ゲーム+α日記(2006年6月)

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6/26(月)

 おお、『ファイナルファンタジーXII』でついにヴァンの主張が力を持ち始めた!
 と、感慨しきりです。
 黙殺されてきた長き日の終わり、それは、次の行き先を決める相談の際、「お前」以外の言葉に初めてアーシェが振り向き、バルフレアが将来について尋ねる、という申し分ない形で現れました。
 ここが彼にとって、本当の冒険の始まり。メンバーに一員として認められることが無意識の目標となっていたのであれば、それが達成された段階では明確な将来像まで思いを馳せる余裕がなかったのも、また無理からぬことと思われます。

 それに先立ち、古王の墓において、敵というよりは災害と呼ぶにふさわしいトラップを前にして、パーティーの行動を問うたヴァンの発言がありました。彼のリーダーシップの兆しがここにあったからこそ、その後の件の場面で彼は認められたのではなかったか。
 取れる対応は逃げの一手と思われながら敢えて二つの可能性を提示した、彼のその意気に応えるべく、やたら手強い相手ではありましたが、必殺技とアイテムを駆使してどうにか倒しました。
 ……その直後のイベントを見るに、それはしなくて済んだ頑張りだったようですが、まあいいや。この労力は、彼への祝いとして差しだそう。


6/24(土)

 平日の昼間から本を読む時間が取れるなんて贅沢なことだ。
 と思いながらの出張電車行で、『ある日、爆弾がおちてきて』(古橋秀之著、電撃文庫)を読みました。

 短編集だとは知らなかった。
 それぞれの話が浸透して理解される前に次に取りかかると、感慨も薄くなりがちです。そして、ひとり移動中ということで他にすることもなければ、どんどんと読み進めてしまうもの。
 ということで、一通り読んだ直後の段階では「三時間目のまどか」の主人公のがんばりと、結果がすぐ出ていることへの時間解釈的な・短編的な正しさにすっきりした感じをもらって、しばらく過ごしていました。
 しかし、徐々に気持ちに根を下ろしていくやりきれないこの思い。これは「恋する死者の夜」の放ったボディブローだ。

 この時間の停滞をどう嘆いたらいいだろう。どうしようもないと一言ですませられたらどんなにいいだろう。いや良くないのか。
 いやいや、良い悪いの問題ではないのだ。主人公がこの話を語るのと恐らく同じ理由で、自分が今できるほうで対処しよう。
 楽しかったあの場面が、ただ主人公の彼の心境だけを除いて、同伴者込みで再現され続ける。その先を知っているのは彼一人で、それが毎回、いや繰り返すたびにさらに重圧を加えてくる。この重圧は日々生まれてくるもので、彼が生きている証ともなっている。
 一方で、そう感じることの無力さを周囲は示している。そう感じさえしなければ、この繰り返しはそのまま楽しさに変わる。実際、目の前の人はそうなのだ。周りの人もそうなのだ。さらに、彼女は彼も楽しんでいると信じている。それを否定しても、残らない悲しみを生むだけだ。
 この停滞を受け入れられなかった、主人公と同じ立場の人たちがいた。かつてはそういう人たちばかりだった。その人達については、さらりと末路が描かれている。でもその「さらり」は彼の今の気持ちから見た軽さであって、十分に削られすり減った末に、悩みが麻痺してきたに過ぎない。二人の肉親に関してさえ、そうだ。これがどれほど大きな衝撃だったか、もう描かれないだけだ。それはまだこの時間が停滞する前に、確実にあったことなのだ。

