ゲーム+α日記(2004年1月)

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1/31(土)

 話相手になってください、という表現で初対面の人に声をかけたら、まず不審がられるだろう。話題が何であってもしているだけで楽しいものを雑談というのだろうけれど、取っかかりには何かの話題が必要で、それなしにいきなり雑談状態には入れない。
 すでに雑談というシステムを知っていて、それを始めるためにそう言い出すのは、どうもうまくない。
 一方、話すことのどの辺りまでが楽しいかを知りたいので教えてください、とか、話のしかたを勉強したいのでつき合ってください、という事情だってある。これはさっきのよりは理由があるのだからずっとましだと思うのだけれど、真顔で口にしたら、まあ間違いなくもっと引かれる。自問自答して、自分にも引かれた。
 だから、言語の練習という隠れ蓑を用意した。

 そんな下心でほんと申し訳ないと思いながら、声をかけてきてくれた同レベルの英語圏プレイヤーに、用意した踏み台に乗って相対した。
 その二人組の冒険は、数値ではさっぱり実入りを残せなかった。特に相方はプレイ前より経験値を落として終了という惨憺たる結果だった。
 ただ、そんな次第でラストは気分良く終われなかったとはいえ、プレイ途中は楽しかった(後から振り返って「楽しかった」と言っていいと思えた)。おそらく、相手も。表示される文面から判断するしかないけれど、そう信じたい。

 それとはまた別の時間に、6人で協力してレベルを上げるためのパーティーに思い切って参加してみた。思えば発熱以来だから、実に3ヶ月ぶりになる。
 堅牢なパーティーだった。メンバーの大半が熟練者で、戦術を知り尽くしており、不慣れな自分があまり考えずにプレイしても、たぶんいくつもあっただろう目に見えないミスを吸収する余裕があった。数時間ののち、全員のレベルが2つ上がるという戦果がもたらされた。
 ただ、そこでは戦うことに意識のほとんどを集中させたため、無駄口を叩くタイミングを学ぶまでには至れなかった。

 まるで異なる二種類の遊び方で、一日の大半を『FFXI』に費しました。昨日までの反動だな。
 分かったのは、『FFXI』の幅広さ、自分には二兎を追うのはまだ早いということ、二つの大切さの重みが世間と自分とで逆転しているということ、今日の情報量で一週間は満腹していられそうだということ。
 こういう環境にしょっちゅう身を置けば、消化速度が上がっていくだろうか? それは現実にも良い影響をもたらさないだろうか?
 今日はそんな夢を見ながら寝ます。


1/30(金)

 朝出勤して一日働いて、夜帰ってきて、時間があれば風呂に入って、なければ即寝床につく。
 そうやって他のことに気が回らないのが習慣化して、余計なことを考えなくなるのなら、それが一番幸せなのかも知れない。

 そんな一週間でした。ゲームの話題といったら『JUDGEMENT SILVERSWORD -Rebirth Edition-』を買いそびれたことくらい。
 何の綻びも見せずにこれからしばらくを乗り切れたら、奇跡としか思えない。


1/25(日)

 二つのことを思い出しながら、『スプートニクの恋人』(村上春樹著、講談社文庫)を読みました。

 ひとつは『FFXI』を遊び始めてから半月間のこと。
 
あのとき自分は、あまりにも大きな世界に投げ出された不安で、何か文字の形にして吐き出さないと居ても立ってもいられなかった。そうすることで自分の形を保っていられたのだと思う。
 それは、この小説のヒロインと言える女性と、彼女の文章との関係と逆だ、と思いかけた。彼女はそれまでの作文漬け状態から、環境が一変したのとともに何も書かない生活へと転じたから。
 でも違うのかも知れない。自分が何か文字にしなければいけない、気が動転していたあのときが、そのまま彼女の日常だったのかも知れない。そんな日常を想像すると、なんと強い人なんだと思わずにはいられません。

 もうひとつは『水月』(F&C・FC01)、とりわけ、主人公とその専用メイド・雪さんシナリオのこと。
 あのゲームを遊んだ当時は、このシナリオでは脇役の花梨のほうにばかり気にしていて、雪のことまで頭を回しきれなかった。それが、この小説で補完されたような気がします。
 それというのも、自分はこの小説を、『水月』の主人公・雪・花梨の役がそれぞれいて、かつその担当をくるっと回して割り振られているものと読んだからです。この助けを得て、主人公と雪さんの関係を、より遠い位置から客観的に見ることができたのではないかと思います。
 それにしても、『スプートニク』の主人公=『水月』雪さんシナリオの花梨か。切ない。


1/22(木)

