ゲーム+α日記(2000年7月)

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7/28

 そこにあるものはある、ないものは全くないと、はっきりした形をとる作品(完成品)のことであれこれ想像し、行間について思いを巡らすのは楽しい。受け取り方は十人十色であっていいし、それが楽しみ方の一つの正しい形でもあるだろう。

 それに対して、その作品の作者がどう考えていたかということを、あまり元の作品から離れて想像するのは上品な楽しみ方とは言えない。
問:この小説を通して作者が最も注意を払っていたこととは何か
答:原稿料
などは極端な例だけれども(例示のためだけの駄目な問い)、語られていないことに関しての真実を他の誰よりも明らかにできる立場の人がいるにもかかわらず、その人が何か発言しようとも(しなくとも)聞く耳持たぬとばかりに推測を行う場合は、その裏に黒いものを見て取らなければならない。

 だから、自分がそういったやり方を取ろうとするときは、そういった言葉遣いが恐らく自分の思っている以上に相手を怒らせるであろうことを自覚して、それだけ怒らせたいのだという意志を明確にした上で使うか、そうでないのなら出来るだけ表現を和らげるなどの工夫が必要となってくる。
 また、そういったことを念頭に置いておけば、他人からこちらの意図を無視したその種の強弁を押しつけられたとき、なぜそのようにこちらを挑発したいのか、その理由や背景にある事情に思いを馳せることができるようになるかもしれない。そんなに目立ちたいッスか、てな具合に。
 そう返し(返され)たら多分怒るよね。それでおあいこと言えましょう。


7/25

 買っといて積ん読状態だった『ムーミン谷の彗星』(講談社青い鳥文庫)をやっと読む。ゲームとの関連でも、そして思わぬことにお話自体も面白いものでした。
 GB『ムーミンの大冒険』とのつながり。ほとんど「移植」といっていい。原因不明の天変地異に怯える登場人物と、謎の解明のために天文台をめざすムーミン一行、というストーリーも前半のみながらほぼ完全(エピソード含めて)再現、もちろんキャラクターも原作通り(敵含めて)。感心することしきり。
 そして内容もいけるんですよこれが。いくつかのフレーズが俺のハートを直撃だ。体の色を変えられる設定というムーミンのガールフレンドが、恐ろしいものを見て
「スノークのおじょうさんの顔が、ゆっくりとみどり色にかわりました」
という描写とか。クライマックス近くでムーミンがひねくれ哲学者・じゃこうねずみに放った胸のすく啖呵とか。
 この本はシリーズ2作目で、カバーの折り返しを見ると9冊もの続編が。ぼくのなつやすみはムーミンシリーズをよんですごそうか。
 そしてゲームに戻ればきっと新たな発見があるに違いない。


7/23

 先週は金曜日さえ埋めてしまえば連休になっちゃうヨ、な人と、週の半ばに祝日があるんだからその分土曜日も働いてネ、な人、どちらの労働環境が多かったのだろうか。当方後者にて休息度は通常比マイナス。
 はて。もう月曜ですかいのう。わしゃ疲れたままですじゃ…
(↑週休2日あるだけ良いのではないですか)

 「どんなゲームでも面白く遊ぶことが出来る」のと「どんなゲームの面白さも見つけてあげられる」のは違っていて、前者は後者に包含される立場だよなあ、などということをSUPERLITEな『メモリーズオフ』を買いつつ思う。そこは萌えるとこと違うでしょ、とか、えっアナタこのゲームに萌えを持ち込みますか、みたいなゲームは結構あると思いますが、それだけじゃ少しもったいないと感じる次第。
 『メモリーズオフ』はどうなんだ? 思わせぶりなあの翼。早いとこFF終わらせにゃあ(←猫語じゃありません)。


7/20

 『FF9』3枚目〜。ガッツポーズ。
 登場人物もほぼ出揃い(予想)、ようやく話がまとまりだして面白い展開に。30時間の導入部を越えて、この後どこまで盛り上がるか楽しみ楽しみ。
 しかし「代表的なミニゲーム」のゲーム本編への取り込み方はどーにも納得行かない。桂馬の跳ね方を知らずに将棋指してたら相手から嫌がられるよね普通。

 サクセスはどのようにして他のメーカーのソフトを自社廉価版に持ち込めているのか謎ながら、出てしまうとあらばドラクエ待ちに『メモリーズオフ』に食指を伸ばしたい気持ち。
 シナリオの一つが超笑える(バカに出来る)と大評判にてそそられ度大、です。


