ゲーム+α日記(2005年3月)

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3/28(月)

 ああ。最近じゃ類を見ないほど強く、つかんでしまった感じにうなされながら、『翼神』の画面を眺めています。
 アーケード版を1度遊んだことがあるのに、それで見抜けなかった自分の負けだ。

 遊んでいけば面白くなっていくのかも知れませんが、ゲームに到着するまでにやる気が著しく損なわれます。
 メニューのフォント、このセンスのなさはどうだ。巨大なアルファベットが等間隔に、センタリングで並んでいるのです。
 あるいは、すまぬ、こういうところで既に気勢をそがれるくらい、遊ぶことに対して贅沢になりすぎているということなのかもしれない。
 そして今日の意欲の残りは、敵弾に当たっても見た目ではいつ死んだか分からないことで失われました。
 よくよく見れば被弾した自機からは煙がか細く上がっている、けれども、自機の操作が利かなくなることで死んだことをぼんやりと知らされるっていうのは、どういう演出なんだろうか。点数の桁の数億分の一、いや数兆分の一でも、自機の死に様を飾る爆音か閃光にでも割り振って欲しかったと思いました。

 いやあしかし、一旦思いこむと全てが悪い方に働く。高得点も有難味が湧きません。
 1京(10の16乗)点が普通に登場するなら、その下の単位にどれほどの意味があるだろう。ステージクリア時のスコア算定を見ると、まるで、京の位置が小数点のように見えてきます。
 と、それはいちゃもんというものだ。分かっちゃいるんだが。


3/24(木)

 おっとっと。
 タッチペンならいざ知らず、手を滑らせたら余計なことを書くからいけません。
 ルールの複雑さと入力形態は関連づけられないだろう。入力形態に関する思い込みがそこへ重なって、さらなるミスを招く。
 ゲームに溺れてるのは分かるけれど、落ち着け。異なるものを比べてはいけない。

 タッチペンで画面にさわって遊ぶものを「ペンでなぞるだけ」というのなら、これまでのゲームは「ボタンを押すだけ」だし、たとえば将棋なら「駒をつまんで盤上に打つだけ」だ。数ある手段の中から選んでいるならともかく、それが世界のすべてなのだから、そういうのは「だけ」とは言わない。
 また、入力方向が縦だけなのはその通りだけれど、横方向に入力しないことは、このゲーム機全体から見ると、強調するほど、二次元が一次元に縮められるほど圧倒的な制限ではなかった。せいぜい半分くらいしか抑えられていない。なぜなら、実際には横方向にも動かしているからだ。画面に触れていないだけで。

 うかつにも、ペンではなく方向キーとボタンで『メテオス』を遊んでみるまで、このことに気づきませんでした。
 ペンなしでは楽しめるようになるまで相当な根気が必要そうだという感想だけではなく、カーソルを動かすのに左右キーを求められたショックも、この試技はもたらしたのでした。
 画面入力形式というのは、方向キーと入力ボタンを常に同時押しさせる機能だったのだなあ。
 しかし、方向キー単独の入力を受け付けない(プレイヤーがペンを持つ腕をどのように動かしたか、つつかれていないニンテンドーDSは知り得ない)というのは、これは思ったより幅の広くなさそうな方式だと感じられます。
 一応、直前にさわった点を覚えておいて、離れた点に入力されたらそこまでを直線なり適当な曲線で結ぶ、とかでトレースは出来るだろうけれど、そこまで無理して方向キーの代わりをさせることもないだろうし。むむむ。

 ところで、ふつうのボタン入力で、画面の中に半透明の腕とペンを登場させてそれを動かす、という形は取らなかったのですね。
 想像するだに格好悪いそんな画面を想像してみて改めて、ペン入力しているときはペンが画面を遮っているはずなのにそのことを意識していない自分に気が付くのでもありました。
 うまいこと出来ているものだ。


3/23(水)

 年度末も関係しているのか、ここ最近は興味あるゲームのリリースラッシュであり、その波に『Like Life』がまたも呑み込まれていってしまいました。
 しばらくは遊ぶことに力を傾けようと、まずは
『メテオス』に取り組み中。

 しかしこのパズルゲームは、操作ときたらペンで画面をひっかいて縦にパネルをずらすだけなのに、そのリアクションは山のような見えないルールに従っているようで、なかなか法則が体得されてこない。
 しかもステージごとにその法則も異なるようで、ここからは、ルールのことにあまり気を取られずに遊んでくださいとの言外のメッセージがあるように思えます。
 それで楽しめるのも事実。ただ、それなりの時間を費しながら、いまだルールを模索するように遊ぶのは、むしろこちらが遊ばれているような気分も呼び起こされ、少々引っかかるところではあります。ルールが掛け算ではなく、足し算で広がっているといったところか。
 そんな未熟なスキルをもってしても、ひとたびプレイを始めれば時間が飛ぶように過ぎ去っていく。1プレイは短いがリプレイも即断。まことに厄介。暇潰しというより、積極的に時間を殺しにかかる危険なゲームです。


