら心理的にそうだと認めにくくてストレスがたまりがちでした。
 その点、パッドならカーソルを直接動かすため、そういうミスは起こりません(マウスだとポインタのある点がカーソルの中心になる)。一マスずつ確実に移動可能です。
 パッドの難点は、画面の端から端へ素早く移動できないことと、横移動に気を使うこと。前者に関しては方向キー押しっぱなしである程度対応できるので、問題は後者に絞られます。
 横移動が難しいのは、このゲームに「真横」という概念がないためです。実はこのゲームのマスは、上下に辺のある六角形で埋め尽くされた蜂の巣構造であり、辺を接する隣のマスは上下二マスおよび斜めの四マスなのです(ここに来て基本的なシステムを明らかにする)。
 横キーを押すと、そのときの位置によって斜め上か斜め下かが判断され、自動的にそちらへ振り分けられます。常に一方向なら混乱も少なかったかと思いますが、そういう決まりなので仕方ありません。対策は、横移動の際は常に斜めに入力することです。
 初めのうちは失敗続きでしたが、しばらくパッドで遊び続けたところ、問題点はなくなりはしないにせよだんだん薄らぎ、利点である移動の確実さが好ましくなってきました。

 実のところ、さすがに遊び続けただけあって自分が上達しているのが感じられます。情報の溜めというかキャッシュが効き始めるようになってきたのです。
 ある場所での情報を元に隣のマスに移る際、そこで処理すべき先ほどの情報と平行して、今移ったその場所を起点とする周囲の情報も意識できるようになってきました。そうすると、一つの仕事を終えたところで情報を確認し直さなくても、流れるように先ほどの情報に沿った処理を続けることができます。情報がごっちゃにならなければ。
 そうなってくると、パッドでの入力が多少遅くても、確実に移動できて二つの仕事を同時にこなすことで処理速度を高められます。だいたい、遠くに移動するというのは、直面している問題からの逃避です。搦め手からその問題が解決できることもありますが、そううまくいくとも限らず、うまくいかなかったら無駄に大きく動いただけとなりかねません。
 ということで、マウスは片づけてもいいかもと思い始めています。短い人生だったな。

・シークレットボーナス狙いプレイ
 空きのマスを開けないで星だけを狙い撃ちする遊び方です。コツをつかむと、星の数が多くても何とかなるものです。
 しかし、今のやり方だと途中から完全に作業になってしまい、面白味には欠けるしクリアタイムも遅いしと、やっていて楽しくありません。やはり、ぱっぱと開けていって素早くクリアできる方が楽しいです。希望の星は遠回りせずつかみたいものです(?)。

・斑鳩(一緒にするな)
 やっと4面突破! きちんと残機を1増やして、またも4面ボスに潰されながらも生き延びました。
 しかし奴の弱点は一体どこに?(←力の解放が行き着く先を見ていなかったのか?)


2/9(土)

 これまで『スターシーカー』の公式サイトは見ていましたが、それは開発元グレフのサイトの一部に過ぎなくて、今日初めて親元を見ました。
 そこで、グレフが『斑鳩』の開発にも一部携わっていることを知った次第です。
 これで、ここまでスターシーカー一色に染まっている今月の日記でも、スムーズに『斑鳩』の話題に持っていけるというものだ。縁とは不思議なものです。

 今日は自己記録を3秒更新しました。ボス撃破の残タイムではなくて、自分が4面ボスに殺されるまでに生き長らえていた時間です。電撃のような攻撃に対処するのに夢中で、気がついたときには外壁の出っ張りと内側の本体の間で潰される直前でした。時すでに遅し。
 何とかどこかでもう30万点取って、残機を1機増やして4面に入りたいところです(800万取れてない)。それがさしあたりの課題。
 ……前フリの割にはあっさりこの話題が終わってしまった。

 ところで、『斑鳩』開発サポートの件もそうですが、公式サイトを見て回って、いくつか分かったことがありました。それら断片的な情報が、それこそ『スターシーカー』の連鎖のようにつながっていき、ぼんやりと見えてきたことがあります。
 あの絵柄で他に思い浮かぶゲームのこと、BGM作曲者のプロフィール、グレフ関連作品の履歴、そこには載っていないものの『斑鳩』が絡んでくるわけ、開発日誌週刊G.rev通信の体裁。
 なるほど。それらに「理由」があるとは考えてみませんでした。
 ただ、発売前ならともかく、すでにそのゲームを遊べているなら、そういう情報はあまり気にかけず、ゲーム自体を見るよう努力したいと思います。
 反省も込めて。自分はプレイヤーに過ぎないから。


2/8(金)

