ゲーム+α日記(2012年6月)

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6/28(木)

 『Just Dance Kids 2』でようやく全曲を踊り終えた!
 と思っていましたが、いつまで待ってもご褒美の印が画面に現れない。
 進行状況を見てみたら、どうも言語違いが別の曲として数えられているようです。
 これには参った。

 カラオケを歌うわけでもないこのゲームで、歌詞だけが違って振り付けが同じの曲をまた踊ることに、さっぱり納得できません。
 それでも好きな曲ならともかく、「ジングルベル」だったりするのです。しかも何ヶ国語も入っている。1度通して遊ぶならともかく、この仕打ちは軽い拷問に感じられてきました。真綿で首を絞められる類いの。

 全曲そんな調子だと挫折に至りかねないそんな使い回しにも、限られた曲しかなかったのも幸いして耐えることができました。
 しかし、そんなのは序の口だったことが、次の「Pose & Shake」モードで明らかになったのです。
 それは、全く同じ振り付けの同じ曲に、時おり何の関係もないポージングが被さるという、水増しの悪い見本というべきへっぽこモードでした。
 しかもポーズのマークがでかでかと、見本を踊ってくれている子供を覆い隠すように現れる。このゲーム一番の楽しみとダンスの構成をぶちこわしにするなんて、プレイヤーにも出演者にもひどすぎます。労力がというより、この作りの醜さに心が折れた。
 これ、嬉しい人いるのかなあ。子供の気持ちになってみても、喜ぶありさまが想像できません(←なりきりが足りない可能性もあり)。



6/24(日)

 そうはいっても、珍しいもの見たさに海外産キネクト用タイトルをいくつか仕入れてしまっているので、心が折れない範囲で各個撃破していきたい。

 著名シリーズということでどちらから手をつけるか迷った末、気軽にできそうとの理由で『Just Dance Kids 2』を始めたのだけれど、いくつかの違和感にぶつかりました。
 それは、このゲームのメイン画面である、ダンスゲームにつきもののポーズ取り画面における人物像が、すべて実写であることに由来しています。
 てっきり抽象画だと思っていたので、これには虚を突かれた。

 まず、この実写のゲームとの相性について。
 実写が使われること自体がおかしいとは思えず、直近では
『ガンストリンガー』の当意即妙な使われ方を非常に楽しんだものでした。
 しかし、今回の『Just Dance Kid 2』では、動画の垂れ流しに極めて近くなっている。当方が振り付けをミスっても、反応してはくれません。
 背景はCGだし、人にエフェクトが重ねられたりしてはいるけれど、それも曲の定位置で発生するに過ぎない。判定は画面の隅で行われ、もちろん踊りと連動しているのに、メインとは無関係な風を装っているようです。
 かといって、これが全身CGだったらどう違うのか。CGならではのダイナミックなカメラ変換が、実写でも行われていれば満足するのか。人工的であるように見えることが、ゲームであることに近づくとでもいうのか。
 どうやら、自分ではそう捉えているようなのです。この結論には我ながら戸惑う。もっと実例が欲しいところです。そういえば、実写系のサウンドノベルって、いまだに手をつけていないんだよなあ。宿題としよう(答えになるのか?)。

 次いで、踊っているのがいずれも子供であることについて。  思い起こしたのは、初代『アイドルマスター』の海外進出に壁がある理由とされていた、「子供を働かせているような内容が受け入れられがたい」とのインタビューでした。一方、この子たちは明らかにゲームのために働いている。時が経った末の変化なのか。
 ただ、違いがあるとすれば、「働かされている」ようには見えない、というところでしょうか。当然のようにゲームを作るのは大人たちであるけれど、それを納得するとか受け入れるといったゲーム作りとは無縁のところで、みんな振る舞っているように見える。あたかも、発表会の場でもあるかの如く、演技はしながらもそれが自分のための演技であるような。
 お金の匂いの有無といったところか。それがないのか、漂白した後なのかまで判別できません。そこまで騙しおおせるなら、それはそれで立派だろう。