3/18(金)

 時ならぬ『メタルウルフカオス』ブームが吹き荒れたあおりを食ってプレイから遠ざかっていた『Like Life』(Hook)を再開、姫子ルートでエンディングを2種類見ました。

 物がいつかたどる運命のことで脅されながら、それとは異なる、このゲーム独自の現象から話を収束させており、この辻褄の合わなさに首をかしげました。
 もっとも「独自の現象」に関しては、そのことを語れる超越的な登場人物をゲーム内に出しにくそうだという問題点がありますが、だからこそ一工夫がほしかった。「運命」を引き合いに出して類推を働かせろというのは、普遍性に違いがありすぎて無理だと思います。

 ところで、自分が見たエンディングでは、姫子は何かしら一部を失ってしまっています。無欠のハッピーエンドはないのだろうか。けっこう探したのだが見つからない。
 まだ姫子に関するイベント画が開ききっていないのが希望ではありますが、専用ルート用の絵とは限らず、ほかのキャラから派生して開くタイプなのかも知れないし。
 彼らが納得しているところではなく、幸福にしているところが見たいのですが、どうにかならないものか。


3/12(土)

 『メタルウルフカオス』におけるヘルモードのヘルっぷりがついに牙を剥いてきたようで、ラスト3ステージにかなり苦戦する。
 特に、ボスであるところの副大統領(正副大統領のどつきあい!)は、一撃が重く防御が固い上にすばやく動き回って狙いが定まらない、と三拍子揃った厄介な相手。あっという間に体力を減らされ、力尽きたところを踏みつけにされる屈辱のゲームオーバーシーンへ。
 ぬぬぬ、なんて手強いんだ! はっきり言おう、この卑怯者が! あいつが卑怯だからボクチン勝てません!(劇中のセリフ)

 真っ向勝負では難しそうだと分かったので、こちらも姑息な手に訴えることにしました。卑怯vs姑息、勝つのはどっちだ。
 接近戦では分が悪いので、常に距離を置けるよう、高さに差を付けていつも階上から撃ち下ろすことを心がけました。
 細かくちょろちょろ動くならと、ホーミング性能が優れたミサイルにどこまでも追尾してもらいました。
 彼我の距離を極めて長く取ると、敵は動きを止め、挑発なのか威嚇なのか、その場で空撃ちなどしてこちらの接近を待っているようなので、静止しなければならない代わりに超長距離を狙撃できるスナイパーライフルで、近づかずにぴしぴしと撃ち抜きました。
 自機とほぼ同性能の敵機が無敵の乱撃ボムを撃ってくるときは、ワンテンポずらして全く同じボムを撃ち返してやりました。攻撃というよりは回避のための手段として。
 そして携行するは、奴には内緒で開発してやった副大統領愛用の高性能な銃砲群。

 勝ったよ! いちいち何たるせこさかと苦笑も禁じ得ませんが、とにかく勝ちました。ふははははは、ざまあみろ! 笑い声まで副大統領直伝だ!
 ……正義はどっちだ、って? Believe in your own justice!


3/9(水)

 『メタルウルフカオス』を一通りクリアすると、難易度の増しているらしい「ヘルモード」が選べるので、そちらを遊んでステージ全制覇を目指しているところ。
 敵の守備力が上がっているようで、いままでと全く同じ攻撃では倒せなくなったりもしているのだけれど、プレイヤー側の武器も強くなっているので、特に序盤ではその高難易度ぶりが実感されることは少ない。強化された武装を手に、見覚えのあるマップを破竹の快進撃であります。

 そんな主人公の装甲機「メタルウルフ」(やっぱりこの名前なのだなあ)の見た目が変えられる特典が、ヘルモードでクリアするたびについてくるようになりました。グラフィックが変わるだけなのだけれど、幕間デモもそのコスチュームで演じてくれるのはさすが。自機の印象を、強さとは別の方向へさらに強めてくれます。
 お気に入りはピンストライプ。白黒縦縞がステージ内を所狭しと暴れ回る様子に見惚れます。ひとたびバットを手にすれば年間100本塁打は固いに違いなく、うるさいワンマンオーナーも満足すること請け合い。

 それほどまでに強い自機にも弱点はあるもので、なんと穴に落ちて一発死というレトロアクション仕様なのでした。
 初めて遭遇したときにはたまげた。「ブースト持ってるんだから飛べよ!」の突っ込みもすでに遅し。昔むかし、ディスクシステムのウルトラマンのアクションゲームを遊んでいて、隊員姿の時はともかく、変身して強いウルトラマンになって、それでも溝に墜落して死亡扱いされたときの衝撃を思い出しました。
 味方の反応も、このときばかりは冷淡そのもの。ハチの巣にされて最期を迎えたなら嘆き悲しむ秘書だって、ぴよよーん、とかの情けない効果音とともに画面から消えるへっぽこ大統領には「ありえない!!(Unbelievable!)」などの呆れコメントを惜しみません。
 こういう反応とか、落ちる足場を見定めてのアクションとか、きちんと作られているし、いい緊張感がもたらされるのは確かだけれど、やっぱり違和感はぬぐえませんでした。

