ゲーム+α日記(2005年11月)

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11/28(月)

 昔のゲームの次は最近のを、ということで、『ゴッド・オブ・ウォー』に取り組んでみました。
 アクションゲームを遊ぶことに慣れている今ならきっといける。そして、このタイトルについて悪い評判を聞いたことがない。いくらプレイ前の時点で客層がふるい分けられていると言ったってこれは異常だと思っていました。

 でも、おかしなことなんて何もなかった。
 その壮大さに、パズルに偏りすぎない謎解きに、覚えるのと数値的成長と両方を加味して上達していくアクションに、大変に強く魅せられました。
 中でも感心することに、このゲームは止まらない。場面は常に変化していき、展開面でも読み込み面でもプレイヤーを待たせることがないのです。このノンストップぶりにはサターンの和風2D活劇『心霊呪殺師太郎丸』を思い出しました(訳:『心霊呪殺師太郎丸』は『ゴッド・オブ・ウォー』ばりにノンストップな2Dアクションゲームです)。しかし『ゴッド・オブ・ウォー』は、かなりの程度まで後戻りの自由を許している。これはえらいことだ。
 面クリア型アクションを遊んでいた直後だからか、ここまで「ステージ」が持つ一方通行の概念を破壊している様子を目の当たりにして興奮しております。


11/22(火)

 それにしても『ボンジャック』は面白い。
 「火のついた爆弾を次々に取っていく固定画面ジャンプアクション」、昔ファミコンで遊んだ『マイティボンジャック』ではほんの一部としか見なしていなかったこれにここまで夢中になるとは、全く予想外でした。

 単純に見えて大違い。
 方向キーとボタンの使い分けで加速も減速も思うままに操れる空中浮遊。その空中や地上走行の自由さに比べて命取りになりうる、着地・ジャンプ時の一瞬のタイムラグ。スコアのためには最短距離のクリアを許さない、自機から離れた位置の爆弾への着火。ステージクリアのボーナスが「そのステージで着火爆弾を取った数」でカウントされ、かつ死んだら火が消えるルールの組み合わせ(死亡からの再開直後はどの爆弾にも火がついていないので、ノーミス時に比べて確実に一つ取り損ない、得点が下がる)。群がる敵をコインに換える一発逆転お助けアイテムがいつ出るか、その目安をさりげなく示すスコア倍率近傍のゲージ。ジャンプするたびに色が変わるそのアイテム(この謎はまだ解けず)。他にもまだありそうだ。
 知るほどに楽しさも難しさも増すシステムにベタ惚れです。
 ターゲットに一直線に向かうようなひたむきさで臨むとほぼ確実に敵に捕まるのであり、というより敵が目に入っていないその死に様は自ら体当たりに行ってのものとさえ映り、このゲームに限らず『テクモクラシックアーケード』内の他作品にも共通だけれど、敵の(ときには味方のはずのアイテムの)行動様式のいやらしさは称賛に値します。
 こちらの虚を突く動きのうまいこと。

 敵を縦方向に避けるとき、横移動しながらボタン連打で浮遊、頃合いを見計らって連打やめ&下入力で急降下、必要に応じてボタン単打で急ブレーキ。
 こんなふうに、移動しながらボタン連打・単打のリズムで進めているとき、それが『スターフォース』で自機を移動させながらボタン連打・単打で撃破していく様子と重なっていることに気が付きました。
 キー入力のこの組み合わせがプレイヤーを幸せにしているんだと思う。

 スコアを狙っては頓死し、クリア優先でも先のステージで驚異的なスピードの敵に殺され、と、決まってねじ伏せられるのですが、それでも楽しかった。
 延々と遊び続けて、最初の面だけは完全にパターンで動くようになり、そこで我に返って遊びやめました。安定化しては楽しくありません。


11/20(日)

