ゲーム+α日記(2007年10月)

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10/30(火)

 それでも何だかんだで気がつけば1時間や2時間が経っている、という形で時間が減っていくのは、あれだけ細かにセーブポイントがあっていつやめてもすぐ再開できるシステムでありながら大したものだと『Halo2』には感心します。
 しかしその一方、時間が消費されていくのをじっくりつぶさに時計でしながら止められないのが、対戦とタイムアタック、振れば抜群においしくなるドラえもんの道具ばりの効果を二つながら備えた『EVERY EXTEND EXTRA EXTREME』。大文字ばかりの表記にもさすがに疑問を覚えてきたところではありますが、ゲームプレイは疑いの余地なくもうしばらく続きそうです。

 このタイムアタックの面白さは、いまいち見えないながら、戦略に確実な解があるだろうところにあります。
 要素は敵の早回し、得点の基礎倍率、リズム良くボタンを押すことによる「ビートボーナス」、連鎖とその中止、敵を倒す順序、くらい。そのうちどれを優先させるかは、おそらく場面により変化する。どれか一つのみに偏重していては高得点は望めません。
 中でも難しいのが、得点の倍率と連鎖が途中までは並行して進んでいく点。これのあるなしは戦略を分ける、と思うのだけれど確信が持てません。連鎖中の倍率アップは微々たるものとして、気にしなくてもいいものかどうか?
 ……そんな悩みよりずっと、ビートボーナスを取り損なって終了する頻度が高く、それに連鎖がつながらずがっかりする頻度が続くのが現状。だから長続きするとも言えます。
 運は大きな要素、しかし引き寄せるための試行回数を減らす人事は尽くしたい。


10/28(日)

 ところで今になってぽつぽつと『Halo2』をプレイしており、そりゃ現状で国内のXbox用ソフトとしては最後となるリリースを受けて……というのは確かに直接的だけれども的を射てはいない。
 どうしたってあの爆発的大人気(海外で)作『Halo3』のために他なりません。
 せっかくのお祭りなのだからと乗り気になりながらも、ストーリーが完全な続き物で3部作完結と聞いたものだから、どうせ遊ぶなら物語を知った上で、と、分厚い三段折の『Halo3』パッケージを横目に見ながら進めているのです。

 初代もその続編も、画面酔いに悩まされます。
 狭かったり暗かったり、敵を殲滅させたはいいが出口が見当たらなくてぐるぐる見回したりするのが苦しい。そうせずにすませられるほど、方向感覚が発達していないのが残念です。
 通路もこれがまた、込み入って巨大な建造物の隅っこにあったりしてけっこう見つけにくい。それが楽しいんだろうと言われそうな気もします。やはりそうなのかなあ。
 物語を知りたいというより、物語だけ知れればよいくらいの気持ちで、最も易しいモードで屍(自らの)を築きながら試練を乗り越えていきます。
 プレイヤーキャラクターが交代したところまで。これで『Halo3』にこれまでの戦いが映像でまとめられたりしていたらどうしよう。

 そういえば『オブリビオン』ではほとんど酔わなかった。正確には、気にしなくなるまで適応していける程度の軽さだったのでした。
 灯りで照らさなければ見えない洞窟が多数あっても頑張れたのは、一つには視点をゆっくり動かせば酔い防止に効くと覚って、視点を動かす右スティックの制御に慎重になったこと、もう一つはどちらを向いているか常にマップで分かるということがあったと思います。
 他にソフトの作りで工夫されている点があったのか。『Halo3』にも、いま二歩三歩の適用性を祈ります。そのために特訓していると考えよう。二丁拳銃の使い勝手などとともに。

 『Halo2』を面白いと素直に感じることはそんなにはなくて、きっとこれがFPSの標準なのだろう、くらいに捉えることにしています。
 ……って、『Halo』のときも全く同じ感想でした。
 どうなんだこの成長のなさは。というよりも、そんな思いしか出てこないのなら、無理して『Halo』シリーズに付き合わなくても良いのではないだろうか?


