ゲーム+α日記(2008年3月)

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3/28(金)

 解禁日を勘違いするほどには冷静ではなかったということか、内外ごたごたあったもののようやく、『アイドルマスター ライブフォーユー!』の新曲「shiny smile」で遊ぶことができました。
 他の曲と同様、これもまた全員が歌っていて、注がれている労力には頭が下がるのだけれど、このゲームが目指すべきは従来と同じ方向ではないだろう、という気もしてきました。

 前作の対戦モードにおいて、各プレイヤーがどの曲を選んでいても同じ時間内で対戦できるように、かつゲーセンにあまり長居されないようにとの条件から設定されたのが、各曲2分という時間なのだろうと思っていますが、このソフト専用の曲ならばそういう制限がいらない。
 また、ソロからトリオまでのあらゆる組み合わせに対応する必要もなくなってしまっているから、必ずしも全員が歌っていなければいけないわけでもない。
 キャラごとのソロアルバムで使われた新曲を、そのキャラ限定の扱いで配信しても、もういいだろうと思うのです。膨大なその組み合わせをオーディションで味わえるならともかく、見るだけに留めておくのは、プレイする側が作り手の労力に報えないと感じます。フルバージョンで流したって、そっちの方がまだ楽をできるのではないか。
 倒れるまで頑張るなんて言わないで、無事に、できるだけ長く続けて欲しい。そして、ここぞの場面で溜めた力を開放して、感心させて欲しいのです。


3/24(月)

 『アイドルマスター ライブフォーユー!』では結局1枚の写真も撮ることなく今に至っていますが、決してカメラ嫌いではなく、ゲームによっては少女を被写体に据えて激写また激写。
 そののち、身をよじって逃げようとするその子をあやすようにやさしくなでた上で解放。その後はフィルムを実弾に持ち替えて、相手を替えて撃射に走るのでありました。

 一人用の、従って物語をたどる要素の強い一人称シューティングであるところの『バイオショック』を遊んでいると、あっという間に時間が過ぎる。恐怖が慎重さも興奮もかきたててやみません。
 そんな全編非日常の閉鎖空間に頻繁に挟まるのが水道管ゲーム、というのだったっけか? 絶えず行進する液体をゴールまで導くべくパネルを入れ替えて道を作るミニゲームを解きまくりです。
 一応、この液体は金属であり、主人公が操る特異な冷却能力を用いることによってこの液体の粘性が高まりタイムリミットが延びる、といった設定とゲーム内容の摺り合わせがあるらしく、それはすばらしいのだけれども、それでも違和感は残る。いやなら解かない方法を探ればいいのか。でもつい頑張ってしまうのだよなあ(←楽しんでいるならいいではないか)。


3/20(木)

 人間頑張れば意外にできるもんだね、と限られた方向でも可能性の豊かさに思いを馳せながら、当座の目標到達により『アイドルマスター ライブフォーユー!』を卒業。
 4日後には再入学ですが! でも新曲が出てもしゃかりきに取り組まなくて良い。この心の余裕は大きいです。大らかにダンスを眺めればいいじゃないか。
 そういえば100位って数字は、かの
『CONAN』でのネットワークスコアランキングのあまりの寂しさから連想されているのかも知れない。いろんなゲームが、同一のプレイヤーたる自分の中でつながっています。

 ところで、ゲーム内のスコアなら良いけれど、ゲームの外で統一されたネット的スコアである実績にあまりこだわりすぎるのはどうかと、この間の実体験で思いました。
 ドリームキャスト版があるんだし別に重ねて買わなくてもいい、でもこれを契機に別のゲームが生まれるかも知れないと思えるなら払おうか、そんな気持ちでXbox LIVE Arcade版『トリガーハート エグゼリカ』をダウンロードしてちびちび遊んでいたところ、イージーモードで気軽に進めていたはずが、序盤に1機を凡ミスで失った途端に激しく腹が立ったのです。
 このゲームに、この遊び方に対するいらだちとしてそれは常軌を逸しており、原因は「ノーミスクリア」「トゥルーエンディング到達」といった実績の解除がこの回は果たせなくなったことにあるのでした。
 どうかしてる。これはいただけません。実績はあくまで副次的要素でなければならない。そういう当たり方をされたら、『エグゼリカ』も気の毒です。