7/19

 昼の社員食堂には社員に混じって保険勧誘員(というか保険のオバちゃん)が大勢巡回していて、しきりに世間話などをしかけて来るものの、せっかくの飯時を邪魔されれば煙たがられるのは当たり前、仕方なく持参のアンケート用紙だの試供品の粒ガムなどを置き土産に撤収していくのが彼女らの慣わしですが、二週間に一度、やにわに『テレビブロス』を配り出すのです。テレビ番組表の載ったあの雑誌です。
 なぜ『ブロス』なのかなぜ只なのか不明ながら一応は読む昼休み、たいていは似非科学指向が猛烈にうさん臭い「金持ちになれる財布」だの「赤い糸が見えるペンダント」だのの通販広告を最も楽しく熟読するのですが、7/22日号はちょっと違いました。

 『ブロス』にもゲーム紹介のページがあり、一月ほど前にはアニメ放映との絡みもあって『サクラ大戦』の特集など組んでいました。その伝で行けば『FF9』を大きく取り上げてもおかしくないところなれど一行の言及もなし、規制の力はこのあたりにも働いているのでしょう。ゲーム雑誌じゃないのだし、内容に触れられないくらいなら記事にしないのも無理からぬところ。
 代わりに紹介の新作2本がPSの『激突トマラルク』と、なんと『ムーミンの大冒険』でした。選ばれてみれば芸能とアニメからのつながりで納得の二本ですが見つけたときはびっくり。そしてムーミンファンという担当者の記事もなかなか良し(最終行は意味不明だったけれども)。
 『ブロス』株を少し上げると同時に、ムーミンワールドを知らねばという決意を新たにした午後の幕開けでした。


7/17

 昨日更新した項目を若干訂正。間違い探しのような語句入れ替え。
 それにしても、読み返して不思議に思いましたが、誰に向かって許可を得ようとしているんでしょうか、最初のパラグラフの語りかけは。

 * そしてまた、このような問いかけをいったい誰に向けて投げかけているんでしょうか。
   語る相手を想定してもいないのに。

 *repeat


7/16

 プリズマページ更新:義理の兄妹。日記以外を更新するのって4ヶ月ぶりですか。すっごい久々。
 氏より育ちって言いますが、至言だと思いますよ。

 当ページのスタートは99年7月14日ですが、日記は9月半ばからとなっています。この約2ヶ月間は日記を付けていなかったわけではなく、「テキスト」などと題したものをぽつぽつと書いておりました。どうしようもなく腹立たしいほどつまらない代物でした(「つまらない」は相対的な視点で使えるのが強み。当社比ってやつですね)。
 今振り返ると、更新に割ける時間が少なくなるだろうからその分ちょっとひねったものにしてやろうという思いがコジャレ方面に勘違いの暴走を始めてしまったのが敗因で、ああいうものに憧れていたのは事実でしたが、それが自分の身の丈に合っているかいないかをわきまえないまま見切り発車し維持していこうとしていたあの2ヶ月はなかなか苦しい時期でした。つま先立ちで背伸びしてみたら首に縄を掛けられてしまい元の立ち姿に戻れない、というような。

 身辺に起きたことをそのままメモしたってあまり楽しくない、という気持ちに留めておけばよかったのに。最近は昔に目指した本来のペースに近づいているのではないかと思っているのですがこれも当社比。

 心の一周年は9/20に迎えたい。


7/14

 やや、ややや? 『FF9』が俄然面白くなってまいりました。何しろ○魔法が登場するんだから〜! ずるいよー!

 と、思わず協力して字を伏せてしまいたくなるほど、週刊ファミ通今週号のFF記事は面白いものでした。
 こんなにも徹底した報道規制と、記事にはしてもらいたいという相反する要望をぶつけられた編集者の葛藤が生んだ珍妙なテキスト。元の文章から固有名詞だけをそっくり駄目出しされた腹いせのようなもの、ないしは「私たちはこんなに不自由な誌面作りを強いられています!」といった悲痛な叫びが感じ取られる出来。
 ゲームを知り尽くした上で特異な方法でプレイし直す「やりこみプレイ」を得意とする人たちを集めて『FF9』を初プレイさせるという、面白さにおいてかなり地味な企画であるにもかかわらず、「とある洞窟」「壮絶な戦いを予感させるイベント」などは序の口、「3つの地区に区画整理されている巨大な街」「代表的なミニゲームの一つ」「悪の元凶ともいえる魔物」などなど言い換えのバラエティに彩られ、100倍は楽しめる内容となっています。この切なさは必読かも。

