ゲーム+α日記(2007年2月)

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2/24(土)

 5面に来て最初、壁が動いて突破できる短いチャンスを逃して押しつぶされたことに衝撃を受け、一旦遊びやめた『LAST HOPE』でしたが、気を取り直して再挑戦し、どうにか全6面をクリア。
 難易度設定はもちろんベリーイージーだし、コンティニューも、進行データのロードによる途中ステージからの再開システムも、クリアに向けて生かせるものは使いまくりです。

 このゲームのプレイは、プレイヤーとゲームとの勢力争いでした。
 ゲームが用意してくる罠を、同時に用意されている自機の能力や装備やステージ構成を生かしてどのように切り抜けるか、どのように生き延びるか。あらゆるシーンで殺しにかかってこられて、そのような心構えで臨むことが求められていると感じました。
 それは勝負であり、勝つ目的のためには、正々堂々と戦う場合には卑怯と思える戦法も作戦として取り入れる必要があった。少なくとも自分の腕前ではそうせざるを得ませんでした。
 その結果、例えばラスボス相手でも右端に回り込み、ときには重なるように裏側から攻撃するような手を取った。
 今回はそういう目的で取り組んだからと、納得はしています。ただ、改めて感じたのは、自分はゲームと雌雄を決したいのではなく、戦いたい、共同作業をしたいと思っているのだということでした。
 クリアを目指すことは自分の本意ではない。それをより明らかに自覚できて良かったと思っています。
 どういう形にせよクリアはできたというのに満足感はあまりなく、さりとて難しいモードでやり直したいとか、ノーコンティニューでクリアしたいとか、さっぱり思えないのだよなあ。一仕事終えた気分に近い。残念です。


2/20(火)

 それでも頑張れば時に報われることもあるもので、あれだけ苦しかった『LAST HOPE』2面ボスを突破することができました。
 安全地帯を見出してしばらくパターン観察、そして隙を見ては飛び出して射撃、危なくなったらまた引っ込むという石橋を叩いて渡る方式を貫徹。たまに石橋を割る目に遭いながらもどうにかクリアです。
 思えば、ひたすら逃げ回るなんて危なっかしい攻略法は「タクティカルシューティング」にはふさわしくないのだった。どうせならほとぼりが冷めるまで隠れよう。それが戦略というものです。

 という舌の根も乾かぬうちに、3面・4面は意外にも右往左往しているうちにクリアできておりました。2面の厳しさは踏み絵だったのか。
 それでも3面道中、画面縦半分以上を占める壁が規則的に動く小さな敵機を撃ちまくる場面では苦戦しました。結局画面左端では壁をすり抜けられるというインチキ臭い手段をフル活用することに。
 いや、バグっぽかろうと利用する、これもまた戦略。この難しさを前にしては、なりふり構わず、あらゆるものを役立てる覚悟がなければなりません。


2/17(土)

 『クロニクルオブダンジョンメーカー』熱中の反動か、やや目標を見失いがちに。
 そんなときはとりあえず、何でもいいから遊んでみよう。手当たり次第に、それこそ買ったゲームに端から取り組む勢いで!(←当たり前のことを何を新発見のように)

 そんなわけで、軽く一杯のつもりで『LAST HOPE』に取りかかってみたところ、大やけどを負いました。これはまた何とも辛口なことだなあ。
 NG:DEV.TEAMというドイツのインディーズメーカーがセガのライセンスを取らずに作ったドリームキャスト用の横スクロールシューティングゲームですが、「ハードメーカーに無許可でどうやってリリースできたのか」等のこの子がここにいるふしぎはひとまず脇へ置いて、ゲーム内容の話をしたい。
 2面ボスまでの。

 自機の動きが遅く、火力も弱めで、敵弾は爆風にまぎれるように飛んできて、敵の動きが縦横無尽で、おまけに自機をサポートする装備の操作も一癖ある。
 ひたすら死にまくった末に一場面抜けられるということは裏を返せば、死の要素がこれだけ揃ってそれでもなお切り抜けられる答えが少なくとも一つはある、ということでもある。ならば、答えを見つけられたことを喜んだ方がいい。死ぬのが普通なのだ。
 と、その心境に至るまで、もう少しかかりそうです。
 画面下側が水で構成された2面の途中、水面が進行ラインになっていることを実証できた際の歓喜はそれは強いものでした。お、こんなふうに隠したいと思わせるのが、このゲームが謳う「タクティカルシューティングゲーム」の証なのかもしれません。
 その強い嬉しさを必要なときにいつでも反芻できるようになりたい。このゲームを遊ぶには、ひたすらな反復のほかに、そういう訓練も要るように思います。
 みごと成就の暁には、逃げ切れる気がしないまま心が折られた2面ボスの攻撃も乗り越え、この先もこのゲームを続けていけるに違いありません。
 先は遠い。


2/12(月)

 いやあ、結局『クロニクルオブダンジョンメーカー』を、一応の到達点まで通しプレイしてしまいました。
 最下段まで構築して、予想と違うボスが待っていたのに戸惑いながらも倒して、あるかなきかのエピソードが見られるアイテム探しのクエストを全部クリアして、そこで気持ちに区切りがつきました。いつものことながらアイテムコンプリートにはさっぱり関心が向かないなあ。
 遊びも遊んだり、88時間だとのこと。信じられない、なに考えてんだ? そりゃダンジョンのことを考えていたのであります。