 しかし、こうして自分が弱っているうちにも時は過ぎていき、毎週何本ものゲームが発売されていく。その中で興味を惹かれるものがたとえ数十分の一でも、三ヶ月も経てばプレイ予定タイトルは確実に積まれていく。くたばっているわけにはいかない。
 と、思うのはいつだっていっちょ前だが、それではいかんので、ひと月ぶりに『月は東に日は西に』(
オーガスト)を少し進めてみた。
 これも、年内にこなした上で感想はがきを送ったりしていれば、ご近所の目に配慮して白封筒に入れられた賀状がメーカーから届くとのことだったのだが、その機を逸するどころではない引き延ばしぶりだ。
 そして、遊びはじめてしばらく違和感があったのにはびっくりした。最近プレイしていた『鉄腕アトム』とは明らかに異なる遊び方についての、文章と絵と音楽を受け取るだけの状態でいることへの違和感。クリックなんて操作のうちに入らない。

 とても信じられないけれど、この手のゲームを遊ぶときの感覚を忘れていたらしい。10分ほどで元に戻ったとはいえ、違うと感じたことへの驚きは今も残っている。
 今さら何を言ってるんだろうか。それを異質なもの、排除すべきものと思うか思わないか、5年前と今との違いはその一点しかない。


1/19(月)

 いかに自分の本調子が、特に最近は取り戻したところで全く大したものではないとしたって、それと引き比べて明らかに悪い調子が続くのは好ましくない。
 ちょっと頑張って勤労してみたらてきめんに、次の日通して動けない事態に。指先の動きですむゲームさえできずに、日の明るいうちからずっと横になる。
 そんな週末の過ごし方。どうにも冴えない。

 小さな楽しみは、朝晩の通勤中に聴く「電波塔」という曲。
 アジアン・カンフー・ジェネレーションというバンドも曲も初耳だけれど、借りてきたアルバムの中のこの一曲がとりわけよい塩梅。
 静と動の息の合いっぷりに泣かされます。


1/16(金)

 さすがに『今日の5の2』は腑抜けすぎだろう、と自分に活を入れるべく、半ばむきになって『鉄腕アトム』の難しいモードに取り組みました。
 コンティニューの連続でどうにか一周目をクリア。敵の行動パターンが変わっているのはともかく、一撃の被ダメージが高くなっているのが厳しい。ゆるゆるプレイから一転、水中に顔を押しつけられるようなストレスがかかります。
 それが目当てで遊んでいるのだから、いくらイライラしようが問題なしではあります。

 ところで、このゲームでは随所にスクロールを止める区切りがあって、敵を全滅させてから画面の右端に行くことでスクロールが再開され先のステージに進めるしくみですが、それは右端に行かない限りいつまででもゲームの中に留まれるということでもあります。
 永遠にゲームの中にいられる、まるで夢のような話だ! って本当にそう思うのか?
 もちろんそんなものは嬉しくも何ともない。自分の行動に反応してくれる意外な変化がゲームの中になにもない状態はつまらない。アトムを自由に操れても、その操作に習熟してしまえば、そこからは何も発見できない。
 いや、日頃から日常だのゲームに浸るだの言ってるくせに、アクションゲームではクリアに向けて邁進するのは矛盾してないか? とふと思ったのです。
 でも、考えてみればクリアしてゲームが終わるかどうかは別問題だ。アクションし続けて、ステージをクリアし続けて、かつゲームが終わらなければいいんだよな。それがアクションゲームの日常、簡単なことだ。
 逆に、ゲームの流れを止めることができるのが異常なのか。ポーズボタンという秘密兵器も使わずにゲームの中の時を止めたもんだから、ふと我に返ってしまったんだ。まったくもう。


1/13(火)

 『今日の5の2』(桜場コハル、ヤンマガKC)という漫画を読みました。漫画は年に数度しか読まないのに、たまに読むのがこれなのはいかがなものだろうか。
 ヤンマガKCがすでに分かりません。マガっていうくらいだから雑誌だろう。それほど縁遠くありながら、本屋で背表紙を見つけた自分はえらい。しかしこのタイトルを、どこで見て気にするようになったんだろう。

 舞台が5年2組で、そんな学年だから登場人物は小学生で、にぎやかにしている様子を淡々と描いている漫画ですが、読み終わって「うん、こんなもんかもしれないな」と思いました。本の帯にあるような「ライトエッチ」さに対してではなくて、小学生に対して。いや、さすがにここまでいろいろアクシデントが起きたりはしないにしても。
 男の子と女の子の区別がぱっと見ではつかないところにリアリティを感じました。男女混ざって遊んでるところに、違和感がない。
 あーあ、もう、分け隔てなくしていられて、そのことに自覚がないってのは、幸せなことだと思います。

