ゲーム+α日記(2006年8月)

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8/30(水)

 『EVERY EXTEND EXTRA』から離れて手を伸ばすと、そこには『イリスのアトリエ グランファンタズム』がある。
 いや、そちらへ向けて手を伸ばし続けていると、正直に訂正します。

 事前の予想とは裏腹に、『グランファンタズム』はキャラ語りのしにくいゲームです。女の子はたくさん出てきますが、このゲームでは会話はメインではありません。
 主人公と常に行動を共にしている(住まいまで!)子も2人いますが、向かい合う場面はほとんどなく、大半は向きを同じくする。その先には敵が。
 共通の目的に向けて手を組む同士といった趣が、この三人組にはあります。

 そんな中でも面白みはもちろんあります。
 途中からパーティーに加わったネルという子は非常に元気がよくて、見ていて楽しい。女性メンバーのもう一人、ヒロインのイリスが、主役ゆえか、良い子を割り当てられているのと好対照です。その楽しさがイベントではなく戦闘に現れているのが面白いところです。
 冒険していくうちに、精霊「マナ」にいくつも出会い、どれか一つを選んで加護を受けることができます。一撃が強かったり補助魔法が使えたりと、戦闘能力を上げてくれるありがたいもの。
 ところが、ネルの場合、選んだマナによって性格まで変わるのです。戦闘時にモンスターを召喚できるマナだと、助けを借りるくらいだからなよなよとした性格に。一方、即死攻撃や、敵から金を吐き出させる「ゆすり」攻撃ができるマナの下では荒んだ面を見せる。
 ただ「明るく元気」なだけでは分からない、ネルの開けたサービス精神が垣間見えるシーンです。一方、どんな姿に変身しても「ぶっきらぼう」を崩さないのが男主人公・エッジ。
 えらい違いだ。どちらも、システムがうまく使われていると感じます。

 とは言っても、他のキャラがかすむ個性を見せつけるのが、お使い冒険「クエスト」の案内役の一人であるフェニル。
 黙っていれば群を抜くかわいらしさ、金髪ツインテールに制服姿。そこへ、「誰彼かまわず過剰なほどにとげとげしさを振りまき、それによって一部から人気を得るちびっこ」という因果な役割をかぶせられています。
 もし彼女の性格が変化しないものであるならば、行く末が思いやられるこの12歳には永遠の時間を生きていてもらいたいと思いましたが、それはさておき。

 これが、受付嬢という職業柄、仕事内容の確認に報告にと、主人公たちとは何十回と顔を合わせることになる。その都度、ガミガミとわめき散らす場面に出くわすことになります。
 それが、彼女の振る仕事をひたすらこなしていくうちにいつしか、体調は気遣うわお茶は淹れるわ、たまに怒鳴ったかと思えば「あんたにとっちゃ簡単な依頼に時間かかり過ぎ」などと好評を織り込んでくるわ、挙げ句の果てには仕事でなくても顔を見せろと来たもんだ。
 そりゃ、もう一人の受付嬢であるおっとり型・アナにからかわれるのも無理はありません。当事者たちが去ってしばらくしてから、その変化の一部始終をアナに観察されてたかと思い返し、一人で逆上するフェニルがいるのも、ほぼ約束された事実に違いないのです。
 これが流行の力というものか。恐ろしい威力だ。


8/26(土)

 『EVERY EXTEND EXTRA』を本体と一緒に買って、しばらく遊んでいました。

 このゲームに触れるのはこのPSP版が初めてなので、これに所収の「オリジナル版」をオリジナルとして考えたところ、元のゲームはジャンル的に2通りに解釈できるように思えました。
 自爆で敵をできるだけ多く倒して点を稼ぐ2Dゲームか、照準が当たり判定を持っている3Dシューティングか。

 PSP版の「アーケードモード」には、「溜め撃ち」と「爆発地点と自機位置の分離」という機能が追加されていて、これには感心させられました。
 ボタン1発押した途端に爆発していたのが、「ボタンを離したときに爆発する」ように変更されています。押し続けてから離すことで爆風の範囲が広がり、より多くの敵を倒せる仕組み。
 そして、爆発地点をある一点に固定しておき、自機がそこから逃げることによって、敵の密集地帯に自ら飛び込む以外にも、敵が爆発地点の方に寄ってくるのを待つという戦法も使えるようになっています。
 ところが、せっかく爆弾を切り離し、爆発からも敵からも逃げ出して安全を確保できたはずなのに、その爆弾が破裂すると、自機は死んでしまうのです。

