ゲーム+α日記(2008年11月)

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11/30(日)

 『インフィニット アンディスカバリー』のクリア後の挑戦に、最後までたどり着いていないのに、もうゲームは終わったような感じでいます。
 このゲームの実績の設定が、そのおまけにまで踏み込んでいるようでいて、内容と寄り添ってまではいないからだと思います。だから、実績とゲーム進行を切り離して、前者を優先させ、そちらの手の届く範囲を見定め、達成されたら満足してしまう。
 そういう実績の付け方は、いくらプレイ時間が長くなろうとも、このゲームを遊んだ実感には結びつけられず、結果的にはこのゲームに不幸をもたらしているように思います。

 とにかくたくさんの素材が、このゲームのために用意されたことは分かりました。
 それらを使い切れなかったのなら、無理に盛り込まずに次回作に回せば良かったのではないか、と思えてなりませんでした。
 例えば、山中の城と砂漠とをつなぐ坑道。ストーリーを通してそこへ赴くことは一度もなく、その割にトロッコやら呼び出し口やら、ここにしかない仕掛けが組まれている。
 例えば、エネルギーを過剰に取り込んでえらいことになる仲間、という演出。延々と眺めていると、このキャラがこんなことをとその行き過ぎ感に驚く台詞が次々に発声されます。
 どちらにも実績が絡められているから見てみたけれど、普通にプレイする分には素通りする。そしてそれが面白いかというと、そういう発見があるから面白いかも知れないけれど、本編の楽しみを増してくれるわけではありません。

 そういう副次的要素より何より知りたかったのは、世界観の根幹であるはずの、「この世界で『月』とは何だったのか」ということであると、さっき思い当たりました。
 少なくともゲーム開始当初は、夜になると現れて満ち欠けする、現実にあるあの月のことが念頭にあった。そう思わせるのは狙いだっただろうし、共通点も出てきた。ではこのゲーム独自の点は、と問うことはプレイヤーには分不相応なのでしょうか。
 それが知りたいとの思いが無意識にでもあって、エンディング後もこのゲームには未練があったのでしょう。でも多分、探しものはゲームの中にはない。
 まああったとしても、本編で出てこないことへの謎は消せないのですが。

 ということで、プレイ終わり。
 何だかんだとこだわった実績も、頑張れる範囲でという括弧つきであり、我ながら良くやったとは思うけれど、攻略法を見ながらのトレースプレイは自分の心を浮き立たせないことが改めて分かって、それは収穫だったと言えるかも知れません(決して短いとは思われないゲームとの付き合いの中で、繰り返し採り尽くして養分の失われた農地からの)。


11/24(月)

 ここでゲームの話をするのは、自分の中で溜まった思いを成仏させるためだと、最近実感してきました。
 時間が経って細部を忘れると、ただでさえつたない言葉への変換技能がさらにさび付く。消化不良のままに次から次へと詰め込むのは、健康によくない。
 食事みたいに直接的に蓄積されるものであれば分かりやすいけれど、ゲームのように気持ちへ作用するものさえ、飽和は毒になる。ましてや、その世界では力そのものとされる源をむりやり送り込まれたら、どんなに大変なことになるか!

 そんな文脈はゲームを始めた頃はなかったのだけれど、『インフィニット アンディスカバリー』をエンディングまで迎えたところで、かの地の人々を襲った災厄について、そのような想像で近しさを覚えるのでした。
 とはいっても、そういったストーリーや、アイテム合成などのシステム、メッセージの小ネタといった伝統的な和製RPGの面白さが、このゲームの次の場面への進ませ方とは噛み合っていない感じで、ジャンルの過渡期を目にしている気分で遊びましたが、最終的には従来勢力が押し切って判定勝ちを決めた印象です。
 出色だったのは終盤での主人公の感情の移り変わりで、これには俄然目が覚めました(←それまで寝ていたのか)。これが最もよく表されていたのが、種々の派手な演出を差しおいて、「称号」という文字の小ネタであったあたりが、このゲームの味なのか。
 あんまりその辺のどろどろを深く追求しないこれくらいの方が万人向けだろうというような安堵8割残念2割の解決を経て、主人公一行は最終決戦に臨むのですが、その大事な日の始まりの彼の台詞に、彼が白い絵の具を全部使って明日を塗り替えたかのような趣を覚えて、それがこのゲームで最も印象に残るシーンとなったのでした。
 ……だめだ、このたるんだ気持ちを叩き直すべく、クリア後の追加要素へと邁進しよう(←せっかくここで消化したゲーム成分がまた過剰摂取状態に)。


11/17(月)

 ようやく落ち着きつつある今から振り返ると、やはり『バーンアウト リベンジ』の突然の乱入がきっかけだったのだと思う。
 ぼんやりとでも決めていた、この秋には特に顕著な「リリースされるゲームを遊ぶ優先順位付け」の前に、何の前触れもなく突然現れた、廉価版になってさえ日が経ったタイトル。その無理が通った段階で、すぐには現れなくても、秩序が崩れたのだろう。
 ゲームはとても面白かった、その点に不満は全くない。問題だったのは、このゲームを遊ぶことで許容量があふれてしまったことで、その結果、一本のゲームに集中せず、見境なくいろんなゲームに手を出すようになってしまった。歯止めがかからなくなったのだ。
 とりわけ、Xbox360では、買いに出かけなくても、通販の到着を待たなくても、ほぼ瞬時に手に入るLiveアーケードがある。これは危なかった。
 つまらないゲームを引き当てて我に返らなければ、だらだらとつまみ食いし続けていたかも知れない。一方で『Braid』という儚くも鮮烈な印象を残したゲームに出会えたりして、決して悪いことばかりではなかったにしても、ゲーム無間地獄のような状況に陥り、集中して遊ぶための整理ができなかったこの1ヶ月は大変でした。

 遊びで何をやっているんだと、自分でも呆れる。そして、同時期の実世界でも似たようなことで苦しんでいたものだから、やっぱりそれが自分なのかも知れないとも、諦め混じりに思うのでした。



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