 ときに、このゲームはすべて、さきほどの秘書の発言のように、「英語音声+日本語字幕」で統一されています。
 その英語が字幕の直訳にはなっていないのが面白い。聞き取れる限りですが、楽しめるところがかなりあります。
 攻略本に掲載されでもしてたらすぐに買うのだけれど。あるいは、どこかに英文が載っているサイトなどはないものか。


3/6(日)

 そんな病気生活からも立ち直り、不思議なことにじっくり寝たらそれなりのやる気は湧くもので、週末の時間をほぼぶっ続けで『メタルウルフカオス』に注いでいました。
 自分が遊ぶなら『メタルウルフ』の方だろうに! というネタはもう半年も前のことのはず。
 雑誌「CONTINUE」20号の紹介に釣られてみようと、ちょっと踏み出したら、あれよあれよとスタッフロールまで突き進んだのには、我ながら元気になりすぎじゃないかと思いました。

 遊ぶと決めたときにソフトを買っておき、さて持っていないXBOX本体をどうしようという矢先に、なんと貸してもらえることに。これは願ってもないことだ。
 何しろ大きくて重い本体、病み上がりの体では店から運んで帰ってこられません(何台買うつもりだったんだ)。

 3D視点で撃ちながら駆けずり回るこのゲーム、こういうジャンルはほとんど遊んだことがなく、楽しめるかどうか少しだけ不安でもありましたが、大いに杞憂でした。
 的がもう気前よく壊れる壊れる。より多く、速く壊したものが勝ちという分かりやすさのもと、圧倒的な強さの自機が敵陣をボコボコにしていくのが爽快です。
 3D迷路も、マップがそれほど広くないため、慣れれば迷わずにすむようになっていて良し。
 視点移動がやや遅くて、ぱっと振り向くのを期待していると画面とのずれが大きく、それがたび重なると酔いを発症するのが困りますが(思うようにならない景色の変化が酔いを呼ぶのです)、それも慣れのうちなのかも知れない。
 人型とはいえ重装甲なんだから速く振り向けないのだ……と。
 照準合わせとの兼ね合いがあるのだろうから、どのくらいの速度がいいのか、調整は難しいと思いますが、もうちょっと速くても良かったかも知れない。

 そんな破壊ワールドを貫くのが、「アメリカ大統領は強い」という観念。もうすべてがこの一点に集中していて、潔いほどです。
 主人公が強いのは、アメリカ大統領だからなのです。
 その背景には「アメリカは強い」があるはずだけれど、ここまで喜劇化され強調されると、「アメリカ」を飛び越して、直接「アメリカ大統領」と「強い」を結びつけて考えたくなります。
 その方が生臭くなくていいんじゃないだろうか。


3/2(水)

 インフルエンザに引っかかり、数日寝込んでいました。
 といっても、それほど重い症状ではなく、頭痛が困るほかは高熱にもせきにも下痢にも見舞われずにすんだのは不幸中の幸いでした。
 むしろ、寝込んだ、というより寝続けたのは、病気と必ずしも深い関係にはなかったのかも知れません。

 横になりっぱなしなのも退屈だし、療養中と言いつつちょっとゲームでもやるか? てな気に、一昔前なら確実になっていただろう。しかし今回、その気力は湧かなかった。
 思えば、仕事からもし解放されたならまず何をしようかと空想したとき、一番に思い描かれたのはひたすら寝続けることだった、と、布団の中で思い出していた。
 それがまさに今、実現していた。寝られる。これ以上の幸せはないのだった。
 そして寝ている間、次々に夢を見た。詳しい内容までは覚えていないけれど、一貫していたのは、ひどく日常と地続きの一こまばかりということだった。一つ断片が記憶に残っていて、それは部屋の片づけをしているシーンだった。ちょこっと配置換えをしたところで目が覚めて、そういう夢だったのでした、というオチをつけられたような気がした。
 そういう何でもないことで、かつやっていないことばかりが、噴き出すように後から後から出てきていたのだと思う。そして、現実の自分は、たぶん少しは気にしていたんだろうそれらの雑用を夢に任せて、うとうと寝ていただけなのだった。

 気にかかっていることを夢にやらせて安心する技でも身につけたのだろうか。ならばゲームがその餌食にならないと、どうして断言できるだろう。
 もしそこに居着いてしまったら、抜け出すのは容易ではないと思われる。自分ルールが意識せず全面的に展開する夢ゲーム、それはとても幸せな境地であるだろうから。



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