 他にも、「FFシリーズの好きなところ」アンケートの項目分けから、自分が戦闘そのものではなくそれを通したキャラの成長過程(多分このことを「システム」と呼んでいるのだろう)が好きなのだということが分かったりもして満足度高。
 『FF4』からこれだけ回を重ねているのに、このアクティブタイムバトルという戦闘システムはこなれていない。コマンド実行中のキラキラをぼーっと見てないで、ほら隣のキミや敵のアイツ、さっさと各自のキラキラを始めてくれよ。

 ゲームの方も面白くなってきたし、今日はいい日だ。なにせ魔法ですからね。


7/12

 クラシック音楽を「心に沁みるようだ」と感じ入って聴けるようになれるまでにはそれなりの修練が必要だと思いますが、と適当に「修練」などと言いましたが具体的にはどのような修練か。ただ聴き続ければいいのか。
 コンサートなどでは大抵プログラムの途中で夢うつつをさまようことになりますが、たとえ睡眠不足が解消されすっきり癒された心地で会場を後にしたとしても、それをクラシックの効能とするのは申し訳ない気持ちで一杯。もっと直接的な感興をオーケストラの演奏から受け取るためにはどうしたら? 真剣に悩む事情はないけれども気になります。
 クラシックファンの知り合いに、入門用にはどんなのから聴けばよいのかと訊ねたところ、冗談交じりに「そんなものはない。全部上級向け」と返されました。その軽口の真意が、物心ついたときにはすでに耳に馴染んだ音楽だったというところにあるなら、頷けない話でもありません。胎教?

 自分の場合、音楽の下地はまずピアノを習ったことで固まって、ゆえにそこからクラシックに向かう可能性は十分あったにもかかわらず、なぜかゲームミュージックに逸れた。相当長い間それ一本槍だったのは、それほどにもゲームが好きだったことの波及効果、ないしは副作用、といったものだったかも知れません。
 『FF9』の曲はゲームの曲としてかなり良い。他のゲームミュージックと同様に、一通り遊んだ後で音源のみ抽出(デジタルな意味でなくても)して聴くと相当浸れそうです。
 で、これらの曲群がたとえ西洋古楽をモチーフにしていたとしても、ゲームミュージックとして良いものに仕立てられている(ゲームを遊ぶ側としては大変嬉しいことですが)以上、クラシック鑑賞の方向へシフトさせるのは難しそうに思えますが、どうなのか。

 オペラというのは音楽の楽しみ方という点でゲームと似ているのか。観劇のイメージを借りて曲想をふくらませようというやり方は、曲がメインでありながら付随品の活劇が不可欠であるという点で。FFシリーズとオペラの結びつきはそういう意味で正しいのか。

 まとまらないのは知識が不確かだからだと思う。


7/9

 つかんだ! 『FF9』をどのような心がけで遊んだらいいかがつかめてきました。

 頭を使わないフィールド・シナリオと対照的と言えるほどに工夫が必要な戦闘シーン。効率の良いダメージの与え方やアビリティの覚え方、さらに魔法の属性なども踏まえて細かく装備を変えたり、重要アイテムを漏らさず盗みつつボスを倒すための計画を立てたりというのはかなりやりがいのある作業です。
 それに腰を据えて取り組み、ゆったりとしたテンポでゲームを進めることで、それまで目に入って来なかったグラフィックを鑑賞する余裕が出てきました。まず盗め、倒すのはそれから、と言わんばかりのこのパーティー編成はどうだ。
 『FF9』で最も優れた点はムービーやシナリオではなくて、戦闘の処理にどうしてもプレイヤーを待たせてしまう、その時間に見合う歯ごたえを与えたバランスにあると、現時点では思います。が、話を広げ過ぎなのかも知れないし、前作や前々作もそうだった可能性が高いですね(前2作を遊んでいれば、「PS版におけるFFシリーズとは」と大風呂敷を広げたくなるところ)。

 要は気持ちにゆとりがなかったのがいけなかったのでしょう。早くクリアしようと焦っていたから。クリアなんかしなくてもいいから楽しめるだけ楽しもう(←それもまた極端な)。

 余談:戦闘シーンの曲のイントロを聞いて、このまま『FF4』のBGMが流れてきたらどうしようかと少しどきどきしました。


7/8

 FFシリーズ(4以降)を遊ぶときの自分の心構えは「なーんも考えなしの総当たり」だったことをこの9作目で久しぶりに思い出した次第です。
 ゲームの進行上意味のないところに過剰に力を入れて描きまくったグラフィックから情報を読みとる気力は最初の数枚で失せました。そこが街だろうと沼地だろうと氷の洞窟だろうとやることは同じで、通れるところを探して壁づたいにキャラを這わせるだけ。例えるなら打ったボールを探すゴルファーの心境。ゴルフボール表面の凹凸やメーカー名がいかに微細に表現されていようとも、見つけたいのは小さな球に過ぎないのです。
 ときどき出る?や!のフキダシと背景画に混じるポリゴンのきしみを見逃さないよう精神集中。フキダシはAボタン連打の手間を省いてくれて助かっています。
 イベントなども同様。話の流れで行くとこの行動はまずいかな? というような選択肢でほとんど損をしない。であれば総当たりしたくなります。世界はプレイヤーのためにある。自分で切り開くのではなく、初めからそういうものとして。