 『テクモクラシックアーケード』を遊び続けています。

 タイトル続き。やった全制覇だ(プレイ=制覇という新解釈)。
 『プレアデス』は収録中でも最古のタイトルということで、経験しておけばよい感じで1プレイ。いにしえの固定画面の縦シューティングとしては敵弾がかなり多い気がするけれども、弾の軌道が必ず垂直なので、真下に入らなければとりあえず即死はない。少しだけ息をつきました。
 『アルゴスの戦士』には連射力が必要だと分かるまでにしばらく、また敵は倒すだけでなく踏みつけることもできると分かるまでにしばらくかかりました。地味ながら確実な対応が必要な横スクロールアクション。しかし冒頭やステージの幕間の雰囲気は大変あやしい。ゲーム内データのインストラクションカードでも生首の髪をつかんでいるし、実に殺伐としたゲームであるのだなあ。コンティニューごり押しが途中から効かなくなるのも殺伐さの表れでしょうか。
 『スイマー』で一番面白かったのは、このゲームのタイトル画面で放置しておくと流れるデモ画面で、幾多の障害物をものともせずにわきわきと泳ぎ回る主人公の図、でした。上手なプレイで笑いを誘うのは確かに個性的だ。ちなみに二番目に面白かったのが公式サイトの紹介文です。ゲーム自体の面白さはその次くらいかな。
 あとは申し訳ない、元のスポーツが興味を惹かれない『テクモカップ』(サッカー)と『テクモボウル』(アメフト)であり、何が何やらさっぱりでした。
 いやもう十分。お腹いっぱいになりました。

 最後はやっつけになってしまいましたが、何しろ今は『ピンボールアクション』5:『スターフォース』3:『ボンジャック』2の割合で極めて多忙であり、他まで手を回せないのです。
 暇がないときのゲームって、どうしてこう楽しいんでしょう(逃避)。

 ときに、『スターフォース』で思ったのですが、このゲームで画面内に自弾が3発までしか存在できないのは、連射の力押し抑制に大きな効果があるのですね。
 高い瞬発力で撃ち込んで、その弾が敵に当たらなかったりすると、画面の外に消えるまで弾切れになってしまう。その間に敵の体当たりを受けて死ぬ。よくあるパターンなのです。
 これを避けるために、敵がばらけて出てくるときは、こちらの攻撃は散発的にしておく必要があります。一方、撃ち込める敵や地上物には何の遠慮もなくボタン連打。
 すなわち、インストにあるような「とにかく撃って、撃って、撃ちまくれ!!」主義ではだめなのであり、言うなれば「撃って、休んで、撃ちまくれ!!」か。もちろんそんなかっこ悪いプレイスタイルを推奨できようはずもない。

 「連射できるものが偉い」、それは正しいのだけれど、ただ連射するだけなら機械がずっと精密にこなしてくれます。人間に求められたのは、連射の使いどころだった。
 そして、自弾が山ほど出せるようになったって、やみくもな連射をよしとしない方針のゲームがあったっておかしくはない。
 いや、『バトルガレッガ』の「弾を撃つほど難易度上昇」というシステムは、こういう発想から来ていたのではないだろうかと、今になって突然思い当たった次第なのです。
 2005年も押し迫って、もうじき抜かれるとはいえ現時点では最高性能を誇る家庭用ゲーム機で『スターフォース』なんて遊んでいたら、思いもよらないところでゲームからボーナスがもらえた。そう思っていいのかも知れない。

 そんなこんなで遊び進めるうち、初めてジムダステギにもお目にかかれてご満悦。話にしか聞いたことがなく、ファミコン版でも未見だったあの縦列矢印地帯は、一つの憧れでした。
 それで、もしかしたら難易度を下げたらもっと先へ進めるのでは? と思い、勇んでオプションモードに入ったら、初期設定が最低ランクのVery Easyだった。
 心遣いありがとう!(涙)


11/15(火)

 こんなに身の周りをゲームで囲まれるようになってなお、自分の中には物量作戦になす術なく敗れる一面があって、ここ数ヶ月で『Atari Anthology』『タイトーメモリーズ上巻』・『下巻』、そして『テクモクラシックアーケード』と、詰め合わせものを多数購入している。
 それぞれ85、25、25、11タイトルということで、4本で実に146作がこの手に! それもほとんど未プレイ品ばかり! 未知の楽しみがこんなにもたくさん! 幸せ!