 次第に内容が卑小になって、最後に個人の事情へ。
 子供が踊っているのを一心に見て真似をし続けるというのは、思っていた以上にダメージが深いものです。これは頑張る自分への違和感。大人が遊ぶべきでないゲームも、架空ではなくあるのだと知りました。
 遊ぶ姿を見られたくないバリエーションを、このキネクトという装置はいろいろ編み出すものだな。



6/23(土)

 キネクト対応タイトルが、機器発売からしばらくリリースされなかった頃、外国ではもっと多く出てるんだからそれを持ってくればいいのに、と少し思ったこともありましたが、やはり選ばれたものが来ていたあの時期のあり方は正しかったのだと、『Game Party: In Motion』なる舶来のパーティーゲームを遊んで思いました。
 いや、果たして遊んでいたのだろうか。苦しんでいただけではなかったか。

 パーティーゲームだから一人で遊んでも面白くない、のとは訳が違う。
 これのひどさは、制御のままならない操作にあります。手足の動きをうまく捉えられないので、ゲーム側で挙動を押さえつけているのか、結果のバラエティが乏しく見える。全く同じ動きをトレースしているような物理的な不真面目さが見られるのです。
 何しろゲーム内部の調整なので、プレイヤーの上達とは縁がない。正解・不正解の結果だけが出て、経過の手応えが感じられない。面白くなりません。
 それでもうまくいくならまだましな方で、調整の土台にも上がれない苦戦が多い。こちらはただ単純に腹立たしいだけです。

 一番苦しかったのはエアホッケーだった。高速で行き来するパックを滑らかに弾くのが醍醐味だというのに、手に持つあれがもたついて動くのです。そして、絶妙な遅延のさじ加減によりしばしばオウンゴールを果たす。
 それが実際に起こりうる失敗の一つだとは知っていますが、あまりにもそうなり易すぎます。慎重に狙いを定めてもまっすぐ打つのに苦労するとはどういうことなのか。狙いのつけやすさこそ、ゲームとして真っ先に調整すべきところではないのか。
 このほか、ラケットを両手に1本ずつ持っていてもまるで当てられる気のしないスカッシュもどき、方向の制御がだめな上に目の前で障害物が邪魔をするので標的がある奥へちっとも飛んでいかないアメフトのボール投げなど、よくこれを商品として出せたと感心するレベル。
 技術が発達しても、投げ売り精神は変わらず残っているものなのですね。売る人たちが同じだからか。これが人間の性というものか。

 楽しく遊べなかったら、いくら実績が簡単に解除できたってしょうがないと思うのです。この実績の取りやすさも、ゲームの不出来さから目をそらすためではないかと疑ってしまう。あーもう忌々しい、遊んだことを忘れたい。



6/17(日)

 困ったことに、『The Black Eyed Peas Experience』の情報が世界中どこにも見当たらない。
 ゲーム中にふらりと現れる「チャレンジ」項目があるのですが、その出方が分からないのです。本当のランダムというならそろそろ出てもいいくらいに曲を選び続けているというのに。
 しかも、既出のチャレンジ項目は内容が見えて、既出でないものは「既出でない」ことだけが分かるというちょっと意地の悪いリストがあって、出てきていないのが1〜6番、つまり挑戦に抜けがあることをことさら強調するという念の入りっぷり。この意地の悪さはちょっとじゃなくてだいぶなのではないかと思い始めました。

 出る条件が合わないと何度繰り返しても出ない(2人同時プレイ専用のチャレンジは、2人同時プレイ時でないと出ない、など)ようだから、何か致命的に見逃している条件があるのかもしれないけれども、はて思いつかない。だからこそ見逃しているのだと言えます。
 と納得して終わりでもいいけれど、何とかして調べられないものだろうか。そう思って検索してみたら冒頭の結果となり、この広大なネットの海にひとりぼっちの気分を味わった次第です。
 誰も遊んでないのか。メーカーも困るんじゃないのか。自分のよりも重大な悩みを垣間見た気がしました。意地悪されているんだったら、心配もそれなりになるけれども。



6/10(日)

 シューティングゲームも短時間での集中力が求められるけれど、短時間での体力が求められる『The Black Eyed Peas Experience』との組み合わせは、案外合っていたかも知れません。
 こちらの方は毎日こつこつと踊って、ようやく全曲を1度ずつ試したところ。