 そうか、いろいろ操作していたあれは、やはり照準ではなく自機だったのだな。そしてこのゲームは、爆発とともに自らも死ぬことを運命づけられた、自爆ゲームだったのだな。
 PSP版のルール上の変更は、2D特性の強化に向けたものだったと思います。
 そして、各ステージを華やかに彩る背景の動きかたに思いを致したとき、その3Dぶりは実は、もう一つの可能性が演出方面へ進出した結果だったのではないか、とも想像するのです。

 ほかにも、シューティングの戦術の一つとしてたまに採用される自爆が、たとえそのメリットをゲーム側から明示されたとしても好きになれないのは、敵も動き自機も動く二重のタイミング合わせが腹立たしく感じるからか、とか、どうも本屋やCD屋で大きく見かける手書き風の宣伝表記が気に食わないのは情感込めた雰囲気と印刷大量生産の不整合性からか、とか、気づくことがたくさんあって刺激的です。
 これでもう少し起動が素早ければ、もっと気軽に遊ぶのだが。電源を入れてからゲームが始まるまでのあの時間を思うと、他のゲームに手が伸びます。


8/19(土)

 物語だけを追いたいならゲームじゃなくて小説を読めばいいとは読み終えた後からの発想に過ぎず、最初からそのつもりでタイトルを吟味したわけではありませんでした。だから、起伏やら筋道やらの盛り上がりとは縁遠いままであるとしても仕方がありません。
 『ノルウェイの森』(村上春樹、講談社文庫)を読んで、死者の声に浸りきりになっていました。まったくどいつもこいつも。やりきれないことです。
 出会った人たちとできる限り真摯に付き合おうとして、果たされずその都度振られていく主人公の様子が、たまらなくやるせなく感じられました。
 下巻の裏表紙の「あらゆる物事と自分との間にしかるべき距離を置く」という主人公の規定が信じられません。こんなにも多くの人とやりとりしているじゃないか。
 「しかるべき」=「それぞれに適切な」と読んで「ある人とはゼロ近くまで接近し、他の人とはそれなりに」と解釈すべきか? でもそれは何も言っていないのと同じだ。
 あるいは、ここに出てくるような数人との会話は、一般的には少ないものなのだと、そう主張したいのだろうか。だったら、そんなこと知らんがな、で済ませよう。
 ……本編に触れると陰鬱でしょうがないので、話を逸らしています。そうせずにはいられません。

 沈む気分を振り払うように、『イリスのアトリエ グランファンタズム』を遊んでいます。
 新規調合のもう一つの特徴が、「既存のレシピの一部を、別の材料に取り替えてみる」というもの。これもかなりツボを突いた合成の手法だと感じ入っています。
 試行錯誤にふと挟み込まれる遊び心。投入した材料は製品完成と引き替えに失われる。未知の組み合わせでは、できるものは明示されません。ただし、今まで作ったものと異なるアイテムができる場合はそのことが明らかにされ、リスクをしょった出来心の背中を押してくれます。
 この点は楽しさ優先の良い妥協だと思います。何ができるか分からないのだから、それがこれまでと同じかどうかも分かるはずがない。かといって、目隠しで毎回同じものを作らされる闇鍋ごっこは作業の辛さが先に立つでしょう。
 調合に失敗することがない(のちのち出てくるのかな?)のと合わせて、作る楽しさがより強調されるように仕組まれていると思います。
 気がつけば延々遊び続け。憂さ晴らしの道具には留まらない楽しさです。


8/12(土)

 受け身で物語に流される気分を味わいたくなり、読み物ゲームを立ち上げてみたのですが、どうも直前まで接していたゲームと方向性が違いすぎて受け入れ態勢が整っていないのか、あまり読む気分が高まっていかなかったので、スタートほどなく中止しました。
 徐々に慣らしていけばいいのかな? この女の子たちの奔流に。と、つまりそういうゲームだったのですが。
 そこで、システム主体ながらもビジュアル面でのサービスも抜かりなく図ってあるゲームをと思い、
『イリスのアトリエ グランファンタズム』を始めてみました。
 パッケージ裏の登場人物たち、男女比1:5のこの豪華さはどうだ。この潤いが欲しかった!(←何があった)