10/23(火)

 ところで、『EVERY EXTEND EXTRA EXTREME』へのとても自然な流れを作ってくれたように思える『アイドルマスター』で、今の自分は苦しんでいます。
 あのゲームのオーディションでの戦い方が分からなくなってきて。
 対人戦では最下位が指定席、平気でコンピュータ相手に負けます。そこまでひどいことはなかったのに。

 思えば、これまでは相手の出方を窺って対応しているつもりで、ほんの数個のパターンしか用意できていなかった。
 結果的にたとえ満点を取って合格できたとしても、それはコンピュータがミスをしたり、有効な作戦を採ってこなかったためだった。定石に頼ったプレイの仕方でやってきて、そこには相手に応じる姿勢がなかった。一人で戦ってきたようなものだ。
 このゲームでは基本的に平均以上、6人対戦の3位以上を目指す。しかし、ボーカル・ダンス・ビジュアルの全ジャンルで均等に3位を目指そうとすると、相手が戦術を持ってきた場合には確実に負けるのです。
 この戦術とは「取れる点数の振れ幅を抑えること」であって、対策としてこちらも戦術を持つことになるのだが、それをやると狙える最高点にも制限がかかる。
 それを承知の上で、大勢を見ながら個々の手順を分岐させていく必要がありそうなのだけれど、そこへの対応ができていないのが現状。
 この場合の「分岐」が微妙で、それへの備えが頭の中になく、序盤で目論見とずれたときに修正が利かない。間違っていると感じてはいても、手はそのまま当初の戦法を進めてしまう。その結果、当初の予定通りではあっても挽回するには足りない総合点しか取れないで終わる。
 負けるのが分かっていて止められないこの無力さに、打ちひしがれています。

 ほとんど対人戦の時しか有効にならないことだから、ある程度対策を練ったら、後は場数を踏むほかないんだろう。でも今はその元気が出ません。あまりに負けが込みすぎて、それも全力を出した末のではなく見込まれた負けであって、枠を外せない自分がふがいない。
 ちょっと休憩して、戦いの傷を癒す必要なのかも知れません。まさに癒しに格好のゲームだと思っていた『アイドルマスター』でこういう気分になるとは予想外でした。
 しかし、うーんどうなんだろう、あらかじめ満点が取れないと知っている戦いに向けて、どうやってテンションを高めていったらいいのか。
 と、こういう悩みはアイドルが抱えるもので、相対的な勝利に向けた指示を冷静に出すことこそがプロデューサーの使命のはずなのだが、こんな体たらくでは降格もやむを得ないと思えます。


10/22(月)

 おっと、『EVERY EXTEND EXTRA EXTREME』の逆襲モード・R4には、ショットの向きを右スティックで自由に変えられる操作系が用意されていましたか。
 うむ、これで自機を上下左右に忙しく首振りさせる必要はなくなった。これは当方の早とちり、マニュアルはしっかり確認しなければなりません。反省。

 しかし、そのことでこのモードの退屈性はいささかも損なわれていないのであります。
 今や全方位に撃ち分けられる機能を得た自機が、このモード開始時に現れる画面中央から全く動かず、右スティックをめったやたらに動かして敵を倒していったところ、初めて敵に撃墜されたのはステージ5のボスでした。
 それも、敵が自機の位置に重なって登場するため、体当たりで退場を余儀なくされるという顛末。
 それでも頑として動きたくないと思ったら、標準装備の無敵バリアを3秒間張り続けて、敵の中心で集中砲火を浴びせることで、1ミスにて突破も可能なのでした。

 このモードで自機の数がもっと頻繁に増えるようなら、「一歩も動かず全ステージクリア」が見えてきそうで、それはそれで面白そうな気もしてきた次第。
 逆に、普通に遊ぶのにその展開のぬるさはいかがなものかと思わずにはいられません。

 そこへ行くとやはり対戦は格段に楽しい。何といってもすぐ終わる!(←まずそこか)
 短時間の中に努力をぎゅっと詰めて、連鎖がつながるかどうかは運任せ。
 他のモードではときに腹立たしくもなる、敵の登場パターンによる連鎖のぶれが、このモードではいい具合に実力差をうち消す働きを示しており、うまくはまったものだと思いました。
 人事を尽くして天命を待つ態勢なら、たとえ負けても悔いは残らない。


