ゲーム+α日記(2017年1月)

'17年 1月
'16年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
'15年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
'14年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
'13年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
'12年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
'11年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
'10年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
'09年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
'08年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
'07年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
'06年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
'05年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
'04年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
'03年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
'02年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
'01年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
'00年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
'99年 12月 11月 10月 9月


1/30(月)

 いくら好きな曲でも遊び続ければ飽きてくる。それに対する工夫として、この数ヶ月、『ラブライブ! スクールアイドルフェスティバル』で、どのような手のポジションでどのように譜面を叩きやすくなるのか、いろいろ探っていました。
 iPadを置いて両の人差し指でプレイするスタイルで、実技に失敗するケースとして個人的に一番多かった「押したはずの音符のすっぽ抜け」をどうにかしたかったという面もあります。

 すっぽ抜けは、「押したと思った位置」と「押せた位置」がずれることで生じる。「押したと思った位置」は指を動かし始めたときに予測している着地点で、それが実際に押せた位置と異なるのは、移動距離が長くて誤差が生じたり、力が予想外に働いたりするから。対策は、指の動かし始めと着地の距離を縮めて、軽い力で指を動かすこと。
 手を画面に近づけるのが答えのように見える。ただし、画面に覆い被さるようでは音符が見えなくて逆効果。
 まず、高さ方向の距離を縮める目的で、手首を机につけるように置いた。
 次いで、指を伸ばした先がぎりぎり一番遠くの的に届く距離に、手首を安置させた。これで、少なくとも画面の奥へ行きすぎて失敗することはない。一番遠くは「指を伸ばした距離」だと覚えさせれば、ズレも少なくなる。
 そして、次々隣の的へ押していく譜面(階段などと呼ばれる)に対処するため、人差し指をできるだけ楽に動かせるよう、他の指の付け根も机につけるようにした。顕著な効果があったのが親指で、どうも人差し指を振り上げるとき、無意識に親指も釣られて持ち上がっていたらしい。親指を接地していれば、それが抑えられていることに気づいた。見違えるほど軽やかに指が動く。

 これらの対策に「危険そうなパートではじっくり見る」ことを付け足して、すっぽ抜けはほぼ退治されました。
 残念ながらこれらの工夫は諸刃の剣。指の可動範囲が狭まることは、リズム良く押すことと相反する。そのため、正解のタイミングでぴたりと押し続けるのが難しい。また、小さな力で動かすことを旨とすることから、右へ左へと大きく振られる譜面では、動きについて行けないことがある。
 そういうときは、上記のくびきを外し、従来のように、腕を大きく振るように押すのが良い。どちらかでなければならないわけでもない。曲が異なる種類の難しさを含むなら、それぞれに異なる対策で応じれば良いのだ。切り替えがうまく行きさえすれば、だけれども。

 以上、言うのは誰でもできる対策案でした。
 あとは、これが小さな画面でも応用できることを願って練習を重ねよう。今年も全国大会の季節がやってきましたよ。レギュレーションを早く教えて欲しい。今度はもうちょっと頑張ります(←完全に熱さが喉元を過ぎた様子)。



1/22(日)

 醜態をさらけ出してから1ヶ月近く、いまだに将棋のプロ棋士たちが自らの価値を取り戻す動きに出ようとしないことに、呆れかえり、絶望しつつあります。
 正当に勝ち上がった者にふさわしい処遇を取り戻すというシンプルなことが、なぜなされないのか。終わったこと? 不正な勝負がいくら終わったって関係ない、公正な勝負をこれから始めればいいだけのことではないか。
 競技の結果が理由なくないがしろにされるプロ競技なんてない。ここが解決されて初めてスタートラインに立てる、次の疑惑晴らしに向かえるという最初の段階に、今もってたどり着かないなんて、本当にどうかしているとしか言いようがありません。
 今のままでは全ての対局が茶番、棋士は全員プロの扱いを受けられない。そんな不名誉は、真っ先に是正したくなると思うのだけれど、違うのかな。
 未練たらたらですよ。あの世界が好きだったからなあ。ほんとどうにかならないのかなあ。

 おかしいと思ってもルールに則って動く。それに反してはしごを外されたら、間違いなら論外、たとえそれが正解だったとしてもその不手際に疑念はずっと残る。
 この問題がわだかまっているのは、自分自身がそういう目に一度遭ったからというのもあるだろう。そうでもなければ、人ごととしてもっと無関心でいられただろう。
 自分に起きたことは生涯忘れないよ。そして、このままだったらこの将棋事件もそうだ。まったくもう、馬鹿じゃないのかと、一つの世界が自分の手の及ばないところで消えていくことに、自分のことでもないのに悔しくて仕方ありません。
 今だったらまだ間に合うとの思いがあるからだろうね。全容を明るみに出し、しかるべき処分を施し、冤罪の汚名を雪ぐのに、今月くらいがデッドラインか。何か動きのあらんことを。