 チャンバラのあたり(超序盤)が、気持ちの中にやめるきっかけを探しはじめるぐらいに辛かった。現在1枚目終了、だいぶ立ち直っては来ました。

 姫のあだなはレイピアでGo。

 『AIR』発売延期の知らせをメーカーさんからいただきました。よし! 早く遊びたいなんてちっとも思わないので頑張って作って下さい。
 なぜそのようなメールが来たかは、Keyページを見て想像されたし。


7/6

 『ムーミンの大冒険』最終面の漢らしすぎる展開に悶絶。
 明日からのFF祭りに備え、後顧の憂いは何としても今日中に絶っておかなければならない。キビシー。


7/5

 発売から何年も経ったゲーム遊びたさに中古屋を巡礼してしまうタイプの人へ。ファミコンの『へべれけ』(例えば、ね)に高い金出そうと思う気持ちがあるなら、新品が店に並ぶ『ムーミンの大冒険』を買おう。その金は作った人の元に届く。今ならまだ。

 あ、エミュレータやコピーで遊ぼうとかいうのは問題外ね。このゲームボーイカラーという小さな箱の中に収まっているからこその良さというものがなぜ感じ取れないか不思議でしょうがない。これはどのハードのどのゲームについても言えることです。
 エミュはツールに過ぎないって主張、正しいかも。でもそれを真にツールとして利用できるのは、感じた面白さを面白さのままうけとめてそれでおしまい(それはとても気持ちいいことだなあ)の「プレイヤー」ではなく、それを次のオリジナルな面白さを作り出す源に転化できる(あるいは、する必要のある職に就いている)人たちだけでしょう。しかもそれは、元のゲームを買う買わないとは無関係。
 自分が面白がれたその理由をひとたび考えはじめたら、それ以降ゲームをただ楽しむなんてことはできなくなると思います。そういう習慣もないくせに作者の上前をはねるつもりなんだ?


7/2

 やー『ムーミンの大冒険』が面白くて困ります。といっても20分くらいを一区切りとしてセーブできるのでちまちま進めてはにんまり。
 アクションゲームなんですが、奥行きの表現が素晴らしい。こういう演出をGBのソフトで見たことがありません。こんな見せ方ができるなんてと驚きの連続。
 動かすキャラクターって、マリオくらいの大きさを基準にして1マス内でいろいろ描き込もうと工夫するものかと思っていましたが、そういう枠を初めから考えてないかのよう。このゲームでは1マスじゃなくて1ムーミンが動いています。他にも1スナフキン(withハーモニカ)や1スティンキーや1スニフや……って誰?
 原作が無性に読みたくなってきた。今度図書館にでも行ってくることにしよう。

 『いっき』のおにぎりキャッチの伝統は連綿と受け継がれております。


7/1

 買えなかったせいで、作っておきながら答えを出さなかった最初の疑問に向き合うことになる。
 ルールを直観的に理解できるまで深くやり込んだわけでもない『Mr.ドリラー』(二重括弧はじめました)に惹かれる点といえば、きゅるっとかわいらしい効果音とポップなグラフィック(あの止め絵として美しい=躍動感のないキャラデザってすごいと思う。アクションゲームなのに)であって、それが魅力的ならGB版には備わってないじゃん。
 自分のゲームに対する見た目優先度が高まりすぎていることに悲しさを覚えつつ、標的をPS版に切り替えて再度ゲーム屋へ。

 PS版品切れ。

 縁がなかったみたいですね。

 身代わりのようにして買ってみたのがGBの『ムーミンの大冒険』。ファミ通の画面紹介で見た台詞ウインドウ付きの写真、そこで文章改行の仕方に気配りを感じた、というのがささやかな購買動機、ムーミンに関しては、なかなか振り向いてくれない奴くらいしか知りません。
 が、なんと! このゲームすごいです。ムーミンを侮ってはいけません。誰も侮っちゃいないか。スイッチ入れてすぐにおったまげることになる。斜め見下ろしなんかしてるし!
 マジ丹念な作りのゲームですごく幸せな気分です。ドリラー買うならやっぱPS版だわ。



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