3/17(月)

 『アイドルマスター ライブフォーユー!』を遊んでいる最中、呼吸が不規則になっていることに気づきました。
 正確には、息を吸わなくなる傾向にあるので意識して空気を送り込む必要があって気がついた、というべきか。
 別に動画に興奮して、というのではありません。

 1人称視点コンバットシューティングゲーム『コールオブデューティ4』で、銃を構えて照準を覗いたとき、その照準は緩やかに上下動しています。ここでスティックを押し込むとその揺れは消え、より精密な射撃ができるようになります。
 そこには、人間は息をしており、それによる動きが呼吸が狙いに影響を与えるが、息を止めることでしばらくは体の揺れを抑えられる、という理由付けがありました。
 なるほどといたく感じ入った記憶があります。このシリーズかFPS全般か、どれだけ広まっているルールかを知らないのはさておき。

 その経験がきっと、ここで活きているのです。
 正確なエイミングのためには呼吸を操るのが有効であることを教えてくれてありがとう。存分に応用していきます。
 とっておきの姿をファインダー越しにエイミング・シューティングしていくのが活用の王道なのだろうけれど、このゲームでの自分の好みは応援のみ。新曲配信日あたりまでを目安に、今日も頑張っています。

 あと、『コールオブデューティ4』の件では大いに感謝しておりますが、同じ発売元が『ギターヒーロー3』のXbox360版を出してくれないから余計に『ライブフォーユー!』に傾倒しているのだという思いも、1%くらいなくはないと思う今日この頃です。
 まったくもう。


3/13(木)

 開眼した!
 とまでは言い過ぎかも知れないので、壁を一つ乗り越えた、くらいにしておこう。気分的には階段なら3段飛ばしで駆け上がった勢いです。

 『アイドルマスター ライブフォーユー!』で声援を送るに当たり、上級コースでは早いテンポに同調した刻みを、休符を混ぜながら規則的に入力するシーンがよくあります。一小節の8拍を2拍1休4拍1休に割り振って繰り返し、のように。
 この例の中なら特に4拍を打つとき、これまでは4拍の間隔が等しくなることを優先させていました。その場合には、親指の先だけの動きではなく、テイクバックの距離を大きく取れるよう、親指の付け根から指全体を動かすようにしていました。
 テニスでボールを打つとき、ひじから先の動きだけで打つとボールの向きが安定しないのに対して、肩も使って大きく振りかぶると球筋が落ち着きます。大きなスイングは、各パーツに力が偏らない分、動きが乱れないのです。その対比に似て、大きなスイングを取った打ち方をしていたと言えます。

 しかしこの方式にも欠点が2つあります。
 一つは1拍目を狂わせるとそれが後々まで響くこと、もう一つは間隔が曲のリズムとずれていた場合に修正が利きにくいこと。もともと動きの乱れを排除するためのこの方式なので、動きを速めたり遅くしたりの力の介入には抵抗が大きく、なかなか矯正はうまくいきません。
 ちょうど丸底の容器の底に、ある程度の長さの棒を深く沈めようと努力するようなもの。常にどこかが引っかかり、底面をなぞるように鎮座することはなかなかありません。

 それに対して、正攻法の対策があります。一拍一拍でリズムを合わせようと努力すること。振りを小さくすると1点の狙い打ちがしやすくなります。それを、次々来る音符の速度に負けないよう、毎回正確に狙っていく。
 こちらの欠点は、これまでセットで考えれば良かったタイミング合わせの回数が、一拍ごとにばらすことで格段に増え、判定合わせに追われること。

 全ての音符を受け付け入力時間内に何とか押せればよい、ばっちりのタイミングまでは求めない、というのであれば、前者のセット入力方式は非常に有力です。音符をまとめて扱える分、払う注意が少なくなる。
 しかし、全ての音符がパーフェクトなタイミングで合わされるべきだ、という理想論に則るなら、いちいち合わせるのが面倒くさいのしんどいのと言ってはいられません。正攻法で攻めるのが正しい。
 長い棒ではなく、細かく刻まれたかけらこそが、丸底を敷き詰められるのです。

