ゲーム+α日記(2005年2月)

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2/23(水)

 うーむ。
 『Like Life』において、姫子から、
 「和真さんには、姫はどう見えるです?(人間 or ケータイ)」
と尋ねられ、しばし返答に困りました。和真(かずま)は主人公の名前、質問の後ろのかっこ内は二択です。
 この子は一体、何を思ってこんなことを質問してきたんだろう?

 このゲームは、どうにも人間にしか見えない女の子が自身のことを携帯電話だと言い張り、主人公にそれを認めさせていくところから始まりました。
 であるからには、主人公が姫子のことを携帯電話であると認識していることなど、確認を取る以前に、前提といえるようなことがらであるはずです。
 これが「姫子は誰のケータイだと思ってるんですか!」くらいの問いであれば、姫子にとって必然性もあると思うのだけれど。
 どうもよく分からない。あれだけアンテナで主張している姫子が、主人公から人間として見られたいと希望しているとも考えにくいし。

 遠足先の美術館(携帯電話が編入し、遠足に参加している!)におけるこのやりとりを、もう一度見直してみようか。支離滅裂なギャグの間に、ふとこうした問答が挟まるのは、不思議な感じです。
 それにしても、両手を前に組んで正面向いてほほえむ姫子は妙にかわいい。総じてあまりかわいさを感じない絵柄なんだけども。毎日を愉快に過ごしてほしいものです。
 何を書いてんだか。


2/18(金)

 初代・ファミコンディスクシステム版『ゼルダの伝説』において、光る敵弾や魔法を受け止められる大きな盾を好み、それを持った主人公に覆い被さって、一定時間内に倒さないと食べて(なくなって)しまう、という敵と出会いました。
 ライクライクというへんてこなその敵の名前が、「蓼食う虫も好きずき」から取られている(「盾食う虫も〜」)と後に聞かされ、一つの謎が別の謎に取って代わる、すっきりしたようなしないような妙な感じを受けたことを、ふと思い出します。
 名前には由来がある。ひどく入り組んで見えにくくなっているだけで。

 そうそう落ち込んでいるのも楽しくない。気分を変えよう。
 ということで、去年からインストールだけはしておき、プレイする機会を窺っていた『Like Life』(
Hook)を始めてみることにしました。
 長い前置きだった。

 しかしこれはまたずいぶんと、のっけからテンション高く飛ばしていくことだ。鬱屈気分を晴らすには十分なアップテンポぶりです。
 矢継ぎ早に、飛び石伝いの性急さで繰り出されるギャグ。当方いまだ登場人物の名前も把握しきらない段階で、序盤はプレイの足並みを乱されまくり。
 それがようやく追いつき、波に乗ってきたと感じられたのが、本作が大きく売りに出しているところの携帯電話娘・姫子の登場あたり。
 着信で調子外れに歌い出し、放っておくとそのうち息切れする。興味を持った人には電話番号を尋ねる。
 携帯電話が普段どんなことを考えているかなんて、思いを巡らせたことがなかったけれど、移り気なその様子に、見守っていたいと思わせられるのです。

 もの言う物たちの活躍譚ということで、筒井康隆「虚構船団」が好きだったり、サイコロの目に感情移入して2個を延々と振り続けたことのある自分は、大変楽しみにしておりました。
 今のところ、そういうのとは別方向に進んでいるようですが、この会話の振り切れ方はとてもいい。こちらはこちらで、先の面白さを期待させます。


2/12(土)

 ここ最近、あきらめることが多くなってきているのだと、ふと気づいた。

 由来が分からない、意地のようなものが自分を引っ張って、ものごとを続けさせていたらしい。
 ゲームを遊ぶのもそうだし、このサイトの更新もそう。以前は、遊び、更新することが当然だった。当然と思うまでもなく当然だった。
 今はそうではない。妥協が入るようになった。無理しなくてもいいと思うようになった。あるいは、今までは気にかけなかったけれど、どこかに無理があると思うようになった。

 無理しなくてもいい、それは全くその通りで、そういうことを無理強いさせられたって続くわけがない。その点は、今までだって同じだったに違いないのだ。
 ただ不安なのは、無理があるとかないとかの概念が入ってきたために、今までとは根本的に変わってしまったのではないかということ。退くことをひとたび意識したら、下がるなり、あるいは頑張って逆に前に出るなり、どこへ行ったとしても、そこはこれまでと地続きの場所ではないのではないか。
 実際に移動することによってではなく、移動することに思いを致したとき、意図していたのとは全く質の異なるところへ、すでに動いてしまっているのではないか。
 つまり、変わる・変わったということに初めて思い当たったのかも知れないということで、現在の心境はわくわくする類とはほど遠い(←そのあたりは相変わらず)。

 我ながら大げさな書きようだと思いますが、『ファイナルファンタジーXI』の話なのでした。
 話題に乗せないだけで、細々ながら続けてはいるのですが、時間が経つうちに、可能性を捨てていくようになっていったのでした。
 その一つが飛空艇パスの獲得。

