ゲーム+α日記('99年12月)

'99年 11月 10月 9月


12/29

 根詰めて「プラネットライカ」クリア。
 悪くない、とか気取らず、この奇怪な世界はよく理解できませんと正直に言おう。誰にだって分かってもらえるはず、といった押しつけがましさが作り手の側にないのは助かる。

 しかしエニックスページはたった2ページの紹介なのにかなりネタばれを含んでいることが判明。リンクは切っておこう。背景についてならいくらでも語るべき事柄があるだろうに。

 これで今年の更新はおしまいです。来年が無事に迎えられますように。


12/28

 「プラネットライカ」に関する、昨日の日記の補足。

クリスマス杯参加資格(プレイ途中なのでもっとあるかも):
 ゲーム開始時がクリスマスの日。
 主人公は幼い日のクリスマスプレゼントにまつわるトラウマを抱えている。
 ゲームオーバー画面に樅の木と鈴、BGMも寄せては返す鈴の音。

夢を見たきっかけ:
 ゲーム内の人類はすべて犬の顔をしているという設定(もちろん主人公も)。そこら中ポリゴン犬面人だらけ。

 これで、エニックスページから紹介が抹消されても大丈夫。
 ヴァルキリープロファイルやドラクエ7の話題の前に早くもお値打ち品扱いを受けているこのソフトですが、真摯にして怪しい雰囲気は悪くないにしても、他人には勧められないわなあ。
 たくさん出荷する方もどうかと思う。


12/27

 今さら口にするのも憚られるわけですが、なんて本当はそう思っちゃいないから口にするんですが、2日前はクリスマスだったのですな。
 そこで、クリスマスにふさわしいゲームを遊んでいきたい! と思い、何度やってもクリアできない「沙羅曼陀」はほっぽりだして、季節感漂うゲームをピックアップしてみることにしました。有力どころには年末の競馬の大レース、有馬記念に因んで…ってこれも終わってるよ、じゃあ東京大賞典でもいい、そんな見立てのコメント付きで。

◎クリスマスナイツ
 サターン販促の具に留まらない見事なアレンジ、ハマったネーミングなど、まさにこの企画のためにあるようなソフト。不動の本命。

○クリスマスシーマン
 新しさ・話題性の面では能力十分も、ゲームとの組み合わせの不可解さ及びキャラの顔が嫌われ、離れた二番手の評価に。

▲ノエル
 タイトルの力強さで上位と張り合う。ゲーム内容が果たしてクリスマスなのかどうか全く知らないのが痛い。

△ホワイトアルバム
 冬が舞台だから当然印象的なイベントがあるだろう、と気軽にエントリー。完全なイメージ先行型で危険な人気馬の可能性も。

△サンタクロースの宝箱
 ビンゴか何かで遊ぶパーティーグッズだったような。内容はベストマッチもディスクシステム出身のハンデは重く上位争いどこまで。

以上のように候補は出そろったのですが、いざふたを開けてみたところクリスマス杯を制したのは全くのノーマーク、
「プラネットライカ」
だったのでした。

 つーか遊んでみるまでクリスマスがテーマの一つとは露知らず(エニックスページにも出てこないし)、だから今になってこんなネタを振っているのであり、プレイ初日の夜にゲーム内容を投影したと思われる夢をさっそく見ましたよ。
 昔飼っていた犬が尻尾を振って寄ってきたので頭をなでてやっていたところ、体毛が羊のようにもこもこと膨らんだ異様で醜い姿であることに気づき、でも当の犬が別段気にしてないみたいでちょっと歩きにくそうにしているだけだったので、こちらも何となくそのままにしておいた、というだけの夢。
 どちらかといえば悪夢。

 クリスマスには最も不適なゲームだと思う。


12/26

 そんな感じでタイトルの駄目っぷりに訳も分からず手を伸ばしそうになった「ルリルリ麻雀」だったが自制。代わりにサターン版「沙羅曼陀デラックスパック」を見つけたので買う。

 さっそくスタート、の前にサウンドテストに行き、おもむろに試聴。ステージ1の曲が流れ始めたとき、郷愁が力強く湧き出てきてしびれた。
 何を隠そう、これと「グラディウス」こそ私とゲームミュージックとの出会いでありまして、内緒で持ってきていたカセットテープとウォークマンを布団に潜って友達と聴いた修学旅行の夜の衝撃がありありと思い出されたのにはテレビの前でうろたえずにはいられない。
 その記憶にほとんど符合するように聞こえる音色に、当時と同じく何しゃべってんだか聞き取れない音声に、パワーアップ紹介デモをそのまま収録したものだと気づいた(今日まで知らなかった)SEの並びに、そしてこれもテープそのままの説明書のストーリー(自然に声が頭の中で再生されていた)にと感動が渦を巻く。
 まことに初代「沙羅曼陀」は自分にとってゲーム曲の原点にして原典であり偉大な存在であります。