 うっかりと昔を思い出してしまいました。学年をまたいで構成された委員会で、各クラス男女ひとりずつが隣同士で席についていたとき、あるクラスだけ男子が二人出ているのを目にして、どんな事情があったのかを先生に率直に質問したことを。
 当時の自分はたしか副委員長で、委員会のちょっとした異変も知っておかなければならないとでも思っていたんじゃなかっただろうか。
 結局その一件は当人の耳に入ってしまい、女子の列のその子からは大いに恨まれたものだった。悪いことをしたもんだ。

 帯と人物紹介の文章は相当いただけないと思う。


1/10(土)

 1/7のように、平日のうちは『ファイナルファンタジーXI』の二つの集団のどちらにも属せずに、世界と関係していない無念な感覚を少しでもうち消すべく転売に精を出している自分でも、週末になると己の持ち場へと参入する。
 ちなみに「世界と関係していない」という言い回しは、この前読んだ『きみとぼくの壊れた世界』からの借用なのだけれど、これが登場したのは、読み手のコンプレックスがそのまま著者におっかぶせられたこの本の評をWebで見つけて読んでしまい、ちょっと不愉快になったのをひきずっているのに違いない。
 それが分かるように書いてあるだけ、その感想は誠実ではあるのだろう。でも、その誠実さでは、そんなこと口にしなくたって、という思いは越えられない。
 穿った物の見方をしたくなったら、気をつけないとなー。

 話がそれた。
 最近の『FFXI』では、自分は鉱夫を演じている。朝も夜もなくひたすら鉱山をほじくり返し、多種多様な石を掘り出し、それらをお金に換え、工具を仕入れる。その繰り返し。
 少しずつ貯めたお金で、荷物入れを大きくしてもらった。冒険者なら戦利品を山と詰め込むであろうカバンの中を、自分は鉱石で満たす。
 冒険を補助するためのシステムが、あまりに異なる用途に使われているのは、思い返すと笑ってしまう。

 目的の同じプレイヤーと資源の奪い合いにならないよう、その姿を見かけたら方向転換したり。
 掘っている横から同じ採掘ポイント(つるはしが振るえる場所は限られていて、一人一人別の点を探して回るのが普通なのだが)に入ってくるひとをジト目で見つめてみたり。
 採掘の方法が分からない英語圏プレイヤーにつるはしの使い方をたどたどしく教えてみたり。
 あー、居場所があるってのはなんてすてきなことなんだろう。
 このちっぽけなサイクルに飽きて、冒険者の心を宿らせる日が、やがて訪れてくれるだろうか?


1/7(水)

 『ファイナルファンタジーXI』の競売所で、商品とお金のやりとりを示す履歴(そういうものが過去10件分表示される)を見ていると、互いに異なる生活のスタイルを持つ小さな社会が、同じ競売所を利用していながらどうもほとんど接点なく過ごしているように感じられる部分がある。

 あるアイテムは、一人の人にはイベントを解くための鍵として働く。
 それがあればイベントがクリアでき、新たな冒険の選択肢が開かれる場合、そのアイテムを得るのに悠長に時間をかけたくないと思うことはざらにある。プレイ時間は限られており、どうせなら有意義に使いたい。ならばアイテム探しに費す時間を、競売でアイテムを買ってしまうことで節約しよう。
 そんなもくろみから、ぽつぽつと一つずつ、イベントをクリアしようとする人の数だけ、そのアイテムが売れてゆく。

 他方、そのアイテムは、別の人にとっては合成のための素材である。
 合成は、何度も何度も試して地道に腕前を上げていく、根気のいるシステムで、その過程では大量の素材が必要となる。素材集めのために奔走すれば、手持ちのお金を減らすことなく合成ができて都合がよい……もしプレイ時間がたっぷり取れるならば。
 合成は、資金か時間によほどの余裕がなければ取りかかれない。中途半端に手を出すと赤字だけが残ってみじめな思いをする。もしそれなりにプレイを重ね、資金にゆとりができているなら、素材集めの金には糸目をつけず、競売で賄ってしまおうと考えても不思議はない。
 あるいは、合成修行の結果、アイテムが大量に生成されたとする。これが次のステップの修行には役に立たないとしたら、いつまでも手元に置いておくよりは、早くお金に換えて他の合成にかかりたい。
 そんな場合、多少損をしてもお値打ち価格に設定した方が、さっさと捌けて行動のサイクルが早まることになる。

 そんな思惑が、競売所で出会い、すれ違う。
 時間の節約という同じ目的に端を発しながら、この二つが交差することなく通り過ぎていくように見えることがあるのは、前者が単品買い、後者がまとめ買いと、同じアイテムを別ルートで購入していくシステムが、競売に用意されているからだ。
 出品者は、アイテムを「1つずつ」売るのか、「1ダースまとめて」売るのかをあらかじめ指定できる。そして両者は異なった項目で扱われる。

