ゲーム+α日記(2006年10月)

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10/30(月)

 『だんじょん商店会』の主人公は、どんなチームとパーティーを組むにしても必ずついていく主人公色の強い主人公です。そのため、連れ立っていくメンバーを変えていると、常に経験値を稼いでいる主人公のレベルが突出して高くなっていきます。
 十分に強い主人公がひ弱なグループに豪華装備を着せ、無理矢理下層に連れて行って強敵と戦わせて早くレベルを上げる、いわゆるパワーレベリングにいそしんでいると、何の前触れもなくぽろりと「伝説の剣」を発見。
 おおこれでサブタイトルが実践できる。同じ回の冒険で大きな看板も見つけたので、店に戻ってさっそく一緒に飾りました。看板には当然「伝説の剣はじめました」と書いてあるに違いない。
 看板まで自足するのかこの世界は。

 ところで、勇者たちのエンディングを見たのに続いての出来事だから、本来は勇者グループエピローグに続いてもう一本、立て続けに取られていたと申告するべきではありました。
 ただ、こちらはうまく内容を把握できず混乱してしまい、どのように一太刀浴びせられたのか分からなかった。時間がかかってようやく、何となくでも感じられてきたように思います。
 打撃を食らったことを意識できるまでのスパンが、自分の感受力では長い、そんな演出。
 エピローグのさらにその先の話であり、ネタバレというよりも妄想の度が強いため、ここから先は反転表示にします。

 エピローグ終了とともにマナが現れ、「主人公の物語」の終了を告げます。
 この段階でもう混乱は始まっていました。なぜ、ゲーム本編の登場人物の一人がこのような場に姿を見せるのか。もうゲームが終わっているというなら、そこから出てくることはできないはずではないか。場違いだ。
 さらに、最初からやり直すかこのまま続けるか、システムの肩代わりのようなことまで言い出す始末。これは何ごとか。
 彼女の言葉に耳を傾けられるようになるまで、しばらく時間が必要でした。

 「主人公の物語」を続けることを選ぶと、マナは了承し、「最後」のシナリオで起きたことをなかったことにしようと言い出します。それは「わたしと、主人公のあいだだけのナイショ」だというのです。
 ここから、マナが話しかけているのが主人公であることが分かります。
 少なくとも主人公がそこにいるのだから、ゲームは終わってはいません。主人公はゲームの主役だから主人公と呼ばれるのです。

 エピローグまでに起こったあらゆることを、マナは「主人公の物語」として歌っています。
 だから、主人公は、マナの「主人公の物語」を聞いていることになります。
 それらはすべて起こった後なのだから、これを聞いている主人公も、本編のいろいろがあった後の主人公です。
 「主人公の物語」を続ける、とは、マナが「最後」のシナリオをなかったことにして、歌い続ける(それを主人公が聞き続ける)ことです。
 マナは、物語の内部と外部とをつなぐ唯一の語り部として扱われています。マナがそのように歌えば、主人公以外の聞き手はそれを疑えません。ただ、歌い手のマナと、主人公だけがその事情を知っています。
 「続ける」を選んだ直後、主人公は直前の、なかったことになっているはずのことを口に出します。それを、パートナーの猫は即座に否定します。このゲームでは主人公はしゃべらないため、そのとき主人公がどう思ったかは描かれませんが、きっと「ああ、そういえばそうだった」と納得して会話を終えたことでしょう。

 一方、エピローグ後に「初めから」を選ぶと、説明書で「アイテムを引き継いで新しくゲームをはじめてもいい」とシステムの立場で表記されている内容が、物語の肉付けを得て語られます。
 それが、マナがゲーム内で、ゲームの展開を予言するような歌を歌うシーンにつながります。マナは、主人公と会う以前に、よく似た魔女の物語を歌っていたことがあるからです。
 すべての場面を本人に聞かせているのは、マナが他人に向かって歌う前のリハーサル、もしくは内容確認のようなものなのでしょう。

