ゲーム+α日記(2009年9月)

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9/28(月)

 最近のXbox360のどのコンテンツにも、他のプレイヤーによる評価が5つ星形式でつけられていて、ネットに接続している限り否応なく見せられるものだから、選ぼうとしているものが低評価だとやる気もなくしがち。
 他人の意見に惑わされない強い心が、不遇なゲームたちに求められています(←ひとの話を聞けないことの正当化か)。

 全方位シューティングでもバラエティに富んだものがどんどん出て欲しく、体験版の試しプレイはしたものの、スムーズに本編へつなげるための儀式のようなものとして、『Ion Assault』を遊びました。
 和訳は一応されていますがヘンテコ気味。タイトル画面からして「押してくださいA スタートするには」です。その倒置形にどんなドラマが隠されているというのか。
 それはともかく、ゲームは溜めを駆使して敵を撃ち倒す……と思いきや、「溜めを駆使して」までは共通でも、その際に自機の周りににじみ出る雰囲気で敵を倒していく、というものでした。雰囲気ゲームというやつですか(違う)。

 フィールドには霧のようなものが漂っていて、自機はそれを引き寄せることが出来ます。多くを集めて撃ち出せば強力なショットとして使えますが、自機は無防備になってしまう。それに対して、引き寄せっぱなしにしていると、バリアのように自機の周囲を覆ってくれ、敵にダメージを与えるのです。
 ただし、時間が経つと溜めの効果は薄れてしまう。横着はできない仕組みです。
 ショットを撃ち込むと霧はフィールド上に乱れ拡散するので、また集めに移動する。一箇所に留まっていては霧が周りにいなくない、強いショットが撃てません。
 移動しては敵を倒し、の繰り返しに、敵や障害物から出るアイテムを間を置かずに回収、を挟んで、決められた障害物を全て撃破したらステージクリア。巨大なボスも待ってます。

 溜めを有効活用できるようになってくると、俄然面白くなってきます。
 ショットこそ命とばかり撃ちまくっても、ほぼ空撃ちでは満足な威力は得られない。溜め込んでそのへんの敵を巻き込んだりもしながら、満を持して濃い一撃を放てば、必殺弾が複数の敵を貫通し、じゃらじゃらとスコアアイテムを巻き散らしてくれます。
 そうやって遊べるかどうかが、これを楽しむための鍵だと思います。そんな手の込んだ仕掛けじゃないのに、どうして世間の風はこうも冷たいのか。



9/24(木)

 だいぶ以前に出たゲームということもあってか、ネット上の対戦相手が極めて少ないことは、『バトルファンタジア』を遊ぶ自分にとって幸せだ。
 と、ルールを呑み込んだ上での対人対戦にこそ醍醐味があろう格闘ゲームに対して、初手から勘違いの態度で臨んだところ、どうやら格闘ゲームアレルギーが出なくなるくらいには慣れることが出来たようです。
 何より、動かせるキャラクターが大きなアクションゲームとして遊べたのが大きい。

 コンピュータ相手の戦いは、相手の隙を見つけられるか、それをこれでもかとばかり攻め続けられるか、そのことに喜びを覚えられるかが大きな鍵となる。
 と思っているのは、対人プレイがそうではないと思っていることの裏返し。あれは楽しめれば結果は二の次で、究極の結末は死力を尽くした末の引き分けだと固く信じております。
 コンピュータにはそんなことは求めない。なんて、対人との見分けなんてつけられず、いつもたやすく騙されるというのに、頑ななことだ。
 かくして、「いかに強引に技を決めて短時間でクリアするか」「体力の温存を図りながらいかに生き延びつつ敵を倒し続けるか」「特定の状況下で変わった技をうまいこと出せるか」「(ネット上の手本を参照しながら)通常プレイでは思いもよらない連続攻撃をいかにつなげるか」「対戦はもうどうでもよくて、ストーリーをどれだけ堪能するか」などの、他者とではなく自分との戦いに注力し、けっこうな時間が注ぎ込まれました。
 楽しかった。どのモードも己の不出来に泣きそうになりながら、しかし最後にはよく頑張った。
 幾分かの驚くべき幸運も重なったように思います。30連勝を達成したときと、何千からなる体力の敵に与ダメージ1の技でとどめを刺す課題を乗り切ったときには、体中の力が抜けたものでした。

