ゲーム+α日記(2000年4月)

'00年 3月 2月 1月
'99年 12月 11月 10月 9月


4/27

 おっ! 遠出の甲斐あってナムコ系ゲーセンの片隅に「サイヴァリア」発見。
 「サイヴァリア」は、敵弾に当たらないように際どくかすることで攻撃力&スコアアップというシステムのシューティング、よって敵は撃たずに泳がせ弾を吐き出してもらうというちっともシュートしない戦略が必要とされる。弾の隙間に入ることに対して目下最も積極的な意味づけを行ったゲームじゃないかと思う。
 という予備知識を持った上でのプチ・プレイ日誌(1話完結)。

  • 1クレジット目
     1分で終了。当たって砕けよ的プレイでも本当に死んではいけない。
     5機設定だった。ラッキー(標準じゃないよね?)。
     小銭が切れたため両替に走る。

  • 3クレジット目
     2C面が出現、2面が3種類(2A〜2C)あることを知る。
     左薬指がひりひりと痛むのでチェックしたところ、第一関節部がズル剥けているのを発見。かぶせ持ちで激しくスティックを左右に振っていた(自機がローリングし、ショット収束&かすり効果アップ)が、そのとき頻繁に当てていたのが早くも響いた。直径5mmの円形の整いぶりに脱力。
     以降はスティック操作を控えめに、また傷口を刺激しないよう持ち方を微妙に変える。

  • 4クレジット目
     ショットボタン押しっぱなしで連射されることに気づく。これで操作に集中できる、と思ったら不用意に押し続けていたせいで敵を出現即破壊してしまいがっくり。
     そしてショット押し続けで移動速度が変わるという効果をも思い出す。

  • 5クレジット目
     この2つ並びの連弾(←ピアノ二人同時プレイの意にあらず)は、動かずじっとしていれば自然に避けられるのでは…?

  • 7クレジット終了
     後ろに待ち人がいたので一時休憩、絶対必要になるからともう千円を両替、傷口を即席ケア(吹いただけ)。

  • 10クレジット目
     クリア最大のチャンス、2C・4Cを無難にこなして6A到達時残機2残ボム4。しかしながら余裕をかまし過ぎてボムを使う間もなく速攻連続死。勝機は去った。

  • 15クレジット終了
     左親指の腹がぶよぶよと水ぶくれ化寸前のヤバげな触感を呈してきたのでリタイア。無念。

 結局クリアできなかった。でも非常に濃密なひとときを過ごせて満足。
 次にゲーセンに行くときは絆創膏を持って行くべきかも知れない。あるいはもう少し丈夫になりたい。
 ただしケガがなければどこまで100円玉が吸われたか分からない。そういう意味では恐ろしい体験だった。

 帰宅後、ゲーセンに使ったのと同額の定価で買ってきた「ラティス」をやってみる。「イズ インターナルセクション」では「チューブの内壁を移動」だったのを「芯にまとわりつくように移動」という表現に変えた3Dシューティング。
 って本当は違う性質のはずなのに。芯は四角柱で、各面上に4つの異なるステージが同時に存在、随時切り替えながら前進する、のであれば面白そうなのに、一つの大きなステージ間の空間移動でしかないなんて。
 「トランスジェネレータ」なんて謳っているけれど、障害物にぶつかるたびにスクロールが止まって没入感を妨げることこの上なし(しかも避けにくい)。シューティング部も、遠景の敵にこちらの弾が届かないわ照準が併せづらいわと残念なでき。
 ボムとか「反転」とかのシステムも中途半端な印象、いくら低価格でも洒落っ気だけでは物足りないであります。これよりも「サイヴァリア」(に限らず普通のシューティング)の弾避けのほうが百倍トランスできました。
 っていうか、シューティングってわざわざ音楽の力を借りてフィーチャーしなくても最もハイになりやすいジャンルじゃないのか?