 しかしながら、ゲームを始めて瞠目すべきところはほかにあったのでした。
 斜め見下ろしのマップは色遣いに幅がない。その中を、がくついたパターンでキャラたちが駆けずり回る。
 また、神秘的な本が冒頭に出てくるのだけれど、それがびっくりするほど角張っている。ポリゴンをがんばって使っています、という懐かしの風味。
 そこへ、こちらは妙に力の入った光のきらめきや霧の表現がかぶさる。
 いやこれは、実に解像度の高いスーパーファミコンぶりであることだなあ。

 と、そんなのは見て1分で分かること、それを良しとして発売してきたのだから、このゲームがグラフィック主体ではないと主張しているのは明らかで、実際遊んでいくうちにそれほど気にしなくなっていきました。むしろ、グラフィックがさっぱりしているおかげかどうかは分かりませんが、マップ切り替えの素早さに喜んでいる自分がいます。
 イベントではマップの大ざっぱさから一変、件のキャラたちが大きな止め絵で登場して会話を交わしてくれます。待ってました。
 もっとも、止め絵か大胆なデフォルメか、どちらかでなければ彼女たちが困るところだった。少しでもアングルが変えられたら、あの薄着ぶりでは確実にいろいろ見えてしまうに違いありません。

 あと、ついでで書くべきところではありませんが、ゲーム内容も面白いので良かった。アイテムを「調合」によって作り出していくのがこのゲームのポイントになっていますが、既存の知識体系がないというのが前提のこの世界の中で、どのように新しくアイテムを作れるようになっていくか、という部分の設定が興味深いものでした。
 錬金術師の主人公イリスは、折に触れて調合のアイディアを思いつきます。ただしアイディアはそれだけでは形になりません。考えの塊みたいなものを頭の中に四六時中抱えながら、いろんなところを見聞して歩くうち、あるものをきっかけにして、アイディアが具体化するのです。
 ひらめきを「ひらめき」というそのものズバリのシステムではなく、アイディア+きっかけという二段階に分けているところが面白いと思いました。
 思いつきを寝かせておくと、何かの拍子に形が与えられる。思いつくこと、それを忘れずに考え続けることが重要。調合実験はその確認であり検証。これはかなり的を射た開発過程の表現だと思えます。


8/9(水)

 『リズム天国』ひとまず通しプレイでクリア。
 テーマの異なる数分間のリズムゲームを一つの単位として計48種、それぞれリズムを刻むのは共通ながら、各々を違うゲームにしている味付けのセンスに酔い、曲や声の資源(歌いまくりしゃべりまくり)の潤沢さに驚き、各ゲームの要素をばらばらにしてつなぎ合わせる「リミックス」ゲームの見事なつながりぶりに感嘆し、いくつものルールを寄せ集めてその都度対応しなければならない分だけ単品より難しいこの「リミックス」ゲームが、難易度の一里塚風に配置してある妙に感心し、と多方面に気を回しながら楽しみました。
 次の目標は、通しでリズムを一度も外さないプレイなのでしょう。でも、おそらくこのゲームの最終目標はさらにその先にあります。

 ゴールがなく、ただ楽器だけが用意されているモードがあるのです。十字キーとボタンでドラムセットその他の楽器を操り、BGMに合わせて好きなように叩き、それが曲と合っていることを確かめて一人悦にいる、いわばゲームとのセッションを楽しめるようになることが、このゲームの究極的なゴールとなるに違いありません。
 その境地に達すればもう出口はなく、エンドレスのリズム三昧に明け暮れる、という次第。
 ゲームの過程で鍛えた打楽器の感覚を携えて、ゲームボーイアドバンスを楽器と見なせる勇者はどれだけいるものだろうか。達成のご褒美を求めてしまう自分には、そこははるか遠い彼岸であると思えます。


8/6(日)

