ゲーム+α日記(2007年3月)

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3/18(日)

 『世界樹の迷宮』で1フロア先へ進みました。
 1週間かけてこの牛の歩みぶりはどうなんだ。ゲームしたいよう。

 ところで、1フロア進んだことで新たなイベントが発生した。アイテムを取ってこいというのだが、それを守る敵が強くてお前達ではかなわないから、アイテムだけかっさらってそいつからは逃げろ、との指示。
 実際のところ、そういう場面はこのゲームでは以前にも出てきたのだった。この階で出て来るにしては場違いに強く、どうにも歯が立たない、そういう敵の配置が序盤からあった。
 そのような強敵はマップ上に可視化されるほど特別に扱われていて、つまりランダムエンカウントではなく、だからかわすことができるのだった。
 一旦先へ進み、なだらかに強い敵にもまれてレベルアップしてからリベンジすればよい、そういう仕組み。
 そうではあっても無茶はしたくなるもので、少しでも強くなったと思ったら(レベルが1上がったとか、新しい装備を一つ身につけたとか)すぐに立ち向かったものだった。そして何度か跳ね返されるうちに戦略を編み出し、無茶は無茶でなくなり、頑張ったら勝ってしまえるものだった。
 今回はしかしそうではないのだろう。

 もしかしたらこの「逃げろ」という警告は、これまでひょっとしたらいたかもしれない、壁に突き当たるたびに乗り越えるまでその場で踏ん張り続けたプレイヤーに対する救いの手なのかも知れない、と思いました。
 わざわざ告げなければならないほど、そいつは圧倒的に、理不尽に強いのに違いない。うっかり戦って潰され、それからは這々の体で逃げ回るのだろう。
 そういうトラップを用意しておいて危険を予告するこのゲームは、何ともこう、親切に不親切な感じだ(「まじめにふまじめ」のノリで←見たこともないくせに)。好きです。


3/11(日)

 ええい、うだうだ言ってないで行動してみろ!
 と、『ソーサリアン』のサントラCDを段ボールの奥深くに探し当てて引っ張り出し、返す刀でDSを開いて『世界樹の迷宮』を立ち上げ、昨日敗れた強敵への対策をどうするかしばし考え、ひとまず正攻法で行こうと薬品を買い込んで乗り込み、一度全滅の憂き目に遭うも再挑戦、苦しんだ末にどうにか下すことに成功しました。ここまで一息。
 深く満足した。この戦いは、続々登場する手下に好き放題させてでも、強力な首領を真っ先に討ち取る戦法こそが重要であることを示しているのだなあ。

 そのように解釈して納得し、ここでゲーム展開が一段落を迎えたのでこれを機にと、『世界樹の迷宮』のここまでの内容に触れているサイトを探しにネットに出てみたところ、今回のような「正攻法」で押し通すなんてまるで機知に欠けた振る舞いであったことが判明し、悔しさのあまりその場でひっくり返ったと言います。
 達成感が高かっただけ、落ち込みもまた急だった。
 あまつさえそのサイトで、自分でも少し様子が変だと思っていたものの解決できなくて放っておいた謎が実にスマートな推理を添えて明かされているのまでも目にしてしまい、もう二度とプレイ中に情報漁りなどすまいと心に決め、自業自得ぶりに臍を噛みつつブラウザを閉じたのでありました。

 つまり、あの場面でもっとうまく立ち回ることができたのであれば、逆に現状の我がパーティーの強さはあの場面において力押しが可能であるほどその階に対して十分なレベルを遙かに超えていると考えられるのであり、そうだよなあ最初期段階では窮乏を極めていたのに、欲しいものがなくなったまま蓄財の果てに今じゃ所持金1万オーバー、無駄に滞留でもしない限りこんなに余るわけがない。
 脳みそ筋肉な現状がほとほと情けない。もっと考えて遊ぶものだったか。
 よし、些細な違和感にも十分な注意を振り分けよう。今までの恥は雪げずとも、これからせめて賢くなっていこうじゃないか。
 ……そう思えただけよしとしましょうか。最近少し落ち込みすぎている。この沈んだ気分はぜひ、掘り出した『ソーサリアン』楽曲群にて癒していきたいと思っております。