4/25

 引っ越しを来週に控えてそろそろ荷造りをしなくては、とあわて始める頃。
 半年前の職場に戻るのです。

 この1年で4度目の転勤になるけれど、何度経験しても慌ただしいばかりでなく厄介なものです。ろくにないと思わせてちっとも片づかない家財道具の梱包だの役所手続き各種だのといった個人的な面倒ごとばかりでなく、お世話になったり親しくなれたりした人たちと、当分、ヘタをすれば一生再会できなくなるということの切なさが、近頃身に沁みるようになってきました。
 昔はその時が来て初めて理解できた別れの意味。昨日まで共に遊んでいた友達にもう会えなくなるということが、小学校を卒業するというその場ではどうしても実感できず、従って卒業式でも悲しくも何ともなく特別行事のお祭り気分でいたその次の日に、なぜこんな強烈な欠落感を覚えなければいけないのだろうと、それに直面したときの疑問だけが、当の感情が薄れてしまっているにもかかわらず今でも記憶の片隅に取り残されています。
 「次」はもうないかも知れないということを念頭に置いて今を大事にするというのはいつも心がけるべきことなのでしょうが、常日頃「明日くたばるかも知れない、だから今すぐ振り絞る」なんて境地にはなかなか達せない。そのことを強く思わせてくれる「別れ」を含むイベントは、だから厄介だけれども貴重だとも感じます。
 今日は少し調子が違う。

 今回の異動は約1ヶ月前に知らされましたが、それくらいの期間を経て「避けられない別れ」を迎えるに当たって思い浮かべるゲームといえばトゥルーラブストーリー「ONE〜輝く季節へ〜」です。
 これが当初の予定通り任期1年だったらますますもって「ONE」のシチュエーション。私の絆は仕事でしかありませんが。って、それは同じ糸偏でも「絆」よりは「縛」じゃないのか?
 転勤族の家庭に育った人なら、実体験の分だけ、「ONE」の嫌シナリオにくじけずプロットを楽しめる率が高いのではないかと思いました。
 最近BGMに「追想」がよくかかります。頭の中で。

 ところで「ONE」プレイに影響を与えそうなプレイヤーの条件としては、さしあたってもう一つ「To Heart」好きというのが挙がるんじゃないかと想像するのですが、「To Heart」に対して露骨な悪意を隠さない「ONE」のいくつかの場面に接してなお心穏やかでいられるファンの方というのはおられるものでしょうか。
 そんな考えは度量が小さすぎますか。


4/23

 「音楽誌が書かないJポップ批評6」(別冊宝島)を読んでみたらかなり面白かった。歌詞のついた曲を聴き始めて数ヶ月のド初心者にも読みやすくてかつ盛りだくさんの内容で、800円、高いんじゃない? という買う前の疑問は読んだ後で消えていました。

 まず、通勤に自動車を使うようになったこと。電車だと本が読めてしまうけれど、しながらできることといったら耳からの情報摂取くらいしかないという制限時間が毎日数十分ずつ生まれるようになりました。
 これに重ねて、テープ(自家用車にはテープとラジオしかつけていない)のスロットを介してCDウォークマンをつなげることで実現したCDが聞ける環境、ラジオが全くといっていいほど入らないという田舎の残念な電波事情という条件が揃えば、それまでの「歌詞のついていない曲」ことゲームミュージック以外の音楽を聞いてみようか、何ならアルバムでも買ってみようか、という気になるまでそう長期間は必要としなかったのです。
 さあ、これからいろんな曲を聞いていくぞ。

 ところで前述のムックの内容は、その対決相手である「音楽誌」と読み比べることでより理解できるはずで、というよりそれをやらないと、「音楽誌」だけを読んでいる人に比べても格段に偏ったものの見方を育んでしまうだろうという心配は、常に意識しておかなければならないことだろうと思います。
 「『買ってはいけない』は買ってはいけない」だけを読んだらどういうことになるだろう。この元ネタ本も読んでいないから、自分で実験してみることはできるな。


4/22

 3D視点のアクションゲームを普段遊ぶ気になれないのは、できることが多すぎるという印象を強く与えられるから。できることが増えれば、できること一つ一つの重要性は減る。全体像を得るための手続きが煩雑になってしまう。
 昔のゲームでダンジョン内が真っ暗でプレイヤーの周りだけ見えるというのがあったけれど、現実的かも知れないそのシステムは、つけることで遊びが広がるものではなかった。ただ情報を得にくくしただけ。3D視点っていうのはそれより更に制限のきつい構図で、現実を真面目に移植してしまったらゲームにならないんじゃないだろうか。
 ナビゲーターと素晴らしいカメラワークと記号味あふれるグラフィックからどんどん情報を与えてもらえたその上でこそ、謎解きに集中できるというものですな64「ゼルダ」。
 何言っても今さらでしかないのは分かっています。64「マリオ」からもう何年経っているんだろう。