 いわば車の運転のオートマからマニュアルへの変更に相当するような方針転換によって、努力の末に再びスコアは増加に転じました。
 遠のいていた目標がまた近づいてきた。走る電車の傍らを自転車で追いかける、そのペダルをこぐスピードが速まってきた感じです。
 電車はやがて速度を上げ、当方は力尽き、最終的には両者は分かたれるだろう。しかしどこかある一時点で、先頭から100番目の窓に手が伸ばせたなら。
 そんな夢を抱いて、今日も応援にいそしみます。


3/10(月)

 『アイドルマスター ライブフォーユー!』における応援スコア上昇度は、フルコンボ達成後に正確さを競う段階に入ると途端に地味になります。
 それほどコンボボーナスの寄与は大きく、しかしみんながゲタを履けば正味の身長比べにならざるを得ず、気がつけばそれまでと一桁も違う100点単位の伸びで喜べる感覚をものにしていました。
 そのようにして、爪に灯をともすようにちまちまとスコアを貯めていくのですが、その速度では総体的な伸びに呑み込まれ、得点は高くなっているのに順位は下がるという悲しい目に。
 もはや順位しか見えない。ちらりと抱いた夢、総合100位が、どれだけ遠いものであるかを今ははっきりと自覚しつつ、しかし少しでも応援技量の向上を目指し、今日も各ユニットに動員を願うのです。

 野球の試合があるスタジアムの外野席で、試合そっちのけで応援に明け暮れる人の気持ちが少し分かった気になりました。
 いや、そっちのけじゃないのか。ないのだろう。当方とて同じです。


3/8(土)

 『アイドルマスター ライブフォーユー!』における1/100PC用ボイスメッセージ問題は、「その1/100はゲームプレイ回数じゃなくて1ゲーム中にボタンを押す回数に分割できる」ことに気づいたことで、解決に向けて大きく前進しました。
 やってみなければ思い当たらないことってあるものだ。普通にプレイして、いい盛り上がりで来た終盤にキリ点が出たら、その瞬間から応援を一切やめてしまえばよいのでした。当然ライブの熱気はぐんぐん冷めていくけれど、持ちこたえてゴールを迎えれば、念願のメッセージのご開帳。
 最終スコアが目当てのものになるまでなんて愚かな目標の下でやよいを酷使しなくて、良かった良かった。そして、その身の上から何ものも粗末にしないやよいが、PC上のファイルを捨てるのに相当するとおぼしき台詞で激しく抵抗している様子が聞けて満足でした。
 ……真美のときとえらく反応に差がありますが、それが小鳥さん言うところの「やよいちゃんに対する愛情のなせる技」かどうかは後世の判断を待つことにしたい(1秒くらい後か)。

 ところで、この小ネタはゲーム内で完結してから良いとして、気になっているのはユニットを選んだ直後の、各アイドルとの楽屋での会話。
 みんな何やら慌てたり焦ったりしているのだが、そのうち真相が明かされるのかと思っているものの、遊び続けていても謎は解明されない。
 もしかしてこれ以前の出来事が別のメディアで展開されているのではないだろうか。そしてそれは、このゲームの限定版に付いているというDVDアニメだったりしないだろうか。
 数少ないと思われる通常版購入者としては、少しだけ気にかかり、もし本当ならテレビコマーシャルの「続きはWebで」に通じる腹立たしさも覚えるのですが、さてどうなのやら。


3/7(金)

 ゲームを作る人は果たしてゲーム好きなのか。ゲームに商売として関わっていると、ゲームを好きの嫌いのという感覚では語れないのではないか。
 どこかでそういう説を目にしたことを、『アイドルマスター ライブフォーユー!』を遊んでいて思い出しました。