 話のラスト、あの一点を頂点として、このイベントはこれからもずっと続く。どれほど後悔しても、時間は元に戻らないし、進みさえしない。過ちは常に繰り返されなければならない。それが、その続きさえなければ過ちではなかった、結果的なものであっても。
 そして、繰り返さなければならないのは彼のせいではない。彼に悪気があったわけじゃない。それがいっそう、やり切れなさを高める。
 この循環が始まる最初のとき、彼も確かに楽しんだしうれしがっていた。その思い出が今の彼を支えている。支えていられるうちは、この繰り返しを今の彼として続けられるだろう。駄目になったら、この場面は今のではない彼によって続けられるだろう。どちらにしても、彼女にとっては変わらない。彼女はその違いを分からない。
 他の可能性は、彼女によって封じられている。本当はそうではないのだが、彼はそう思っている。いつもはそうでもないだろうに、彼女が彼だけを頼りにしている、ちょうどその日だけが際限なく訪れるのだ。それを彼女たちの習性だと思えないことと、彼が今の彼でいられていることが一致しているのだろう。
 その理屈に違和感を覚えることができれば、自分もこの話にダメージを負うことはなかったに違いない。でもそれは果たせなかった。彼の考えを支持し、この状況を了解した。

 いっときの幸せと、それを塗りつぶす停滞。彼のすぐ目の前にいるのに、心境の違い・変化の点で無限の遠くにいる彼女。その差を理解しているのが彼だけだということ。彼が頑張っても頑張らなくても、抵抗してもしなくても、先の先まで変わることがないと予想できる一日の繰り返し。
 これはもう、どうしようもない。


6/21(水)

 おいおいそのお姫さま抱っこはないだろうと思った『ファイナルファンタジーXII』での一場面でしたが、まさか正解だったとは。頭(=名前)隠して尻隠さずとはこういうことだったのですね。
 そして、彼女を正しく扱ったにも関わらず、「お前」という呼びかけ以外のほとんどを無視されるヴァンの気の毒さは例によって大変なものです。しかし、身分の違いとはそういうものであるに違いない。

 そんな気高い元王女・アーシェの口から発せられるからには、「盗む」という言葉が格別の響きを持っていても何ら不思議ではありません。
 ヴァンたちが日常的に行っていることからも、また、ゲームの最初期から身につけて金稼ぎに用いられる能力であることからも、「盗む」という行為はこの世界の人口に膾炙していて、おそらくは高貴な家柄にまで浸透しているのだと想像されます。
 しかしながら、国の頂点近くに位置するアーシェにまで、その手を汚す行為が求められることはない。だから彼女はその意味を、概念としてのみ知っているのでしょう。彼女がこの技能を習得し活用するとは思えません。
 そんな立場ならではの、本職を当惑させずにはおれないこの応用ぶり。「私を盗んで」などとは、まったく困ったお姫さまです。


6/18(日)

 『ファイナルファンタジーXII』プレイに戻り、そろそろプレイヤー側の主要な人物も一堂に会したかというころ。
 しかしここで、実際には起こらなかったパーティー解散〜冒険終了(ゲームオーバー)の可能性があったように思います。
 事件が旧王族なんてものに関わる大ごとになってきてなお、一平民(という呼び方も適切かどうか分からないけれど)に過ぎないヴァンがなぜ、他の皆と再び行動をともにすることができたのか。

 彼はいつもながら無邪気に置いていかないでくれなんてわめいて、その主張が通ると信じて疑わない気味だけれど、ほっぽり出される恐れは十分にあった。もしもそこにいる価値が見出されない、むしろ足手まといになるだけの少年と見なされていたならば。
 おそらく彼の思惑と裏腹に、しかし願いだけは叶う形で、彼は自身の物語をここで続けることを、無言のうちに認められます。身分の、格の、年齢の差を踏まえても、そこにいることを許される、黙認されるというのがふさわしい。
 そうなるまでには、文字通りのパシリ役(俺ら飲んで待ってるから街中でうわさ振りまいて来な)やら、戦いにあたっては身を挺しての釣り・盾・盗み役やらと、身を粉にしての活動があった、と考えたくなるのです。
 これまたこちらの思いとは別に、彼はそんなことを努力とも思っていないだろうけれど。そこは彼のいいところだ。

