ゲーム+α日記(2016年1月)

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1/24(日)

 楽曲解禁から苦節1月半を経て、ようやく個人的な難関曲「Romantic Now」マスターランクのフルコンボを、ユニットの助けに頼らず運指の工夫を実らせて成し遂げたのだけれど、改めて『アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ』のフリック操作のズレ加減に失望しているところです。

 遊ぶときはほぼずっとこの曲だった。他に遊ぼうにも辛くて、聞いていて楽しい曲でないとやる気が出なかった。続けるのこれ? という思いに見舞われたこと、一度や二度ではありません。
 しかし、やみくもにプレイしてもほとんど確実にミス扱いされる箇所があり、判定への不信のあまり、そのことに不感症になっていたのは、当方の失態だった。ミスに再現性があるなら、それはかえって直しようがあることを意味するというのに。
 そのことに気づかされたのは、100回プレイ記念のボーナスアイテムだった。プレイ回数の累計でもらえるのはその回数が最後で、フルコンボ未達成ならそれとなく断念を促すような肩たたきの含みを慰労の内に感じ取れる残念賞。それを受け取ってしまったことへの忸怩たる思いが、どうにか目を覚まさせてくれたのだと思います。

 難所は、内から外へ流れるフリックが、5つあるポイントの端2箇所を使って細かく4連続で降ってくるところだった。片手で次々と、間に合うように素早く動かしているつもりでも、また間に合っているように見えていても、特に最後の方で触れていない判断が下される。
 ならば実際間に合っていないのかも知れない。ただし、やみくもに指振り速度を高めても、正確さが犠牲になる。ならば、間に合わせるようにはどうしたらいいか。いっそもう一本指を足してみようか。
 片側に集中する楽譜からは直感に反するけれど、上記の流れに従って、4つのフリックを2つずつ、左右の人差し指で交互に担当することにしました。iPad miniでのプレイなので、机に置いて人差し指での2本ドラミング方式ですが、その地点では2箇所に集中する音符を2本の指がかわりばんこになでる。
 端から見れば絶対におかしなプレイスタイルだと思う。しかし、これでつながるようになりました。少なくとも成功率が飛躍的に高まった。当初の「間に合うように素早く」を意識して、右手がまだ残っていても積極的に左手を参加させ、その逆も続ける、その繰り返しで、半分以上は成功するようになったのです。
 こうして、めでたく109回目にして「Romantic Now」目標達成となりました。

 ときに、この手法をそのまま他の曲に適用できるとは限らない(フリックが集中しているときに両手が空かなければならない)けれど、要点だった「間に合っていないかも知れない」は共通しているのではないか。
 そう思って、フリックを画面が示すタイミングより心持ち早めに行ってみたところ、これがどうやら正解の様子。詰まっていた他の曲、「Orange Sapphire」「アタシポンコツアンドロイド」のフルコンボが次々に陥落させられました。後者など、案を実施した初見で達成できる始末。
 そういうことだったのか。判定の確かさが揺らいでいたのではなく、画面の指示がずれていたのか。
 普通の叩けば良い音符のタイミングはもちろん画面とぴったり対応しているので、これはフリックだけの仕様。もしかしたらこちらの環境に依存する恐れがあるからこれ以上は一般化できないけれど、見当がつけばため息が出るような、統一された不具合の発露だったのでした。
 あんまりゲームを信頼してもいけないのだな。指示が間違っている可能性を考慮しなければならないとは。このゲームとの新たな関係を築けた気がします。絆と呼ぶにはドライすぎる割り切り方の関係が。



1/17(日)

 ゲーム開始から苦節1年半を経て、ようやく個人的な最難関曲「soldier game」エキスパートのフルコンボを、ユニットの能力(ちょっとずれてもOKな時間帯を作れるメンバーを山盛りにする)を借りて、成し遂げられたのだけれど、そういう助力込みで考えても、改めて『ラブライブ! スクールアイドルフェスティバル』のリズムゲームとしての基礎に信を置き直しているところです。