 飛空艇は、20分近くかけないと移動できない街と街の間を短時間で結ぶ、便利な輸送手段です。ただし、パスを持っていなければ乗ることができません。
 パスは、冒険者として名が上がると国の偉いさんから交付されるものだとのことですが、その他に、役所の窓口経由で、お金とともに申請して手に入れることもできます。
 必要な額が大きいので今まで検討しないでいましたが、移動は便利そうだし、一度くらい免税店(空港内にあるらしい)で買い物してみたいし、何より自分はこの先手柄を認められるには至るまいと考え、思い切って買うことにしました。
 平民の立場にふさわしい取得方法といえばいえるのですが、身の回りは立派な冒険者ばかりなので、少し肩身が狭いのでした。
 もしかしたら、自分が買ったのは、予想外のところへ運ばれる片道切符だったのかもしれない。


2/5(土)

 このたび、『モンスターハンターG』において、クリアすることの喜び、クリアできたことの感動を、近頃まれに見る強さで味わうことができました。
 砂漠を遊泳し、不意打ちで飛びかかってくる砂の竜との戦い。
 最弱なのだろうけれども炎を吐き空を舞う飛竜との戦い。
 この前ひとつ運んだだけでうんざりした卵を、こともあろうに2つ持ってこいという指令。
 攻略不可能と思えた3つの巨大な壁を、乗り越えた自分がここにいる……!

 まだ中盤、ひょっとしたら序盤なのかも知れず、このはしゃぎようはみっともないのかも知れない。でも、本当に苦労したのです。
 やみくもにいくらかかっていっても返り討ちに遭うばかり。こてんぱんにのされ、太刀打ちできないと思い知らされました。

 そこで方針変更。毎回その時点での最善を尽くすのをやめ、いわば捨てゲーで次回につながるよう情報を集めることにしました。
 とにかく敵の動きを見ました。敵とつかず離れずの距離で逃げ回り、接近してからどう対処すべきかを調べました。
 あるいは、卵を抱えて著しく機動力が落ちる自分が、最も安全に立ち回れる道順を探しました。
 お金を貯めて、装備品を整えたりもしました。アクションゲームゆえ最後に頼るのは己の技量、でも裏を返せば、最後から二番目までは武具・道具でどうにかなるかもしれない。太刀打ちできなかったこの借りは、身の丈の倍ほどもある大剣、これで討って返そうじゃないか。
 こういうのは攻略の基本なのでしょうが、たいがいは攻めながら(=遊びながら)自然に戦術が作られていくもので、攻略方針作りに徹底したことはあまりなかったのでした。だからなかなかクリアできないんだろう。

 それが実を結んだというわけです。
 この三つの局面を振り返ってみれば、追跡攻撃、近接での攻防、逃げ回り、それぞれ異なる目的が共通のアクションでうまく表せていて、とても面白い。
 でも再現を求められたらちょっとためらう。今はもう少し、この満足感に浸らせてください(そして、割と短時間で次の課題に進む予定)。


2/3(木)

 巨大な武器を振り回しての重い一撃や、身のこなしを工夫しての連続攻撃など、戦いの楽しい『モンスターハンターG』ではあるけれども、そこまでの全身アクションだけではなく、ちょっとした反射対応が求められる小要素もあり、こちらにも喜んでつきあっています。
 これらは自給自足の世界観にうまく合っているので、ミニゲームと呼ぶのはふさわしく感じられません。ミニゲームというのは、メインとはまるで別の操作系を持った遊びのことではなく、メインとはまるで別の流れにある遊びのことなのだと、改めて思わせてくれます。

 例えば肉を焼くとき。軽快な音楽に乗って、たき火の上で骨付き肉を、骨を軸にして回しながらあぶっていきます。ある時間が経つと、生焼け肉がいい色に変わる。その一瞬を逃さずボタンを押せば、「こんがり肉」のできあがり。
 さらに少し遅いと、焼き色の焦げ目な失敗作が誕生してしまう。己の反射力にかけて肉の色を注視する、集中のひとときです。

 あるいは、魚釣り。浮きの動きというポイントもありますが、専らパッドの振動で判断する、こちらは触感勝負の一こま。
 ここで悩ましいのが、弱震では何も釣れないというところ。どうやら魚がエサをつついただけのようです。かといって、強震から時間を置くと、エサを持っていかれてしまう。一瞬で振動の強弱を判定し、ボタンを押す。うまくいったときの喜びは、肉焼きより難易度が高い分、より強くなります。

 そんなわけで、しばらく釣りに専念し、取った魚を売りに出して金策に励む日々。
 ……第一次産業に従事するにしても、どうもこういうタイプに寄ってくるようです。『ファイナルファンタジーXI』のときと同じ傾向か。
 いや、あるいは、より大きな傾向があるのかも知れない。たとえば、もし釣りゲームを遊んだなら、釣りには取り組まないでエサの育成とかにかまける、といったような。

 つまり、あんまり脇道に逸れるのもどうかと思う!(←声をどれくらい大きくしたら自分に届くのだろう)



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