ゲーム+α日記(2017年4月)

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4/30(日)

 どういう業界の風の吹き回しなのか分からないけれど、やたらにスマートフォン用の大型音ゲーのリリースが続いている・これからも続くようで、金脈だと見られているのかと不思議。
 大型というのは、事前の準備(特に楽曲)にある程度時間をかけている上に、プラスアルファの演出も盛り込もうと頑張っている感じを抽象的に指しています。最初から先行投資のつもりで用意できるものなんだろうか。
 世の中にはキャラクター寄りの音楽がこんなにもたくさんあるのだと、改めて驚きます。曲を作れる人がそんなに増えたのか、人間が歌う曲を作る割合が小さくなって、そちらにシフトしているのか。

 なんにせよ、いい曲が増えてくれれば歓迎です。
 ここでいい曲というのは、ぶっちゃけて言えば自分が歌いたくなる曲のことです。曲を覚えて自分で練習して歌えるようになり、それを自分の耳で聞く、という流れは、実現するかどうかはともかくとして、非常に投資効率の良い楽しみ方だと思う。音源だけ準備できれば始められますよ。
 誰かが歌ってくれるのか? 好きなときに自分が聞き役に徹する環境がありうるか? そうなら努力を惜しむけれど、そんな便利に他人を使ってはならないだろう。それに、声を出しながら自分の体の動きに思いを致すのも、ある種スポーツのような体験型の面白さがあります。
 目下の課題は、3〜4曲歌うとボリュームが出なくなる裏声の体力をどうつけていったらいいのかというもの。疲れなのか。翌日には復活するのだから、喉にも、自分が意識するのとは別の疲労が現れるものなのか。あるいはそうではなく、そもそも体力という概念も当てはまらないのか。ただ消耗していくだけなら、練習でむしろ寿命が縮むのではないか。
 普段使わない部位だけに勝手が分からず、奥の手としてできるだけ温存し、その分を地声でカバーを試みる、という消極的な対策しか思い浮かびません。
 趣味嗜好の移り変わりや本体の寿命を考えれば、消耗を心配するほど惜しむものでもなさそうだけれども。



4/16(日)

 非日常的に慌ただしかった週を終え、週末からは、仕様が追加された『アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ』の協力プレイイベント「LIVE PARTY」を専ら遊んでいました。
 5人が一度に、ランダムに選ばれる一曲に取り組むこのイベント、これまでの組み合わせはゲームの側で勝手に決めていたのですが、それに加えて部屋を作って決まったプレイヤーと組むモードが追加されたのです。
 なかなかに素敵な仕組み。

 このモードの用途は、「実際の知り合いが集まってプレイ」「目的がより鮮明な遊び方に賛同するプレイヤーを募ってプレイ」という2つが考えられます。
 前者は分かりやすいからいいとして、後者には「腕自慢の集い」「いちいちグループを変える時間も惜しんで周回プレイ」「難易度を落として、いろんなキャラの踊りを眺めるプレイ」などの細分化された需要に応える形になっています。有能なモードだと言えます。

 実際のところ、ふらっと集まって遊ぶようなあり方であっても、わざわざ部屋を立てる段階でゲームに熱心であり、それなり以上の実力の下地があると思った方がいい。
 特に「腕自慢」と銘打たなくても、それどころか謙遜気味のコメントが添えてあっても、基本的に部屋に入ってのプレイは腕前を披露し競い合う場となる。
 自分が何度か参加したところでは、野良プレイ(従来通りの、ゲームに組み分けを仕切ってもらう方式)に比べて明らかに、プレイヤーの技量が粒ぞろいでした。

 その違いが顕著に表れるのが、プレイ前後で押せるスタンプ式のアイコンの使い方。野良プレイでは難しい曲に対して使われる「ヤバーイ」というスタンプが、部屋プレイでは簡単な曲に対して使われる。
 プレイ後の結果発表で各人の状況が分かりますが、死なないように頑張ろう、というのと、自分一人だけフルコンボを逃してさらし者にならないように頑張ろう、という対照的な決意が、同じスタンプに込められるのです。