 ところで、スコアが切りのいい数字だったからということで、今回の案内役にして昔ながらの2D表情の切り替えがアイドルたちの動きぶりに対して切ない765プロの事務員・音無小鳥嬢より、当人のPCにセットしてあるという、所属アイドルの吹き込みによるボイスメッセージなるものをゲームクリア後に聞かされたのですが、これをどうしろと。
 いや、これの価値は想像できますが、小鳥さんがファン代表をうらやましがらせるためだけにこれを披露に及んだとはとても思えません。その手のアクセサリー集も登場するってことなのかなあ。PCで使えなければ意味ないのだし。
 条件は一の位・十の位が両方ゼロ、かつそれなりの成績、ってことでいいのでしょうか(0点では登場せず)。ぞろ目というなら1/10だけれど、もしそうならプレイ回数からしてもっとお目にかかってもおかしくない。1/100とはまたシビアなものだ。
 たまたまぶち当たったのは真美の回でした。全員分あるのだろうなあ。相変わらず表に出ないところで妙に手間をかけるものです。
 完全コンボゲーなだけに曲の後半にはぐっと緊張が高まるこのスコアアタックを繰り返しているうちに、偶然は再び訪れるだろうか。どんどん行くぞ、やよい!(←児童不法就労の容疑)


3/5(水)

 『アイドルマスター ライブフォーユー!』にて次々と過去のユニットを再現させていくと、懐かしさが込み上げてきます。
 旧友に再会した心地。そして今の自分は立場違い。
 一方では全く本編を知らない人が初めてこっちを遊んで、アイドルの素顔を垣間見てゲーム中の主人公と同じようにギャップに驚く、というような反応も非常に捨てがたいと思いつつ、本編へのこの思い入れは今作を楽しめる大きな要因になっています。

 しかしながら、せっかく前作の衣装・アクセサリーがそろい踏みしていても、いろんなパーツを試してみる頻度は前作の方が高く、その点は残念です。
 前作の各素材には、見た目のかわいさ←→ダサさの軸とは独立に、オーディションに力を発揮するパラメータの強さ←→弱さという項目があり、後者を重視することでどのアクセサリーにも着用のチャンスがあったのです。強いアイテムは言わずもがな、口幅ったい言い方をしますが「全力で戦う楽しみを限られた条件下で得るために弱いアイテムを選ぶ」方針もあった。
 その結果、外見がしょぼくてもパラメータで選んだヘンテコスタイルによるステージが(オーディションを勝ち抜ければ、ご褒美として)披露され、勝利の喜びのほかに、思いもよらぬ組み合わせの妙を楽しむこともできたのでした。あるいは、何を着せてもやよいはかわいいなあ、と魅力を再認識するとか。強さの軸がない今作では、そういう機会はなかなか訪れそうにない……
 はっ! 雑誌『ゲームサイド』8号における「ゲーム日本史」特集で提唱されていた「やよい時代」が、当方にも訪れている!(すでに
昨秋から始まっていたくせに何を今さら)


3/1(土)

 体感的にもやたら遅れて届いた『アイドルマスター ライブフォーユー!』ですが、さっそくプレイしてみて改めて、自分がいかにステージでのライブ活動を大切に思っていたかを実感しました。
 ライブ主体というのは言うなれば旨いおかずを毎回食べるようなもの。主食が別にあってたまのごちそうだから引き立つのだよなあ。目下は音ゲーパートのスコアアタックに熱中。これをゲームの屋台骨とするには太さが頼りないけれど、自然にそうなります。

 広大なアイテム置き場の空き地がありながら早々に「アイテムコンプリート」宣言をゲームから出され、追加分の多さを教え込まれたときには驚きました。他にも総じて素材が目に馴染みまくり。それではということでで、対抗してこちらも使い回してみました。
 それは『アイドルマスター』本編で名付けたユニット名。適当なネーミングではどうしてもプロデュースできず、ゲームしていない間も良さそうな名前を考えたりなど、ある意味『アイドルマスター』プレイで最も時間をかけた部分であるため、ここに改めて投資する時間は惜しい。
 そしてそれは正しいことなのです。なぜなら『ライブフォーユー!』は、あのアイドルたちにあこがれるファンの立場になるという設定。であれば、今回登場するユニットの組み合わせ・名前は、主人公であるファン代表にとって実在したものに他なりません。
 ソロ活動を含む全てのユニットに一旦は必ず命名の機会が与えられるこの世界では、個人だけでなく、「あのユニットをプロデュースできる」という夢だってより強く現実味を帯びているはず。彼がそう願うなら、その夢はここでかなえられるのです。



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