ゲーム+α日記(2003年8月)

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8/31(日)

 久々に『ファイナルファンタジーXI』を時間をかけて遊んだけれど、バランスが取れた中にいると感じるのは楽しい。

 これ以上無茶をすると危険がぐっと増す、そんな敵の強さを見定めて、その境界線上付近をプレイ位置の基本にする。自分のプレイにそんな制限を設けたその上で、どうやったら楽に生き残れるか、いろいろ試してみる。
 生死を分けるようなギリギリのラインでこそ、直接攻撃ではない補助や強化の手段が効いていると実感できるし、かける呪文の手順前後やら踏むべき手続きのうっかりミスが問題化してくる。
 はしごの段を一歩踏み違えたことを後悔するような、または、楽になれる段を一歩見つけたような、そんな地味な進歩が見つけられるのは、とても楽しい。
 ふらふらと戦法のつり合いを取りながら生き延びている、そんなとき、ゲームの一員になっていられている気がする。それは幸せなことなんだと思う。

 「面白くさえあれば、ゲームバランスなんかどうだっていいじゃん」的な発言を見ると、ああ多分ゲームに飽きているか、あんまりゲームが好きじゃないんだろうな、と思う。
 面白さにはいろいろあるけれど、ゲームバランスの妙はその名の通りゲームにしかない。
 浸りきりでいれば気にも留めないそんな当たり前のことが、ゲームらしいゲームをたまに遊ぶことで見えてきたのかもしれない。

 もっとも、これはソロプレイ(敵と一対一でやりあうプレイ)に徹しているからこその感想ではあるだろう。それが楽しいんだからしょうがない。
 ただ、ネットワークゲームである『FFXI』で、一人でできるこの楽しみ方ばっかりで遊ばなくても、という気もする。さすがに、楽しくさえあれば、コミュニケーションなんかどうだっていいじゃん、とは思いません。何かを否定したって、別の何かを肯定する役には立たないのだ。


8/29(金)

 『こころナビ』をちょっと進めたけれど、だめだ、やる気が出ない。

 プレイヤーは主人公じゃないので、主人公の思いを支配することはできない。こちらの決定に従いながら、彼の思考は束縛されず、彼の運命に直面してとまどったり、考え込んだり。選択とそれへの応答のように、彼我のやりとりのように取れなくもないそんな場面が、この手のゲームを遊ぶ上での楽しみの一つだ。
 もう一点、プレイヤーは主人公の行動がある方向に導かれるよう分岐を選ぶけれど、それはシナリオ全体の流れの中ではあくまで一部であってほしい。決定的な選択だと感じられる選択肢に出会ったとして、その決定的な度合はあくまで相対的なもので、それが身もふたもなくシナリオ全体を左右すると思わせる選択肢だと、主人公の立場がない。プレイヤーはあくまで主人公のサポート役でいたい。

 『こころナビ』は、自分が読み物ギャルゲーに求めるこの二点で残念に感じられる。
 この主人公は自力で考えない。一般常識に鑑みて自分がどうであるか、その開きだけを気にしている。つまり、常識の身に付いた人であり、考える必要はすでにない。そんな彼の言動は、見ていてつまらない。読んでいて張り合いがない。
 もちろん、本人はそのことを気にも留めない。彼は自分が一般人だなんて思っちゃいない。はたから(たとえば、話に出ても来ないような彼のクラスメートから)見れば、彼とクラスの他のメンバーとに差は見出せないだろう。
 彼にはその他大勢の一人がふさわしかった。彼に主人公役は務まらない。誰か一人、仲良くなれる人を見つけて、その人とハッピーエンドを迎えていればいい。
 そんな彼のものを考える能力のなさが、最悪の選択肢を呼ぶ。なんと彼はゲーム終盤において、この自分に、プレイヤーに、彼が誰のことを好きなのか、名指しで選ばせるのである。なんという怠け者か。
 思いは、それまでの行動の中で培っておかなきゃ。それがこちらにほのめかされるように伝わってこそ、いろいろ選んだ甲斐もあろうというものなのに。女の子と引き合わせる役なら引き受ける、でも、好きになるのは君の仕事だろ。

 もう、ゲーム代に対するしみったれ精神が頭をもたげるか、よっぽど暇で暇で仕方ない境遇に置かれるかしない限り、このゲームには手を出さないんじゃないかと思う。
 彼のために時間は割けないよ。


8/25(月)

 ネットで注文しておいた『ファイナルファンタジーXI』の攻略本(「ヴァナ・ディール ワールドリポートversion.030625」、デジキューブ刊)がようやく届き、その分厚さにびっくりしました。

 『FFXI』はPS2・PC共通のゲームだから、本屋ではどちらかを見ればあるのだろうと高をくくっていたのだけれど、何軒か回っても見つからない。データ量が異常にあるゲームなのでプレイヤーの需要は高いはずなのに、どこにも置いてないなんて。いや、出た先から売れまくりで残っていないのか。
 あと、PC一般ゲーム用の攻略本コーナーなど普通の書店にはないことを思い知りました。あるのは女の子画集ばかり。