10/20(土)

 『EVERY EXTEND EXTRA EXTREME』にはネット対戦モードがあって、連鎖の数だけ陣取りして所定量を押さえたら勝利、というシンプルなものなのだけれど、これが非常に熱く戦えて楽しい。
 自機が自爆によっていなくなったことで引き起こされている以上、連鎖中は画面中の敵爆発エフェクトを見ているだけ、かというとそうでもなく、画面の左辺におおかたの注意を振り向け、残りで全画面の連鎖状況を軽く目で追う、という形に。
 画面左辺には、対戦相手の(そして自身の)戦況がレポートされるのです。

 ネットの向こうの相手が直接見えず、送られてくるのが連鎖の末の負荷だけでは風情がない。
 刻々と文字で報告されるレポートからは、相手が連鎖している様子や、曲のリズムに合わせたボーナス取得状況や、たまには敵にぶつかった様子やらが分かり、それを通じて相手の作戦もほの見える案配。うまい人の手筋はここから学ぶのです。
 特に重要なのが、相手から送られてくる攻撃の大きさ。

 陣取りは一つの数値(-100〜+100)で表されます。攻撃されるとこの数値がマイナスになり、-100になると負ける。
 現在の数値と送られてきた負の数値を足し合わせ、-100を下回るようなら、放っておいたら負け。ただし、負けが確定するのは、敵の攻撃が終わって数値の加算が完了したとき。
 陣地の値は、瞬時に変わるのではなく、メーターのように時間を掛けて変動します。だから、値の変化が終わるまでの間にこちらも反撃すればよい。
 それが急場しのぎか、攻撃を予測して溜めに溜めた渾身の一撃か。そういう駆け引きが面白いのです。戦いというより、相手と共同作業を行っている気分。

 これに延々とかまけ、他のモードをおろそかにしていました。最後までおろそかにし続けておけば良かったかも知れない。
 最後に試した「R4」モード。Rはリベンジの略とのこと。今まで自爆しかできなかった自機がショットを得て、直接制裁に乗り出せるように!
 ……どうしちゃったんだ『EVERY EXTEND EXTRA EXTREME』。ショットを自由な方向に撃てない
『Geometry Wars: Retro Evolved』という悲惨なものがそこにはありました。
 しかも悪夢のステージ制。1面クリアごとにどこかへダイブするような映像が挟まれる残念ぶりです。
 実績の一つに100面クリアというのがありますが、これほど退屈なゲームを頑張って100面まで進めようという気にはなれませんでした。せめてぱっぱと済めばねえ。

 さて、また対戦に戻りましょうか。だらだらやるより、むしろ飽きるまで一気に遊び込んだ方が後を引かないかも知れないし(←新手の言い訳か)。


10/19(金)

 まさか「残機」の概念がなくなるとは! 残機数が増えることがないのなら、どうしてそれにExtendなどと名付けられるだろうか?
 いや、爆発したその一機が常に蘇り続けてそこにいる、それゆえに死に続け増え続けている、とでも? むしろこれまでのEveryこそが偽りだったとでもいうように?

 そんな調子で、PSP版以来、自分にとっては2度目のタイトルであるところの『EVERY EXTEND EXTRA EXTREME』を遊んでいますが、大胆なルール変更にびっくり。
 これにより、ゲームの足枷が時間切れだけになってしまいました。そして時間補給アイテムは割とわんさか出るため、一気にだらだらプレイ向けに。
 音楽と画像エフェクトの垂れ流しに重きを置いたのか。スコア稼ぎに血道を上げていたらいつの間にか全滅でゲームオーバー、というPSP版のあのバランスは好みだったのだけれど、それが望みならPSP版を遊べ、ということなのだろう。
 これだと終わらない。飽きて、あるいは実績に届いたからいいかと終わらせる感じです。

 スコアランキングの上位につけるチャンスがある、という発売直後の楽しみを、今回初めて味わうことができました。なるほど、これはちょっと気分がいい。
 昔、陸上の世界大会か何かで、予選突破して本戦最下位だった日本人選手に対して「世界の8位です」とやった名実況があったけれど、それを思い出しました。
 同じ条件なら、すぐ目につくステージ1は選ばないというのもポイントか(←そんなに載りたいものか)。