 この子は絶対、自分がかわいいなんて思っちゃいないんだろうなー、と『スターシーカー』おまけモードでゆいのご褒美グラフィックを見ながら思いました。
 ところで、ゆいの本名はひらがなではなく、ちゃんと優衣という漢字がついてます。が、どうもこの漢字はセンスが悪く、キャラに合ってない気がする。他のメンバー二人(もえ→萌、なつき→奈都紀)についても同様で、萌という字には食傷気味だし、なつきなど万葉仮名かと思いました。
 スターシーカーズとしてはひらがなで通しているに違いない。勝手に今決めました。絵と声の世界に、こういう野暮ったい漢字はいらないのだ。自分もひらがなでいこう。
 それはともかく。

 ゆいには恐らく、ステージに上がっているときの自分は普段の自分と違っていて輝いているもの、という意識があるのではないかと想像します。歌か振り付けか演技か、本番ではとにかく何かを演じている。それに対して、舞台を降りればどこにでもいる女の子に戻って普通の生活をする。そんな気持ちで日々を送っているのではないか。そんな雰囲気が、起き抜けの眠たげな顔や物憂げに歯を磨く表情から漂ってくるのです。
 彼女は二重に勘違いをしている。まず、彼女はいつでもかわいいのであり、そのかわいさに無自覚であるところも含めてかわいいのです。むしろ、周囲の視線に気づかない、ぼんやりした寝起きの時なんかが一番彼女らしい。
 ちなみに、ここで言っていることは、現実の芸能人の私生活に興味を持っているのとは違います。彼女はゲームのキャラクターであり、そこに私生活はないのです。そこにいるだけでいつでも演じていることになる存在、それが私の言うアイドルであり、ゲームのキャラクターなのです。
 というわけで、演じていようがいまいが、どんなときでも彼女はアイドルです。ギャルゲーのヒロインにはすべからくアイドルであってもらいたい。

 他の二人はどうか。
 もえは演技の場が逆転しているように思う。ステージ上が彼女の本性で、寛いでいるときの大人びた表情の方がむしろ演技だろう。
 なつきは常に自分を見せることを意識しているように感じる。自分をよく知っていて、どうすれば好印象を持たれるか、いつも気を配っているように思う。ただ、そればかりで他がおろそかになったりはせず、生活の中で自然にそれが実行できるようになっているのだろう。
 だから、彼女がゲームで遊んでいるところは、本当は私たちが見てはいけないところなのだ。本人が隠したがっていることは、ないことにしてやりたい。
 ゲームが趣味の女の子という設定は、媚びが入っていて好きではありません。ただ、なつきは、外野の事情を押しつけられていながらそれとうまく折り合っているようで、そういう処理能力の高さ(を思わせるところ)を私は好ましく感じます。

 アドバンスレベルをとりあえずノーコンティニュークリアして、でもまだ明らかにならない隠し要素があるので、次はどうしてやろうか、と狙いを定めているところです。
 攻略の合間なので、こういう妄想がつけ入る隙がある。


2/6(水)

 よし! 『スターシーカー』スターシーカーモードのアーケードまんま移植レベルをノーコンティニュークリアできた! 使用キャラはゆい(←キャラは関係ありません)。
 モードの名前についてはこのように並べると何のこっちゃという感じですが、このゲームには「どきどきアイドルモード」と「スターシーカーモード」があって、前者は画像目当てに励むモード、後者はパズルの早解きモードです。
 で、スターシーカーモードの難易度「アーケード」を2000万点以上取ってクリアすると隠し面が出るという情報が公式サイトにあったので、それを目指して頑張っていました。
 ミスしないでいるうちはバカ高く累進加算されていくノーミスクリアボーナスが、このゲームの主な得点源です。これは一度でもミスるとご破算になります。少なくとも18面までノーミスでクリアしなければ、今の自分の方針では2000万点に届きません。普通に遊べば易しい面でもプレッシャーがかかって凡ミスの嵐。
 パズルの難しさよりも、いかにマウスを制御するかの方が高い比重を占めるようになりました。何度も手を滑らせました。緊張のあまり、二つしかないボタンを押し間違えたりもしました。
 それももう終わり。いやあいいプレイだった、と今の戦いを回顧し……

 なに? さらに難しい「アドバンスレベル」だって?
 って、もともと開いていなかった「???」なんていうメニューがあったので、その出現は予想されていましたが、楽しくも辛い道のりはまだまだ続きそうです。


2/3(日)

 言葉にできなかったもう一つのむかつきを把握しようと、再度PCのマインスイーパを立ち上げて、やっと分かった。
 旗を立てた地点では周囲の地雷情報が得られないことが、いらだちの原因であったことを。これは大きいぞ。フィールドの一部が地雷でほぼ埋め尽くされていたなら、このゲームは運なしでは絶対にクリアできない。それは、成績が技量と直に結びついていてほしいタイムアタックとは相性が合わない。
 『スターシーカー』は、この問題点を軽やかに解決しています。だからこれは、亜流なんてものではない。進化していると呼びたいのです。

 小ぶりなせいでイマイチ手に馴染まないドリームキャスト専用マウスを駆使して、ひたすら面クリアするアーケードモードをノーコンティニュークリアしようと奮闘中。
 今日は果たせませんでした(最終面で沈没)。しばらく頑張ります。

