ゲーム+α日記(2011年5月)

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5/29(日)

 ところが今度は20年どころではない古さで、今調べてみたら1980年と1982年作だというから、前回の話題からさらに10年遡る。『Centipede & Millipede』を遊びました。
 こういうところから、自分のゲームへのやる気が、例えば最新作だからというような理由からは大して生まれてこないことがよく分かります。
 ただ、どうしてもこの2本を遊びたいなら、繰り返しになるけれども『Atari Anthology』を遊ぶ手もあるし、先ほどの年代を調べるにあたって参照した、Xbox360内アプリ的な「Game Room」にも単品ずつで入っている。
 しかしながら、セットで半額の約200円(「Game Room」からだと単品で約300円)、すぐ遊び始められて、実績がついてアレンジもついて(これは遊び始めてから知りました)、となれば、見つけたときについ買ってしまってもおかしくはない。
 と、ちっとも遊びたいなんて思っていなかったのに、上記のどこにやる気が含まれていたのでしょうか。強いて言えば実績か。あるいは、大規模なゲームをやりたいと思わないのが転じて、ちまちま発散させたいとの、ここ最近共通の思いからか。
 いずれにせよ、日本未配信LIVEアーケードゲームを探してまでの気合いではありませんでした。

 まあしかし、狙って撃つ式の固定画面シューティングゲームに対して、敵の動きがよくいろいろ組み合わされているものだと感心しました。
 上から降りてくる長い敵(centipede=ムカデ、millipede=ヤスデ。100の続編が1000だなんて、名前買いするにふさわしい素敵なタイトルだ)は、撃つと分裂して個々に襲ってくる。やみくもに撃っていると散り散りになって手がつけられなくなる。また、プレイヤーのすぐ近くから突然現れて襲い掛かる敵もいる。それに、こちらが一度に撃てる弾数も限られていることが合わさり、死因が体当たりなのにあっけなく死ねるというシビアなバランスです。
 もしかしたら、開幕直後に敵の弾で死なないだけやさしい、というのが当時の感覚だったのかも知れませんが。見えている敵に対抗できず激突するのも、反応できないほどの速さで激突されるのも、なかなかに腹立たしい。
 どんどん早くなる敵の速度についていこうと必死で対抗していた時間は、短い中で確かに充実していた。ちょっと短すぎるけれど…と思えだしたなら、長めのものに取り掛かれるいい機会です。



5/22(日)

 またもやXboxLIVEアーケードの、それも日本では配信されていないタイトルなのだけれども、半額安売りと知れば確保してしまう貧乏性に軽いゲームへのプレイ指向性が加わって、『Droplitz』を遊びました。
 そして、はるか昔のファミコンのゲームを懐かしく思い出したのです。

 ディスクシステム最末期に書き換え専用で出た、そのタイトル『クロックス』では、各ピースが2本のいろんな角度を持つ針を内蔵していて、それらをつなぎ合わせて閉じた空間を作ると、その中身ごと消える、という仕組みでした。
 ただ、当時流行していた「落ち物パズル」だったために、回せるのは落ちてくるピースだけであったこと、針を合わせるために高さを揃える(いらないピースで中を詰める)点で融通が利かなさすぎたことから、とてつもなく面倒なゲームと感じて面食らったものでした。
 題材の無機質さにマッチしたBGMは非常に印象に残っているのだけれどもなあ。

 この『Droplitz』では、ステージ内はピースであらかじめ敷き詰められていてどれでも動かせ、重力はピースが消えたときに上から補充されるときだけに働きます。
 また、作るべき経路は循環ではなく上から下への一方通行で、分岐ができればさらに良し、それを認めるために上下のゴールを複数置いています。
 分岐を作り出すための「4本針ピース」の存在とか、横軸に半個分ずつずらされたピースの置かれ方とか、違う点はまだあるけれど、「道をつないでいく」遊びの狙いは共通。
 ただ、ここまで遊びやすくルールがほぐれて、それでも今の自分が初回プレイしたときは「とてつもなく取っ付きの悪いパズル」だった。あっという間に時間がなくなって、こんなものができるようになるとはとても思えなかった。
 まさか慣れられるとは思えなくて、一通り楽しめるようになった今はとても嬉しいけれど、そこには当時『クロックス』に歯が立たなかったことへの、努力と理解が足りなかったかもしれないという苦い思いもほのかにあるのです。
 って、『クロックス』は1991年リリースとのことだから、ちょうど20年前ですか。歳を取ったものだ。その執念深さを他に生かしていればねえ。



5/15(日)

 世界的に猛威を振るった音楽ゲームブームもどうやら沈静化の一途をたどっているようで、有名シリーズの新作のリリースも先が見えない様子。
 しかしながら当方においては、『Portable Drum Kit』の到来により、第何次かのブームが押し寄せました。