 「ゼルダ」世界を形容することばとして真っ先に思いつくのは「不気味さ」だったりします。初代ディスクシステム版の、迷宮の入り口に侵入者を拒むように置かれた石像のにらみ顔、地下の一室に入った途端閉じこめられたときの心細さ(扉が背後で閉まった音を聞くたびにマジで震え上がった)、おぞましい容姿の敵キャラ。
 これらの要素は64版にも全て入っていて嬉しかった。しかも敵じゃないキャラまでフリーキーな奴らがやたらに多い。信じることを強要するお面屋、部屋一杯の円卓を作ってオルゴールを持ち手動で回し続ける回転大好き男、蜘蛛に呪われた家族、といった面々がかなり怖い。蜘蛛にされた父親の背中で辛うじて残されていたものの斜めに傾いていた在りし日の顔を、ズームアップで画面一杯に映し出してしまったときには背筋がぞくっと来ました。これが呪いというものか! てな感じで。
 続編の
「ムジュラの仮面」はもっと怖いのかと思うと、夜中にトイレに立てない小学生とかが出ないのかと心配になります。学童各位は「ゼルダ」遊んで怯えなかったんだろうか。すぐに慣れたか、もとより平気の平左か。それとも子供は遊んでないのか。


4/20

 D502iを見たのです。
 それが興奮の始まり。

 買うっていうんでついていってみたけれどiモードすげえぜ! いつでもウェブ逍遥可能! そして機種ごとにインターフェイスに即した独自のブラウザがあるということに感激。ここにはIEの赤×マークつき中止ボタンも更新ボタンもない。
 いやIEに格別の不満があるわけじゃないけれど、標準かと思いこんでいたそれらが見えないままネットに接続できることが妙に新鮮だった。
 カラー画面はなんか暗めなせいでそれほど魅力ではなかったけれど「居ながらにしてつなげる感」にはむちゃくちゃそそられました。うわ、早速着メロを落としてるよ! うらやましいぜ買うゼ買うゼ〜!

 てな勢いで買ってしまえば物欲番長だが、あいにくそれは10分も経てば手持ちのP208で我慢できるほどのささやかなもの欲しさでしかなかった。
 そして聞かせてもらったダウンロード済み「幸福論」がやや残念なヘボまりぶりだったのに触発されて自ら作製。
 歌詞部分のみながら通しで再現できました。そりゃ3時間もかければそれなりのものができるわさ。


4/18

 日付ずれてたね。

 やけくそっぽく走り込んで突破できたけれどあれで正解? とやや腑に落ちない「ゼルダ」城潜伏イベントとともに、マイナーシューティング話番外として「撃王〜紫炎龍〜」(なんつうつながりにくいサイトじゃ)を振り返ろうと思ったけれど、撃王ったらワンプレイで思ったより飽きの来る内容だったので予定取りやめ。
 タイトル画面によれば撃王の英訳はSHOOTING KINGなんだそうな。ナイス度胸(褒めてません)。おまけのアレンジ版は確かにユニークですが、マニュアルで作る側が面白がっちゃってるのは勘弁してほしいものです。
 「ザンファイン」遊んだ後だと特に、1980円だから仕方ないかなんて思えなくなる。贅沢ですかそうかも知れませんがしかし。


4/16

 人が隠そうとしていることや、自然界に隠されている秘密を、好奇心だけを理由にむやみに暴き立てようとしてもいいものかどうか。
 知られたくないと主張しているのだからそっとしておいてやればいいのではないか。ましてや長々と時間を使って総当たりなど。

 何の話かというと64「ゼルダ」なんですが。
 ハイラル城に入られないのです。

 むがー悔しい! まだ二つ目のイベントですよ。
 ゼルダシリーズにかけては百戦錬磨のこの俺がこんな序盤でつまずくとは何と難しいゲームだろう…むぐぐ…

 なんていう具合な、「普段○○な自分がこれだけ△△なんだからこれは□□だ」といった評価では、説得できる相手も自分に限定されますね。
 その理由の根拠を知り抜いているのは、その理由を思いついた人だけ。□□ぶりを他人に分かってもらえるためには端折ったその根拠も明示してあげなければ。みんなはあなたが○○かどうかなんて知ったこっちゃない。
 就職活動でのありがちな失敗例としても出てきそう。自己評価は自分のためのもので、相手にアピールする道具には使えません。