 『斑鳩』への気持ちも底を脱しつつありますが、それはまた日を改めて(←ひどい扱われ方)。


2/2(土)

 よく見りゃ、昨日のタイトル群では「スター」もかぶってます。どっちかというとこちらのほうがメインか。そういや星のカービィも好きだった。きらきら光るところが好きなのかも知れない(←そんな子供っぽい結論でいいのか)。

 それはともかく、マインスイーパとばかり書いてたので念のためにと、Windowsのアクセサリについているのをプレイ。久々に遊んだせいで、これがむかっ腹の立つゲームであることをすっかり忘れておりました。
 最初は全くヒントがないため、適当にでも開けなければなりません。そこで地雷を踏んだらサヨウナラ。機内クイズが解けなくてハワイに降りられないウルトラクイズよろしく、ゲームに参加すらさせてもらえないまま退場となります。これは、マスを開けることで初めて、「そのマスには地雷がない」、「周囲のマスに地雷がある数が分かる」という二つの情報がセットで手に入るというルールのためです。
 『スターシーカー』はこの二つを分離しました。周囲のマスにある星(=地雷)の数は、そのマスを開けなくても、そこにカーソルを持っていくだけで分かるのです(中心のマスが空いていない場合は、そこに星があるかも知れず、その場合は「中心を含めて周囲にいくつ星があるか」が示されます)。そのため、初手から運に頼ることなく、手段を考えることができるようになっています。
 さらに、この改良ルールに則れば、星を全て見つけるのにマスを全て開ける必要がなくなります。他のマスを一枚も開けずに、星のあるマスを当てることも可能です。そして、実際にそれをやってみると、莫大なシークレットボーナス点が入るのです。

 ギャル絵と安直に組み合わせただけのゲームだろうと見くびっていましたが、おみそれしました。こんなに気持ちよく遊べたマインスイーパは初めてです(通算二度目だが)。星を多数見つけていくうちに画面が賑やかになり、数字情報が見にくくなっていくという、このゲーム特有の問題があるにはありますが、それでも断然こっちを支持します。この進化バージョンを!
 これはこのゲームで生まれた進化なのかな? これが、自分が知らないだけの、マインスイーパのメジャーな派生ルールだったらどうしよう(どうしようもありません)。


2/1(金)

 アイドルが脱いじゃいかんだろう。
 あなたがあられもない姿をさらすのを見てどきどきするんじゃなくて、あなたがいること自体にどきどきしたいのです。

 などという、あられもなさならむしろこっちのものと言えそうな思いから『どきどきアイドルスターシーカーRemix』とのふれあいが始まります。
 アーケード版が脱衣だということを知って心底ショックを受けたあの日のことを私は忘れていない(遊んだことなかったので)。できることならスターシーカーズの三人を筐体から救い出してあげたいと、当時強く思ったものです。
 そんなわけで、このたびのDC移植&お色気抑制路線には大賛成。ドリームキャストダイレクトがやたら大きな箱を送って来たので何事かと思いましたが、箱の体積はおまけのクリアファイルの面積×マウスの箱の高さで決まったようで、中身は8割方空っぽでした。
 マウスも当然のように同時購入です。マインスイーパやるんだったらぜひ揃えたい。

 それにしても、除去されるべき地雷から探すべき星へのアレンジは素晴らしいと思います。
 星は見つけだされなければならない。たとえ始まりは勧誘からであっても、アイドルの仕事を続けるうちに、彼女たちの胸に夢や希望が芽生えてくる。マネージャーの望みをそのまま引き継いだかのようなユニット名、しかしそれが時間とともに馴染み、本人のものとなっていく。その前に立ちはだかる数々の障害。邪魔はさせない、ゲームで勝負だ!
 ゲームにおいて、めくらめっぽうに探して偶然手に入れることがあっても、そんな星は持ち主のためにならない。それが目指すものであることを認め、その証として旗を立て、その上でつかみ取る。目標を見据えた上で得た星は、きっと夢をかなえてくれる。
 そんな奇跡を信じてやまない三人の少女の成長物語。
 ……が、このドタバタ幕間劇の代わりに挟まっていたらなあ、と空想しながらゲームに取り組む週末です。気持ちを切り替えて一心に。

 移植に伴って演出が強化、といいつつ不出来になる、というパターンには、『ティンクルスタースプライツ』『マネーアイドルエクスチェンジャー』で耐性できてますから平気。
 それでもオープニングアニメだけは厳しいものがありました。止め絵のかわいさが台なしです。
 曲はけっこう好み。これも変更要素とは思いませんでした。

 あと、タイトルが長いというのはポイント高いです。と、タイトルに目をつけたところで「アイドル」がかぶっていることに今気づく。実はアイドル好きだったのか。そうかも(好きなのは概念だけど)。



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