 BGMを堪能して満足したけれど、せっかくだからゲームもやることにする。
 そう、曲には大いに親しんでいたけれど、またファミコン版はかなり遊んだけれど(オリジナルステージの曲は「ライフフォース」から取っていたのだなあ)、アーケード版の経験は絶無に等しく、ゲームそのものには特別な思い入れはありません。
 なので、スピードアップが貴重なシステムは新鮮で良いと感じたものの、この辛いゲームバランスやコンティニュー不可というシビアな設定では残機7・難易度最低にしてもエンディングを拝むことかなわず、泣きたい気持ちでまたサウンドテストに戻るありさま。
 まるで異なる涙の意味を実感できたことも貴重ではあるかもしれない。そう考えることにしよう。く、それにしても悔しい…


12/24

 ギャルゲーないしアニメと麻雀という謎のタイアップ商法も「卒業」「同級生」「エヴァと愉快な仲間たち」と来て、今度はナデシコですか。

 いや、ナデシコって見たことないけど、この女の子は麻雀は嗜まないでしょ。パッケージの絵をゲーム用に新たに書き下ろしたんだったら、こんな切ない仕事もなかったんじゃないか。って大きなお世話。


12/23

 昨日の続き。
 「可能性とその解をシステムの中に併せ持つ」というのはどのゲームにも当然備わっているものじゃないかという気がしてくるだろう未来の自分のために、覚えているうちに反例を控えておくことにする。たびたび槍玉に挙げるけれども「ONE〜輝く季節へ〜」というPCゲーム。

 知り合いに会うために平日の昼間に学校に忍び込むというイベントがある。侵入時は授業が始まったばかりで、目指す人も教室の中にいる。どこにいるのか分からず、とりあえず校舎を歩き回っているうちに先生と鉢合わせする。逃げ出さざるを得ず、目的は達成できない。
 その後、先のイベントで先生に出会ってしまったことが悪影響を及ぼしたと思われるように話が進む。そこで、学校潜入時に戻ってやり直してみたくなる。

 何度かプレイするうち、校舎の階段を上り下りすると5分、その階に留まると10分時間が経つことが判明する。授業時間はだいたい45分だろうから、その間うまく教官をやり過ごすことができればいいのではないか、そして鍵は移動の違いによる5分の時間差にあるのではないかと推測し、時間経過のからくりによく気づいた偉いぞ俺、などと悦に入りながらフラグ立ての目星をつける。
 ここでプレイヤーはこの場面の仕掛けを見破ったのだから、どこかに正解が用意されているはずだと期待している。今の状況が、迷路の中で目隠しをされ、教官に捕まらないように手探りで出口を探すミニゲームをしており、手探りで触れる壁を見つけたようなものだと理解する。そこで、壁から右手を離さないで迷路をたどる気構えで(こうすればループがない限りいつかは必ず出口に着ける)、何とかして正解を見つけようと努力する。
 しかしその努力は無駄骨だった。どう頑張っても先生を避けることはできないのである。いかにも工夫次第で道が開けそうに見せていながらだ。
 全ての可能性を試したプレイヤーは閉じた迷路を徘徊していたと気づかされ、ゲームに裏切られたと感じる。

 これが、私が「ONE」のゲームシステムを難易度という視点で語るべきではないと考える理由でもあり、このシステムが低く評価されていない(雑誌の人気投票を見る限り)PCアダルトゲーム界を軽んじて良いと思う理由でもある。


12/22

 例えば「風のクロノア」の1面ラストでは馬鹿でかい釣り鐘の周りをボスとぐるぐると追っかけっこするわけですが、ボスに当てるべき攻撃をただの背景かと思っていた中心の鐘に当てたところリンゴーンと鳴りながらゆっくり大きく揺れるのを見て、にんまりせずにはいられないのです。
 「クロノア」は縦横スクロール・横視点アクションゲームですが、スクロール方向は2次元を保ちつつ、移動の自由度が上がりすぎて操作が煩雑にならない程度に3次元を感じさせる仕掛けに満ちています。一枚の平板ではなく、空間の中を曲がりながら進む平面というフィールド構成です。
 で、ゲームを先に進めるためにはどうしてもその疑似空間配置を利用しなければならないマップになっているのに加えて、そのシステムを使って、ゲーム進行と関係のない遊びの部分も作り込まれているところがすばらしい。
 釣り鐘が揺れるのなんかボスとの戦いに何の影響ももたらさないのに。