4/14

 うー箱庭小世界への入国手続きには時間がかかるなあと改めて思った次第です。「ゼルダ」の説明書を読んだだけで一夜が過ぎてしまったんで。ゲーム的にも多量のやる気活性化エネルギーを要求してくるため、今を逃したら次遊びたくなるのはまた半年後? なんとかこのチャンスをものにしていきたい。
 そんな「ゼルダ」前夜祭といった雰囲気の躁的ムードを引きずりながら、最近ちょっと遊んだマイナー(言っちゃった)シューティング紹介第三弾にして最終回、
「ガーディアンフォース」(←なんすかこの画像オンリーの寂しいページは)。

 この前電池切れに関する悲しい出来事があって、結局あの後「シルバーガン」は遊びませんでしたが、せっかく出したサターンをそのまま押し入れにUターンさせるのも不憫と思い取り出したこのソフト、もともとゲーセンで「シルバーガン」の隣に置いてあったのが初見。グラフィックの見栄えの悪さを当時笑いものにした覚えがあり、実際'98年頃のシューティング界における画像残念度番付では大関クラスではなかったかと思う(ぶっちぎりの横綱は「ステッガー1」)。
 一度も遊ばずに悪く言ったことに引け目を感じてサターン版を買い、そのまま例の如く押入で眠り続けたタイトルです。いまこそ贖罪の時だ。

 自機は戦車なんですが、どうも自機が接地タイプだと動きが地上のみに制限された不自由なゲームという印象を持ってしまいがちな私です。これとか「ぐわんげ」のような歩行者とか。戦闘機だろうがドラゴンだろうが、空を飛んでいようと移動範囲が2次元であることには変わらないはずなのに。
 加えて戦車といえばキャタピラをきしませてあたりを睥睨するようなもっさりした動きというイメージが刷り込まれていて、絵のイマイチぶりの他にそんなこともこのゲームを敬遠する理由でありました。
 しかし遊んでみるとこれが大外れ。実にスムーズに動きます。弾避けも平気でできます。この軽快な操作性は予想外でした。障害物に引っかかったり移動速度極遅化フィーチャーがあったりとイメージ通り不自由だった「ぐわんげ」とは違います。

 自機移動の他にショット方向を360°回すというシステムも取っつき悪いかと思いきや、割とあっさり慣れます。初プレイのもたつきぶりと、数度目の自然な砲台の回しっぷりの落差には自分でも驚きました。そして、慣れてくると結構面白い。先へ進んでもグラフィックは相変わらずですがこれは楽しめます。
 パッドを使う限り。ゲーセンのボタン割り当て(3ボタンでショット、砲台右旋回、砲台左旋回、ボムは旋回ボタン同時押し)はあんまりだと思う。LRボタンに砲台旋回を割り当ててボムボタンを追加した設定で初めてこのゲームの面白さが発揮されると思うので、やっぱりゲーセンで遊ばなくて良かった。

 この「ガーディアンフォース」と「ザンファイン」は同じサクセスからのリリースですが絵のセンスは雲泥の差。両タイトルを遊び、その違いに感慨を覚えたりすることで、これもサクセス製でアーケードにて稼働中のかっこいい系シューティング「サイヴァリア」が遊べないもどかしさを抑えるのです。


4/11

 そんなわけで買ってから半年というもの遊びたい気の起こらなかった64「ゼルダ」に猛烈に惹かれながらも(もちろんそれは3Dアクションの面白さをつかませてくれた「ガントレットレジェンド」の功績)、別売バックアップメモリーの容量が満杯だったことを思いだして手をつけかねている中、最近プレイした小粋なシューティングの話・第二弾(初回は「ザンファイン」)など。
 
「イズ インターナルセクション」です。

 サイケデリックな万華鏡の中を突き進むコジャレ系3D視点もの。フィールドの左右が回転でつながる円筒というアイディアは昔のアーケードで見たことがあります(見ただけ)が、こちらの画面は大変華やかな奇抜さに仕上がっています。
 さらなる特徴は、音楽CDを入れ替えて、好きな曲でゲームができること。それによってショットや背景のグラフィックが変化するらしい。この仕掛けがシューティングのバリエーションのためにというのではなく、音楽の新しい楽しみ方の提案である、と明言されているところがコジャレの証。ゲームに従属しそれ抜きでは考えられないゲームミュージックという位置づけをひっくり返して、音楽で弾撃ち&避けの世界を組み敷こう…って、ゲームにそんなに敵愾心を持たなくてもいいのに。
 まいいや。さっそく「イズ」が謳う楽しみ方を引き出させてもらいましょう。
 と、椎名林檎のアルバムをゲームCDと大交換。