 いや、正確にはダンジョン内での戦闘アクションを心待ちにしていた、かな。
 このゲームでは、1フロアごとに「ダンジョン構築 → そのフロアで戦闘 → 何かのきっかけで下層への階段を入手」(下層への入口は勝手にできるのではなく、階段を手に入れてそのフロアに設置することで開ける)の流れがありますが、その中でダンジョン構築のパートはあまり考えなくてもいいようになっています。
 資源だけ大量に用意しておいて気の向くままに作っていくと、使い尽くしたところで何となく様になっている。それを許すルールの緩さが好ましいです。
 おかしなことに、できあがったダンジョンの形が、1フロアとして同じにならないのです。何も考えずに着手したら、理想の形はぼんやり浮かんでいるはずなのに。今回はこれで行こうとかっちりテーマを決めず、おや今の自分はこんな形のが作りたかったのかと再発見する。そんな面白さがあります。
 まるで適当に文章を書いているときのようだ。手持ちの限りある言語資源を組み合わせてできる言葉に、厳密に同じものは生まれません。同じ意図を込めていても、出来上がりは微妙に、あるいは予想外に異なる。
 ついでに言えば、構築時のダンジョンには敵はおらず、ゲーム側が後で配置してくれます。よって、作り上げたフロアは自分だけのものではなくゲームとの共同作業によって成り立っていて、その内部を冒険して敵と対決する気分は、見た目を加工された作文を読み直すような味わいに似ていると言えるかも知れません。

 と適当に言葉を並べていくと、こう予想もしなかったことが出てきますが、それはさておき。
 戦闘は懐かしい感じの見下ろし型2Dアクションですが、これがまた非常に楽しく遊べます。彼我の攻撃が届く範囲を見切り、敵の行動の隙を見つけて一撃即離脱を基本に、被ダメージを減らせるよう動きを練り直していく、この手順がよい具合です。
 実際のところこのゲームを延々遊び続けた原動力がこのアクションでしたが、いつ遊んでもこれほど熱中したかはやや疑問。ちょうど自分がこういうものを求めていたのだろうと思います。
 というのも、去年末に大きな期待を持って遊び始めた
『ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス』に、今もって復帰できていないことが思い起こされたからです。

 思えばファミコン版の初代『ゼルダ』は2Dアクションとしてとても楽しかった。一旦クリアして、剣やブーメランの制御に自信を持ってから、本来ずっと先に取り組むべき迷宮に果敢に挑戦したときの興奮は今でも覚えています。また、ゲーム開始直後の画面に映っている洞窟に入ればもらえる剣を敢えて取らずに遊ぶ「剣なしプレイ」の、それができるということへの驚きも込みの楽しさも。
 あるいはあの時、この形式と相対する喜びを刷り込まれたのかも知れません。
 今回の『ゼルダ』の少なくとも序盤には(そしておそらく据え置き型なら随分前から)、そういう遊び方はなかった。ないものを求めてはいけないし、ゼルダパズルはそう割り切って遊ぶ分には嫌いではありません。でも、たまたま気分が2Dアクションに合っていたみたいです。


2/5(月)

 まだまだ飽きずに『クロニクルオブダンジョンメーカー』の日々。
 いや、日々というほどの日常ではないな。週末だけの逢瀬だから、いとおしく思えるのかも知れません。

 実際のところ、やることはこのところずっと同じ。ダンジョン作りもできるだけ時間を削ろうと、占有面積が大きくてモンスター集めにお得だと思われる大部屋をメインに使い、あまりねじ曲がった通路は作らずに一筆書きで一周くまなく回れるようにし、ついには敵も全滅ではなく、目当ての宝を落としそうだったり手間がかからなさそうだったり、逆に対戦して楽しかったりする相手ばかりを選んで戦うようになり……
 と、小さな工夫は積み上げています。それでもかけた時間は70時間を超えた。どれだけ建立したかったのか、そして戦いたかったのかと思う。後者の要因のほうが大きいでしょう。きっと、見下ろし2Dアクションが遊びたい盛りだったのです。

 ところで、ゲームのできない近頃は、ゲームをしていないときに流れる時間のことを気にかけています。
 ゲーム中は時間の流れが違っていて、ゲーム内の流れに身を任せている。その流れは連続的ではなく、ぶつ切れだったり加速・減速したりとこちらを翻弄してくる。
 そういった時間の流れの変化に、自分はあまりにも親しみすぎてしまったと感じます。
 その結果、現世を過ごす時間に向ける意識は削られた。そして気がつけば、現実で時間がどのように流れているか、逐一の行動にどれくらい時間がかかりそうか、この先何が待っているのか、といった予測が立てられなくなっています。
 というよりも、その能力はどうやら自分だけが持っていない、とまでいかなくても他の多くの人たちは身につけている能力らしいことがようやく分かってきた、というのが、恥ずかしながらの真相ではあります。

 ちょっくらこの世の時間に慣れてみよう。そう思い立ち、まずは身の回りの行動の所要時間を予想し、しかるのちに実測してみました。
 あれ、そんなに外れてなかった。ましかし、生まれてこの方ずっとやってきたことだもの、そうそう的外れも起こるまい。
 恐いのはこれから先。社会生活でどれだけ自分が無能に振る舞っているかが、この計測によって明らかになるだろう。
 それもまた一興か。そういう失望があってこそ、面倒ごとから解き放たれ時の流れが遮断されたゲームの中で、ダンジョン作りのクロニクルを刻むことに楽しさを見出せるというものです。



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