ゲーム+α日記(2007年5月)

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5/28(月)

 『グリムグリモア』疲れとでも考えればいいのだろうか、あるいは来月に大作を控えての無意識の対策の表れなのか。
 重たいゲームに食指が伸びません。

 うーむどうしようか、小考したところ、最近ドリームキャスト用の安価なVGAケーブルを入手していたことに思い至る。
 そのときこれでドリームキャストが延命されたと喜んだのも束の間、そのまま放置。寿命が延びたって冷凍睡眠では生きている甲斐がありません。
 ひとつ気軽に取り組もうと思い、最も手近にあった
『トリガーハート エグゼリカ』を選択。
 購入直後に遊んで、このゲームの二大特徴である「水着メカ少女」「敵を利用して倒すシステム」のどちらにも意外に心を掴まれず、その後触れる機会がありませんでした。
 それが、気分を新たにシステムの習得に励んだところ、どうだ。
 生まれ変わったように楽しいゲームとして、今『トリガーハート エグゼリカ』は目の前にいます。

 敵をつかんで振り回し、別の敵に投げつけて倒すというこの方式に、最初はとにかく戸惑いました。
 自機がどう動いたらつかんだ敵がどう回転してくれるのか、つかんだ敵をどのタイミングで離したら狙い通りに飛んでくれるのか。
 分からないまま遠ざけて、ショットだけに頼りながら進んでいたら、それはただの不確定名シューティング。向こうからも近しくはされません。
 敵の扱いに慣れてくるほどにショット率は減っていく。つかんでいる間はショットが撃てないのだから当たり前ではありますが、それに代わって増えたのは、ぶつけ損ねた敵からの攻撃による撃墜死と、振り回す挙動に合わせて歯を食いしばる回数でした。
 苦労しているのは自機なのに、なぜ自分が歯を食いしばる。不思議なものです。

 最初は「何だこの半端な萌え攻めは!」と半ば憤慨していた、キャラの大売り出し的パッケージと登場回数のギャップ(ゲーム中はほとんどステージクリア時の一枚絵のみ)への違和感も、ゲーム本編に親しんでいくほどに薄れていき、ついには「激しい運動の後の適度な憩い」的にさえ感じてくる始末。
 まったく人間の感性なんて当てにならないものです(一般化するな)。

 好みは圧倒的に妹エグゼリカながら、操作のしやすさで当面は姉クルエルティアで修行中。思うままに敵を操れる日を目指します。
 そのときこそ、エグゼリカに幸せをもたらそう(←不幸せな目にばかり遭わせている模様)。


5/19(土)

 『グリムグリモア』ストーリーのあるモードをクリア。
 一戦一戦が実に長かった。良くやったと褒めてやりたい。また、そのような感想を抱いたことを残念にも思う。「もっと遊びたいのにもう終わりか」でありたかった。
 シナリオと無関係なステージがほぼ手つかずで残っているのだから全然終わっていない、それなのに終わり扱いするのは気が引けます。でも、もう満腹なんだよなあ。

 ゲームがつまらないわけではなくて、これはRTSというジャンルに自分が合っていないということなのだろう。戦況が少しずつしか変えられず、気がついたときには被害を免れないといった場面が出てくるのが受け付けにくいらしい。
 それを防ぐためには、敵がどう行動してくるかを前もって知っておく必要があります。しかし敵の布陣は隠されているので知ることは出来ず、ということは何度か失敗して調べよとの勧めなのだろうけれども、そうやって下調べをして対処を確立させた上で遊ぶゲームなのかどうかが悩みの種でした。
 敵の得意戦法はキャラクターからある程度察しがつく。また、主人公は魔法使い見習いから出発して修行中の身である。ならば、予習は場面から与えられる情報からの推察に留めておき、その場その場で慌てふためきながら何とか乗り切る、それがこの駆け出し魔女っ子リレ・ブラウにふさわしい振る舞い方ではないだろうか。
 そう思うと、各ユニットの特性や属性間の有利不利といった基本を越えてまで、各ステージを攻略する気力は湧いてきませんでした。そして、そういう遊び方と、このゲームパートの特に終盤の、よく言えばしっかりした構成とは、相容れないものと感じたのでした。
 難易度を落とせば良かったのかも知れないけれど、現状選べる最も難しいモードが「ノーマル」と宣言されているのでは、それにも踏みきれない。(←そうこだわらなければ不平も生まれるまいに)

 なお、時間がループする期待のストーリーについては、この主人公は覚えているのかいないのかはっきりしてほしい、というところで幕を引きたいと思います。
 そういえば、「悪魔」という役どころの台詞は非情に印象深かった。自分の知らない確固たる悪魔像がそこにいました。こういうのは古典に触れておくとより深く味わえるのだろうな。特に『ファウスト』にはいつかきちんと当たるべきだ。