 大きな身振りが多いせいか、当方がコツをつかんでいないせいか、1曲当たりの疲労度が過去のゲームに比べて非常に高い。
 と感じていましたが、先述の通り、このゲームの「1曲」は振り付け別で4回分の集合体。そりゃ、他のゲームと同じ土俵では比べられない。一日ごとに曲数を割り当てて遊ぶなんてことは、ぶっ倒れそうになるのでやめた方がいい(←誰もやりません)。

 振り付けごとに正解を判定して、その累計で合否判定を決める。この組み合わせは、まだ試したダンスゲームの数が少ない中では、初めてお目にかかりました。これまでは、「瞬間的な位置の正解の累計で合否判定」(『ダンスエボリューション』)か、「振り付けの組み合わせで、結果は点数の大小のみ」(『Dance Central』)だった。
 それらに比べて、より厳しい制度だと言えます。振り付け、つまり、ある短い範囲にわたる連続した動き全体の判定は、瞬間的な位置の判定の掛け合わせとなる。どこか一箇所で引っかかると、他が正解でも共倒れ。さらに、同じ振り付けが何度も現れるため、苦手を作るとスコアは下落の一途をたどります。
 総じて厳しいゲームなのです。

 その厳しさを補うシステムが、いくつか用意されています。
 例えば、スローモーションでの練習。同時に、ダンスの要点を解説もしてくれます。英語ではありますが、何かしらの単語を断片的に拾い上げるくらいでも、どこに気をつければいいのか、少しはコツが分かる仕組み。shoulderと聞こえれば肩の動きに注意すればいいのか、pullならここで手を引くようにかな、など。
 画面を見て、真似をするだけでは、正解にたどり着かない。同じことをしているつもりでいて、意識の違いが動きを変える。そうでなかったら、練習後の判定が確かに高い傾向にあるキネクトは、心がけを読み取っていることになってしまう!(実は「練習モードを通ったかどうか」で判定に下駄を履かせていたりして)
 あるいは、判定そのものが一つの振り付けではなく、その前2つほどの振り付けによる判定の足し合わせによると見える算出方法。それが公開されているわけではないけれど、得意な振り付けから苦手なものに移っても、形だけでも整っていれば、1〜2回はスコアの落ちが緩やかなのです。これは毎回なので、そのように組まれているのだと思う。
 そして、「形だけでも整っていれば」、滑らかに違う振り付けに移行できたボーナスが追加される。動きが滑らかであることが良いダンスであるという定義の表れであるとともに、不甲斐ない踊り子の底上げにゲームが必死に取り組んでくれています。
 難易度を選ぶのは当然として(最初は易しいモードから始まるし)、それでも厳しければ、マイクに登場願う奥の手もあり。歌でフォローすれば、少しだけ合否ラインを近寄せることができる。激しく踊りながら歌うなんて本職でもなければできないので、誰かか何か(スピーカーなど)に歌ってもらうことになります。
 誰か、がいるなら、一緒に踊ってもらうのが一番の早道。

 このゲームは、一つのシンプルな方針で作られてはいなくて、元は難しいものを、数々の易しくする手段で埋めるバランス取りを目指しているように見えます。
 ただ、全ての曲でバランスがうまく取られているとは感じられない。どうにも越えられない見えない壁を感じることもしばしばです。
 ところで、全てを遊んでもらいたいなら設定したいだろうに、このゲームでは「全ての曲で好成績を取る」ことは目標にされていません。その理由がバランス取りにあって、かっちり全部を調整しきった上で目標を定めるのと天秤にかけた上で、それは盛り込まないことにしたのだと、推測の屋上屋を架して今日の日記を終わりたいと思います。
 得意な曲で高難易度に挑み、好きだけど難しいものは易しくして遊ぶ、その選択はプレイヤーに委ねます、と。「好きだけど」が入る余地のあるファン向けのゲームなら、これくらい緩い作りでもいいじゃないか。



6/9(土)

 何でもかんでもXbox360上で動けとまでは思わないけれど、読み込みも操作もネットも扱いやすいハードだし、出てくれれば優先で考えざるを得ない。それにしても『虫姫さま』の登場は意外だった。
 敵弾の暴力が8年前にすでに確立されていたことを、今さらしみじみと味わえます。PS2版で一度味わっていたはずなのに!

