ゲーム+α日記(2005年1月)

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1/30(日)

 『真・三國無双』で、慎重に防御しつつ進めていったつもりだったのに軽くなで斬りにされ、あまりのあっけなさに絶叫しながらPS2のリセットボタンを押した自分は、勢い余ってその下のディスク取り出しボタンにも手を伸ばし、代わりに『モンスターハンターG』を滑り込ませるのであった。
 でも、『真・三國無双』には、割と満足した気持ちですよ。ほら、廉価版という心づもりだと、執着心も安くなっちゃうからいやなんだ(敗残兵の捨てぜりふ)。

 しかし、始めてまもなく、今度はこちらで声なき叫びを上げることになる。
 『モンスターハンターG』については、「恐竜と戦うアクション」くらいしか知識がなかったので、血しぶき上げてざくざく鈍獣を切り刻み、のみならず、できたての死体から肉やら皮やらを剥ぎ取る惨劇は完全に予想外。そのさまはかなりのビジュアルショックでした。
 こうして取った肉は焼いて食う。肉を焼くひとときや、マンガ肉をむさぼる様子はコミカルだけれど、こういう緩衝材が欲しくなる、なんともワイルドな世界であります。

 アクションの基本を覚え、その濃度の高さを楽しみながら、しかしだんだん手強くなるゲーム進行。そして、なにやら巨大飛竜の卵を盗んでこいとのお達しが。
 飛竜など、貧弱ないでたちに覚えのない腕、そんな駆け出しハンターがやり合える相手でもない。やっと見つけた両手いっぱいの大きさの卵を後生大事に抱え、こそこそと逃げ回る。
 ひとたび見つかれば、その巨大な翼が主人公を傷だらけにし、吐く炎が主人公を火だるまにする。
 とんでもない相手です。二度と会いたくない、その一心で必死に卵を持って走り回る。そして、どうにか守り手の目を逃れようと飛び込んだ森には、杖を持った猫がいっぱい。
 今までとの風景のギャップに一瞬、虚を突かれる。その隙を相手は見逃しませんでした。

 設定的に重要なのか、このゲームに頻繁に登場してくる猫たちですが、おとなしいのもいればそうでないのもいるようです。
 後者は文字通りの泥棒猫であり、体当たりでアイテムをかすめ取っていく、文字通り体を張ったワルっぷり。
 しかしここで許せないのは、他のアイテムより何より、卵を「抱えて」いるマイキャラに、ワル猫どもが体当たりをかます、それ自体なのでした。
 背中から一撃。倒れる主人公。地面に落ちる卵。割れる音。
 やり直し。

 通算3度目の絶叫が、今回は実際に声となって出ました。
 きびしー。


1/24(月)

 安心したよ、すぐ先の敵だって十分強いじゃないか!

 ということで、『真・三國無双』3面の総大将・曹操を相手にさんざん手こずり、これは勝てないと一旦は撤退(ゲームプレイから)を考えたものの、思い直して再度挑戦、ぼろぼろになりながらようやく撃破しました。
 これだったら、どんなに自分が成長しても強くなった気がしないから大丈夫。

 ところで、シナリオ解説によれば、このステージでマイキャラは自陣の総指揮官を任命されていたようなのですが、そんな大役を仰せつかっていながら敵陣に自ら殴り込むのはいかがなものかと思う。
 ここは自重して、いつの間にか増えていた護衛の者たちに前線を任せるべきではないのか。司令が自ら刀を振り回す行為は、自軍を鼓舞するより、むしろその戦術のなさに落胆させるのではないか。
 そう思ったとき、自分の立ち居振る舞いが分からなくなりました。分からないから、結局いつも通り勇躍先陣切ったのだけれど。部下にまでたしなめるほど。
 どっかり座って動かずにいたら、きっと戦いには負けるんだろうなあ。個人の武勇と軍隊の指揮、どちらが全体のためになり人々を励ますのか。人心掌握とは難しいものだ(人を相手にしていないだけに)。


1/17(月)