 そんな彼に、さらに重荷とばかりにくっついてくるのが、思いもかけず囚われの姫を演じた彼のガールフレンド・パンネロなのだけれど、そんな大役を免ぜられていきなりパーティー入りした彼女の「レベル」が、戦闘経験を積んできた他のメンバーと大差なかったところには、自分がいま進めている話とのギャップを感じます。
 だから彼女には、そこら辺の敵が落としたとかの理由で入手したに過ぎずマイナーさが漂う武器「メイス」を得物とする役が与えられ、それによって戦闘の出番はあまりなさそうな雰囲気をまとっていくのでした。
 きみ、それあげるから、その辺で振り回してて。怪我しないでね。てなもんです。


6/14(水)

 ナンパゲームの底力も知らず、『きゃんきゃんバニープルミエール2』のことを見くびっていたと、気づかされることになりました。
 神様の、それも7神+αもの力を借りているとはいえ、たった10日の間に6人の同時攻略が可能であるとは。

 限りある時間を細かく千切り、7箇所ある枠に収めていく。
 不確定要素その1、時間を枠に収めて初めて、その枠の種類が確定する。その2、枠に収まって初めて、時間の大きさが確定する。
 この二重の闇の中、首尾良く一つの枠の全てを時間で埋め尽くすことができれば、目標は他の枠を埋めることへと移る。
 一つだけ、底なしの枠がある。運悪くそれを選ぶと、投げ込まれた時間は無駄になる。
 底なしを引かないよう祈りながら、できるだけ多くの枠を時間で満たそう。
 注意、底なしの枠の大きさは、時間が経つにつれて広がっていくようだ。そのあげく、底のある枠の数が、埋めきってもいないのに減っていることまであるらしい。

 『きゃんきゃんバニープルミエール2』とはこういうゲーム。なんて意地の悪い、それだけに極めた解の美しいあり方か。攻略法を編み上げた皆さま、お疲れさまでございました。
 しかし、ゲームの正しさを考慮してもなお、女の子たちを弄ぶことに抵抗を覚えるとき、「全てのイベントが一人の女の子によるもの」、つまりヒロイン1人でイベント6倍だったら楽しめただろうか、とふと思いました。
 ……多分飽きるよな。でも、一人に思い入れるということは、その飽きを乗り越えられるということだ!(←何があった)


6/11(日)

 ずいぶんと慌ただしく過ごしたこの一週間でした。
 そういうときは「お陰様で忙しくさせていただいております」というものだと習った気もしますが、確かにそう考えることで、誰かから忙しくさせられている実感が湧いてくるようだ。良くない。
 あまりへりくだるのも考えものです。

 そんなささくれから正気をなくしたか、『ファイナルファンタジーXII』をほっぽって突然サターン版『きゃんきゃんバニープルミエール2』なんぞに猛ダッシュを見せる始末。
 それにしても、いろいろ慣れてきてさえ思う、なんて恥ずかしいタイトルだ。

 慣れると言えばこのグラフィック、サターンの実力はこんなものだっただろうか、昔のこととて記憶も曖昧ながら首を傾げたくなるけばけばしい色遣いでした。それでもやがて順応するのは能力が高まった証か。
 何より驚いたのは、画面選択システムがポインタをそのまま表示させるという、マウスそのままのスタイルであったこと。ターゲットを瞬時に操れるはずの方向キー+ボタンを使いこなさない様子が苦い。
 そしてこの、時間とマップとを組み合わせて正解を探す方式にはまったく賛同できません。流しプレイで楽しめればいいけれど、正解を意識しだした途端に苦痛になる。まったく罪なシステムを提示してくるものです。
 選択肢が絞られている読み物ゲームが、本当にありがたく感じられました。そう思えたんだから、少しは遊んだ報いがあったのかもしれないと考えようか。