 部屋プレイにおいて、不運にも4人フルコンボ:1人ミス、という状況を招いたとき、目立つ当人はもちろん、他の4人もなかなか手放しでは喜べません。
 このゲームでは、端末にもよるだろうけれど、ちょっとしたフリックの抜け、気まぐれな音符の動きの引っかかりなどで、防ぐのが難しいミスがちょくちょく発生します。それは曲の難易度を問わない。
 だから、自分がミス代表の立場に立たされることは十分にあり得たのだし、実際そのような場面にも出くわしました。しかしどのような理由であれ、ミスで場の一体感を損なってしまったことは否定できない事実。
 その無念さが想像できるから、フルコンボできた立場からは、「わかるわ。」というスタンプを1度押して終了にしていました。
 もちろん、全員フルコンボという晴れがましい場に居合わせられれば、大いにはしゃぐ。そのためのスタンプはたくさんあります。ただ、今回一番興味深かったのは、単純にみんなが試練を乗り越えたときではなかった。
 その喜びに届かなかったときの場をどうするかは、避けようのない事態なだけに、現場主義の学び体験ともいうべき、遊びの域をちょっと踏み外した趣がありました。それを踏まえてこそ、試練を乗り越えた輝きも増すというもの。

 ということで、これを他人が介在すればたいてい面白い、とくくってしまえばそうなのかも知れないけれど、オンラインのやりとりにもゲームごとの個性は当然あるのだから、いろいろ遊んで楽しめたらいいと思います。
 そういうものに、これからも出会っていきたい。



4/2(日)

 先週末に『魔法使いと黒猫のウィズ』の魔道杯があって、ここ半年では一番厳しい戦いが演じられてそこに巻き込まれていたために、どうもこの一週間、疲れが抜けなかった。
 戦いは月曜日には終わっていたのだから、一週通しての疲労の責めをそこに負わせていいのか、定かではありません。ただ、週の始まりを迎えた段階で残していた疲れは、確実にそのためだった。
 以前のペースと比べてそこまで根を詰めたつもりでもなかったけれど、ダメージは蓄積していたようだ。負担をもっと、4日間の開催日で均等になるよう割り振らなければなりませんでした。

 根を詰めることによる反動は、自分だけでなく共通に起こるようで、せっかく楽しむためのゲームが苦痛へと反転するのは悲しい。
 『アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ』のくじ引きことプラチナオーディションは、一定期間だけ当選確率が2倍になるのですが、季節ごとくらいに訪れるそのチャンスに全精力を傾けるべく、それ以外のくじ引きの機会をことごとく見送って照準を合わせるスタイルが、特にくじ引きの機会が限られる少額課金プレイヤーの間では、そんなに珍しくないようです。
 そうやれば一度に100回くらい引けるし、それが合理的なのかも知れないけれど、そこまで禁欲的にプレイして、万が一何の見返りも得られなかったとき、反動が一気に来そうで恐ろしい。いや、万が一なんてことは全然なくて、そうなる確率が馬鹿にできない割合である。頑張ってきた気持ちが切れてしまいそう。裏切られた、なんて思ってしまいそう。
 自分などは適度なガス抜きで、くじを引いてしまいます。期待しない方が楽に生きられるという諦めと妥協の産物ですが、人生なんてそんなものなんじゃないかと思うのです(←急に話が広がった)。
 諦めなんて書く以上、そこまでの気合いを注げることにまぶしさとうらやましさを感じるのも間違いない。その情熱にケチをつけることなんてできません。
 ただ、その頑張りが砕けて露呈する危うさを見かけたとき、第三者としてどう接していいのか分からないから、一歩引いてしまう。結局は時が解決するしかないのだと思うけれど、それをどのようにしたら伝えられるのか分からなくて、迷う。
 それもまた、大きなお世話なんだろうか。主人公たちは放っておいても自身の物語を生きるんだろうか。何の関与もできないのも、それはそれで歯がゆい気がするのです。
 頑張っただけ成果が出るなら、まだ疲れが残っても報われるのだけれど。数字に踊らされるの、ほんと精神に良くない。



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