 約束ごとの霧を透かして、このゲームはどれだけのものを見ようとしているのかと、改めて思います。


10/28(土)

 「(特定のキャラと)親しくなれば、様々な物語が展開する」と説明書に書かれているのはその通りだけれど、どうやってこの『だんじょん商店会』は終わりを迎えるのか。
 「様々な物語」は小さく始まって終わるので、ゲーム全体が終わるためには何か別の方針があるのではないかと思い、同じパーティー構成で繰り返し冒険に出かけたり、店にもダンジョンにも寄らずに街の中を巡回してみたりといろいろやってみましたが、結局ほかのシナリオが始まるのと同じように、最後のシナリオも始まったのでした。
 「最後」がその他のシナリオと同一に扱われているのが奇妙に思いもしましたが、終わらせてみればそれは妥当だったのです。ま、しかしそれはまた後の話にしよう。

 初クリアに臨まんとする小さな魔女の心を射止めたのは勇者の一行であり、アスカたちとともにこの最終シナリオを行動しました。
 その結末は、ゲーム開始当初から明らかにされていた目的の分かりやすさがシナリオ自体の短さを補っていてきれいなものであり、同時に、最初は自分だって抱いていたはずの違和感をもう持っていなかったことを改めて知らされもするものでした。
 偉業に先駆けて「勇者」というものがあるとしたら、その存在はなにを意味するのか。彼女の通ってきた道を知る前と知った今とでは、勇者の定義が異なっているはずです。
 エピローグの内容にショックを受けたのだから、このエンディングのような答えはもちろん、違和感の形でさえクリア時点では意識しなくなっていたということで、常識とか慣れとかで見えなくされているものを浮かび上がらせるこのゲームには一本取られっぱなしです。
 そしてこれからも、何本取られるのだろう? まだ大団円の群れは登場したばかりです。


10/24(火)

 勇者たるものダンジョンを目にすれば血が騒ぐというものであり、ましてや最深部には倒す使命があるところの魔王がいるのだと聞けばなおさらのこと。
 たまには商売の気分転換にと、気のはやるアスカたちにくっついて冒険に出る『だんじょん商店会』プレイの一コマです。
 希望がお店暮らしであってみれば、日々目的を達成していると言える主人公達ですが(プレイヤーには「アイテム集め」という目的が与えられているけれど、それはまた別もの)、勇者ご一行にしてみれば魔王討伐こそが到達点、そして倒すべき敵の情報は初めからこの街の噂として得られる。
 他のキャラの話がどう転ぶか未知なのに対して、この「勇者グループ」と冒険との結びつきはより率直で、ダンジョンの奥へと進むには自然と彼女らと組むことが多くなってきました。
 今となっては主人公をしのぐ強さのメンバーたち。まあ、一介の魔女っ子に負けているようでは勇者の面目が立ちません。

 それまで足を踏み入れたことのなかった奥地へも、挑んでみれば意外にすんなり進める。マップ上に見える敵シンボルをできるだけ避けて、行けるうちにと歩を早めます。
 何しろこのゲームの戦闘は意地が悪い。格下相手でも確率の掛け合わせで一撃が数倍に重くなるし、強い武器だといい気になって振り回していたらたまに自身に当たるひどいものだったりするし、敵を攻撃したはずがいつの間にか味方に当てさせる幻を操る敵もいます。
 さらに、命より大事なアイテムにも、ごくたまに甚大な被害が。盗んで逃走するわ、食べ物を腐らせるわ、魔法でクズアイテムに変えられるわとやりたい放題です。
 作業にならなくて良いと言うべきなのか。戦いを避けられる有力手段である交渉、これを戦略に入れたくなるのは確かです。