 中でも感慨深いのが、ウルトラモードの最終ボス。
 道中もお手上げの難しさですが、このラストではボム中や死亡中に敵が攻撃を受け付けず、なおかつ撃ち返しのひどい全方位弾を放ってくる。
 攻撃の一つ一つに隙間がないものだから、ちっともダメージを与えられないまま時間切れでボスが自爆して終了、となりがちです。
 いくらでもコンティニューしてよい家庭用だから見られる展開ですが、だからこそ「(何度コンティニューしてもいいから)このボスを自爆させずに倒す」という局所的な目標が成り立つのです。

 そして、これに挑むことで知ったのが、このボスを攻略するための技術でした。
 「移動する敵弾発生源を画面の外に誘導することで、弾幕を薄くして打ち込む隙を作る」というアイデアを知り、練習する過程で、これがあらかじめ意図されていたものなのかがとても気になりました。
 正攻法では無理だと感じるほど厳しい。この技法を用いれば道は開ける。ただしそのためにはボムや自機を、本来の目的とずれた用途で使うことが求められる。かつ、自機の無駄遣いを避けるためには、自機一機あたりに割り振られたボム全てを使い切る必要がある。
 こんなにも攻略がかっちりとはまることが、最初から予想されていたものだろうか、それとも偶然の産物なんだろうか。
 どちらにせよ、攻略込みでのこの見事なまとまりぶりには、感心せずにいられません。



6/2(土)

 サターンもドリームキャストも持ってはいても、セガ製ゲームを遊びたいわけではなかった自分には、『DAYTONA USA』と同様、『クレイジータクシー』は、セガの看板タイトルであってもXbox360上で初めて遊ぶゲームでした。
 ただ、あまりにあっというに通り過ぎた『DAYTONA USA』同様に、懐かしの車運転ゲームをさらりとなでて終了、となるかと思いきや、気がつけば5時間プレイ(その条件で解禁されるアバターアワードを獲得)しているという熱中ぶりで、この『クレイジータクシー』は予想を超えて面白いゲームだったと、当時のセガを改めて見直した次第です。

 何より、止まることを重視するゲームだというのが驚きだ。
 完全に止まらないと、タクシーは客を拾えないし降ろせない。曲がるためでなくブレーキを踏む運転ゲームは遊んだ覚えがなくて、そこが新鮮でした。
 その止め方も、壁やら他の車やらの障害物にぶつけると瞬時に止められて最も効率がいいなんて。素晴らしいな。

 …というような仕組みのうまさを頭で理解することはできても、それで簡単にスコアが伸びるわけではなかった。
 しかしながら、このゲームではおまけがあり、そこではスタートダッシュやコーナリングに関するいろんな技を出すことが求められる。
 技があるというのがまたゲームっぽくて良いのだけれど、かなり難しかったそれらをクリアした暁には、身についた技を本編で生かせて、より楽しくゲームが遊べるという還元ぶり。
 だから、最後のつもりで遊んだプレイが、一番楽しかったのです。そもそもの勘違いは、設定された実績にしか注目せずに、最後だなんてゲームを終わらせた気になったことにあるのですが。
 それにしても面白かった。練習してできるようになるというのはいいものだな。

 なお、広大な敷地を時間内に一周せよとのミニゲーム内のミッションでは、さっぱり地図を把握しない状態から、「左折→直進→右折の順に優先する」基本方針の堅持でどうにか乗り切りました。左折を一番に持ってきたのは、日頃から左車線を走っており、車線をまたがず最も曲がりやすいのが左方向だから、という理由です。
 しかしこのゲームは右車線通行。ということは、右折を優先に持ってきた方が自然だったのかな、と思いつきました。
 大筋は共通としても、細かな経路は違うはず。どちらがタイム短縮に有利になっていたのかは気になります。そこから、作り手が念頭に置いているルールが見えているものと別だったりしないか、と想像したりしましたが、そんな関係があるという仮定が間違っているのだろうか。



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