 今回の移植版のもう一つの特徴に、曲のテンポに合わせて自爆させると高得点、それを続けると倍率がかかって点数がうなぎ登り、というのがあり、これには大張り切り。
 何しろこの3ヶ月間近く、どれだけ多くの時間を、まさにこのリズム刻みのために割いてきたことか。それが他のゲームで日の目を見るなんて思わなかった。いくらでもつないで見せますよ。
 もっとも、そんなふうに高をくくっているときに限って外してがっくり来るのはお約束と言えます。
 まあ、実は『リズム天国』の経験を生かしているのですが。懐かしいなあ。それ、ジャストアピール!(←『リズム天国』にそんなものはない)


10/14(日)

 苦闘2ヶ月半(/2本)。ついに『オブリビオン』のメインクエストを制覇いたしました。
 ラスト、世界崩壊の象徴を目の前にして、一介の人間(いろんな種族がいるから、このゲームでの、の意)にはどうにもできない絶望感。そして壮絶な戦い。
 
『ゴッド・オブ・ウォー』の最終戦を思い出しました。大きいってのは純粋に迫力があってよろしい。

 大きな区切りがついたと一息入れながら、説明書を読み返しなどしてみました。内容を把握した後でだと、見る目が変わって新たな発見があるもの。
 そして案の定、見落としがあるのを見つけました。コントローラーのボタンに直接割り当てられている機能のうち実に2つを、これまでのプレイを通して一度も使わないままでいたことに気づいたのです。
 「待機」と「つかむ」。

 「待機」は、絶えず流れるゲーム内時間をすっ飛ばすのに使います。時間指定があるイベントで便利。
 裏を返せば、そのような便利機能を知らないでのプレイにおいて、時間指定イベントは「やらない」「別の場所で別のことをしながら」「ただ無為に待つ」の3つで補うものだったのでした。
 1週間(ゲーム内時間で)待ってタイミングを図るイベントなんかがあって、こんなものやってられるかと放置していたのですが、そういうことだったのか。やってられないのは自分の注意不足を棚に上げて文句を言われるゲームの方でした。やれやれ。

 もう一つの「つかむ」は、ゲームを進める上で大きな寄与は果たさない……と思っているのですがどうだろう。
 ただ、棚陳列なんかの遊びには絶大な効果があり、このような苦労の効率を劇的に高められるのは間違いありません。あーもう。
 あともしかしたら、使い方がさっぱり分からず、「これ対象が『遠距離』だけど操るのは自分なんだから『自己』に向けて使うのが正しいのではないか、でもそんな指定はできないし?」と悩んでいた、説明書は「離れた場所のアイテムを取れる」というもののさっぱり成功しなかったために謎と位置づけていた魔法「念動力」も、このボタンで何とかするものなんだろうか。

 その検証もしながら、あとはぼちぼちとつまみ食いして終わりとしましょうか。まだやってないことは山ほどある、というよりやってないことの方が多いくらいなのだろうけれども。
 このたびクリアしたイベントがゲーム上メインであっても、エンディングに突入したりはしません。ムービーはあったな、程度。クリア前後で変化は起きても、崩されまではしない、確固とした世界がここにあります。
 一人が消えるなんてなおさら。主人公だって例外ではない。いついなくなったって、ルールは保たれたまま、世界は気にせず運営される。許された行動のうち2つも無意識に封印するようなおっちょこちょいならなおのこと(←よっぽど悔しかった様子)。
 ただ、そこに住む誰彼となく、幾世代にも渡って、おっちょこちょいの英雄にまつわる話は語り継がれていくだろう。それを想像して、十分満足したいと思います。


10/6(土)