 「イズ」瞬殺。
 ゲームする気などかけらも起こさせない叫びにはポリゴン装飾もノックアウト。笑っちゃうくらい合いませんでした。
 残念。よし次は「Kanon」だ。
 ……デフォルトのテクノBGMみたいになーんも考えないですむ曲を選ぶのが良いみたいです(当たり前)。
 後半面はけっこう真面目に遊べる(真面目にならないとクリアできない)し、あくまでゲーム主体思想でこのかっこいい異世界を楽しんでいきたいところです。こういうのが「異世界」じゃない生き方の人がいるんだろうなと想像しながら。dAnceみたいに単語の途中に大文字を混ぜられるのってうざったくて腹立ってしょうがないけれどもそういうのが好きな方々もいるんだと仮定しながら。
 多分そういう人たちはこのゲームも10分で飽きると思いますが。

 ん?「ゼルダ」はカートリッジ内バックアップなの? それじゃ手をつけない理由がないじゃん!
 ありがとう「ガントレットレジェンド」! 勇者にも休息が必要だよね(押入の中あたりで)。


4/10

 「ガントレットレジェンド」を一人で遊ぶのはかなり寂しい。
 倒しても倒しても後から次々に湧いてくる魔物たちを延々と手斧を投げて防ぎつつ、ゲージが溜まったら必殺技一発で敵の巣もろとも粉砕して、その場のお宝を集めて次へ、という単調なリズムを繰り返していると、ここに入る友達同士の会話がゲームを盛り上げる上でいかに重要かと思いを馳せることになる。
 やはりひげ面が猛烈に濃い我が戦士だけでなく、露出度の高い水着チックな鎧もあまり嬉しくない濃い目鼻立ちのヴァルキリーや、エジプトのミイラ風な帽子に胸元まで垂らしたねじりあごひげという濃い飾り付けの魔法使いと一緒にわいわい冒険するのが、このゲームの正しい楽しみ方でしょう。
 一人プレイなら(まだ遊んでない)「ゼルダ」のほうがいいのではないかな?

 ところで、「ガントレットレジェンド」を立ち上げて最初にすることは「プレイヤーの参加手続き」ですが、このときゲーム世界でコマンドを実行しているのはゲーム内のキャラクターではなくプレイヤー自身ですよね。
 「ウィザードリィ」の始まりでキャラクターを編成する前、最初に「酒場に行く」を選ぶときに感じる、酒場に行こうとしているのはいったい誰なんだ? という疑問と同じこの奇妙な感覚は、開始直後から勇者(など)を操る一般的なRPGでは味わえない独特のものです。
 システムとゲームの中身が混在しているだけと言ってしまえばそれまでですが。


4/8

 新作ゲームを2本購入。

 どこが情報源か分かる人には分かるはず、の「ザンファイン」は「蒼穹紅蓮隊」をさらに先鋭化させたようなセンス、異様に切れのよいゲーム進行、無力な雑魚を圧倒的に強力な火器で屠る気持ちよさを併せ持った爽快なシューティングゲーム。
 戦略を固定してしまうスコアの加算方式が疑問だが、これで定価1500円なら上々吉。というかもう少し頑張れば定価上げたっていいのに。例えばアナログコントローラーに対応させるとか。慣性のついた自機操作をPSの方向キーでさせないで欲しいと、「爆裂無敵バンガイオー」のときの3倍は早く傷んだ左親指の腹をさすりながら思う。

 もう一本は「その(ようなマイナーな)ゲームは取り扱う予定がないので予約できません」とすげなく断られたその店にしっかり入っていた「ガントレットレジェンド」。まるで売る気のないパッケージデザインに驚く。
 内容も、オープニングではスタッフロールの末尾に「帰りを待ちわびた家族にこのソフトを捧ぐ。やっと帰れる…」なんて出てきたり(意訳)、ゲーム中の文字表記は辛うじて日本語だが声は全て英語だったり、「以下の規約に同意できない方は未使用のソフトを販売店までお持ち下さい、代金を返却いたします」で始まる添付の注意書きまで英語だったりと困った状態。
 アーケード版もこんなだったのか。ゲーセンで一度も遊ぶことなくいきなり買うのが間違っているのかもしれない。