 しかし、まずいとさえ思わないうちに不利になっていることもあります。
 初めて見る姿を甘く見て、袋叩きの総攻撃を仕掛けたところ、やけに堅い。思うようにダメージが与えられません。そうこうするうちに、驚愕のメッセージが。
 敵が堅すぎるので武器が壊れた、というのです。勇者愛用の武器がぽっきりと。
 呆然としている間に全体攻撃を繰り出され、逃げるのにも続けて失敗し、なんと全滅。ほんと油断は禁物、しかし知らなければ避けようもなく、次回からガーゴイルには気をつけようと肝に銘じました。

 神の慈悲(の名の下に、所持金半額没収)のおかげで復活し、しばらくおとなしくしていようとお店を開くと、飛び込んできたのはさっき同じくひどい目に遭ったばかりのアスカ嬢。
 「武器下さい!」と言い募るその容姿は……最前までとはまた異なり、長髪をむりやり留めた兜(?)も凛々しい、満面の笑顔。
 あんた勇者だよ! へこたれないその姿勢には、賞賛の気持ちを込めて、手持ちの最強武器の価格を大いに勉強(半額)させてもらわなければ気が済みませんでした。

 この流れが作り出されるのだから、大したゲームです。
 それにしても、変身するのはアスカばかりだ。他が変わらないだけに、違うグラフィックが見られることの嬉しさがしみじみ効いてくる。
 このまま彼女の話の行く末を見守りたい気持ちでいっぱいです。


10/21(土)

 あれっ、身なりが変化している?
 店を離れて外出中、現在の『だんじょん商店会』プレイにおける一番のお得意さまであるところの「勇者のタマゴ」アスカに公園で出会いましたが、そのときの彼女の姿に驚きを隠せませんでした。
 出会った頃からずっと身軽さ優先の軽装備で、手に生傷の絶えない修行の身であったはずのアスカが、いつの間にか立派な肩当てを備えた鎧に身を包んでいたからです。
 そして、戦い慣れした様子と裏腹に言動が相変わらずなので二度驚きました。
 この子の特徴は何よりも勇者であることをいつでも全うしている一本気さにあって、つまり目的である魔王討伐に全身全霊を込めるあまり人の話を全く聞いちゃいないのですが、外見の変化と中身の変わらなさとのギャップがおかしくて、でもきっと、こんなふうに何段階かの変化を経ながらこの子も真の勇者様に近づいていくのだと、妙な感慨を覚えたりもしました。

 それにしてもこの変化は何によってもたらされたのだろうか。
 従者達の格好は変わっていなかったように思えます。身につけているものが違うのだから、当商店で適切な強さの武具を買い求めて使ってくれた証という可能性がシンプルに思い浮かびます。
 もしそうであるなら、店主として何と嬉しいことか。

 実のところこのゲームは、「自身の金儲け」「モンスター討伐によるレベルアップ」を追い求めるだけなら、頑張って商売に励まなくても良いのです。
 自らダンジョンに潜って宝物を集めさえすれば、投げ売りでも捨て値でも所持金は増える。「元手がかからないのだから、何もしないのに比べれば絶対に黒字、だから得している」理論です。
 それで進めてしまえても良いものか。それはプレイヤーの方針であり、それをこのゲームは許容しているのだから、良いに決まっている。ただ、そう分かってはいながらも、少しばかり引っかかっていたのも事実でした。
 しかし、もし商売への見返りが見た目の変化という形で現れてくるのなら、このシステムをもっと利用したくなる。足りないものを補完しあえる関係にあることを、たとえばアスカの勇者としての夢を叶える一助になれていることを、実感しながらゲームを進められる。
 それはとても楽しいことだと思います。
 さあ張り切って商売しよう。他の顧客はどのような変身を見せてくれるだろうか?