 以前に一度試してぼこぼこにのされて以来、懲りて遠ざかっていた「敵と戦わず、一目散に目的地に急ぐ」という『オブリビオン』ダンジョン内の戦法が、目的地を示すコンパスにべったり頼りさえすれば有効であることが分かり、一気に先行きが明るくなりました。
 システムの助けに甘えまくっているのが情けないけれど、正直に言えばもう意地を張る力も失せてきたところ。そしてまた、敵の攻撃を背後から受け続けても耐えられるほどキャラクターが強くなったという事実がある。努力が報われる時が来た、そう解釈してもいいのではないでしょうか(←誰に言い訳しているんだ)。
 手ごわいというだけでなく取り組むのが億劫だったオブリビオンの門退治がぐんぐん進む。慎重になりすぎていらぬ時間を掛けていたのだ。それで面倒がるなんて世話はない。
 もっとも、メインストーリーを進めていったら、いずれそのスピーディーなプレイスタイルを迫られる場面が来るのでした。このタイミングまで狙い通りだったとしたらどうしよう?
 ひときわ大きな門と取り組むあのシーンでコンパスに頼らない、そのストレスは想像を超えます。

 ところで、一人称視点で能動的に何もかもやっつけようというゲームをあまり遊びつけないから余計にそう思うのだろうけれど、世の中には「一人称視点こそゲームに最も適した姿」という発想があるのでしょうね。そしてその背景には、プレイヤーがゲームの世界の一員である、それが当然だという考え方があるのだろう。
 その立場からは、見て理解してもらうためには画面を通して得られる情報は多くなければならず、ゲーム機が進化して細かな表現が可能になればその方向に突き進むのが必然となり、画面が広くなるならこれまでふさがれていた視野が広がって歓迎だし、それでも対応しきれない後ろ側からの情報をカバーすべく背後からの音響にも対応し……
 と、うまいこと環境に適応して広がっていく考え方だと思います。このお化けゲームは適応しすぎの気もしますが。

 さて、それが当然ではない、というのが当然のように思っている立場はどれくらい肩身が狭いものなんだろうか。
 ゲームは目の前にあるものが全て、広げる必要がないし、音だって目の前から出てくるに決まってる。なぜならプレイヤーはゲームの世界から離れたところにいるのだから。
 それが自分の常識だったことに、改めて気づかされます。
 そして、同じく一人称視点の形を取りながら、プレイヤーにゲームと世界を共有させるつもりがなかったから、描画はほどほどにしておいて、言いたいことは文字で画面の多くは下側に書き連ねられる、あの読みものタイプのゲームが生き残ってきたのだろうと、これは同志の意識を勝手に持ちながら思っているのです。
 そんな読み物ベースのゲームがいよいよ絵に力を込めたときの例として、『アイドルマスター』が目の前で動いているのを見ると、この発展の仕方は本当に面白いと思います。
 『オブリビオン』が画面の美しさをいくら謳っても、あれは見ることを目的に遊ぶゲームじゃないからなあ。

 何かを言おうとしたとき、どれだけサンプルが偏っているかは、いつだって気にならずにはいられない。


10/1(月)

 自分の内から言葉が涸れつつあることを自覚したので、発話なり文章なりにして少しでもリハビリしていきたい。
 思えば、Xbox360を迎えてからは特に、週末の一日を一言もしゃべらず終えることもまれではないし、テレビも見ないから他人の声も聞かない。この日記に書けるネタはたくさんあるように思えながら、一旦ゲームを始めるとそちら側へ、言葉の形になる前のもやもやした思いが全て吸収されてしまう。
 自分の感想の量など遠く及ばぬ容量を、
『オブリビオン』にしても『アイドルマスター』にしても持っている。前者は世界の途方もない作り込みが、後者は歌い踊る姿と対人戦の妙味が、尽きるともない吸引力を発揮し続けている。
 まとまった時間が取れたら前者が、ちょっとした息抜きには後者が待ち構えている。前門の門、後門の娘といったところか。わけが分かりません。

 この挟撃から脱出できるとしたら、一区切りつくような大きなイベントを前者で迎えるか、後者をルーチンワークと感じるようになって飽きるか。
 しかし、先を見はるかせば、この2タイトルの後ろに、規模の大小問わず雲霞の如き「すごい」タイトルの大軍がスタンバイ。
 もう逃げ場はないのかも知れません。



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