4/5

 就労中の休憩時間にちょっと出たゲーム話の流れで遊んでないなら貸してくれと言われて急に懐かしくなり、帰ってから実に久しぶりに「シルバーガン」を立ち上げる気になった。
 サターンとバーチャスティックを部屋の奥から引っぱり出す。三ヶ月ぶりくらいか。さっそくパワーオン、すると出てきたのが見慣れない画面。年月日時刻入力要求。
 経験した方にはもうお分かりの現象だろうけれども当方予備知識なし、なぜ日付が狂ってしまったのだろう、今さら2000年問題? って前回は大丈夫だったし、閏年非対応? っていっても日がずれるだけだろうし、そもそも一日増える年のことを閏年と呼ぶのに一秒増える日のことを閏日と呼ばないのはどうして? とか思いながら本日に関する情報を教えてあげると無事に起動画面へと移った。
 かつて数え切れないほど心を焦がしたタイトル画面からさっそくオプションでアーケードモードへ…とここで積算プレイ回数「0」を認識してようやく現状を把握した次第。
 内蔵電池切れてた。

 うむ、購入の時より丸3年、よく耐えてくれた。いずれこうなることを予測して、前もってデータはパワーメモリーに移してある。さっそく電池を交換し、これまた押入からパワーメモリーを召喚、データ転送と参りましょう。何の問題もなし。
 と、今思えば腹立たしいくらい平然と、むしろ得意げな手つきで一連の手続きを済ませて再開、そしてオプションから各記録を確認。
 そこに、たった一つの、そして最も大切な数値を発見できないことになぜ早く思い至らなかっただろう。本体からのデータの疎開は半年以上前のことではなかったか。去年秋以降の記録は全て本体RAMにのみ保存され、その成果を避難させた覚えはなかった。些細な手間を怠った見返りが今、この画面上に残酷なまでに明確な表示を灯させている。

PRACTICE 50119500

PRACTICE 50119500

PRACTICE 50119500

 うっが〜!!!! 血のにじむような(当社比)あの頃の努力が水の泡じゃよおおおうおうおうぉぅぉぅぅぅ…… 「虹色の青春」15日分のデータなんかいらないから、後生だからその値にあと10510点上積みしたスコアをもう一度拝ませてくれよ、頼むよ…ううぅぅ……
 悶死したのでもう寝ます。

 証拠のビデオテープは残ってるんだけどね。


4/3

 「プリズマティカリゼーション」用語集がForce & Heartにて既に作り始められていた。
 良かった。これで、訳が分からないまま専門用語の解釈にチャレンジ→哲学ワナビーと後ろ指さされる、という愚を冒す必要がなくなったわけです。餅は餅屋に委ねるのが適切でありましょう。


4/2

 「超クソゲー2」読了。
 前作に比べるとページ数で2割増、約360ページと大変なボリュームですが、紹介ゲーム数は55→60と微増に留まっています。
 有名どころはほぼ1作目で取り上げているため、この「2」では本当にどマイナーなゲームが数多く登場します。名前だけなら聞いたことが…というように多少の見当がついたスーファミなどのゲームではなく、膨大な数のタイトルがあるプレイステーション・サターンソフト中心の構成というせいもあります。
 つまり増えた分のページはそのままタイトル概要の説明に費されていて(一タイトルあたりのページ割り当てが増えていて)、それはなくてはならないものなのだけれど、お待ちかねの本題にはいるまでの前置きとしてのゲーム内容露出を読むのが少々しんどいと感じました。
 個人的な体験の基盤ができていたほうがより楽しめるに決まっている。「2」は楽しかった。しかし「1」は自分にとって面白すぎた。そんな感想です。

 そんな中でも深く関わったゲームもいくつかあるわけで。
 「2」に「ひざの上の同居人」が入っています。紹介順は4番目で、基本的に★の数の多い順に並んでおり、★が少ないタイトルは「忘却の彼方に埋もれていた名作」(本文より)であることを考えると、本作(当然MAXの★×5)の本書における位置づけの重要さが認識できます。
 かつての「Quick Japan」誌における企画「超ギャルゲー」(ここにも取り上げられていた)からの流れで、「ひざぱ」の紹介はあり得ることとは思っていました。内容も、ほぼその通りで特に言うことはないです。むしろゲームそのものよりも、喜ぶプレイヤーの方に突っ込みが入っていました。

