ゲーム+α日記(2011年3月)

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3/24(木)

 目的として意識するとどうしようもなく退屈な作業の繰り返しを求められた『エスプガルーダ2』のアイテム集めのことを思えば、最近のケイブ製シューティングの実績のつけ方がゲームの楽しみを増す方向でいちいち的を射るものになっているのは喜ばしい限りですが、今回の2in1パッケージの片割れ『ピンクスゥイーツ』でもそのセンスが随所に垣間見られました。

 元が死にまくりの難しいゲームでも、無理やりコンティニューで進めばまずクリア、その上で元からの調整版、さらにはアレンジ版と救済策を増やしてノーコンティニューへと誘う。
 時間切れにならない限り何度でも復活できる「スコアアタック」モードには、本編の終盤である6面が切り取られて選ばれ、ここを繰り返し練習して一応抜けられるようになるころには、本編を遊ぶ際にもその成果がフィードバックされる。
 アイテムの取り方に関する、特殊条件も含めた一通りのフォローがあり(条件が文章で記載されていればなお良かった)、他メーカーでの過去作を匂わせるお遊びもある。
 そして、最も難しいと目される一項目に取り組むにあたっては、このゲームが、無限に撃てる小さなボムのおかげでプレイの半分の時間を無敵で過ごし、残り半分をうまく立ち回ることを目指すゲームであるのが再認識されます。
 危険な時間が半分に縮まろうとも、死ぬのは一瞬。それをどう回避するか。
 それが更に、アーケード版ではプレイの方針によっては敵の耐久力がボムの強さに匹敵するまで高まるというバランス設定の原因にも、思いを馳せることになるのでした。

 実績解除にまつわる情報の集まるWikiがあって、日ごろお世話になっています。
 まとまった時間ができたときにまだ編集の余地があるなら、ちょっと参加してみようか。



3/21(月)

 この3月というひと月の狭い枠に2Dシューティングゲームが多数エントリーしていて、どうしたもんかと思ったら、流通の問題ということで軒並み延期。
 そりゃ暮らしのために他に運ぶものがいくらもあると、休業の表示が立ち並ぶガソリンスタンドを見て納得します。
 こういうときは車を使わないのがいい。

 そこで、先月分から個人的にスライドしてきた『むちむちポーク!&ピンクスゥイーツ』を遊んでみて、そのボリュームに悶死しました。
 どちらも生き延びているとどんどん難しくなっていく、だからスコアを稼いで残機を増やして死んで下さい、という無意識に目指す方向を意識的にシステム化して、クリアの抜け道を作るゲームですが、特に『むちむちポーク!』はそんなに頑張らなくても点が上がっていくのが大変によろしい。
 ここで頑張るというのは、基本操作を覚えて生き残りを図る以上に、スコア稼ぎのために何かする、というくらいの意味です。窮屈感がなくて、次々死んでも代わりが出てきて、ボムのごり押しでボスもどうにかなるという親切設計。

 と、こうなるまでには、基本操作を覚えるのと、ボスが初見殺しの攻撃を放ってくるのだと知ること、そしてそれはなかなか抵抗しにくいから先制してボムを撃つのだと言い聞かせることが必要でした。あ、後は難易度を落とすのも。
 そこに至るまでの気持ちが大変だった。初回プレイなどひどいものでした。コンティニューしまくりで「何だこの攻撃! 避けられるわけないだろ! クソ!」くらいな思い。
 避けられるわけないのが正解だと割り切って、ボスに備えて道中を遊ぶように心がけられれば、とても楽しい世界が広がっていた。画面内に可視化されているランクゲージのように、心の中にも面白さゲージがあって、このゲームの場合はプレイ回数を重ねるにつれて最低から一気に上昇していくのが実感できた。面白い体験でした。



3/13(日)

 この2日間で10年分くらいのラジオを聴いた。
 電気があることに、日常の象徴を見る思いです。平穏でないとゲームだってやる気にならない。携帯機があるからといった問題とは別なのです。