1/11(水)

 先の日曜日は、部屋に将棋が放映されない、数年ぶりの日曜日だった。
 テレビのつかない穏やかなひとときだった。悲しい穏やかさだ。これに慣れなければならないのが悲しい。

 新年も『アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ』のイベントを主に遊んでいたのだけれど、課題曲「命燃やして恋せよ乙女」の最も難しいMaster+モードが、少なくとも自分の能力ではこれ以外の解を見いだせない「筐体を置いて、左右合計5本の指を使ったプレイ」を求める譜面だったのに、少し興奮しました。
 これが初めてではなく2曲目だから、新鮮味ということはないけれど、縛りプレイのつもりでいたこの遊び方が実用化されるのが不思議です。
 隣に1つずつアップテンポで音符が配られていくので、同じ指ではそのうち追いつけなくなる。なので、あらかじめ構えておいた別の指をタイミングよく置いていくスタイルが安定しやすくて、それが5箇所に渡るから5本指。
 合理的ではあっても、いざ実践するとシングルタスクに並び替える手間が、2本とは段違いのややこしさです。

 ピアノを弾くのは実際そのような入力形式を征服することなので、遠い昔の感覚を思い出しながら練習していました。ちょっと猫のように手を丸めて柔軟さを出そうとしてみたり、指の移動と一緒に体重も左右に揺らしてみたり。
 年末年始を通じた、およそ60回の実戦で、鬼門の5本指必須区間を含めて全てを通してつなげられたのは一度きりでした。これでは即興など縁遠い話だ。チャンピオンデータが成績になるこのゲームの形式でのみ有効な、数撃ちゃ当たるスタイルであります。
 でもいいよ。イベントが終わるたびに、まだやれたんだと振り返ることができる。挫折することがあるのか分からないけれど、曲が難しくてクリアできないときではなく、やる気がなくなったとき、心を折られてゲームから離れるという形でそれは訪れるだろう。
 今回はそのときではありませんでした。ワンチャンスを拾って金トロフィー、スコアボーダーでは冷や冷やながら、結果は幸先の良いスタートです。



1/3(火)

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 とのんびりした年末年始気分をぶち壊す胸くその悪い事態が、昨年末、自分の好きだった将棋界に起きました。いや、起きていたことが明るみに出ました、の方が正確か。
 夢であってほしいと心から願います。今もってこれが続いているのが信じられない。

 この年の瀬に、
 ・人間の指し手かコンピュータの指し手かがプロには見分けられず、しかし本人は見分けられたつもりで行動したことにより、人間が頑張って指すというプロ棋士への信頼・性善説が崩れ去った
 ・確かな証拠もなく他人を疑い、それに基づいて棋士の権利を奪うことによって、棋界の仕組みが将棋の強い者が良い報酬を得るとは限らないものだと判明した
 ・奪われた権利が、棋界最高峰のタイトル戦への挑戦権であったことで、そのタイトルの価値が暴落し、スポンサーの顔に泥を塗った
 ・上記の問題がありながら、適切な内部処分ができないことで、組織の自浄能力がないことが満天下に知れ渡った
 ・外部調査によって棋士の指し手に問題がないことが明らかになりながら、対局の機会を与えないという処置を継続することで、組織の現状把握力の欠如、および冤罪に対する贖罪の意識がないことがあらわになった

のでした。
 短く言えば、いま将棋を指して対価を得るシステムの根本が揺らいでいる、というか、現状の組織に属するプロ棋士の価値が、少なくとも勝負の面では消滅しつつあります。

 真摯に将棋に取り組んで、良い譜面を残すよう努めたとして、その最良の成果が認められず、かえって将棋を指す棋界から遠ざけられるのだったら、高みを目指す努力などするメリットがない。
 明らかに人間しかやらかさないようなミスを適宜織り交ぜつつ、二転三転する熱戦を作り上げるよう努力するのか。それが本当にプロ棋士の価値と言えるんだろうか?
 また、本来なら問題は上3つしかなく(それだって大事だけれど)、対応次第で火は小さくできたはずなのに、あまりの不手際によって燃料が足され、いらぬ問題が追加されてしまった。呆れるばかりです。

 この問題が片付くまで、将棋界への興味は出てこないと思います。
 さっさと責任ある行動を取ればいいものを。彼らに問題が解決できないなら、せめて心の安寧のために、見るに堪えないこの場をなかったものにすべく、自分の関心を捨てるしかないじゃないか。本当に残念だ。
 彼らの判断と行動が、個人への問題を超えて、せっかく作り上げられてきたプロ棋士の幻想共同体を自ら解体しようとしていることを、当事者たちはどう思っているのか、ぜひ知りたいところです。



Back

inserted by FC2 system