 と、可能性を尊ぶのはこれくらいにして、『テクモクラシックアーケード』を立ち上げてみました。
 いや、タイトル数が少ない方が目移りしなくて具合がいいと思って(←錯乱?)。

 そしてしばし遊びふける。
 『スターフォース』であまりにも不用意に敵に近づいて撃墜され、『SENJYO』の開始5秒で死ぬ攻撃に呆然とし(故に初プレイは15秒で終了)、『ボンジャック』でファミコン版で聞き覚えたBGMを口ずさみながら爆弾処理を楽しみ、『ソロモンの鍵』のアイテムの隠され方に早くも音を上げ、『ピンボールアクション』の面白イライラぶりに任天堂がファミコンで出した『ピンボール』を垣間見、『雷牙』に『R-TYPE』の再来というか幻影というかそれらしきものを感じ取り……
 これで折り返しか! 己の処理能力がふがいなく、今は力を溜める時期だと言い聞かせながら戦うのでした。

 後編「え、『スイマー』ってスポーツゲームじゃないのか!」へ続く(いつになるやら)。


11/6(日)

 やったー、『ロンドニアンゴシックス』クリアしました。
 よく頑張った。こんな大きな解放感があれば、このゲームを遊んだ甲斐があるというものです。
 …ん?

 要素に分けると、着替えポーズ以外の点で軒並み厳しく受け止められます。
 物語は「一つのイベントをひたすら引っ張る」方式で、終盤に待つ怒濤の展開をもう少し前の方に割り振っていただきたい気持ちでいっぱい。
 魅力にあふれた初期設定があまりにもなおざりで、話作りはあまり好みではなかったのかも知れないと思いました。
 アクションは、たいがいのルールは提示されてしまえばそういうものと呑み込んで遊ぶし、それができる作りではあったのでまだ良し。
 ただ、いかにも昔風です。敵がこちらの攻撃を浴びてひるむと、直前にいたブロックに引っ込むのです。迷路のパーツがブロック単位なのを受けての行動か。
 純正アクションというよりは「リアルタイムなターン制」といった感じ。プレイ中に無数の細かい隙間があって、微妙に先読みが求められる感覚が、この表現で通じるものだろうか。
 遊びが古めかしいのはゲームの舞台が19世紀末だからでしょうか(言わなくてもいい)。
 あと、ドレスの着替えは目に楽しいけれど、アクションのテンポはどうしようもなく落ちます。趣味だけでなく、後半は攻略上必要になってきて取っかえ引っかえするから、余計に。
 ああ、音楽は良かった。場面場面にしっくり来ます。

 とまあ、こんなことでは理解できない裏事情が、このゲームにはあるに違いない。
 不肖当方の力ではせいぜい腑分けするくらいしかできません。このゲームの全容を、ゴスロリ的世界観から一本筋を通して明らかにして見せてはもらえないだろうか。
 敵を踏みつけて倒すのも、ドレスの名前も、アイテム名がすべて片仮名4文字なのも、何らかの由来があると予想されるのです。アイテム名は拗音が入るものもあるので音節数で統一されてはおらず、そのあたりも例えば初期『ファミスタ』の選手名に似た妥協感を漂わせていかがなものかと思えますが、いやいやそうではなく何らかの理由があるはずだ。
 こういうゲームこそ、見方一つで名作にも駄作にも扱われるのですから、もし名作と感じられたなら、ためらわずその所以を熱く語っていただきたいと思うのです。



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