 『真・三國無双』において、あまり三国志に詳しくない自分でもその名くらいは知っている猛将・呂布が敵として出てくるのですが、これが強い。強すぎる。
 あまりに強く、戦ってしまうといつも返り討ちにあってちっともゲームが進まないので、見なかったことにして当座はステージをクリアし(別に倒さなければいけないわけでもない)、キャラを鍛えようと何度も同じステージを繰り返しプレイして強化アイテムを取り続けていたら(アイテムによるキャラの成長を次のステージ=年代を越えた戦いに持ち越せる)、どうも困ったことに。
 どうやら呂布の強さはそのステージの中でも飛び抜けていて、それに追いつこうとすると他の敵将の強さが色あせてしまうようなのです。
 ザコならなおさらのこと。以前はそうでもなかったのに、今や刀の二振りでなぎ倒されまくりで、これには兵士たちも戦意喪失。
 ついには、一応武器はこちらに向けながらもバックステップで逃げていくように。この恰好は、内面の葛藤がみごとに表現されていてすばらしいと思いました。

 そんな及び腰のザコを追いかけて何人倒そうが、面白くも何ともない。一度、どれだけの人数を斬れるか頑張ってみようと、最初のステージに戻ってみたのですが、ただの作業というかイジメでした。
 苦戦してこその勝利の価値だと、改めて思い知りました。さっさとゲームを進めて、さらに強い者たちに会いに行こう。

 なお、キャラが強いと、敵軍のただ中にあちこち単騎で切り込んで敵将の首級を挙げまくる東奔西走プレイが可能ですが、そんなスーパー演武も、崩すべき元の作戦を知っていればこそ、型を破っていることへの面白さが味わえるというもの。
 一度はルールにはまることが、最も多く楽しみを得るためにはきっと重要なはず。次はそうしよう。まだ3ステージ目なので挽回可能でしょう(←今日の日記をすべてご破算にしかねない語りの時期尚早さ。いや、まだ先は長いんだろう?)。


1/13(木)

 ザコに混じって彼らを統べる上官がいて、そいつの頭上にはそのことを示す文字が付いている。まずは上官をやっつけろ。
 という『真・三國無双』の遊び方が理解できて、ゲームのテンポがずいぶんと早くなりました。

 何しろ頭目がいなくなると、下士官に与える影響が大きい。名のある武将が倒れたら、配下が散り散りになってしまうのです。
 まあそれは腑に落ちる。指揮官が墜ちれば士気も落ちるというもの。命が惜しくなったということなのでしょう。
 しかし、固有名詞付きでない役つきが上司の場合、それまでわらわらと、画面を埋め尽くすように増えていた敵の軍が、その場からはそれ以上出てこなくなるっぽくて、そのシステムには驚きました。
 味気ない言い方を避けると、その上官が指示して外部から援軍を呼んでいるようなのだけれど、それが不可能になったためそれ以上敵が現れない、どうもそういうことのようです。
 「(自分が戦っていたエリア)を封鎖!」なんてメッセージが、管理職の死と同時に出る。その意味するところがようやく分かったボンクラぶりです。

 リーダーではなく際限なく現れるザコをいつまでも相手にしていると、そのうち力尽きるときが来る。よしんば痛み知らずの疲れ知らずであっても、一つの戦闘には制限時間があって、それを過ぎると負け扱いされてしまいます。
 ザコを倒した数を誇るより、戦に勝つこと、名将を討ち取って名を挙げることを重んじよ。小さなことにこだわりすぎると墓穴を掘る作りが興味深いところです。

 ときに、味気ない表現に戻すと、敵の数をコントロールしているこの上官たちは、いわば敵の巣窟です。それをつぶすことによって、それ以上の敵の流入をせき止める。
 こういうゲームを前に遊んだことがあります。ちょっと記憶を探して、いったんは『ガントレット』かな? と思いかけました。でも、64版『ガントレットレジェンド』を少しさわっただけの自分にとって、このシリーズが挙がってもいまいちピンと来ない。これよりももっと思い入れ深いタイトルがあるはずで、違和感がぬぐえませんでした。
 もっとこう、ちょこまかしていて、あちこちに出てくる巣穴を倒しに右往左往しまくった、とても懐かしい覚えがあるのだけれど……

 しばらくうんうんうなってから、ようやく『カオスシード』のことを思い出した次第です。
 やれやれ、あれだけ時間をつぎ込んだゲームのことを思い出せないなんて、まったくどうかしている。ボンクラぶりに拍車がかかっています。


1/10(月)

 昨年末の経緯により廉価版をへんな引っかかりなしに利用することにした自分は、さっそく『真・三國無双』を遊んでみることにした。
 2000年の作ですか、これは。流行から丸4年遅れていることになるのだなあ。前世紀のゲームと呼べばなおのこと、置いてきぼり感もいや増すというもの(無理しなくてもいいと思う)。
 そして、「大人数の敵を蹴散らすアクションゲーム」という漠然とした予備知識が、間違ってはいないものの細部が詰められていないという、触れていないのだから当然といえば当然の事実にも気がつくのでした。