 ただ、ストーリーを楽しむモードは、その設定のしかたが残念でした。
 必ず戦いに突入するという制約の中でも、驚くほどバラエティに富んだお話が用意されていて、各キャラ2通りのストーリーを十分に楽しんだのですが、戦いをストーリーの分岐条件にするのは勘弁して欲しい。
 それもたまにならともかく、毎回負けを求められるのには首を傾げました。
 確かに、展開見たさに思わず負けたくなるような場面もあった。しかし、勝つことを運命づけられたはずのプレイヤーにそう思わせた段階で作り手の勝ち、わざわざ課題にすることはないだろうに。
 ということで、敗北が条件に含まれるストーリーモード完遂は早々に諦め。これにかける時間がもったいない。

 このゲームでここまで楽しむとはまたも予想外でした。
 主に十字キーの面で、別売りの連射パッドが大活躍のひとときでもあった。このゲームの全ての方向操作を十字キーで何とかこなしたのも、格闘ゲームをまともに遊んだのがスーパーファミコンの『ストリートファイターII』くらいでこのジャンルのレバー操作は全く門外漢、という非暴力派の当方ならではというところでしょうか。
 十字キーに布をかぶせると、適度に親指がホールドされて動かしやすいんだよなあ(←このあたりから、連続技入力スキルの低さなどが推定されますか)。



9/18(金)

 『ドリームクラブ』で雪が、たとえば自身のことを「セッちゃん」と呼ぶような振る舞いが、「そうせざるを得ない」ように見える、とは、本当はそうではないんだろうと疑っているものの見方を示したもの。
 それが、当人の「子供じゃないもん!」といった主張を信じた結果ではなく、全然ゲームに出てきていない別の理由があると仮定してそう思ったのだと考えたとき、これ以上疑り深くなるのに嫌気が差して、しばらくこのゲームから離れることにしました。
 もう少し素直に楽しめないものか。いくら話題作(ごく狭い範囲の)とはいえ、構えすぎではないか。

 それで、代わりに何でもいいや、ちょっとアクションぽいものを、と、未プレイのゲーム在庫から『バトルファンタジア』を引っ張り出して遊んだのですが。
 このゲームのことを好きです。でも、全方位に反論が用意されて抗えない不満を抱えて、あまりすっきりしてはいません。

 この暖かみのあるグラフィック、アクションもメニューもきびきび動く軽快さ、キャラクターの個性の多彩さ。とても強く思いがこもって作られているように見えます。1対1の対戦格闘なんてほとんど遊ばないけれど、このジャンルでこんなに見た目で気に入ったゲームは珍しい。
 そして、彼らを思うように操れずに、最弱設定のコンピュータ相手にさえ負ける己のふがいなさが悔しい。
 タイミング良くボタンを押すことでダメージを全く負わずに反撃できるシステムがあり、各人の攻撃のパターンを体に覚え込ませた上でこれを使いこなせれば、さぞや痛快な戦いが楽しめるだろう、いや無傷なのだから戦いとは呼べないほどの一方的な勝利を収められるんだろうと妄想するも、一試合に何十回もある被弾のチャンスに一度でも決められればいい方なのが現状。
 そりゃ練習が足りません。分かる。分かるのだけれど、これを身につけるためにどれだけ練習が必要か、想像したら気持ちが回れ右。
 想像しない力はどこだって重要なのだなあ。



9/15(火)

 ようやく『ドリームクラブ』に戻ってきて、今回は亜麻音と仲がいいというお子さま風な雪(せつ)をメインに据えてプレイ。
 この指名という制度は、「ある子を選んだら他の子は(主人公とくっつかないという意味で)幸せになれない」という、そのシナリオ自体で描かれでもしない限り考える必要がないのについ錯覚を起こしがちなシナリオ分岐型ギャルゲーの特徴に対する、勘違いしようがない明確な答えになっていて、好みとは言えませんが興味深い。選ばれなかった子は、他の客にその運命を委ねられています。

 あと、仲良しの概念があるように、別の子を指名することに女の子の側も必ずしも抵抗がないのも、特にゲーム序盤での利点と言えましょう。ドライさと親密さが言及なく曖昧にされていて、足繁く通うにつれて湿度が上がってくるのを体感、あるいはそう錯覚するという案配。
 新しい一年は始まったばかりだし、この子がなぜ子供っぽく振る舞わざるを得ないのかに注目してゲームを進めていきたい。



9/13(日)