 同じアイテムである以上、ダース売りの価格はほとんど単品の12倍前後に設定されている。
 ところがまれに、この関係から大きく外れた品物を見つけることができる。
 こういうとき、それぞれの背後に異なった事情が隠れているのではないか、と想像する。
 この現象についての上述した推測は、まるで的外れかも知れない。自分の知らない特殊な原因があるのかもしれない。しかし何にせよ、理由を予想したくなるくらい、その外れ方が著しいアイテムとアイテム群が、今日も現実に出品され、それぞれ落札されている。

 ところで、第三の事情を抱えた人がいる。
 ゲームを遊ぶことがほとんどできないのが悲しくて、何か参加している感覚を味わいたいと思い、ついでに手持ちの資金が少しでも増えたりしたら願ったりかなったりだなーと空想する怠けものが、ここに一人。
 ……かくして、安価で買えるアイテムをダース単位で落札し、それをバラにほぐしてやや高値で出品する転売スタイルが登場するわけです。
 一山いくらのバケツみかんと箱詰めみかんは別のもの。自分は付加価値をつけて提供しているのであります。一応手間はかけてますからね(コマンド入力に数秒)。
 初期投資をそれなりにかけているから、在庫抱えて首が回らなくなったりしませんように、とお祈りは欠かしません(そういうところだけマメ)。


1/5(月)

 もっとも年末年始にこなしたのは本一冊ばかりではなく、帰省時には携帯ゲームが進む俺法則(ってほどでもないか)に従って一本、今回は『ASTRO BOY 鉄腕アトム アトムハートの秘密』をチョイス。
 アトムを縦横無尽に操る横視点のアクションゲームですが、暗い画面でアクションは厳しいだろうと、少し迷ったものの決心して同時購入したゲームボーイアドバンスSPがほほえんでいます。正解。まずは一通りクリアまで、楽しく遊ぶことができました。
 正直、もうドルメヒカは勘弁な、という気はしましたが、それは些細なことと言えましょう(こんな形で言及する程度に)。
 次は難易度を上げて再挑戦かな〜。


1/3(土)

 謹賀新年! ビバ寝正月(ただし病床)!

 そんな2004年の幕開けです。ぴったり狙いすましたように、今年は風邪から入りました。一晩中まんじりともせずに寝床とトイレを往復していたせいで、初夢なんて夢のまた夢。
 願わくば、これが今年最大の不幸であらんことを。

 帰省先でのそんな事態から一日、まだ影響を引きずりながらのUターン途上、電車の中で『きみとぼくの壊れた世界』(西尾維新著、講談社ノベルス)を読みました。面白かった。
 まずはエンディング、この欲張りさには感心するやら呆れるやら。この話の全体をばらしてノベル式のギャルゲーにしたら、普通に楽しめるものに仕上がると思うのですが、それぞれの結末が、たった5ページの一つのエンディングの中に凝縮されています。
 あまりの多重奏ぶりに一瞬、自分の眼光が紙背に徹して重ね読みしているのかと勘ぐりかけましたが、ただでさえボンクラな上に熱でかすんだ節穴まなこにそんな芸当ができるはずもなく、ただ書かれ方がうまかったのでした。
 同じ話を複数回読ませずに一度で済ませて、自分の時間を節約させてくれるなんて、ギャルゲーでなくてありがとう。ってな個人的な事情は置くとしても、この締まった終わり方は実に良いです。
 エンド内容は別としても。彼がそれでいいっていうならいいんだけど、疲れるだろうなー。

 主人公の行動指針や「世界」のとらえ方についての叙述も楽しい。読んでいる最中、自分の頭の中には、一体どこで聞いたのか、山で遭難したときのためのある技術の一片がありました。いわく、下山したい一心で下りばかりを選んではならない、谷底にたどり着いてしまったらそれ以上身動きができなくなるから。登山にてんで疎い自分のことだから、どこまで本当なのか(主に自分の記憶が)まったく自信が持てないけれど。
 その場その場で選ばれた最善手はその場しのぎに過ぎないかもしれない。ある場面では、後々に効いてくるための捨て駒的な行動が求められているかも知れない。時間の範囲を広く取ったときにどれが最善かは、その範囲を広げるほど見えないようになってくるんだろう。
 「かいとう編」での「僕の世界」についての説明から察するに、彼は世界内の一登場人物であるにもかかわらず、なにか特権があるように錯覚しているようです。その錯覚の徹底ぶりも、この小説を読んで楽しめたところでした。
 彼と来たら、一度は次善以下の選択で良い結果を得ているのに、また一時的にとはいえ、ほかの人物に主人公ばりの長広舌を許しているというのに、頑固なもんだ。彼ほど頭が良ければ、彼が嗜む将棋の手筋を彼の世界における彼自身の行動へと敷衍できそうなものだけれど。

 こんな感じで相変わらずですが、今年もよろしくお願いします。



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