 さてこれはどうしたものかなと、『戦国BASARA2』を遊びながら思いました。
 前作を遊んだときにどこを面白がっていたのかを明らかにできて良かった、それはそれとして、今のこの気持ちをどうしたものか。

 どうやら、「BASARA」という言葉に、「名の知れた武将たちの、見たこともない暴れっぷり」を見出したものと、自分は捉えていたようです。1作目はその観点で十分に満足できました。
 でも、そのような考え方ならば、続編なんて出ようはずもなかった。キャラ総取っ替えでもない限り、いかに派手な立ち居振る舞いでも、それらは「見たことのある暴れっぷり」に変わっているのだから。
 そういうあり得ないはずの続編に接した時点で、自分の好みを把握できていなかった罰は甘んじて受けるべきなのです。

 他にも、「ストーリー」モードにおける、ストーリーの取って付けたぶりにも仰天。
 徹底したBASARA観に則っていて……といってみれば格好も付くけれど、その実は厚みのない各キャラの設定を再利用・配置しただけというもの。
 遊ぶ側はともかく、このあらすじを真面目に朗読させられたスタッフが気の毒です。

 操っていてつまらないわけではない、というより、『エスプガルーダ』ばりのアイテム乱舞&自動回収エフェクトは見ていて楽しいし、目新しくないとぼやきつつも2頭の馬を乗りこなす武田信玄の登場シーンには不覚にも笑ってしまったので、あるいは気の持ちよう一つで急に面白く遊べたりするのかも知れない。
 試しに前作を立ち上げて比べてみれば、見栄えは今作の方がどうしたって優れている。
 このノリについていけないなら、無理には進めず、少し時間を置いてみようか。

 ということで、今のノリを別のゲームに求め、『リズム天国』に取り組んでみたところ、いきなりすごいものに出くわしました。
 もはや音ですらない、「リズム」に特化したことを前面に出しているタイミングゲームであるところの『リズム天国』は、その初めにこのゲームが扱う「リズム」を定義します。この丁寧かつ視覚に訴えるセンスの良さは感心すべきところですが、そこに意識を割く十分な間もなく、本作はその次に、このリズムがどれだけ要であるかを知らしめる例を出してきました。
 これにやられた。

 もし自分が卓越した判断力の持ち主であったなら、この例の狙いにうまく乗せられることはなく、その後のプレイへの情熱も抑えめになっていたことだろう。
 これを初見で味わうほとんどのプレイヤーには対応不可能、そう見極めたからこそ採用されたのではあろうけれども、みごと狙いに引っかかってリズムの重要さを信じたこともさりながら、そういうリスクをゲームの枕に持ってくる度胸に大いに魅せられました。
 己の能力の低さに感謝し、またゲームの心意気に応え、当分は律動マシーンとなっていきたい。


8/1(火)

 ク、クリアできたー。
 
『ファイナルファンタジーXII』でエンディングを迎えられたこの日の自分を、心から祝福したいと思います。

 最終決戦の場に乗り込むに先駆け、力不足による勝算の低さを思い、賞金首退治ほかいろいろのために世界中を巡って、お金もアイテムも調えて、ついでにレベルも上がったらいいなと、いろんな目算を立てて漫遊していました。
 ここで、早急にクリアだけを目指すならば、そのへんの敵と戦ってレベル上げに専念すればいいのですが、どうにもその気にならない。レベルとは上げるものではなく上がるもの、そのようなイメージを頑張って当てはめようとしているようです。
 そんな期待に応えてくれるのがこのゲームの丁寧なところで、しかしその丁寧さには、遊ぶほどに寒気を覚えます。自分が見たのが、「美しいグラフィックで」「大ボリュームで」「遊びごたえのある戦闘システムで」「基幹の話以外に寄り道できるように」「やり込みにも対応するように」「世界設定を緻密に」など、他にもたくさんある希望に全て対応しようとした結果の、ほんの一端でしかないことが、嫌でも分かってくるからです。

 はっきり自覚できる食い散らかしぶりの中でも、以前に立ち向かって全く歯が立たなかった吹雪に潜む巨竜「ファーヴニル」を、まるで異なる戦い方の末に打ち破ることができ、大事をなした達成感に背中を押された気分になりました。
 レベルもいくつか上がった。やり残したことはいくつもあるけれど、目の前の課題を前に、それはもう心残りにはならない。
 行こう。