 遊んでみれば球体の跳ね回り関連と納得できる絡みで『Peggle』をプレイしました。Xbox360側のサイトにやる気が感じられないので、メーカー側へリンク。
 『ドリームクラブ』への道のりは遠い。やっぱりあそこは簡単に入りこめる場所じゃないんだ(←そのぶどうは酸っぱいのか酸っぱくないのか)。

 どこかでブロック崩しっぽいと小耳に挟んだ気がしますが、見慣れていないからしばらく気づかなかったけれどこれってパチンコがベースなのですね。
 釘にひっかかってあらぬ方向へボールが右往左往するさまにやきもきするゲーム。ただし、ボールが触れた釘は消えてしまい、当初は釘だらけだった画面が寂しくなってくると、バウンド先まで読んで打ち出すことができるようになる。そうやって、手持ちの弾が尽きる前に釘を消していくのが目的。
 障害物を目標に替えたのはうまいことやったものだと思います。

 ほんの少し狙いがずれると軌道は大きく逸れるけれど、厳密に同じならば同じコースをたどるように見える。全ての場合に証明することはできないけれど、真下に打ち込んだ弾が、直下にある丸い釘の真上で横軸がずれることなく弾み、静止して釘が消えた時点で真下に落ちたのを見て、そう信じられました。
 変な揺らぎがないことは、その他の要素に運が大きく関わってくるだけに、このゲームには吉と働いている。安心して遊べる理由にもなってくれます。先述の挙動は、そのデモンストレーションとして重要だった。
 優先して消すとスコアを稼ぎやすくなったり、特殊効果がついたりするスペシャル釘があって、その位置取りが毎回ランダムなのです。さらに、回転したり振動したりと、打ち出してから着弾までの間で位置を変えるものもいる。
 それらがあるうちは挙動を読み切れるものではなくて、不確定要因はそれで十分です。

 序盤は不確定さが勝り、残りの弾数が少なくなる終盤は厳密さに頼れるというバランスが良くて、楽しく遊びました。
 ただ、もしかしたらこの楽しさは意図して調整されたのではなく偶然の産物だったのかもしれないと訝しく思うのが、一通りゲームをクリアした後に解禁されるチャレンジモードのお題の数々。
 うまくいかないときがあってもさらりと遊び直せる手軽さが利点のこのゲームで、なぜ最大10ステージ連続ノーミスクリアが求められるのか。最初から順番に解いていったところ、2、3、…と連続クリアのステージ数が増えていくので疑問に思って全課題を眺めてみたら、最後にはこんなのが待ち構えていました。
 それがこのゲームの面白さ(というより、面白さ自体はパチンコのもので、アレンジのうまさ、か)を損なうものだと直ちには思わないけれど、そんなチャレンジを組み込んで平気なのだとしたら、このゲームの面白さを作り手自身が素通りしているように見えて、一発屋の感じが高まり、次回作への期待が薄まります…なんて、出ていないゲームに期待する感覚は持ち合わせていないので想像でしかありませんが、その範囲では損をしているように思う。
 このゲームの寿命をいたずらに延ばそうとすることにどんな利点があるのか分かりません。惜しいことだ。



9/11(金)

 『ドリームクラブ』を遊ぶほどの気合いが溜まらない → ディスク入れ替えも面倒なので、LIVE Arcadeのタイトルからなにか → 『Trials HD』のデモを遊び、バイクの車輪の挙動に一喜一憂する → それを割と面白く感じながらも、同じように自機を腫れ物に触るように扱うゲームを遊びかけで放置していたことを思い出す → 『Marble Blast Ultra』を再プレイ、という流れが起きました。
 風が吹けばボールが転がる。

 実際、細い足場の上でボールを転がしてゴールへ導くこのゲームに、期待通りに面白がり、またいらいらもしました。
 最終面など30分以上も費し、これクリアしたら二度と遊ぶものかと思いながら、どうにかゴールにたどり着いたらすぐにネット対戦に出かけた次第。
 方向キーの入力は、自機を思った方向に直接動かすためではなく、自機に回転の推進力を与えるために働く。だから、接地していれば想像したように動いてくれるのに、空中で入力していると思わぬ方向へ跳ねてあっという間にコースアウト。
 一手間挟んだこのもどかしさが面白さだとは頭で理解しながらも、墜落しまくる現状を前にしてはつい不平や叱咤が口をついて出ます。
 やれ、大理石のくせに風に押されるなんてだらしないだの、バンパーにあまりにも軽やかにはねとばされすぎだの、坂道をもっと力強く上れだの。