 探し回るのがすっかりめんどくさくなって、エイヤと通販サイトを覗けば、取り寄せ扱い一週間待ち。やっぱりバカ売れなのか!
 でも諦めてそれを購入し、その攻略本が来るまでの間は、これまで通り、以前の攻略本で我慢することにしました。
 なにせバージョンアップが頻繁なこのゲーム、攻略本のバージョンも3つめ。実は細くても長く続く鉱脈なのかも知れない。
 変更分だけ売れよとも思うが、変更は追加だけではないからしかたない。呪文を覚えるレベルが変わるとか、文字入力方法が違うとか、古い情報に頼っていたら混乱することも。
 というか、せっかく届いた本ですが、開くページ開くページ重要な情報ばっかりで、もういいから教えるなと叫びたくなりました。こんなに知ってしまったら、プレイがつまらなくならないか?(←なぜ買ったんだ)


8/22(金)

 自分はこれまでその場その場の瞬発力だけで生きてきたんだなあ、と思った。

 突然だけれど、ぴょんぴょんとジャンプしているところをイメージしてみる。
 ジャンプする。上の方にある目標とか成果とかを目指して。ジャンプ力が強ければ、より上まで跳べ、上等の報酬にありつける。そこそこのジャンプ力なら対価もそれなりだ。我々は日々、走る必要がなくていつもより少し高めに吊り下げられたパン食い競争でもあるかのように、跳躍で競い合っている。
 跳躍力は年齢とともに低下する。そのままでは、届く範囲が年々狭くなっていく。しかし、いつしか足元に培われた土台が、筋力の低下を補うものとして機能する。
 土台はそれまでの跳躍による獲物で作られる。捕獲経験をうまいこと土台の糧にしている人の足場は、気がつけばジャンプ力を凌駕しており、常人の手の届かぬ大物を手に入れるに至る。

 自分のもともとの跳躍力は、それほど低くなかったと思う。しかし、自分の足元が昔からまったく変わらず平坦であることに、近ごろ気づくようになってきた。
 どうも自分は、ジャンプを手段ではなく目的としており、「ここまで高く跳べること」で満足していたらしい。いたずらに飛び跳ねるだけを繰り返すうちに、自分と似て非なる行動を取っていた周囲の標高はどんどん高くなっていった。
 そして始末に負えないのは、獲物をどうやって取ったらよいかが分からないということ。親切な他の人が「手を伸ばせばいいじゃん」と教えてくれたって、「手を伸ばす? それってどうやるの?」と尋ね返されたとくれば、匙を投げられたって不思議はない。そう聞き返す自分の手は、体の横でぶらぶらと遊んでいるのに違いないのだから。

 年を食ったんだなあと実感しました。馬齢を重ねるとはこのことか。
 そういや、大学時代からこっち、何かが身に付いたと思えたことってまるでないような。
 人生の傍観者の面目躍如たるところです。


8/19(火)

 やり残しが気になって『こころナビ』に取り組み直しているのだけれど、やはりこの主人公とはそりが合わない。
 彼の頭の中には既成概念がぎっしり詰まっている。そして、自身が知っていること・知らないこと、すべてがその中に分類できると思っている。
 なにか新しいできごとがあるたび、彼はそのことを振り返り、そのことがらが当てはまる升目を、彼の分類マップから探す。そして一つふさわしいものを見つけ、只今の事象をそろそろと代入し、経験済みのチェックを入れる。
 そのマップをすべて埋めることが人生の目的であるかのように、彼はその繰り返しに終始する。
 それの何が面白い? 白紙にマップを作っていくこと、升目を刻んでいくこと、経験を自分自身で定義すること、そっちこそが彼の務めであるはずだ。手持ちのそのマップを、彼はいったいどこから手に入れた?
 む、まさかそれが、ゲームに登場する新感覚ブラウザ「こころナビ」の役割だというのか? ひきこもり予備軍に社会に通じる道を歩ませるための地図を配るのが?
 それだとあまりにやりきれない。ゲーム開始直後を再プレイするときは、彼のもとの性格をチェックしなければ。


8/16(土)

 電車の中で『CONTINUE』11号を読む。特集のプロレスゲーム大全は、このジャンルがさっぱりな自分にも面白く読め、記事を楽しんで作っている感じがします。
 ただ、創刊からのこの一貫したスタイルでは、いつこの雑誌からゲーム記事が消えても自分は驚かない。いや驚くかも知れないけど、あり得ないことではないと思います。
 『CONTINUE』には取材記事が多くて、取材対象は人間なのだから当然かも知れないと思いながらも、ゲームか、(それを作っている・それに関わっている)人間か、二者択一を迫られる立場になったとしたら、何の迷いもなく前者の方を取り、かつ後者を選ぶタイプをバカにしそうな雰囲気が感じられます。
 ゲームを作っているのは人間、それはまったくその通り。その作者上位主義が、取材記事だけでなくゲーム記事にまで及んでこないことを祈るばかりです。
 だから、「ただ無心にゲームをやる『ゲームやり』に、今こそなろうではありませんか!」との言葉が力強い箭本氏の文章に見られるあり方が、この雑誌に接する際の心の支えなのです。あの連載(「ゲームやり2002」)、4〜7号しか続かなかったのが残念すぎます。どうしてあんなにもあっさりと終わったかなあ。


