ゲーム+α日記(2019年8月)

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8/28(水)

 いや、たしかに、『ラブライブ! スクールアイドルフェスティバル』の全国大会予選を終えてオンライン登録を行った返信メールを見たとき、あるいは遡って告知のサイトで、「結果は当選者だけに知らせる」旨の表記を見たときに、おかしいとは思っていました。
 ただ、それは、当選者を決めてから辞退されたときに次点を繰り上げるために、日程に遊びを持たせておきたいためだと、これだってこっそりやるのはどうかと思うけれどもせいぜい好意的に捉えていたものでした。
 何しろ今回はいきなり本番を迎えてしまうのだから、都合のつかない人、気が変わる人だって出るに違いない。そういうケースは大いに考えられる、と一人納得していたのです。

 多分真相はそうではなくてもっと単純で、運営はこの催しに熱心でない。
 なぜなら、今回は予選を一段階削っているだけに、応募資格もより厳しくしており、具体的にはゲーム内で「ロイヤルエキスパート」に達していないと資格が得られない。
 推測ですが全プレイヤーの10%が取れていればいいほうではないだろうか。
 その中でさらに応募者が限られるとなれば、連絡しようと思えば去年までより格段に負担が少なく済むはずなのです。
 しかも、そういうふるいにかけられたプレイヤー層がどれくらいいて、平均点がどう、偏差がどう、あなたの順位はここでした、なんていう具合にスコア重視のプレイヤーを興奮させるのには事欠かないデータたちであり、まさに宝の山を抱えているに等しい。
 それを何にも生かそうとせず、それどころか応募者が落選したかどうかがいつまで待っても分からない仕打ちを食らわせるなど、真珠を生かせないならブタと呼ばれるに値すべきふるまいですよ。

 実は自身の結果は、オンライン予選登録を行ったブシロードのサイトで見ることができていたのでした。
 のみならずここには、「選考期間」も掲示されていました。どこかで見たと思ったけれど、ここだったか。ほかのどこにも書かれていなくて不思議だったのですが、盲点だった。
 結果はいつ発表されたんだろう。選考期間の入り初めにはもう出ていたんではないだろうか。それなら、頭のほんの片隅にでも気に留めておく必要がなかったというのに。

 この仕組みから、この推測でさえまだ好意的であるような、興業重視の事態も予想できますが、いいよ、敢えて言うまい。営利企業ならそういうことも大事であるかもしれないと、理解を示します。たとえば日本将棋連盟の如き、勝負の開示により透明性が求められたはずの公益法人とはわけが違うのだ。
 何にせよ、ようやくここで『スクフェス』に関しての一区切りがつけられた気がします。やめるわけではない、ただ接し方が気楽になる。こちらが希望を持ってもしょうがない感じがある。執着することから卒業ですね、って気分です。



8/18(日)

 中身が同じ人だから、同じことについて何度だって考える。
 ただ、全く同じではいられなくなっているから、結論が違ってくることもある。そういう変化を自覚する機会があまりなかったけれど、自分自身にそういうことが起こるんだから、他の人に起こることはないなんてどうして言えるだろう。

 ずっと前、1プレイあたりの料金を払う体系でゲームをする場において(つまりゲームセンターという場では)、一度始めたゲームを、気に入ったプレイ結果ができなかったことを理由にして自発的に終了に導く、ないし続行しないことを選択する、すなわち「捨てゲーする」ことは禁忌と考えていた。
 だってお金を入れたんだよ! その分を楽しまなければ損じゃないか! あと、自分で失敗を認めるのがみっともないし。
 そのとき何を大事にしていたのかがよく分かる当時の見解でした。

 ゲームセンターは特殊な場で、そこにいられる時間がとても貴重だった。その場所で繰り広げられるゲームがどのような展開であったとしても、精いっぱい置かれた状況下で決まった時間を戦うことが楽しかったのだと思う。
 結果は二の次でよかった。目標はあったにしても、そこまで重視してはいなかった。

 今、同じ立場に置かれたとき、同じく目標がある状態で不本意なプレイ結果に遭遇したら、目標達成の望みの強さによるけれど、捨てゲーすることも考えると思う。
 少なくとも、プレイを誰にも見られず他人の目を気にしなくてよい環境で、しかし一定量のゲーム内通貨を払ってプレイするソーシャルゲームの音ゲーで、手ごわい曲のフルコンボを目指していたのに途中で失敗したら、そのまま続けた方がクリアボーナスなどで明らかに得であるにもかかわらず、その場でリタイアすることが多い。
 お金よりも大事なものができてしまったのだ。それは時間でもあるけれど、プレイヤーのゲーム体力にかかわる部分が大きい。当時は無尽蔵と無意識に考えていたその資源が、今や枯渇しうるものと自覚している。

 もし、費用が先払いでなくプレイ時間に比例して払われるなら、失敗したらすぐリトライするだろう。動体視力や集中力というのはそのたぐいの資源であり、同じく消費するなら、ただプレイすることにではなく、最良の結果を得るために使いたい、と考えています。
 当時はそういう観点を持てなくて、捨てゲーに関する理解を深められなかった。今ならその心境を推察できる。もちろん、時間が最大の資源という局面もあるだろう。何が貴重なのかは人それぞれだ。
 もっと年を取ったら、目標にがっつくことなく、優雅に遊べるだろうか。長期記憶を飛ばすようなことがあれば、目先の楽しみを追いかけることなく、穏やかな遊び方に浸れるのか。来るかもしれないそのときまでに、限りある資源を使い尽くさないよう注意しなくては。