 そういった不満は、しかし今回は織り込み済みの範囲。
 そもそも、もっと冷静に捉えれば、一介の大理石がむやみに位置エネルギーを稼いだり、どんなに高いところから落ちても割れることなく生き延びたり、ボタンを押したらジャンプさえしてくれることに、驚異と感謝の念を抱いても良さそうなものです。
 いや、それは言い過ぎた。感謝するなら、その中途半端な能力にというよりは、何度となく転落させられながら、このふがいないプレイヤーに一通りのクリアまで付き合ってくれた忍耐強さにでしょう。

 女の子と酒、なんていう有機物に取り囲まれた後だと、この無機的な世界がさっぱり好ましく感じられるから不思議です。
 以前『Marble Blast Ultra』を投げ出したときは、こんな理不尽なステージは到底解けないと思い込んだものだった。時間を置く効果・遊ぶタイミングというのはあるものですね。



9/8(火)

 『ドリームクラブ』の亜麻音ルートでの1シーンが、折にふれ思い出されます。
 ゲーム最終盤の、確か最後に選んだものだった話題で、もしかしたら見ないままエンディングを迎えていたかも知れなかったから余計に印象に残っているのかも知れない。以下、小ネタバレです。

 子供がかわいいかどうかについての酔っぱらいトークで、「子供一般 → 自身の子供 → 亜麻音の子供 → 主人公の子供 → 二人の子供」と話が展開していったのには、その場ならではの雰囲気の妙を感じました。
 相手が天然気味の亜麻音だからこそ引っ張れもしたのだろうけれども、そのネタで二人で笑いあえるならと、ここでハッピーエンドを予感したものです。これは見事だった。酒の力ってすごいなあ。
 そこまで見聞きした上でちゃぶ台返しの展開があれば、それはそれで現実の厳しさを味わうプレイとなって、また別の思い出深さに進展しただろう。実際にはそうはならず、自分が直前の一行の内容を虚構内虚構ではないと思える手助けをしました(←猜疑心の塊)。

 たった一人分でこれだけの感慨の波に揺られる。このゲームをオールクリアする自信がまるでありません。
 せいぜい応援合戦に繰り出し、みんなで仲良く1位を取って、喜びと報酬を分け合えるくらいで満足なのではないか。本編プレイの気合いが溜まるまで、ついLive対戦に流れて終わりになりそうです。



9/6(日)

 どこが間違っていたか分からないままながら、どうもこの『ドリームクラブ』ではイベントを起こすための鍵になる行動があって、それよりもクラブ通いを優先し続けたのが敗因なのかと、思い当たるイベントアイテムに気を配りながら、再プレイを進めていきました。
 それとともに、時折現れる3択選びでもより慎重に。3度目があるかどうかはともかく、結果が出たときにどれだけ間違ってプレイし終えたかを知っておくのは今後に生きてくると見ました。

 そしてどうにか、亜麻音ルートをクリア。
 ゲーム終盤のデートで、何とかして二人をくっつけようと悩みに悩んで3択選びをしたら、主人公があらぬセクハラ言動を繰り出していったあげくに誤り判定を食らい、こいつに彼女を任せたくない気持ちが噴き出ました。でも、それが彼女の選択であるなら、彼女の言葉を借りて「それがハッピーエンドなら、ありだと思います」。
 あくまで主人公にとってのハッピーエンドだとは思うのですが。

 クリアとともに、亜麻音の全プロフィールが埋まりました。
 このゲームでは各「ホストガール」に関する情報は、源氏名以外は知らされておらず、ゲームを進めて入手する方式です。
 それを集めていくのは収集要素であってシナリオ進行には必ずしも関わってこないようですが、最後まで残っていてクリアと同時に明かされた項目こそ、自分が以前、最初にこのタイトルを知ったときに
想像した事柄なのであり、それがこのゲームに、小さくても決して消えずに残る信頼を抱く理由でもあるのです。
 すなわち、本名。
 想像していたような読み物形式のゲームではなかった分、特別にそれで盛り上がるイベントというのはなかったけれど、それがスリーサイズなどを遙かにしのぐ最重要情報として登録されていることが、期待通りでした。



9/3(木)