 そんな中でもセーブ・ロードの速さだけは特筆もので、特にセーブは一瞬で終了、全く待たされないのにはこれまた驚きです。今度は吉と出て良かった。
 あの忌まわしい
『6インチまいだーりん』が出るのがこれの2年後というのが信じられない美点だ。いや待て、あのソフトの印象があまりに悪かったせいで、セーブ周りの仕様を覚えていないだけで、実際はいい仕事をしていたのかも知れない。
 坊主が憎いからって袈裟まで憎むのは公平な態度とは言えません。反省。

 キッドの下積み時代が偲ばれる、サターン18推時代の息吹を感じられる、このころ(1996年発売)のナンパゲームのあり方を学べる、と、勉強感覚で遊ぶにはちょうどいいタイトルでした。
 どんなヒロインよりも気合いのこもった描画ぶりでパッケージでも存在を大アピールしている女神・スワティには目を引かれますが、そんな彼女の口癖「きゃるーん」には心底参った。
 言葉遣いの程度がほぼ同じの彼女の妹分・サワディと比べ、どうせ子供っぽい口調なら見かけも子供の方がいい、と思い、その後直ちに、自分が引き返せぬほど遠くまでやってきてしまったことに思いを馳せるのでした。


6/5(月)

 しかしそれにしても、『ファイナルファンタジーXII』におけるヴァンの扱いはまことに同情に値する。
 何せ、主要メンバーのほとんどが、彼のことなど眼中にないのだから。

 一旦解散したものの諸般の事情でパーティーを再結成したバルフレアは、何やかんやと難癖をつけられ、このまま引き下がったのでは空賊としての名折れでもあり、またそう詰問されてみれば自身に責任があるような気がしないでもなく、といった理由から、「たとえ連れがヴァンでも」行動をともにしようとしています。
 連れのフランはよく分からない。でも、ヴァンが手に入れて離さない魔石を取り戻す(彼が持つことを正当とは微塵も思っちゃいない)ためか、もしくはバルフレアに信頼を置いて行動を任せているか。前者なら、彼女の興味はヴァンそのものには向かない。後者なら、ヴァンはもっと手ひどく、はっきり無視されていることになる。
 そして、新たなメンバーであるバッシュにしても、その信義に篤い性格から、「たとえヴァン相手でも」かつての己の行いをとがめて礼を尽くしている。
 こういった状況を唯一、当のヴァンだけが分かっていない。認められ、その境遇を当然のものとして振る舞っている。
 周りの誰もその誤りを口にしない。お節介焼きはここにはいない。それはただ自らの力で思い当たるしかない。
 物語進行上の謎解きに与えられるヒントの手厚さと比べて、なんと突き放されたヴァンの立場であることだろう。

 ゲームは、そんなヴァンの悲哀を浮き彫りにする場面を次々繰り出します。
 新たに訪れた街中で、似合いもしない先輩風を吹かそうとしたあげく、屈託なくバッシュにその名を呼びかけたとき、バッシュとバルフレアが示したのは、お荷物を見る目つきでした。
 そりゃ、彼が生きていく上で、言葉に気を遣う訓練なんて悪い手癖の習得よりはるかに後回しだっただろうけれども、威張ろうとした子供が名乗る直前に口ごもったのと何たる好対照か。負けてるぞ!
 あの子が凄いという可能性はあるが、その言い訳は今は認めない、まず気付け!

 こんな彼が、それでもゲームの外からの操作を直接受ける対象として居続けられるのは、まさに幸運以外の何ものでもないと感じます。
 だから、その運が尽き、初登場時にバルフレアが脅かしたように物語の主人公を奪われる事態が訪れた際にも、それなりの居場所を確保できるよう、ヴァンだけが行使できる能力の拡充に努めるべきなのか。
 あるいは、凡庸なごろつき的キャラへと彼を導き、力のなさに挫折を味わわせ、はい上がってくるのを期待すべきなのか。
 主人公のサポーター役たる自分には悩ましい選択です。
 ヴァンは自力ではい上がる器ではなさそうだからなあ。このまま天狗になってもらい、普通には逆立ちしたって超えられない超人たちの壁を一発屋的にでも破ることができたなら、彼はその思い出を一生抱えて幸せに生きて行けそうだ。その方がいいのではないだろうか?