10/16(月)

 『だんじょん商店会』では主人公が持てるアイテムの数が20個に制限されている。
 これが、一概に便利さを妨げるだけにはなっておらず、むしろゲームの他のシステムに連動して面白さを引き起こすのが楽しいところです。
 持てるアイテムをやりくりしたりお金に換えたりするために、ときには敵とも進んで交渉に入る。クズアイテムが良品に替わることもあれば、その逆に文字通り化けることもあります。
 納得して取り引きを終えた後で持ち物欄を見て初めて騙されたことに気づく、なんてことまであって、しばらく理解が行かなかったものの、ややあって天啓とともにうめきを上げたものでした。やられた、このタヌキめ!
 敵の種族によって対応が違っているこの交渉という要素は「女神転生」シリーズを少しだけ思い起こさせますが(少しなのは自分のプレイ経験)、あれはあまり楽しめなかった。今遊べば適応できるのか、あるいは違いがあるのだろうか。今後の課題です。

 アイテム制限がしゃかりきにプレイヤーを締め付けてくるばかりでないのは、冒険仲間に手持ちの武具を「貸し出せる」ところにも窺えます。
 仲間はそれまでの装備品と引き替えにレンタル品を身につけますが、手放したとてそれらは彼らの持ち物であり、主人公が管理することはできません。
 これには、身ぐるみ剥いで売っ払う山賊プレイを禁じる面もありますが、外したアイテムは持ち主が持っていてくれるので、貸し出すことで主人公の手持ちのアイテムが減り、その結果持てる枠が増えるというメリットもあるのです。
 冒険が終われば貸与の品々は返ってくるので安心。多く貸し出していると反動で一時的に持ち数制限を越えますが、その場で処分を迫るほどこのゲームは狭量ではありません。いくつでも預けられる四次元ポケット「魔女の大鍋」に放り込んでおけばOKです。
 戦闘に臨むには心許ない低レベルの仲間達を高性能装備で補強しつつアイテム探しに力を注げる、よく考えられた仕組みにまた一つ感心しました。

 ところで、このゲームには何人もの冒険仲間がいて、彼らは徒党を組んで行動しています。
 その中の「魔法使いグループ」、これには手を焼かせられる毎日です。
 日常生活全般に自信なさげなシスター・チェルシーと、その幼なじみにして魔法使い見習い・ウィルのコンビからなるこのグループ、他がたいてい3人組なのに一人足りないこともあって、戦闘でもなかなか思うような活躍が果たせません。
 何とか良い装備を揃えてもらおうにも、慎み深いのか店の雰囲気の問題なのか、入ってきてすらくれないありさま。
 初めてチェルシーが訪れてくれたときには大喜びで、求めの品を即座に原価供給、またもや彼女を恐縮させてしまいました。

 いつもくよくよしがちなそんな彼女に心機一転してもらおうと、ちょっぴり画策。いつものように迷宮入りした途端に、用意の衣裳を取り出しました。
 さあこれで新しい一面を、とばかりの組み合わせは「魔女のホウキ」「ミニスカート」「猫の耳」の3点セット。
 これだけイメチェンすれば、もう後には引けません。それに、こんななりでも彼女の初期装備よりだいぶ強いのです。
 念のため、これらはあくまでレンタルであり、気に入ったら買ってもらう販促活動の一環です。きっと目論見は成るでしょう。彼女でなくても、同行のウィルによって。
 それでもって、力不足の彼らを鍛えるべく、ダンジョンにこもって長丁場の修行です。途中に休憩所があるので、疲れたらそこで休みながら。
 すなわち、まあその、後は若い二人に任せてというやつであり、いやー彼も大変です。

 と、そんな具合に、私もあの二人には目をかけています。そういうかけ方でいいのかはともかく。
 良いものを読ませていただきました、ありがとうございます。


10/15(日)