 ゲーム本編の運びにかかわらず、その楽しさは疑いようのなかった『ドリームクラブ』の対人応援合戦。
 気を取り直してストーリーの最初からゲームを再開しても、本編そっちのけでリズム取りに参戦しています。
 画面の正面に向かって座り、足を組み、パッドの凹みをふとももに合わせて置きます。そして、左手の親指でX、右手の中指でB、人差し指でAと、各ボタンに指を割り当てる。
 今のところ唯一XとBの同時押しを求められる亜麻音の持ち歌「夢見るCaged Bird」対策でもあるこの布陣で、油断しなければどの曲も過たず盛り上げ抜く。歌い終えた後の一言コメントも徐々に温かい方面に変わってきたようで、ますますやる気が高まります。
 曲と人の組み合わせで希望が毎回通るとは限らないことも考慮し、ついには10人×10曲のマトリクスでチェックをつけ出す始末。歌う姿が見たければ、別にビューモードがあることも分かったし、心ゆくまで励ますことにしましょう。

 ところで、とりわけ好きな「コイヲシテイマス」という曲があります。これがかかると応援の成否さえ度外視できて、幸せな気分の塊になって気持ちよくリズムを刻めるのですが、これがゲームの曲であることがまた非常な幸であるように思います。
 このタイプのテクノミュージックというのか、これが音楽の一ジャンルとして形成されていったいきさつは知りません。貧弱な音源しかなかった昔のゲームが、それを逆に持ち味にして、聞かせるメロディとともに流していた頃、それを聞いて付随するゲームプレイの思い出が浮かび、あるいは最低でも想像されることに対してだけ、この手の曲は自分に威力を発揮しています。
 だから、このジャンルが音楽だけ切り取られている限り、それらは自分にとっては偽物。一方、各要素は偽物なのに、それらを組み合わせることで本物めいた一瞬を感じさせることがゲームっぽさだと思われ、だから偽物が偽物の里に帰ってきたような「コイヲシテイマス」は、一回りして本物に感じられるのです。
 音楽として独り立ちしようなんて夢を見ず、ゲームの籠に囲われている姿が素敵なのです。

 何言ってるんだろうね。普通に好きって言えばいいのに。それだけで済ませられればいいのに。



9/2(水)

 頭に血が上ったときの常として、対象から距離と時間を置いて、気が鎮まるのを待ってみるのが有効です。
 で、ゲームを遊ばない日中ほぼずっと、『ドリームクラブ』のことを考えてしまった。
 この熱心さ、どうだ!(他人に注いでみたら、という意味で)

 昨日のことを改めて振り返ったとき、「見放されたと『思いこむ』」と表現したのを思い出しました。
 それは何の気なしに飛び出てきた言葉だったのだけれど、実はそれが正しかったということはないのか。
 もともとそんな意味はなかったのに勝手にそう受け取って、理解と違った展開に勝手に気が動転しただけではなかったのか。
 そこで、このゲームの目的を確認すべく、パッケージの裏にあるゲーム紹介を読み直しました。
 そこには、「偶然にも会員となったアナタは、そこで誰と出会い、どんな恋に落ちるのでしょうか?会員パスの有効期限は1年間のみ。」(原文ママ)とありました。

 あー、そういうことだったのか。
 自分はこのゲームを、「1年間クラブに通い続けるゲーム」だと思い込んでいたのです。1年という期間は絶対で、金さえ続けば1年間の楽しみは保証されていて、その期限が切れたときにどうなっているかが判定されてゲーム終了、そういう流れを想定していました。通ってどうなるのかがちょっと不思議ではあったものの、それが目的だというからには通うこと自体が楽しいのだろうと解釈して。
 でも、そうじゃなかったのですね。これは、「最大1年間やるから、その間に何とかしろ」ということだったのか。
 そして、主人公君は亜麻音に対して一旦、何とかしようという気になった。それに対して、それまでの行動からその時点で判定が下され、それがどうであれ「何かがされた」ことになって、それでゲームは終わり。
 一人いなくなってもクラブには他の娘がたくさんいる、そういう問題ではないのですね。
 分かった。確かにこれは思い込みから来る勘違いでした。

 クラブに通う権利を得て、そこに女の子がいるからといって、何とかしようと自動的に思うものなのか、疑問は残ります。
 でもそれはいい。マイノリティの考えだとの自覚はあります。
 この思い込みと当てが外れた様子は、今回、主人公が亜麻音に抱いただろう感情にそのままスライドさせられそうです。最終的な彼女の決断に彼が呆然として悔しがったように、自分はゲームの仕打ちにひっくり返った。
 理想的にこのゲームを楽しむには、主人公のレベルで全く同じ体験ができればよいのです。ただ、もう自分にはそれはできない。傍観者であり続ける気楽さが身にしみつきすぎて、主人公なんてまぶしい役は荷が重いです。