 そんなわけで、まだ本腰のゲーム気分にはならないのですが、『アイドルマスター2』を再開。無事、予告されていた足切り基準をクリアしました。初回プレイではだめかもしれないと諦めかけていたので、まずは一安心。
 この基準というのは「楽曲の売り上げ累計が、その時点での年間トップ20に入る」というものですが、これが字面で見るほどシンプルな条件ではない。なんとなれば、ゲーム内時間を重ねて勢いを増していくのは我がユニットだけではないからです。
 新曲リリースを重ねるほどに知名度が高まって順位も上がる。これまでの軌跡からすれば今回の着地点はこのくらい、よし行けそう、などと皮算用をするも、こちらの発売タイミングに合わせて多くの新星が誕生し、それらが偶然にも自チームと拮抗した実力を伴っているため、それは無駄に終わるのでした。
 したがって、枚数の見当は大きく外れなくても、順位は割り込みを食らってそれほど伸びていかない。なるほど、そういう引っ張り方で来たか。
 そのくせ、厚みを増すのは中位の層なので、彼らは後々のリリース曲では気にするほどの壁にはならず、後になるほど楽になっていくのは変わらない。そして、曲をお勧めのタイミングで発表していけば、運命の日近くは発売週にはぶつからず、直前からなら予想される範囲の平穏さを保つことになります。
 こういった制御のしかたは、そのからくりを見ようとしなければ十分に一喜一憂できて楽しいです。見えるところを整えるのが第一、というのがテレビの収録のようでふさわしいと言えなくもない。悪口のつもりはありません。いかに騙すかって重要だし、きれいに騙され続けたいものです。

 ときに、音楽ランキング番組の体で毎週変動する順位を告げる「どっとっぷTV」を眺めていると、実に多彩なユニット・曲・プロデューサーがいるもので、しかもそれらが三題噺のようなネタのオンパレードとなっていることに感心しきりですが、定期的に現れる多数のライバルたちの持ち曲に、どうにも見覚えのある、当方で選曲すら可能な名前があるのはどうしたことか。ユニット名も統一されたカラーを持っているし。
 そういう使い回し方もあるのか、と思いつつ、それらとは別に最初からランキング上にいる、とりわけ特別なひとつのユニットに思いを馳せずにはいられません。ストーリー中で一旦ガツンと勢いをくじかれてしまい、一曲を長く売るスタンスも災いしてどんどん順位を下げていく、あの身内のユニット。何ともいびつなことだ。



3/6(日)

 続編アレルギーと世間の雰囲気に沿いそうではあったし、大いに迷ったのだけれど、最悪でもかの偉大な初回作へのはなむけにするつもりでいいや、くらいの気分で、『アイドルマスター2』に取り組み始めました。
 ああ、ひとの話なんて聞くもんじゃなかった。楽しい。続編っぽくない作りなところにも好感が持てます。

 続編らしくない、というより初代との決別を目指そうとしていたってのは、ゲームに先んじて発売されたCDで、やよいがしきりに「初のCD」を連呼していたことで伝わってきました。うむ、以前に多くのCDに登場していた「あの」やよいではない、という主張か。
 この先、同じキャラクターに『1』と『2』の二つの立場を使い分けて演じてもらう機会があるだろうか? たぶんないだろう。『1』が完結したのだと感じた瞬間でもありました。
 それならそれでもいい。振り返りたければまた『1』に戻ればいいではないか。そこに寂しさを感じるあたり、続編アレルギーなんて言っていても、表面だけのものなのかもしれません。