6/3(土)

 バルフレアが賊の先達であるといっても、『ファイナルファンタジーXII』のシステムで言う能力としてはヴァンとそれほど大きな差はついていない。特に防具や魔法の使いこなしについては習得の気を回してはいなかったようで、ほぼ横一線のスタートと言える。
 そこからどのように差別化していくか。
 恐らく男女差もなく、下手を打てば数値のみを気にして全員同じ最強というような没個性主義に陥りそうなところ、うまく対処してあると思えるところがありました。

 それは命名の力。
 バルフレアには信頼関係にある同僚・フランがいます。彼らは二人組で行動を共にしている。そして、そのフランは異なる人種ということで、うさぎのような耳を生やしています。
 そんな彼女に、防御値は等しい「とんがり帽子」と「ブロンズヘルム」、どちらを身につけさせようか。前者を採用したくなるのが人情というものではないか。一方、男どもには後者でがっちり防御していただきたい。そんなイメージが働きます。
 それぞれを装備するためには異なる「ライセンス」が必要です。それらはさらに先の、より専門家向けの防具を装備するための布石となっていく。これはそういうシステムです。
 かくして、「とんがり帽子」から出発してフランは魔法使い寄りの仕様へ、「ブロンズヘルム」から進める彼らは戦士寄りの仕様へと一歩分化したという次第。
 こちらの意志だけで方向を決めさせるのではない、優柔不断をうち破るこういう手助けが、身に沁みて嬉しく感じられます。

 ところで、団体行動を取るようになったところ、ついにこのゲームの戦闘プロセスに前作らしさを感じることができ、こちらもハッピー。プレイヤーが操作するのは、敵の目を引き、群れから引き離して連れてくる、いわゆる釣り役だったのですね。
 戦闘に入ると他の味方は構えてその場から動かなくなる。それを利用して前へ出て敵をおびき寄せる。そののち引っ張ってきて1体にする、という具合に戦えばよかったんだ(←それまで苦戦していた様子)。
 狙いがはまってマップ上の大勢の敵を低ダメージで倒せたときの喜び、失敗して敵に気づかれたり死角(画面の裏とか)にも敵がいることに気づかなかったりで囲まれたときの冷や汗感、死角を作ってしまったことへの後悔。
 フィールドから連動するタイプの戦闘の楽しさは、確かにここにありました。
 これは幸せな『ファイナルファンタジーXI』だなあ。

 余談ですが、本作の前作が『ファイナルファンタジーX』であるという立場を取るのは、売上を語るとき以外は何かの冗談ですよね。
 と、『X』を遊んでいない分際で口にするのは、余談以上では許されない。


6/1(木)

 『ファイナルファンタジーXI』に似ているところをと振られて真っ先に思いつくのが、一体との戦いを別の敵に見つかって参加され、袋叩きに遭うさまであり、期待とは裏腹に狩られる立場がよく理解できる思いの『ファイナルファンタジーXII』ですが、そんな逆境の主役にまぶしく映る人物が登場しました。
 俺はこの物語の主人公。そう宣言する「空賊」バルフレアは、確かにヴァンが望むいろんなものを持っているようであり、しかし簡単に憧れと口にするのをためらわせるその雰囲気が、将来の行方に揺れる彼の悩みをより深くするのでした。
 生き延びるためにヴァンが採用すべき「ライセンス」強化は、さしあたりそのままバルフレアを追随することになってしまわないか。それはもしかしたら彼自身の望むところなのかも知れない。しかし、それを拒む自分がいます。彼にニッチな道を歩ませたいと望む自分が。
 これは親心、それもいけないタイプのそれなんだろうか。



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