 などと感心しながらもう一度鐘に衝撃を与えると体力回復アイテムが飛び出してきたりして、これにはもう降参するしかありません。

 こんなことができそうだと予想してやってみたらその通りになるような、山ほどの可能性とその解をシステムの中に併せ持つゲームが好きです。


12/19

 明日からの本格的な仕事を前に、少し早めの冬休み気分で「風のクロノア」に集中していた。
 閉じているときは畳んであり、広げると切り込みや折り目が立ち上がって立体的に見せる絵本があるけれども、そんな感じの楽しいアクションゲーム。

 ゲームをしっかり遊んだ日は、頭がそれで一杯になっていて長文になりません。わっふぅ(主人公クロノアのかけ声)。


12/18

 ファミ通のポケモン金・銀レアモンスター捕獲顛末記事を、熱いものを感じながら読む。さすが、職業にしている人の文章は違うな。

 新しい住まいの意外に近くにあった海岸。曇り空のもと出かけてみれば、頻繁にうち寄せる波もまた暗い色をしている。
 この荒涼感が良い。どことなく水墨画のよう。

 飲み会の二次会としてカクテルバーに連れていってもらったことがある。客の単語からイメージしてそれらしいカクテルを作ってくれる、ということだったので、場のメンバーが思いついた適当な言葉を並べた。
 で、順番が回ってきたので何を注文したかというと、この辺がオタクの嫌な性なのだが自分が口にしたのは「暗闇の雲」なのだった。

 やがて出てきた小さなグラスには、コーヒーをベースとして、比重の差を利用して透明と焦げ茶色の二段重ねを施した、甘くて強い酒が。見た目もきれいで、うまいこと解釈するものだと感心はした。でも、茶色じゃなくて灰色ならもっといいのにと思った。
 茶色は暖かみのある黄色を含むけれど、灰色は闇の黒と虚無の白の重ね合わせ。その方が気分に合うように感じられた。
 無彩色は好きです。

 そんなことを思い出させた海辺の散歩だった。
 また来よう。夏の、凪いで美しいと評判の景色が来る前に。


12/17

 午前中の冷たい雨が夜には横殴りの風を混ぜて吹き付ける雪へと変わる。そんな秋田県への引っ越し完了。思ったよりずいぶん早く復帰したものだ。急がないほうが良かったかも知れないのに。

 関東を遠く離れる名残惜しさを胸に新宿に寄る。今年の、もしかしたら今世紀最後のアーケード版プレイになるかも知れないシルバーガンを遊ぶ。大会からこっちテンションは地を這うようで、クレジット音を聞いてもはやる気持ちが湧いてこない。
 そして結果は…5面まで行き着けずにゲームオーバーだった。判決を下され、吹っ切れた気分になってゲーセンを後にする。

 上野駅前で電車待ちの時間潰しに「まんがの森」などというところに入ってみれば、「期待の新人! 平凡&陳淑芬」なる掲示があって仰天する。あの、「仙剣奇侠伝」でおなじみ(日本では1000人くらいに)の二人だ。といってもあのゲームでは名イラストレーターと紹介していたから新人ではないのでは。
 来年早々に来日、サイン会を行うという。それを大々的に告知するのもすごいけれど、売場の一角を占めていた作品群も壮観。画集のタイトルが「黄色」とは素敵。ほかにも赤色だか藍色だか忘れたが色とりどりの数タイトルが並んでいて圧倒される。それらを横目で見ながら、しかしレジに並ぶとき手にしていた本は「美食倶楽部バカゲー専科外伝 謎のゲーム魔境」だったのだけれど。

 引っ越しの時には全ての荷物をまとめるわけで、当然ゲームもまとめて梱包したのだけれど、そのときプレイ途中・未プレイのゲームの多いのに呆れた。
 一本一本あげていこうかと思いタイトルを控えていったが途中で面倒くさくなり挫折。やりかけのゲーム17本、手つかずのゲームは51本を数えた。
 人類を繰り返し全滅させられるだけの核兵器を抱えた地球、というイメージが浮かんだ。自分の場合特に最近、ゲームは買うことでストレス暴発を抑止させるものとなっていた。それではもったいない、真の役割を発揮させなければ。
 って、発揮させたら駄目なのか。全てを遊ぶことになったら、歓楽の海に溺れて破滅するだろう。それは避けねば。時間をかけてレッツ軍縮。


12/14

 大勢の人の中に混じると、普段は意識しないように避けている自分の片輪な性質が浮かび上がってくる。
 場の空気が読めないこと、どのように振る舞うことを期待されているのかつかめないこと、そして、どんな些細なものであっても予定外のできごとに対処できないこと。
 それらをかなり的確に説明してくれる内容が書かれた本を、先週の出張中に読んだ。その知識が、今回の催しごとに出席した際の自分の行動を、ある程度まで予測させた。