5/16(水)

 『グリムグリモア』は、ゲーム上のナビを信じるならあと数回の戦闘でクリアだ。長い戦いだった。時間はそれほどでなくても、疲れる戦いは長く感じます。
 しかしせっかくここまでずっと難易度を落とさずに来たのだ、最後まで意地を張り通そうじゃないか。
 ん? ストーリーの絡まないゲームパート特化モードが別メニューに? うえ〜(←露骨すぎ)

 ところで、どこかもやもやした気分がわだかまっていたのだけれど、唐突に原因を突き止めたように思ったので、先月遊んだPS2版『つよきす』について。
 そのもやもやが発生したのは、クリアしたからいいだろうとつよきす元ネタwiki閲覧を解禁してからだった。
 ネタの由来やその豊富さは当然というか予想の範疇だったからいいとして、PS2版ではまるで見えなかったある種の雰囲気が、この元ネタ集から構成される原作のPC版には漂っていると予測されたのが衝撃だった。
 PC版は18禁でありエロゲーなのだけれど、ここではエロ成分が形を変えながらも世界の隅々に行き渡っているように感じられたのでした。そして、そうであってみれば、PS2版プレイ中に疑問に思ったいくつかが氷解するのでした。

 例えば、スバルがなぜクラスメートから敬遠されるのかが分からなかった。PS2版の彼は義理堅くて力強くて面倒見もよい、できたお兄さんだったからだ。でも恐らく、彼は「悪いお兄さん」のはずなのだ。エロの可能性が排除された世界からは、彼の放つ怖さは和らげられてしまう。スバルのバイトの内実に真実味はまるで感じられない。
 また、きぬのあけすけさは開幕からいきなり薄められているようだった。下品で意地汚くて性根が腐っていて、といった形容は、猥雑さを中に含んで一本化されるように思えてならなかった。バカな子ほどかわいい気持ちは、それによってさらに盛り上がるに違いなかった。
 そして、良美は半身になってしまっているようだった。思えば、PS2版で垣間見せる性格では、彼女が他人を求める理由が見つからなかった。彼女はもう十分満ち足りているはずなのだ。

 『つよきす』は、特定のシーンを削除しておしまい、のゲームではなかったようだ。それが分かったことが収穫、なんだろうか。
 今までになく強く、家庭用の限界を知った思いです。


5/13(日)

 一度覚えた魔法陣は次のステージから自由に使えるのだということに気づいてから、『グリムグリモア』が少し進めやすくなりました。
 そりゃそうか。覚えるってのはそういうことだ。
 そのことに気づくまで、ステージに最初から描かれている魔法陣だけを利用してクリアせよ、ということだと思っていたのです。その△ボタン(魔法陣呼び出し)ボタンはずっと飾りだった。
 そして、いろいろ活用できると知って組み合わせを考え出すようになると、やはりごちゃごちゃと面倒なのだよなあ。シンプルな分、これまではただ苦労すればいい単純さがあった。
 ようやくルールが頭に入ってきて、その面倒さも楽しみに代わりつつあるけれども、これが自由ゆえの辛さというやつか。とはまた大げさな。

 ところで、「遠距離攻撃できるけど動きが遅い」「攻撃できないが敵の動きを遅くできる」「炎を吹く猛攻ができるが眠りに弱い」「か弱いが飛んで素早く移動できる」などなど特徴あるユニットを魔法陣から呼び出して代理戦争させる、というこのゲームの「ゲームパート」と、時空的に閉ざされた魔法学校で物語が繰り広げられる「ドラマパート」が、どうにもリンクしていない感じを受けます。
 ものすごく凝ったミニゲームを遊んでいるようだ。スケールの大小ではなく、物語を見せたい気持ちを本筋と仮定したとき、それに対する「サブ」→「ミニ」という意味合いで。
 昔、『魔界村』のキャラを使ったパズルが出ていたことを思い出す。元は独立した一つのゲームに別のゲームのキャラをかぶせたあれを遊んだら、今回のような気分になるんじゃないだろうか。
 それにしても、なぜ遊んだことのないゲームをたとえに持ち出す気になったのか、それが一番気になってきました(←本筋から逸れまくり)。

 あと、もう本筋などどうでもいい勢いで余談ですが、主人公である女の子が頬を赤くしつつ発した強気な記号的発言に、ああお前もか、と一瞬遠い目をしたことでありました。
 それでも、目論見に乗って面白く見られているのは、免疫がまだつききっていないからなのでしょう。


5/7(月)