 驚いたのが「プリズマティカリゼーション」まで入っていたこと。さすがクソゲーハンターのチェックには漏れがありません。
 で、内容ですが、気分を害されてます。むちゃくちゃ恐い語り口です。「愉快な悪口トーク」の域からだいぶはみ出したこの怒り方、切り捨て方は他のページには見られません。
 担当の方は、内容を知らないまま割り当てられて初めてプレイしたようで、これを仕事でやらされたんだったら腹を立てるのも無理ないです。合わない人には不快さだけしか残さない嫌なゲームですから。
 このゲームの主人公を見下せる生き方をしているのがとてもうらやましい。私も、一日も早くそうなれるよう努力していきます。

 このゲームのテキストについて少し補足するなら
「ギャルのセリフはまっとう」
だということ。このことから、シナリオライターさんが主人公の思考が標準から外れていることをはっきりと認識している、つまり自分の価値観だけを振りかざしてはおらず、常識から測って主人公の嫌人間度がどれだけか、その相対位置を把握している、ということが言えると思います。
 狙ってそれができるのは、すごい。


4/1

 ついに発症した花粉症のせいで、ここのところゲームをやる気力も失せ気味。
 先月の千葉出張の際にひどい目に遭って今春の多難ぶりを実感したものだったが雪の残る北日本に戻ればひとまず消えてほっと一息、しかしそれは嵐の前の静けさに過ぎなかった……!
 メガトン級の大爆発ですよ。こんなことなら週末にスーパーで買いだめしとくんだったと悔やみながら毎日のようにコンビニでポケットティッシュ6袋セットを買い、飲み薬による眠気も絡んで目はいつも充血、自室でおとなしくしていればいいかというとなぜかそうでもなく、じっと座ればぎちぎちの鼻詰まり、ちょっと体を動かしたりすればたちまち流動化した分泌物が鼻から落ちんばかりに存在感をアピール。
 寝てても容赦なし。よだれを垂らしたことはあっても、鼻水が垂れて目を覚ますなんて忌々しいことはかつて経験したことがありません。仰向けに寝ていれば顔の造形上起こり得ないはずなのに。信じられない。
 鼻紙の屑を詰めた大ビニール袋をゴミ捨て場に置き、そこから少し離れて振り返ると、まるで何かの冗談のようにパンパンに膨れ上がったその形が滑稽であると同時に、自分が悪質ないたずらを仕掛けてきたかのような妙な罪悪感も覚えます。
 処理する人が気の毒だから悪く思うんだろう。
 きったない話でごめんなさい。

 「ウイニングポスト3 プログラム98」を終わらせることにした。ゲーム内プレイ年数7年。これから面白くなるところかも知れない。でももういいのです。
 初期設定への違和感などは始めてしまえば消えてなくなるし、レース画面のうら寂しさも慣れてしまえる。問題は、ゲームが進むにつれてなおさらひどくなったように感じられるテンポのもたつき。
 週末のレース場面での進行状況はこんな感じ。ボタンを連打すれば一瞬で飛ばせるメッセージの合間に、括弧内の待ち時間(BGMも止まる)が必ず挟まる。

 競馬場到着→馬主仲間と会話→騎手に乗り方を指示(3秒)→レースのファンファーレ(10秒)→レース終了(7秒)→着順表示(7秒)→再び馬主と会話(8秒)→騎手の敗因分析(7秒)→レース終了宣言(5秒)→次週

 やってられんわ。
 こんなぶつ切りだと、遊んでいるという満足感が薄まってしまう。いくら内容が面白くても、ゲームやってて損をした気分になる。で、もういいやってんでデータをセーブすると所要時間が実に30秒、14ブロック使用。何てこった。
 もう、初めに30分やるから全部読み込め! てなわけにはいかないのだなあ。ハードディスクはつくづく偉い。次はパソコンでこのゲームに会いたいものです。

 「超クソゲー2」(太田出版)購入、分厚くてまだ読み終わらない。
 うわ、このラインアップは。イタタタ、2本も入ってるよ。



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