8/11(日)

 先日、『この世界の片隅に』というアニメがテレビで放映されていたので見て、この境遇に比べれば我が身のことなどなんてこともないなあと思いました。

 終盤に入るころ、主人公がある事情で、それまでずっと好きだったことができなくなってしまう。頑張ればどうにかなるものではないレベルで喪失してしまう。
 それでも、彼女は生きていかざるを得ない。他にもやらなければならないことがたくさんあって、そちらに気を取られ続けているから、なのかもしれないけれど、それも引っくるめて生きていくためのことなのだから、全体的に絶望するという方向もなくはなかったように思う。
 結局そうはならなかった。「生きていくためのこと」の中に価値を見出すことができたんだろう。あるいは、そこまで思いつめる性格でなかったということなのかもしれない。

 今、自分はあまり長時間ゲームを遊び続けることができない。あくまで自身内の比較の話で、他人から見れば今でも十分長時間なんだろうけれども、遊び続けて半日没頭とか徹夜とかいうわけにはいかない。
 無理をすると疲れてしまう、といえば大雑把だけれど、体調を崩してしまう。健康を差し出したくなるほど強い吸引力のゲームに触れていないことが幸運なのか不幸なのか。
 その代わり、こまめに断続的に遊んだり、情報を集めて効率化を図ったり、同様ではあるけれども自分自身のプレイを振り返って悪い点を見つけることを以前より積極的に行うようになった。それはプレイ時間を減らして、納得のいく成果を短時間でもたらせるようにするため。
 ただ、成果なんて関係なくずっとゲームに浸っていたいと思うことはあって、それから逃げ出した状況を正当化してるんだという引け目は感じています。成果を得たくてゲームをやっているのか。そうではなく、楽しむために遊ぶのです。
 だから、せめてものけじめとして、どれだけ頑張るかの線引きに、損得でなく楽しみを前面に押し出して、その上で優先順位を決める。効率だけ考えるなら、長く付き合った方がいいに決まっているゲームが、世の中にはあふれている。それらと対峙し、身を守りつつ楽しみを受け取るための防衛手段が必要なのだ。
 ……世知辛い感じがするな。そして、『この世界の片隅に』のことがあるので、ゲームができる段階で幸せな立場なんだと、工夫したら楽しみが得られるんだったら御の字だと、遊びの時間が以前より大切に思えてきています。



8/3(土)

 いかに環境を整えても自分のベストが出せるわけじゃない、ただしそれなりの力は出せるだろう、ということを、『ラブライブ! スクールアイドルフェスティバル』の全国大会予選プレイにおいて、今週学びました。

 結局最後まで、課題曲を3曲通してフルコンボでつなげることはできなかった。
 ただそれは、己の実力と一発勝負(10回あったけど)とをはかりにかけると、まず妥当な結果だったと思います。練習の段階から、うまくいけばフルコンできるかも、くらいの出来栄えだったから。3連続でそんな僥倖を引き当てるという確率勝負に持ち込まざるを得なかった時点で、基礎的な実力が足りなかった。しかも試験の緊張がそこに加わるのだから、勝ち目はどんどん低くなります。
 そんな中でも、最終日と定めたラスト2回プレイ時は、悔いを残したくなかったから、できるだけの準備はしました。風邪も治して、十分な睡眠を取り、ほかのゲームなどで目や手を消耗しない「スクフェスの日」と決め、そして変わるかわからないながら予備も欲しかったのでこの機会にと新しいイヤホンも買ってみた。
 最後のは予想外に音質が違っていて慣れなさそうだったのでいつものに戻したけれど、そのように舞台を整え、気合を高めて、一番頭の冴える時間帯を選んでやってみて、その結果が最初の曲のみフルコンで終了なら、まったく練習の成果が出ての終わり方だったと言えます。
 とにかく最初の曲が難しかったから、9割がたそれを練習していた。その「MIRAI TICKET」が結果を残せるようになった(10回のうち4回くらいはフルコンできていた)んだから、御の字とさえ考えていいように思う。自分ができることは頑張ったと思えるから、悔いはありません。

 さてこれで、このゲームに関する根を詰める気持ちが燃焼しつくされました。あとは楽しく行こうじゃないか。楽しいだけじゃない試されるだろうプレイの日々から、残り少なく見える稼働期間内を今が最高と楽しめる遊び方へ。
 これまで来てくれた部員たちに感謝しながら、ストーリーをのんびり見るなどして過ごすのがいいのではと思います。点数稼ぎにそこまでがっつくこともないのではないか。プレイ回数を追いかけたりはほどほどにして、あくまで楽しみと幸せを追求する遊び方をしていきたい。
 願わくは、有終の美を飾らせてくれる運営であるように。これまで培ってきたものを、プレイヤー同様に大切に思ってくれる人たちでありますように。



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