 売りたい品々を窓際の「目玉商品」スポットに陳列していざ開店、顔見知りの彼やら彼女やらが次々店の外を通りかかってはウインドウショッピングしていくのを店内から観察しながら、買いに入って来いと念じ、首尾良く売れたら同じものを仕入れ、目当ての人が買ってくれるまで頑張ろう……と商売に明け暮れていたため、ちっともイベントの起こらない『だんじょん商店会』プレイとなっていました。
 どうもたまにはゆっくり「寝る」のが大事だったらしい。冒険から帰ってきたときには否応なく疲れ切って寝てしまうのだけれど、そうではなくて、休養すると決めた上で自ら「寝に行く」態度が必要だったようだ。
 それによって初めて、できた気持ちのゆとりを生かして「魔女の占い」が発生し、新しいシナリオが始まっていきます。
 この経緯に関しては、「占い」が自発的に選べるとも取れるように記されていたマニュアルとゲームが、少し食い違っていると感じました。もしかしたら、ゲーム完成間近まで揺れていたシステムだったのかも知れません。

 だから、本当の気まぐれで「寝る」ことにしてみて突然始まった「占い」にはびっくりしたし、その直前にデータをセーブしていなかったのもあながちプレイヤーの怠慢とばかりは言えなかった。
 そうとも思わないと、この短いシナリオを不完全燃焼で終わらせてしまった悔しさから抜け出せません。
 魔女である主人公の設定に関わる、小さいながら重要なこのシナリオをうまいこと進められたなら、その先には何があったのか。

 失敗と認め、直前ではなく少し前に遡るけれど、戻ってやり直そうとしました。しかし、そのセーブデータから何度再開しても、望みのシナリオは現れません。シナリオの発生順は完全な決定事項でも、完全なランダムでもないらしい。
 ここで迷いました。今しがた見てきた不完全プレイのシナリオを「なかったことにして」、別のシナリオへゲームを進めるか、現状を受け入れてプレイを続けるか。
 前者であれば、そのうち当該シナリオがひょっこりまた現れることもあると期待されます。そのときこそ、油断なく十全に任務を遂げることができるでしょう。一方後者では、同じシナリオが再び姿を見せるとは考えにくい。少なくとも一度目の通しプレイでは、このシナリオは諦めるより他なさそう。

 結局、選んだのは後者でした。
 始まる前には油断していたけれど、シナリオ突入後にはベストを尽くした。これ以上頑張れることはないと思えた。
 そして何より、この良し悪しを判断しているのは自分であって主人公ではない。主人公は何かおかしなことがあったとしか今回のシナリオのことを思っておらず、彼女に悪いことが起きたわけではない。そこには良いも悪いもない。
 自分は彼女を良い方へ導くことができる。彼女のとても重要な回想と体験を消すはめになるのなら、それが彼女にとって良いこととは思えない。

 最終的にはプレイヤー側の努力の大きさと得るもののとのバランスで決めているのだから、身勝手な話ではあります。強く望むなら、何回でも回り道して、再現できるまで頑張ればいいのだ。でもそれはどんなゲームを遊んでいることになるのだろう?
 データのロード〜リプレイによる簡単な再現を阻んだデータの壁が、彼女が納得しているのだからそれ以上手出し無用、と宣告を下しているようでした。
 一筋縄ではいかないゲームだ。


10/14(土)

 こうしてテトリスの修行の道を降りた自分の目の前には、ダンジョンが2種ほど待ち構えていました。さあ次はどっちだ。
 新作の方がタイムリーでよろしいかとも思いつつ、「さくらテトリス」でPS1の画質に抵抗がないことが実感でき、遊ぶタイミングは次世代機の競争時代突入前という今をおいてないとまで思えてきたことから、候補の中では古い、ひらがなの方を選ぶことにしました。
 伝説の剣も冷やし中華感覚で商うんだろうか、そんな軽さも好ましいんじゃないか。ということで、
『だんじょん商店会』スタート。

 卸売からでも買い取りでもいいから、売り物になるアイテムを手元に集める。
 それを自分のお店に並べて、客と交渉しながら気長に売る。
 お金が貯まったら本部に納めて、もっと良いものを仕入れる権利をもらう。
 探索できるダンジョンがあって、そこでもアイテムが手に入る。
 ダンジョンは敵がいて危険なので、そのときだけは仲間と行動をともにする。そのときの仲間に自分の店で強いアイテムを買ってもらうと、次回会ったときには装備してくれており、冒険が楽になる。
 そんなサイクルの合間にイベントが挟まっていく。