 そんな中でも以前からのつながりを思い出させてくれるのが、皮肉にもゲーム本編のシリーズのどこにも登場しなかった「団結」という曲。一人一人に自己紹介をさせるついでにリーダー役を仮想させる、という一風変わったノリは『ビューティフル塊魂』とのコラボがうまくはまったものだと当時は楽しく聴いたものでしたが、曲の中では「仲間だもんね!」で済ませられたifの世界が一本のゲームに仕立てあげられるのだから、その相互作用の効果はこちらの想像をはるかに上回っていたようです。
 なぜあの曲で各人がリーダーを振られたか? お祭りソングだから深く考えなくて良かったけれど、なるほどゲームのルールとしてあるなら、それは彼女たちの世界の理由を超えた摂理の産物であったと、今にして納得できます。
 パラメータに「団結力」があるし、今回はプロデューサー役に回った律子が、あの曲の歌詞にあるとおりに「事務員兼任」のフレーズを使ってくれるから、そこに気を回しているのは明らか。それを聞くまで、というか一緒に出てくる字幕を見るまで、「事務員店員」だと思っていて、おいおい律子さんは店長だろ、そもそも公式に取り上げられるなんて、とネタ扱いを勝手に不憫がっていたのはここだけの話。
 あの頃はよかった。そして今もなお、別の世界の「あの頃」がここにあるのです。

 もっとも、諸手を挙げて歓迎、とまではいかない粗が見えるのも事実。
 前作のオーディションは、「全てにおいて3位を取ったものが勝ち」という、パラメータの高いものが必ずしも勝てるとは限らないルールが大変に優れていたのですが、そこから比べてしまえば今作は曖昧さがまだ足りない。
 代わって導入されているのが、相手のズルしやすさ…とは子供っぽいから演出のしやすさと言い換えようか、それが目立つシステムなので、やや納得の行かない面もあります。まああのクラスの発明を毎回期待するのも酷だし、繰り返すけれども遊びたければ初代を遊べばいい。
 リズムごとにボタンを押させるスコアシステムだと、テンポが違う曲ではスコアの高さが変わってくるのでは? と思いきや、どうも途中でぶった切って天井を合わせようとしているらしく、これは美しくない。前作の「どの曲を使っても平等、平行プレイ可能」というのがどれほどの奇跡かがここでもうかがい知れますが、まああのクラスの発明を(略)
 このように、オンライン対戦を前提とするシステムが対戦廃止によってどこまで軽んじられているかが一番の心配ごとだったのですが、ただの目押しには留まっていないようで安心しました。といっても全貌はつかめておらず、「お守り」なるアクセサリーの効果もよく分からないまま。どうせ周回プレイだし焦ることはない、調べるのはもっと後でもいいのです。

 また、せっかくのお楽しみのステージにおいて、フレーズごとの歌い手割り当てができないというのは衝撃的でした。と書いてすぐ、そういえば観賞専用の別モードがあったはずで、そこでできるんだろうかとも思い当たりましたが、そこでできて本編でできない理由も思いつかない。
 いや、面倒だからずっと自動でみんなにアピールさせていたのですが、それだと見たい振り付けのところでアピールされたら振り付けがキャンセルされてしまうから、アピールしないように自分で操作しよう、ついでに以前のように歌うパートも割り当てよう、と意気込んだところでいきなりステージが始まって面食らい、そんな設定がない可能性に思い当たった次第。
 組み合わせで生じる無限に思えるパターン、なんてものにめっぽう弱い、リソースフル活用推奨なゲームっ子だから、そういう仕組みはゲームである限り残しておいてもらいたかったと思いますが、手が回らなかったんだろうなあ。
 問題視される選択キャラ数の削減などもあるけれど、こういったあたりをブラッシュアップして、タイトルの頭に「スーパー」なんてつけて別タイトルとして売るのも、カプコン的にありだと思いました。
 もちろん今は、目の前にあるこいつを存分に楽しむのだけれど。やよいリーダーに対するXbox360版では新加入のメンバー・響(ひびき)の評から命名されたユニット「ハムスターズ」による1周目のプレイも大詰め、テンション上げていこう。春香もちゃんとついてきてね(←どうも響とケンカしがち)。



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