 最近は一部の製品が日本の店頭でも売られるようになってきている、周辺機器メーカーMadCatz謹製のこの品は、ドラムセットからスタンドを取り除いた簡易式ドラムパッド。
 4枚の円盤、そして1枚の足踏みペダルのそれぞれからコードが伸び、端子穴でいっぱいの小さなコントローラーに各々が刺さります。そこからUSBコネクタで本体に接続するタコ足方式。あとはねじ込んで組み立てる式のスティックが2本。
 テーブルを別途用意して、円盤をテーブルの上に、ペダルを下に置けば、簡易ドラムセットの出来上がり。
 結局遊ぶときには場所を取るけれど、片付ける敷居が低い気がします。

 叩いてみたところ、きちんとした反応で、遊ぶのに問題なし。
 スティックの先端にゴムのカバーがついていて、反発にも消音にも効果的です。
 円盤のほうは「100万回叩いても大丈夫」との謳い文句で、100人乗っても大丈夫なイナバの物置を思い出しました。
『レイディアントシルバーガン』のボス前に出るのは50機。
 そう、来るべきLiveアーケード版『シルバーガン』(をプレイするときのスティック置き場)のために買ったこの机が、先にこのコントローラーのために使われて、そこで『シルバーガン』を思い出すなんて、なかなか頑張ってこじつけたものです。

 そんなわけで、手持ちのソフトを次々遊ぶことにしました。
 2008年以降のシリーズがすべて息を吹き返す、何たるコストパフォーマンスの良さ、と思いましたが、それはだまされている気がする。
 とはいえ、このパッドがRock Bandシリーズ用ということではあっても、Guitar Heroシリーズでも対応してくれているのには一安心。パッドの数が1枚違うのに、なかなかのサービスぶりです。チュートリアルはさせてくれないけれど。
 右手で4拍子、左手で3拍子、足で2拍子を取ったりする練習に、頭も体も大混乱。ゆっくり速度を落としてぽこぽこやる様子はさながら、習わぬ経ならぬ木魚を叩く門前の小僧。早く演奏モードに入りたい。

 上記の練習モードが搭載されている『Green Day: Rock Band』を、曲もいいけれどこういう地道な練習が最初は特にしたかったので、苦しくも楽しんでいます。
 ときに、改めて曲を聴き直すと、歌詞の卑語が無音になっているのがどうしても気になります。おまけのライブビデオさえ処理済。素人の自分が聞いて気になるのだから、ファンはもっと気になるだろう。当人たちもよくOKを出したものだと思います。あるいは、映像媒体ならよくあることなのか。
 そして、そんな抹消をからかうかのように、ドラムを使った実績の1項目に、卑語の入った歌詞が、その部分が記号で置き換わって使われているのでした。この辺のセンスはよく分からない。そういう空気を感知できないところが、にわかプレイヤーの悲しさなのだと思います。



5/8(日)

 最近は電車の長旅中でもほとんど読書か居眠りで、持ち歩いていてもゲームに手が伸びなかったけれど、今回は『マックスウェルの不思議なノート』に夢中でした。
 型落ちのDSliteが大活躍。ダウンロードに頼らなければ十分なこの携帯機の画面に合うカバーフィルムがもう売っていなくて、探すのが大変でした。使い込まれて汚れていたので、このゲームを迎えるにあたっては、取り替えずにはいられなかった。

 提示されるルールがプレイヤー任せであること、個々人の持つ語彙の違いに伴う解釈のずれが背景にあるところは、あの愛らしい『もじぴったん』に通ずる。
 シチュエーションに合う物を、ゲームが用意する辞書にある限り何でもその場に出せて、ゲームが用意する答えに合致していればクリア。
 その多様さ、言語との密着性がすでに好ましいのに、出したものをどうにかする(あいまいだけれどこんなふうにしか言えない)のが目的のこのパズルで、解法の自由さ、いい意味での適当さと来たら大変に愉快。
 「ゲームが用意している答え」が、大げさに言えば星の数ほどあり、たいていの人の考える範囲をカバーしています。もちろん、思いつかない範囲も。そこが意表を突かれて面白い。
 その懐の深さゆえ、入力などのルールを補足してやればそれこそ誰にでもプレイ可能。ためしに、帰省先にちょうど居合わせた妹に、「サンタが喜ぶもの」という1ステージを繰り返して遊ばせてみたところ、「ジングルベル」「子供」は想定内として、当方がまるで思いつかなかった「オーナメント」で正解を得ていたのを見て、とても嬉しくなりました。

 しかもこのゲームは英語に完全対応。答えが2倍あるということでもあり、その気なら英語縛りで2度遊べるということでもあり、ここまで来るともはや教材の域に達しています。すごい!
 ……というより、もとは舶来の『Scribblenauts』(続編と2本合わせた画面に飛びます)というゲームで、これはそのローカライズ品といういきさつがあるとのこと。タイトルの「ノート」は、意味が違うとはいえ、オリジナルタイトルの名残だったか。
 それを知ったところで、改めてこの日本語版があることの有難味が実感されます。ここにあるのはただの翻訳ではなく、文化を移す行為であり、どれだけ手がかかったことか。これはどんな人の手になるのか興味が湧いたけれど、スタッフロールからは原版の関係者しか読み取れない。なんと奥床しいことだろう。
 汲めども尽きぬ面白解法を目指して大切に遊んでいきたいし、このゲームがあることを感謝したい気持ちでいっぱいです。



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