 プレイを通して絶えず取り組んでいたわけではなく、ちょっと練習して無理だと投げ出していた期間が長かった。
 ただ、ついこの間のイベントで、ランダムで選ばれる曲を4人の中で一番うまく遊べ、というモードがあり、ランダムな割には結構な頻度で登場してきた。なので、やむを得ず格闘するうちに、意外とできるのではないかと思い始めてきて、イベント終了を機に、腰を据えてかかった結果だったのです。
 この曲の苦手なところが、サビの入り始めで歌に合わせた音符が飛んでくるところだったと分かってからは、上達が早かった。難しくしようと音符を増やすには、伴奏やリズムに合わせることが多くて、それはぴたっと合えば指がまさにリズムを刻む感じで気分がいいのだけれど、この部分ではそれが損なわれていて、気持ちが悪かったのでした。しかし理解できれば、そちらに注意を切り替えればいい。
 このように、何が悪いのかが判明して、対策が立てられて、それを実行できる運指に恵まれる、という一連の流れが確保されるとき、深い満足を味わえます。このゲームはそのようにできているのです。

 もちろん、この良いイメージは、それと裏腹な特徴を持つ別のゲーム、具体的には『アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ』との比較から得られています。増幅されていると言ってもいい。その点では、より強い喜びをもらえたことに感謝すべきなのか。
 また、感謝すべきだとすれば、このゲームを遊んでフリックで合点のいかないミスに見舞われるたびに、ああこんなゲームに金を払うわけにはいかない、との思いを強くできるという点でも、無駄な出費を抑えられて良かったと思うべきなのかも知れない。
 いやいや、そんなことはなかった。満足のためになら、多少の金を惜しむものではありません。
 とりあえず『デレステ』は、フリックに音でも色でも、何らかの手応えをつけるあたりから始めてはどうか。今のままだと、矢印の連続が降ってきたとき、その景色に惑わされず、何なら画面を見ずに、曲から振り付けを類推して、指を振ることが最適解であるかのようです。正解を教える機能はあってもいいと思うのだよなあ。
 あれ、いつの間にか『デレステ』の話に。不快な思いの方がたくさん書けるという悪癖が、まだ抜けていないようです。困ったものだ。



1/10(日)

 明けましておめでとうございます。
 との挨拶には遅すぎるけれど、年始にいきなり風邪を引いてようやく立ち直りつつある体調には、ちょうどいい明け加減に感じられます。

 年末年始もゲームは主に『魔法使いと黒猫のウィズ』であり、新年のくじの引きが周囲の評判とは裏腹にかなりひどくて大凶気分だったり、立て込んだイベントを駆け足でクリアしていったりと、師走が引き続いているような慌ただしさでした。
 そんな中、外出先の暇を見ては少しずつ、何度も読み返している本があります。『持ち重りする薔薇の花』(丸谷才一著、新潮社)という、そんなに厚手でもない文庫本の小説で、だから通し読むのに日数も取らず、程なく最初に戻るのだけれど、しかし読み返すたびに気持ちが洗われる。
 この著者の本なので、いつものように歴史的仮名遣いであり、その究極にめかし込んでいることを前提にしている様子がまず気持ちよい。語られる内容は現代的な出来事で、語り部を立てて第三者視点で進むので、現場だったら大変だったろうことも冷静に見られる。
 全ては終わったことで、それらがあって今がある。で、それを知る読者はこの語りからさらに隔たった未来にいることが、物語の上でも約束されているし、実際にそうでもある。
 そういう、いろんな時制が並行して進んでいくところに深みが感じられて、言葉選びともどもお気に入りで、再読を重ねて飽きずにいます。

 あることを描くのに、そのものだけでなく、まるで別物を意識して、それとの共通点を、明らかにしたり隠したりしながら入れ込んでいけば、無限にある組み合わせによって、他の人の書いていないことになりやすい。
 どこかで見た話をコピーペーストして一丁上がりにするくらいなら、何もしない方がいい。それを、書きたいことが見つからないなら書かなくてもいい、という方向に流れることなく、保っていきたいと思います。
 それをするにはちょっと遊びすぎのきらいがあって、折り合いを付けるのを差し当たっての今年の目標にしようか。
 そんな感じで、今年もよろしくお願いします。



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