 ゲームの流れをつかむまでにしばらくかかりました。タイトルの印象と違ってなかなか込み入っています。
 「ドラクエ」的な、馴染みのロールプレイングゲームの価値観があって、それと対照的な形でこれがあるのだと感じられます。プレイヤー各自の頭の中で参照できるところはしてもらって、別方面に道を開いていこうという姿勢。
 探検的冒険がゲームの一部でしかないところは「アトリエ」シリーズを思い浮かべましたが、あれほどアイテムに執着していなくて、冒険以外は「商売という暮らし」であるところが、ゆったりしていて良いと思います。
 帽子を目深にかぶった魔法使いの女の子店長とお供の猫という組み合わせの主役には、がつがつした欲も、命を削る戦いも、確かに似合うまい。

 ところで、イベントをまだ2つしか見ていませんが、その2つ目で早くも引っかかりました。
 重要と思えるアイテムの処理を、けっこう自由に決められるようなのです。その帰趨はこの世界の人々に、このイベントはもちろん、後々まで影響を及ぼすと思えてならないのですが。
 プレイヤーの決定事項は、このゲームでは思った以上に重要なのかも知れません。
 ……ゲームでそんなこと言うのもどこかおかしい。


10/10(火)

 よし、やった!
 気分転換の効果も手伝ってか、『テトリスDS』でレーティング7000を獲得することができました。実に1148戦しての達成(うち671勝)。
 これによって、今まで常にのしかかっていると感じていた凝りだか憑きだかが、すっと消えていく思いを味わいました。
 もしかしたら、これまでの手筋改良・最適化行程は、いつしか置いていた7000という目標のために無意識がセッティングしていたものだったのかも知れません。(←まだ思考を何かに支配されている様子)

 いろいろ練習した中で最も威力がある戦法だったのが、棒ブロックをホールドしてひたすら平らに積んで作れるときすぐに4ライン消し、だったのは、シンプルすぎる解答で意表を突かれました。
 しかし、相手から送られてくるブロックを最良の形で迎え撃てるのは、その上に手積みブロックが乗っていないときなのだから、考えてみれば当然ではあります。
 今回対戦した相手が、割と一気呵成の畳みかけ攻撃を主体にしてきていたのが、この方針の利点をより顕著に引き出してくれました。
 連続で来た上に持ちブロックも放出すれば棒ブロックによる連続攻撃は最大3回、しかしそんなに運がいいときはそうない。その少ないチャンスのためにそびえる高い壁は、こちらの散発的な攻撃に対して意外なもろさを見せることが少なからずありました。
 戦法の相性が良かったからこそ、同じレーティングからスタートしながら2勝1敗ペースで渡り合えたし、このたびの喜びにもたどり着けたのだと、運も込みでのめでたさに祝杯を挙げたい気分です。

 まさか2006年になってテトリスでこれだけ遊ぶとは夢にも思っていなかった。
 もちろんこの達成感も予想外。幸せであります。


10/8(日)

 行程の処理速度を上げるのは最適化であって、その段階に入るとその時点でのレベルアップの序列が決まる。
 練習していくことで、視認〜判断〜決定の流れから判断の割合が削られ、速度が上がっていく。
 ただし人間のやることとて限界があり、判断の削り幅はどんどん小さくなり、また削るのに多大な修練を要するようになる。
 ついには、たくさん経験を積んだしそれを反映してレベルも高いのにいまいち強くなく、次のレベルに上がるためにはうんざりするほどの経験が必要、という袋小路に陥る。
 一方、時間短縮を判断だけに頼るのをやめ、視認性自体の改良に手をつけることで、上がる能力の上限が広がる。難しいことに挑戦するので、身についたと感じる(レベルが上がる)までには今までより多くの経験が必要になるだろうが、その分だけ後々まで戦力アップが期待できる。同じ速度であれば、有効な手だてを多く知っているほど強いのは自明だ。
 しかしながら、最適化の修練は無駄ではなく、ある段階では行わなければならない。新しい原理を知ったとしても、実際に一連の流れに乗せられなければ理解できたことにならないし、さらに複雑な原理を修めるためにその前の段階が身に付いていなければならないことがあるからだ。
 それに、これらの修練の目的は使いこなして戦いに勝利することであって、そのために求められるのは理解ではなく最適化を含めた総合力だ。ゴールは勝つことに置かれなければならない。