 ちなみに、巨竜との戦いでは弱点となる魔法を多用しましたが、それを教えられたのは、このゲームでもしやり残したら心残りになる筆頭となったであろう、大まかな命令に沿ってキャラが立ち回ってくれるシステム「ガンビット」によってでした。
 弱点を持っている敵に、その弱点となる魔法を叩き込むよう、弱点となりうる属性ごとに命令を振っておくと、該当する状況になったら率先して実行してくれるという便利システム。
 本来はもっと広く、戦闘全般に適用させるためのもので、究極的には操作は場所移動だけ、戦闘に入っても特別な入力はせず、命令がうまく機能しているかを見守る、そんなプレイスタイルになりうるとのこと。
 ほぼ毎回手入力派の自分はこれを、「いちいち確認しなくても、あるいは隠されているときでさえ、自動的に弱点に対応する魔法を詠唱してくれる」という補助に限定してしか使いません(使えません)でしたが、一度も使わなかったらどうしようと不安だったので、終盤にこの有難味、正確にはこれを使うことによる魔法の撃墜力のすさまじい強さ、これに気づけてほっとしました。
 使いこなしたとは到底言えない中で、今回だけはガンビットを組んで20分弱放置し、おまかせパーティー作りに頭を悩ませた気分を味わえた次第。といっても(以下ネタバレ)「仲間にサンダガ」をセットして、敵から離れて全員「ルビーの指輪」を装備(=魔法を反射して敵に向ける)させて突っ立たせていただけですが。
 あのときだけは、全く別のゲームを垣間見た気がしました。

 ある種のカードの組み合わせをガンビットという。人はカードを操って、自発的に行動できるようになるし、弱点感知みたいな特殊な勘も身に付ける、という設定。
 互いに、ときには自ら命令の順序を組み立て、意識か無意識か、とにかく何かのスイッチを入れて、それに行動の一部を委ねる。そんな感じか。
 世界と整合を取るには、相当に突っ込んで考える必要がありそうです。使いこなしていないのだし、深入りはやめておこう。

 というくらいに底知れず大きなこのゲーム、繰り返しますがクリアできて心底嬉しかった。奇跡と呼びたいくらいです。
 最後の戦いに臨んで、物語の主人公がバルフレアなら戦いの主役は俺たちだとばかり、ヴァンは本当によく頑張りました。
 彼が振るう短剣の威力は、王女のためにと両手剣(その名も「セーブザクイーン」!)を操るバッシュには遠く及ばないけれど、本職、それもとびきりの専門家と比べるのがどうかしているというもの。その代わり、器用に盾を操り、いろんな補助魔法でバッシュを助けることができる。そして、後方で支援&強力攻撃魔法を担当したのはパンネロ。

 物語的主役たちと戦闘的主役たち、6人組がこれほどきれいに分かれ、意図せずして後者をラストバトルに引き合わせるとは、自分の運も悪くないとしみじみ思いました。
 全員のレベルを等しく上げるために、1レベルの差がついた段階でパーティーが入れ替わる不文律の中で、たまたまレベルの低かったヴァンたちが前線に出ていたこと、また遡って、戦闘における役割分担からパーティーの構成がこのように固定されていったこと。
 ゲーム進行に伴って、時間をかけて決まっていった外側からの秩序が、物語内の役割とうまいこと調和を決め、最後の舞台を彩ってくれたのです。
 これに感動しなくてどうしましょう。
 それなりに苦戦した末の勝利。戦闘組レベル47、物語組レベル48で、戦いは幕を閉じました。

 長かった旅の後で振り返ると、まったくの一平民がその立場の中でどのくらい活躍できるか、大きな世界情勢の揺らぎの中でどれだけ幸せを勝ち取れるか、ヴァンにとってはそういう物語だったと感じます。
 もちろん、その意味において、彼は申し分なく主人公でした。
 そして、考えられる結末の中でも相当にいい線を、彼は手にしたのではないでしょうか。彼に世界の王とか神とか、誰も期待しない。
 そのように納得しているあたりが、図鑑要素を山ほど置きざりにしながら、もうこのゲームに心残りがないと感じる理由でもあるのだと思います。



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