 予測できたからといって現状が変わるわけではない。予測で止まらず、現状を変えるように努めなければいけない。
 とは思うのだけれども、残念なことに、その本に対策は載っていなかった。ただ、難しいとだけ。

 別にシルバーガン大会の結果が思わしくなかったのが尾を引いているわけじゃない。シルバーガンは難しいゲームで、今回もその難しさを再認識させてもらったに過ぎない。それはいつものことで、釣り合うだけの楽しさも受け取っているから(それもまたいつものことだ)悪い取り引きじゃない。
 ただ、イベント会場を出たときのみじめな気分がやりきれなかった。

 移転することになった。落ち着くまで更新はしばらくお休み。
 ページの、ではなくて。ページの方も近いうちにあると思うけれど。


12/7

 いろいろと残念なことが多い。

その1:「プリズマティカリゼーション」オフィシャルコレクターズブック

 発行元がギャルゲー専門誌、電撃G'sマガジンの系列で、予想通りとはいえほぼギャル絵一色。しかしシナリオ担当者がまったく出てこないのは徹底しすぎ。
 代わりにキャラデザイナーインタビューなどが入っているが、どうもこの方は、自分の絵がどのような話に沿って使われているのか、未だに知らされていないのではないかと思えてしょうがない。すでに閉鎖された、個人ウェブページにおけるいくつかの発言を見ても。

その2:「ONE〜輝く季節へ〜」ピアノアレンジCD

 昔「ONE」という、美しい曲が印象的なPCエロゲーがあった…

 と、ゲーム本体を懐かしく思わせるでき。悪い意味で。
 ピアノオンリーだから、というだけでは説明できないこの寂しさはいったい。テンポの平板化&単調化、コードの簡略化をアレンジと主張されてもちょっと困る。原曲通りに演奏してくれたことで聞く側がほっとするのでは変えた甲斐がない。
 一度聞いて手放したくなったゲーム音楽CDなんて今までなかった。

その3:シルバーガン大会直前日程

 明日出発で帰京が大会当日の朝、というかなり切羽詰まった感じの出張が組み込まれる。努力(何のだ)はしたがこれが限界だった。
 ということで今夜が練習のラストチャンス。今さらあがいても仕方ないので、一度通してプレイしたら終わりにしよう(滅多に通せないのに)。


12/5

 エヴァンゲリオン見終わる。
 ラスト2話はテレビ放映分→リメイク版の順で見た。前者の方が終わりかたとしては良かったんじゃないかと思う。主人公さえ納得すればめでたしめでたし、おめでとう、使徒? あーそんなものもいたねえ、と、とりあえず問題を一つに絞って(他の話題は捨てて)解決の形を取っているテレビ版に対して、劇場版は全てをいろいろ説明しようとしていたけれどうまくいっていないような…私が理解できなかっただけか。
 自分というものは、そればっかり考えて暮らしていられるほど大きな存在ではないのだろう、てな感想を持ちました。それは私の課題でもある(←ほら、すぐ引き比べるんだから)。

 「ゲーム批評」30号で紹介されていたフリーウェア「気合い避けバカ一代」はおもしろい。やば、こんなことしてる場合じゃないよとか思いながらもつい遊んでしまう。


12/4

 朝日新聞によれば、放送データのデジタル化移行が完了すれば(それはそう遠い将来のことではないらしいが)アナログ方式オンリーのテレビには「何も映らなくなる」んだそうな。
 ゲームとビデオのモニターでしかない家のテレビでは何の変化も起こらないということだな。

 というような具合に、自由がある中であえて選択している(あるいは自縄自縛と言った方がいいのか)のと、強制的にそうさせられているのとの違いを判別できないといった事態は、早急に正されるべきだ。
 Memorial Games更新:
プリズマティカリゼーション。「誰もやらないなら俺がやる」的な考えからとはいえ今のところ第4のFAVORITE GAME有力候補。


12/2

 S-comといえば超電導コミュニケーションズことSUPERCOMというのが、ひところのエスコム界における常識にして定石でありましたが、最近彗星の如く現れて斯界を席巻しているのがwww.silvergun.com
 海外のシルバーガンフリークスによる熱い語りと解説が巷では注目の的。新たなムーヴメントを予感させるこのサイトの今後に期待大。

 と適当な言葉を並べながらも、今月はシルバーガン復興月間と銘打って気持ちを盛り上げていきたいところ。そしてピークを12日に持っていければ最高。

 でも月の後半はどうなるだろう。



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