 複雑な気持ちではありますが、『ドリームクラブ』を続ける気が戻ってきました。
 ゲームの進め方も分かってきたことだし、ハッピーエンド云々は抜きにしても、せっかく8〜10人用意されているのだから、もう少しそれぞれの話を聞かせてもらおうではないか。
 お、システム相手ならずいぶん積極的になれるものです。



9/1(火)

 『ドリームクラブ』では専ら、選べるドリンクの位置取り的にも「とりあえずビール」な立場なのかと思って、箱入り育ちという赤い娘・亜麻音(あまね)嬢を指名しており、彼女が源氏名を名乗って挨拶するたびに「西周です」という謎の低音が脳内で重なってきておかしかったのですが、それはきっと西周って言いたかっただけですね。

 手探り状態ながらそれなりに会話のバラエティも増え、通い詰めるうちに酒も強くなり、酔った彼女がおぼつかない手つきでボトルから一杯をこしらえる姿と言葉つきを毎回喜んでいたら、突然打ち切りエンドを食らいました。
 彼女の持ち歌のインストゥルメンタルとともにスタッフロールが流れ、そしてゲームは最初の週に逆戻り。
 ん? ゲーム期間は一年じゃなかったのか? まだ秋口だというのに、いったい何が起こった。

 ゲームのシステム的には不真面目でも、個人的に最も納得のいく解釈は、プレイヤーにピュアさがないとゲームが判断してクラブの会員権を剥奪した、というものです。
 短いエピローグは、ある程度の時間が経過した後の話であり、おそらく主人公はその後も金を工面しながら、期限いっぱいあのクラブに足を運んだのだろう。他にも女の子はたくさんいるし、何人かに既に会ってもいたのだから。
 ただ、いきなり一気に時間が飛んだものだから、自分がその場面を見届けることは出来なかった。
 そのとき、自分は主人公から切り離されていた。

 ここ数日の日記でもそうであったように、見たもの・受け取った情報を丸ごと受け止められない度量の狭さを、プレイのたびに思い知らされていた。
 さらに、未だ自分はこのゲームで正しいとされる目的を知らないから想像でしかないけれど、もし期限を迎えてなお、主人公のもとにお店からの誰かがくっついてくるような結末があるのだとしたら、それにはこう疑問をぶつけるつもりでした。
 そばにいてもらいたくてお金を払うシステムを裏返せば、お金を払わないのはそばにいて欲しくないとの意思表示になるはず。それは、お金を挟むシステムに身を置いてしまったことから来る自然な導き。
 では、なぜ二人はそばにいるんだろう? もう契約期間は過ぎていますよね?
 と。
 それは多分読まれていて、そんな想像にかまけるあまり夢を見る力を失っている者として破門されたのではないか。

 あの職場で働いていることが幸せだとはとても思えないから、彼女が迎えたエンディングの結果には満足しています。ただそれが、ゲームの認定するハッピーエンドではないことが腹立たしく思えます。
 トップアイドルに仕立てることが目的で、いずれ手を離れることが織り込まれていた『アイドルマスター』は、今思えばとても性に合っていた。
 鶏が先か卵が先かはともかく、今『ドリームクラブ』から急速に興味が失われている。もしかしたら、それはゲームとプレイヤーのお互いにとって幸せな関係なのかも知れません。

 妄想はこの辺にして。
 何が悪かったのかはっきりつかめないのはこれまたわだかまりを残すので、攻略という観点でプレイぶりを思い返してみると、数多く出てくる選択肢を外しまくっていたのは事実。
 あと気になっているのは、主人公側に出てくるハートマークの大きさが全く成長していなかったことです。正直言って意味のない飾りだとばかり思っていたけれど、あれも育てていく必要があったのか。
 思えば、相方のハートマークはドリンクを注文すればするほどふくらんでいったから、度の薄い酒をがぶ飲みしてメタボまっしぐらなプレイスタイルだったのだけれど、それで喜ぶのは売上が上がる店であって、女の子には収入になるのかも知れなくても直接響いていたのか疑問が残ります。
 どうすればよかったのか。相談に適切に応えてあげるほかに、どんな態度が求められたのか。また、もう一つのハートとの関連があるのか。

 でも、いろいろ考えるのもめんどくさくなってきました。自分を見放したゲームのことを、なぜ考えてやらなければならないのか。
 見放されたと思いこむことで辛くなり、罪のないものへの八つ当たりとなってふくらんでいきそうで、いやな気分です。



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