ゲーム+α日記(2011年11月)

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11/27(日)

 『ウイニングポストワールド2010』の遊び方の方向性がようやく見えてきて、ずいぶん回りくどいことをさせているのだと感じています。

 短く区切った期間内で目標を持たせて、達成すればその短いステージはクリア。でも、本当の目的は目標のクリアではなく、もっと長い別のステージをクリアすること。そのためには、短く区切った期間内のプレイで、当座の目標とは別の数値を高めていくことが求められる。
 その数値はクリア後に持ち越すことができて、元手が多ければ多いほど終了時の見返りも大きい。
 よって、数値を膨らますために何度か予備ステージをクリアする必要がある。

 これが、このゲームが本来イメージしていた遊び方なのでしょう。ただ、正攻法でそれをやるとかなりの時間を取られるバランスになっています。
 それへの救済措置として、別の持ち越し要素も用意されています。もっとも、その使わせ方がゲームの流れから外れていて、一番上のメニューからいつでも介入できるところに用意してあり、これは後づけだなと憶測させられます。
 「本来の遊び方」なんて言ってしまうのがそもそも憶測ではある。

 暇が山ほどあって、遊ぶゲームがほかにないのなら、そういう付き合い方も良いでしょう。騎手となって遊ぶモードでは、実力に難のあるお手馬をいかに勝たせるかという点で、腕の振るいがいのあるシステムになっており、その無理やり感はまた面白いものです。
 でも、残念だが手持ちの時間は短いのだ。

 無理やり感といえば、このゲームでは多くの馬が実況で名前を呼ばれますが、種牡馬としてしか名前を見たことがなかった海外の馬たちが大挙して日本のG1に参戦してきており、これはあなたや私の夢を走らせすぎだろうとちょっと驚きました。
 まあ、ゲームでくらい夢をかなえられるのはいいだろう。実況の収録もさぞ大変だったことでしょう。
 ただ、せっかく労力をかけて準備された実況なのに、名前を呼ぶ抑揚が固定であるようで、盛り上がりの波に乗っていけないギクシャクした聞き味になってしまっているのは残念なところでした。
 その点では、抑揚の少ない杉本清アナを採用した『ステイブルスター』が、すでにスーパーファミコンにしてかなりうまいことやっていたものだと、改めてそのすごさを見直しました。
 ……当方の競馬ゲーム経験がだいぶ古くにしかないせいですが、このところ時の流れを感じることばかりだ。



11/20(日)

 Xbox360上で、日本のローカルな習慣に基づくゲームをしていると、まったく場違いな雰囲気を感じます。
 最もそれにあてはまると言えそうな一本、
『ウイニングポストワールド2010』をプレイ開始。
 一時期、競馬番組でこのゲームと本体がプレゼント対象になっていたけれど、当たった側もさぞかし当惑したんじゃないだろうか。

 「ウイニングポスト」シリーズっていつか遊んだことがあったような……と思いをはせてみたら(要約:過去の日記を検索)、2000年4月に遡ることがわかりました。
 こんな調子だったか。そりゃ記憶がおぼろげなのも道理。そして、今回はPCでこそないものの、ハードディスクを備えたゲーム機での再会だ。あのときの思いはかなったのですね。
 血を巡っている・いないにかかわらず、年月の重みを感じたひとこまでした。

 ただ、肝心のゲームですが、えーとこれ昔のと全然違うよね。ハードの進化による見た目の違いから来るものなのか。
 違い方にもいろいろある。ロードの待ち時間が短いこと。これは最高にすばらしい。その一方、やたらとたくさんの人が出てきて、馬よりも人付き合いのほうが長いのに戸惑います。それも女性陣が厚い。
 ちょっと競馬界にこの比率はないだろうと思いますが、彼ら自然にしてるし、こっちが気にすることもないか。
 総合すると複雑になりすぎるとの配慮からか、馬に携わる立場が違う入門編が3パートあるので、そちらをこなし中。
 いや、立場が違うんじゃ、総合するのは無理か。どうなってるんだろう。あまり憶測でものを言ってもよくない。

 ときに、Xbox360版のパッケージの裏側に、「『ウイニングポストワールド』のデータ引き継ぎ可能」って書いてあるんですが、前作はXbox360では出てないですよね。どこから、どうやって引き継ぐんでしょうか。
 適当だなおい。あるいは、やはりリリース自体があり得なかったのか。



11/13(日)

 『ジョイライド』にはプレイ時間で解除される実績があるけれど、そこで求められた通算10時間より長く遊び続けていたのはちょっと予想外でした。
 といっても、最後の3時間くらいは面白さ半分いらだち半分だったけれども。けっこう長いな!