8/13(水)

 更新はいつだって唐突だ。
 と、言ってみたかっただけの台詞とともに、Memorial Games更新:
Princess Holiday。こっちの表記が商品名として正しかったらしい。アルケミストの公式サイトはカタカナで通していて、この書き方が好きだったのだけれど。
 このゲームにいろいろ背負わせるのはやめにしました。当初はもっともっと頑張ってもらう予定だった。本作は自傷行為と引き替えにほかのすべてのファンタジーを守ったのです! とか。でも、その荷を負わせるに至る道筋を編み出すことができなかった。力不足であります。無念。

 それよりとにかくゲームする時間がほしい。下さい。更新する時間と引き替えてもいいから。
 できれば細切れの方が。まとまった時間が取れたら『FFXI』につぎ込んでしまうだろう(『FFXI』はゲームじゃないのか)。


8/9(土)

 『こころナビ』のプレイ比重がどんどん軽くなっていって、こんなことじゃいかんなあと思いながらも、手元に『ハリー・ポッターと秘密の部屋』(J.K.ローリング・著、松岡佑子・訳、静山社)があるとそちらが優先される現状。
 外出先でも読み進められる後者の立場は、今や圧倒的に有利です。

 しかし今作は、1巻でも出てきたもののそれほど強調されていなかったように思う悪役ののさばり方が目立つ。
 真の敵は恐るべき者ではなく憎たらしい者なり。なんと、読んでいて本気で腹立たしくなる羽目に陥りました。それはもう、腹が立って途中で本を閉じたくなるくらいに。
 って、完全に踊らされてます。そんな自分は幸せなのかも。


8/6(水)

 『こころナビ』(Q-X)、妹の凛子ルートクリア。
 クリアしてしばらくは、工夫してきた、ひねりを加えてきたシナリオだと思っていたけれど、それは多分ジャンルにとらわれた見方をしていたからだろう。
 妹がいかに義理であるかに腐心するのと、妹とどのように親しくなっていくかに焦点を当てるのと、妹の話としてどちらがまっとうか。そりゃもう後者に決まっている。妹問題に真っ向から取り組んだシナリオだと思いました。
 しかしこのシナリオの真っ向さは、いつもの妹エンドなら考えないキャラ同士の中長期的展望などに思いを馳せさせる。このままでは救いがない。凛子のためを思うなら、主人公にはこのままヘタレ兄ちゃんであっていただきたい。愛想を尽かされ、彼女に振られたその日から、二人の未来が開けることでしょう。


8/3(日)

 暑くないのだから夏はまだ来ていない、従って夏休みだって訪れるわけがない、周囲が出社していなくてもそれは偶然であり決して夏休みなどでは…!
 といったごまかしも通じないくらいのホットな気候になってしまい、休みの取れなかった自分だけが残った次第。くそう。
 そんな中、ふと思い立って今さら感にあふれながら『ハリー・ポッターと賢者の石』(J.K.ローリング・著、松岡佑子・訳、静山社)を読みました。

 いいなあ、魔法の地への列車が停まる9と3/4番ホーム。異世界とはこのように、すぐ近くにありながら決して人目に触れることのないものでなければならない。すごく遠くにあって頑張れば届いてしまうものでは困るのです(自分が)。と、これは『プリンセスホリデー』の話。まだくすぶっている。
 もう一つの魅力は、手に負えない強者の存在。正面からぶつかったら必敗の強者がいてくれることで、世界の得体の知れなさが浮かび上がる。そして強者が強い理由は分からない。理由も何もなく強いから強い、それを受け入れるしかない。それが許されるのがすばらしい。
 しかしそう思うのって、現実逃避したい気持ちの表れなんだろうなあ。

 ところでこの本には、表紙と各章の扉絵以外には挿絵がないのだけれど、それで良かったと思いました。というのも、主人公の学友のハーマイオニーって子のことを、あくまで主人公の仲間として見ることができたから。
 ここにビジュアルが入ると、否応なく女の子として見なければならなくなるだろう。それはこの話を楽しむのによこしまな視線だと思うので、同じ話の映画版ではなく本の2巻の方に進むことにしました。
 ちなみに、2巻スタート前の彼女についての一言コメントは「ガリ勉の優等生」。この冷淡な言われようには膝を打ちました。こうでなくっちゃ。



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