 主役は大変に強い。ザコキャラに比べたらもちろん、ひとかどの敵将と一騎打ちしてもまず負けない能力を持っている。しかし、そんなスーパー武将といえども、やみくもに武器を振り回しているだけでは、その戦を勝ちに結びつけることはできないのです。
 味方の動向を顧みず、単独で敵の大群に飛び込むと、倒しても倒しても湧いて出てくる敵の処理に大わらわ。一人一人は大したことないけれど、必ず誰かに後ろを取られ、防ぎきれない攻撃を放たれてしまう。部隊相手では個人の打撃もさして有効ではない様子が、斬った水が何事もなく元に戻るような感触で示されます。
 多勢に無勢ってこういうことなのだなあ、と、一人だけでできることの限界を実感しながら力尽きた初回プレイでした。このタイトルで哀愁を感じるとは思わなかった。

 これで、遊んでいないメジャーなゲームに関する心残りが一つ消えました。
 たくさんあるな、心残り。しかしまずは、目の前のなかなか手強い戦いに臨もう(←苦戦しているのも予想外)。


1/6(木)

 明けましておめでとうございます。だいぶ遅れての謹賀新年。

 『カオスフィールド』がなかなかクリアできないとか、年末年始でたくさん買い物してしまったとかの話題をさしおいて、一度しか遊ばなかった一つのゲームとの出会いの話をしたい。

 ゲームセンターと呼ぶには一人遊び用の筐体が少な過ぎ、でもよそを知らないのでこんなものなのかも知れないと思いながら、その少ない顔ぶれを端から眺めていったら、『大工の源さん』があった。
 ファミコンでアクションゲームとして聞いたことのあったようなタイトル、そしてこれも同ジャンルのようす。1990年リリースの表記。目に止まったのも何かの縁、今遊ばなければこの先一生遊ぶまい、そう思えてコイン投入。
 今後たとえ出くわしても遊べないのではないかとの強烈な思い出を残しに。

 それからの約2分、目を丸くするほかないひとときだった。
 木槌を構えた我らが主人公・源さんが、得物の一振りで倒せない始めての敵と出会い、その敵に3度撃沈してゲーム終了を告げられるまでの、それはあまりにも短いひとときだった。
 いちおう対抗はしてみた。初回死亡でライフ制ではなく一発死のゲームであることを知り、再戦時は敵の動きに油断なく目を光らせてみた。しかし、源さんの動きは自分の目の速度より遅かった。
 三度目の正直では、デモ中に見せていた、木槌を地面に叩きつけて地震を起こす文字通り驚天動地の小技で敵をひるませ、やや生きながらえた。しかし、残念だが敵はひるむだけで倒せはしなかった。
 刹那のうちに、それらが通り過ぎていった。

 終了を告げられ、急ぎ席を立った自分の顔は紅潮していたに違いない。そして、やるせなさでいっぱいの中からどうにか形にして絞り出した言葉を、忘れてはいけないと思う。
 「これがアイレムなのか」

 それは言い訳なのだ。『大工の源さん』というタイトルと、プレイヤーの自分。向かい合うのはその二つしかなくて、メーカー名の挟まる余地はない。そんなもので納得しようなんて、思考停止の逃げだ。
 正面切って戦う必要もあるゲームを前にして、そのような言い訳は見苦しい。

 店からの帰り道、寒風にさらされて、熱い混乱が冷やされていく。
 思えば、デモ画面でもう一つ見せていた、木槌をかざして頭上を守るアクション、あれを取り入れていたら、もしかしたら、下から2番目であろう憎いザコの攻撃を「防げて」いたのかもしれない。自分は攻撃して倒すことしか意識しなかったけれど、別の方策があったかもしれない。
 まあ分からない。すべては想像で、可能性でしかない。
 そんなことを片隅では思い浮かべながらも、頭の大半をなお占めていたのは、瞬殺されたことへの衝撃だった。半ば客観視されているのに、それはまだ大いなるインパクトを放っていた。

 新年早々、源さんが自分を木槌でぶん殴っていってくれました。
 ぬるいだけではないゲームの一面を突きつけられて、ちょっと活気づいた一年の始まりです。
 そんな感じで、起伏を持たせながら楽しく過ごせていけたらと思います。本年もよろしくお願いします。



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