 『テトリスDS』における練習と対戦のサイクルも、何度目かに入りました。
 今は、T字型ブロックがすぐに来るのか当分来ないのかの情報を、予告ブロックの群を視界に入れて得る訓練の最中。まだ、他のブロックにまでは注意を向けられません。それは恐らく次の(次の次の……?)段階にある。
 例によって、この過程にある自分のレーティングは下降の一途をたどっています。しかし、首尾良くこの手をルーチンに含めることができたなら、まだ手が届かないレーティング7000以上が見えてくるのではないか。
 見込みが甘い気もしますが、そんな希望を持ちながら遊んでいる今日この頃です。

 ところで、このようにテトリスブームが来ているところで遭遇したので、これも縁かと思い『テトリスwithカードキャプターさくら エターナルハート』にも取り組んでみました。
 2000年発売のゲームということで、このころのテトリスにはホールドがなかったようですが、それを心から不便に思うほどこの機能に依存していることを思い知ったり、着地してから固定されるまでの時間の短いのに戸惑いながら、何とか「ストーリーモード」をクリア。
 最初からブロックが置かれていてそれらをいかに素早く消していくかに注力した思考タイプのこのモードは、早置きから4ライン消しを主としていたこれまでとは異なるプレイスタイルで、それはそれで楽しめるものでした。
 ストーリーについてはさっぱりで、まだゲームを始めてもいないのに説明書の最初からして「これまでのあらすじ」ということで、何を前提にしているのかさえ分かりませんでしたが、アニメもマンガも未見でセガ謹製のドリームキャスト版が唯一の知識であった当方には、そこを気にする資格もありません。
 ただ、ゲームを通してずっとフィールドの脇にいてくれるさくらさんが、特にストーリーモードの後半になるほど妙に浮き浮きと楽しそうであったことが印象に残り、この子が楽しんでいるなら、「なぜテトリス?」なんて野暮な疑問を持たなくてもいいかと思った次第です。
 これで英気を養ったら、また修行に戻るかな。


10/6(金)

 『テトリスDS』を巡る対戦三昧は続きます。

 勝ったら上がり負けたら下がり、点差によって上下動に傾斜がかかる強さの指標「レーティング」、トーナメントでも総当たりでもなくつけられるこの順位システムがまた良くできていて、対人戦でまず表示されるこの数値には気持ちが揺さぶられます。
 特に、圧倒的に高い数値の持ち主と当たったときには、指先の震えがゲーム開始時から止まりません。
 無様な負けはさらしたくない、あわよくば好勝負に持ち込みたい。思いが空回りして、戦う前から負けているようなもの。

 その気分の高揚は、見知らぬ人と戦っているとの心構えにも因っていて、その気分が麻痺してきた昨今では、やや落ち着けるようになっています。
 それが、平常心というだけでなく、ねばり強いプレイとなって表れつつあるようにも思えるのが面白いところです。
 目先では最善だが予定地の直下に空隙がある地点よりも、地形では次善だが累積ブロックを減らせる地点を、倦まず探し続けられるかどうか。長い目で見れば勝負には欠かせないこの忍耐力が、徐々に身に付いているのではないかと感じられるのです。
 不利な形勢を持ちこたえて逆転(相手の地形を見られていないので、あくまで感覚的に)勝利を収めたあと、よく粘ったなあと思えることが多い。
 良い傾向です。一戦一戦が長引いて疲れるけれども。



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