 このゲームの序盤で大いに面白いと思った、このゲームのレースじゃないっぷりを際立たせた一つである「スタント」モードが、最後まで立ちはだかりました。
 単純にもっと高くへ、もっと高得点を、というのであれば楽しいだけで済んだこのモードに、「難しいスタントを何度も決める」実績が設定されていて、その条件を満たすのに苦労したのでした。
 ただ、その苦労の先はもっぱら、同じポーズを取っているはずなのに、それを適切に読み取って車の回転(=スタント)に変えてくれないキネクトかソフトかどちらかに向かっていたように思います。
 できたりできなかったりが不安定で、いや圧倒的にできないことが多いのだけれど、一度でもできるなら再現できるはずだと思うものではないか。

 あまりにも安定しないものだから方針を変えよう、そう思えたのは、やはりゲーム中ではなく、一旦疲れ果てて遊びやめていた最中のことでした。
 これだからインターバルは重要なのだ。ただ、その思いつきも、一度は集中した上で離れるという段階を経なければ訪れてくれなかっただろう。そういう頭の働きの不思議さを、もっと実生活に生かせればいいのだけれど(←集中してる?)。

 もう遊ばない、満足、そう思えるくらいに『ジョイライド』と付き合えました。もうくたくた。
 苦労が実った瞬間を含む動画が手元に残りました。これを見返すたびに、己が注いだ努力の結晶に触れて癒される気持ちだけれど、立ち直れたら次へ進もう。そのための癒しだ。



11/9(水)

 普段しない運動だとここまで簡単に筋肉痛になれると、『Kinectジョイライド』で知りました。
 キネクトのゲームだと毎回思い知らされそうではあります。

 レースゲームということで、手でハンドルを握ったふりをして、斜めに回すように傾ければ曲がる、ついでに体も傾ければドリフトと、運転動作に関してはシンプルに遊べるようにできています。
 その代わりにというべきなのか、ブーストやスタントやアイテム使用なんてものに動作が割り振られていて、車の走りを楽しむというよりは、車を題材にして楽しむためのゲームという仕上がり。

 件の筋肉痛を引き起こしたのが、高台から勢いよく飛び出して宙に浮いている間にスタントさせようとするための「体を曲げる」というポーズをがんばったためでした。
 合格判定にはちょっと曲げればいいのかもしれないけれども、ここは往年の「野球ゲームでボタンを強く押せば強打できる」ばりの錯覚で、ついぐぐっと、力を入れて上体を傾けてしまう。
 それが顕著だったのが、空中戦がほとんどという異色の「スタント」モードで、滞空時間が長いほど高得点なものだから、それに合わせて、傍から見ればエビが茹でられているんじゃないかくらいの唐突さで、体を折り返し続けてしまいました。
 張り切り過ぎたとの自覚はあり、来るなら腰痛だろうと覚悟していたところだったので、ある意味普通の筋肉痛で良かったのかも知れません。

 ……簡単に痛めたのではなくて、けっこう長い時間を遊んでるんだよな。運転している感じはしませんが、見た目の印象とは違った面白さを持ったゲームです。



11/6(日)

 どうにも忙しかったこの一週間に非常にふさわしく、短く良くまとまった上に設定までがそこはかとなく近況を体現していると思わせるゲームを遊んでいました。
 XboxLIVEアーケードの横視点アクションゲーム
『Limbo』です。

 ステージの区切りを示す情報がゲーム中は一切入ってこず、ノンストップで最初から最後まで続く。
 途中で切り上げたらまた初めからになるんじゃないかと、ファミコン初期のゲームばりに不安になるくらいでしたが、そこはオートセーブが裏で細かく入っていました。

 それにしても、なんときれいにコンセプトのまとまったゲームだろうか。
 スコアも、時間やライフの制限もなく、ステージを抜けられるかだけが求められる。その目的に簡単には到達しないよう、間違ったやり方は全て、主人公の死ではねつけられます。
 ただし、たいていは死んだ瞬間に死因が分かるので、手探りでもそれを避けるように進めていけば、何とかなるもの。ここでは死はヒントなのです。むしろ死なないシーンの方が思考パズルとして手ごわい。
 たとえ死んでも、一瞬で直前からやり直しになり、何度でも挑戦できる。さて、そのような死は果たしてプレイヤーに脅威なのか。死はヒントなのだから、積極的にというよりほとんどやみくもに、死を求めて主人公を邁進させてもいいのではないか。
 命の重さについてのこの問いにゲームが用意した答えは、「むごたらしく死ぬ」でした。刺す・刎ねる・焦げる・溺れると、罠の手段は多種多様。これには慎重に進みたくさせられます。ただしその辺の描写がリアルに走りすぎないよう、全てのグラフィックは影絵で半ば抽象的に表示。血の色への配慮などもいらずに安心です。目の光が意識のありかを示すのは、日本のギャルゲーだけではありません。
 周囲が闇に覆われて見えなくなるあたりも影絵の功名で、五里霧中の心細さを駆り立てます。
 そして、死んでも死んでも、クリアするか諦めるまで何度でも主人公を蘇らせるこの世界は何なのか。はっきりしたことは示されません。ただ、ゲームのタイトルであるLimboはなにやら人の住みかではないようで、知ってしまえばそのイメージが、このゲームの内容を総括してくれているようです(クリア後に知ったのだけれど)。

 この一貫性は美しすぎる。
 ただ、死にそれだけの意味があり、死があってこそ先へ進めるとの思いを強く抱いた今、「死ぬ回数を抑えて全面クリア」という目標は、このゲームと合っていないように感じました。
 死なないように意識するとストレスのたまる仕掛けが多すぎる。何度も遊べるなんていうコストパフォーマンスは考えず、一度通してクリアして、余韻を味わいながら終わるのが、このゲームとのいい付き合い方であるように思います(どうしても分からなかった2箇所で解法を見てしまった悔しさを噛みしめながら)。



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