ゲーム+α日記(2004年4月)

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4/26(月)

 ここのところずっと、ゲームどころではない生活になっている。ちょっとしたことは思い浮かぶのだけれど、それを拾い上げて文字にする余裕がなく、もたもたしているうちにそれらは流れ去ってしまい、次の日にもなれば今さら感しか残らない、そんな日々が続いている。
 そこに小休止が入ったのが昨日で、買い物に行ったり本を読んだり、少しはゲームも遊んだり、そんなことが身にしみて嬉しかった。そんな感じで休みを享受しているうちに昨日は暮れてしまい、結局またも文字にするチャンスを逸したのだけれど。
 この場から離れたのは10日くらいなのに、自分の更新頻度にすれば3回程度なのに、それでも、思いの文字への直し方にうっすらと齟齬がある。この調子で2〜3ヶ月も経てば、文章の書き方も一からやり直しになるのかもしれない。それはそれで新鮮かも知れないけれど、労力を思うと取り組むかどうか疑わしい。やはり少しでもキープしていた方が良さそうだ。

 しかし、今は文章を読めるだけでも貴重ではある。そんな中、音楽雑誌『ロッキング・オン・ジャパン』において、BUMP OF CHICKENのリーダー?と雑誌の編集長との往復書簡なんてものを見つけてしまい、その青々しい真面目っぷりがたまらなく、読んでいて身をよじらせたくなりました。
 中でも、
 Q. 音楽って文章に直せるのか?
 皮肉でも非難でもなく、真摯な問いかけとしてこの言葉を出せるBUMPの人には、そしてこの企画が成立しているということの前には、しびれたと言わざるを得ません。
 これ買っちゃったよ。身もだえしながら立ち読みするわけにいかないじゃないか。


4/15(木)

 ゲームがやりたい、と思っているときは、とにかくゲームを遊ぶこと、遊び始めることにばかり注意が払われていて、プレイスタイルについては考えていないことが圧倒的に多い。
 しかし、ゲームを終えた後で、もっと遊びたいと後ろ髪を引かれる思いでいるのは、決まって漫然とプレイしたとき。そういうプレイだと生半可な時間では満足には到底たどり着けない。
 きっと、ゲームがやりたいと思う真意は、ゲームで何らかの記録を残したい、ということなんだと思う。数値化された何かなら、ゲーム終了後も明らかな形で現実に引き継ぐことができて、振り返って成果として確認することができる。その確認をすることで、ゲームを遊んだ自分を再認識したいんだろう。

 以上は『ファイナルファンタジーXI』での話。
 これがギャルゲーでは不思議なことに、一つ二つイベントを見ただけで満腹してしまうことがよくある。こなしたイベントの数を数えることを目的に遊んでいるとは考えられない。求めているものが初めから違うのだろう。
 ではなぜ、『FFXI』でギャルゲーのような遊び方を享受できないんだろうか。それができれば、プレイ時間が足りないなどと渇望を覚えることなどないはずなのに。まだまだ修行が足りない。


4/7(水)

 『ファイナルファンタジーXI』では、プレイヤーが料金を別途支払うことで、複数のキャラクターを一つのゲームに登録することができる。一人のキャラクターでプレイしている間は別のキャラクターを動かすことはできないが、同じ世界に併存させることはできる。
 一人のキャラクターが持てる荷物の量には限りがあるので、アイテムをたくさん手元に置いておきたい場合は、別のキャラクターを作り、それに郵送することで預からせておくことができる。送られてきたアイテムを保持するだけの役のキャラは、倉庫と呼ばれているらしい。

 以上のことを、知識として持ってはいた。しかしそれと、たびたび目にする「ちょっと倉庫に行ってきます」という表明の意味するところが、つい最近まで結びつくことはなかった。
 それはつまり、預けてあるアイテムを取りに行きます、そのためには倉庫役のキャラを操る必要があるので一旦ログアウトします、だからしばらく応答できません、という断りなのだけれど、それが「倉庫に『行く』」と表現されるとはまったく意表を突かれた。
 一人のキャラがその世界のうちにある倉庫に行くような口振りで、そう挨拶した彼は世界をまたぐのだった。

 その感覚は一般的なのか。自分は頭を抱える。この違和感を、このもやもやした気分を、何とか言葉にして整理し、件の彼に対して異議申し立てを行いたいが、どうも今の自分には語彙の持ち合わせがないようだ。残念でならない。


4/3(土)

 目的と手段はどうしてこうも入れ替わりやすいのかと、『ファイナルファンタジーXI』を遊んでいて不思議で仕方なくなることが、実にしばしばあります。
 あることを達成したいとき、何も考えずに実行しても、最低限の結果は得られます。しかし、時やら場所やらアイテムやらと条件を揃えることで、ほとんどの場合よりよい結果がもたらされます。
 これがいけない。それらの条件情報が目に入ったとたんに、「そうした方が得」はその慎み深さを捨て、「そうしないと損」という強迫観念に姿を変えます。手段が上位に立って、それまでなかった目的をこしらえ、支配下に置くのです。
 気がつけば、やるつもりのないことを、時間を気にしながら急かされるように進める自分がいます。

 ああ、そうか、そうやってゲームに翻弄されるのが楽しいと思える余裕が、今の自分にはないのだと思い当たりました。いつもはそれで楽しんでいるし、それを望んだりもするのに。
 あんまり嬉しいことではないなあ。



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