 やっと順番が回ってきたか、と待ち構えた気持ちで『グリムグリモア』に取りかかります。
 待ち構えていたのが自分であるのなら、待たせた自分はいったい誰だろう。

 芯に複雑さを秘めながら用心深くプレイヤーを招き入れようとしている、そんな丁寧なチュートリアルを、この面倒くさいリアルタイムシミュレーションは備えていました。
 最初に言っちゃえ。このゲームは面倒くさいです(自分の頭の出来に比べて)。
 全ての要素が開放されたときが恐ろしい。使いこなせる気がしません。だから、見習い魔法使いなだけに主人公が使える魔法が制限されている今を、せいぜい楽しむがいいのです。
 設定・人物像・台詞などの世界観から、文字フォント・アイコン・ファイル管理画面といったシステム回りに至るまであらゆるものが、いかにも魔法がその中で生きていけるようなルールがあるかのように統一されています。読み込み中の画面で整列した「NOW LOADING」が踊り回るなんてのは、ちょっとやりすぎなくらい。これは大した雰囲気ゲームであります。
 気になるストーリーは……まだ途中だから何とも結論づけられないな。どうなることやら。


5/4(金)

 地元の新古書店を主にゲーム目当てで巡っていたら、代わりに見つかったのは『だんじょん商店会〜魔女のお店はじめました〜』(藤浪智之、ファミ通文庫)。
 望外の戦績でした。

 ゲームのノベライズものといってもこれの場合はいわゆるゲームブックの体裁を取っています。それはゲームの雰囲気を再現しようとしているためで、ただしここでは「いろんなところに足を運んで人々と話をする感じ」が中心になっています。原作のゲームは他に「商売」とか「お金を貯める」とか「冒険で強くなる」とかあったのだけれど、そちらはあっさりほのめかす程度。
 マップから行き先を選ぶような形で、時を超えて(!)10以上の選択肢がずらりと並ぶので、それを一つ一つ潰していくのかと最初は面倒にも思う。しかしこれは見方を変えれば、それぞれの場所にいる人たちのことをおろそかにしていない証拠でもあります。
 いるべきところに人がいる。あるいはいなくてもそれに理由がある。そのいちいちに懐かしさを覚えて、あちこち行けたことは結果的にプラスでした。
 このゲームは、「話の核が分散していて全部を集めると謎が解ける」というよりは、「ひとつの事件があって、それが多方面に影響する」形式で、事件はシナリオの一部でしかない。だから本筋から外れた話がけっこう多くて、その話のふくらみがお使い気分を和らげてくれます。この本でもそうなっています。

 ゲームの再現度はばっちりで、登場人物からアイテムとその使い道、各階の通称、果ては大まかなマップまで記述により対応。
 中でも、ゲーム版ではダンジョン1階はマップ右上からスタートし、見下ろし式のマップ上ではそのすぐ左側にアイテムポイントがあるのですが、それが「入ってすぐの右のところを、調べるのを忘れないようにしないとね」(215ページ)という形で出てきたのにはたまげました(主人公視点ではアイテムポイントは右手側になる)。
 テキストのコピーでなく、こういうところで「同じ」というのが、メディアが違えど共通タイトルのものとして正しいと強く思います。

 ところで、この本はゲームを再現しようとしていますが、シナリオの再現にはこだわっておらず、その点も安心。あの世界の新しい話に触れることができます。
 約100パラグラフずつの全2話構成ですが、2話目を読んでいて思い出したのが、『ウィザードリィ』や『ファイナルファンタジーXI』なんかを遊び終えることにしたときの感慨でした。
 初めはどのゲームも手探りで始まった。主人公は無色だった。しかし遊んでいくうちに主人公に肉付けがされてきて、いつしか「こいつならこうするのでは」というように性格づけされたかのように行動が決まるようになっていきました。
 それは自分がゲームに介入することで主人公にしてやれるサポート期間の終了を示している。自分がゲームを終えても主人公は独り立ちしていける。だからゲームを終えてもいいだろう。前記2作と自分はそのような形で別れました。
 だから、プレイヤーと主人公の関係が蜜月でなくなっても、彼らは独自に行動しうるはずだと思っています。
 しかしその反面、もしその補助が中途半端なうちにそのゲームとの付き合いが疎遠になってしまったなら、それは主人公にとってどのような状態を意味するのか、そこまで考えたことはなかったのです。
 いつだって最後まで付き合うつもりでいるから考えなかったのだと言えば言えます。でも実際には投げ出すタイトルだって少なくありません。
 だから、この話には教えられた思いがしたのでした。

 絵もゲームと共通で、縁がくっきりしているため、解像度が高く見えて良い。こうしてみると、なくて目立つのは音楽くらいか。鼻歌でカバーします。
 それから、14番は死んだときのためにいつも空けておいていただきたいと思った。あとがきで説明しているのは良心だよね。



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