3/10(土)

 『世界樹の迷宮』では、敵の強くなり方にずいぶん波があります。
 やけに強いボス格に出くわし、ひいひい言いながら倒したと思えば、次の中ボスっぽい敵は身構えたほどでもない。
 その大したことない中ボスがしばらく続いたので、この地点にいるにはレベルが上がりすぎたか慎重になりすぎたか、先へ進んでみようと思い、しかしその一方ではマップを完成させたい気持ちも強く、何だかんだで回れるところは全部回って、満を持した顔で名の知れたボス戦に臨んだところ、あっさり殺されて肝を潰しました。
 やられたのはそいつにというよりは戦法にという面が強く、だから(レベル上げ以外の)対策も立てられそうではあるけれど、しかし初見の絶望ぶりはなかなか味わえない貴重品だと思いました。
 束になってかかってくるなんてずるいや。(←パーティーで挑んでいることを忘れて)

 しかしここはまだ第1階層と呼ばれていて、ほんの序盤に過ぎないことが示されています。
 そんなところが重厚さを醸し出していて、プレイまでに力を溜める必要があると思っていることに気づきます。
 気軽に始められて面白いものを、なんて贅沢なことを自分も望むようになっているのだとよく分かる。
 だからいっそう、曲を聴くことに重きを置いてしまうのかも知れません。ゲームのおまけCDの曲もよく聴くし、ゲーム中もイヤホンをつけることが多い。まるで、それでゲームを遊んだ気になろうとするかのように。

 昔、もっと極端にというべきか実際にというべきか、曲だけを聴いていたゲームがありました。
 実際にそのゲームを動かしたことはありません。音楽だけが接点だった。だから、そのゲームを遊ぶことは、その曲を聴くことだけだった。
 友達にテープを借りて、気に入ったものはCDを買って、でも「遊ぶ」までには至らなくて。
 そんなゲームたちのなかに、『ソーサリアン』がありました。
 今はもう難しく、そんなに記憶の弱い自分が呪わしくあるけれど、かつては58曲入りのそのCDを頭の中で隅から隅まで再生できたものでした。

 無理に結びつけようとしてはいけないのだろう。
 いや、結びつけた方がいいのか。関連を見出さないことに価値を見出しすぎている自分にとっては。知ったかぶりを恐れる思いが、調べ学ぶことを妨げ、進歩を阻む反動となって現れている。
 とりあえず、どこかへしまった『ソーサリアン』のCDを引っ張り出してこようか。いや、それよりも目の前にあるこのゲームを遊ぶべきなんじゃないのか。
 そういった迷いが自分を立ち止まらせます。ゲームに関してさえ、どこにも進んでいけない。


3/6(火)

 その2画面をゲームが独占しようとせず、1枚を差し出してくる気前の良さが嬉しい。
 ぼちぼちと、
『世界樹の迷宮』を遊んでいます。

 手書き側の画面をマッピングに使わせようというアイディアに、触れてみるまではあまり気が乗りませんでした。今この時代にその手法を、というのとは別にして、ゲームブックを遊んだ昔の経験で、マッピングには飽きるくらいには付き合ってきたからではないかと思います。
 それでも、やってみればあの時とは違っていた。
 具体的には、壁とエリアとが使い分けられていたのです。

 ゲームを始めてすぐのうちは、自身が移動した番地を自動で塗りつぶしてくれる「オートマッピング」機能はオフにしていました。まだ「塗りつぶすこと」に意味を見出せなかったころのことです。
 でも、それがオンだったからといって、ただ歩き回れば地図が完成するわけではない。地図は、壁を書き入れて初めて完成するのです。
 逆に、まだ足を踏み入れていなくても、もう一つの画面に映る3D視点の景色から、数歩先までの地図を描くこともできる。この場合は、壁だけを描けばよいのです。
 壁の記入は迷路の構成に使われ、エリアの色変わりは踏破を示す。これまでひとつながりだとばかり思っていたものが別物と知らされる。そのことに虚を突かれ、その振り分けを面白く思い、一気に遊ぶ気が高まりました。
 最近なかなかゲームする時間が取れないけれど、頑張るぞ。



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