ゲーム+α日記(2003年6月)

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6/29(日)

 『FFXI』日記は当社比で最強級に怒濤の勢い。
 なんだか懐かしい。世界のすべてが分からなくて、とにかく文字にして目に見える形に決めなければ落ち着かなかった昔を思い出す。あのころも毎日日記をつけていた。
 ゲームをしている間のあらゆる情報を定義し記録しておかなければならない気がしている。早く慣れないだろうか。そうすれば、風景から新しさが消え、特筆すべきことと感じなくなり、文章にする必要もなくなるのに。

 あちらにおいて、日付は「一日一項目」を守るための足かせの役割が強い。そういう制限がなければ、いくらだって書き続けるだろう。そして、世界は文字列よりも次元が広いのだから、それではいつまで経ったって終わりが来ない。
 いや、日付通りには更新してません、の釈明です。


6/26(木)

 破綻宣言(早っ!)。

 やっぱり無理。向こうの世界を思うことで、遊んでいないときでもゲームをしている気になれる、そんなタイプのゲームを平行で進めることはできません。そんな容量が自分にはなかった。
 『プリンセスホリデー』について思うところはいくつかあるけれど、今それを文字にしようとすると、どうしても片手間感がありありと漂うものになってしまうだろう。それほどまでに
『ファイナルファンタジーXI』の影響力は強い。意味が奔流のごとく押し寄せてくる。
 だから力を溜めておこう。出し惜しみしていれば、いずれ爆発力を持ってくれる。それは日記を書かないでいるときの気持ちから予測できる。機会はいずれ訪れる。気長に待とう。

 さて、これから先、日記のかたちをどうしたものだろうか。


6/23(月)

 かなり迷ったのだけれど、暫定的にこういうページを作ってみました。
 こちらと一緒にしないのは、クリアの区切りがつくタイプのゲームではないから……というのが主要である一方、あまりにこれまでの日記の流れにそぐわないと感じたこともあって、こんな押し出しのいいゲームを遊ぶと公言するのをためらうとはつくづく変わったものだと思いました。以前なら考えられない。
 遊んでいることの公表自体にも、すぐ投げ出すんじゃないかとの心配から慎重でした。それも情けない話ではある。

 こういうふうに切り離しておいて、こちらでは何食わぬ顔で従来通りオフラインゲームの話題に終始していきたいところですが、たぶん破綻するんだろうなあ。
 まあいいや、なるようになるさ。しばらくこれで続けてみることにします。


6/21(土)

 ということで『プリンセスホリデー』、最初からやり直してみたところ、割と楽しめることが分かりました。
 この新鮮さから察するに、一度通過した文章にはスキップ機能が働くから繰り返し読んでいない効果以上に、そもそもゲームの中で起きていることをさっぱり受け止めないでいた様子が窺えます。あたかも初めて読むかのように楽しめる……とまで言えば嘘になりますが、これまでどれだけあの言葉遣いが自分の目を曇らせていたかが改めて実感されました。
 すでに全CGを集めていることを考えれば、これはコストパフォーマンスが高いと言えますか?(←ようやく普通だろう)


6/18(水)

 しかしなぜ、『プリンセスホリデー』はあのような冒険に出たのだろう。読者を単発的に驚かせたかったのではないことが開幕からのテキストで明らかな以上、最初からああいうものを作ろうとしていたことになる。そこに疑問を持っても仕方ないのかも知れない。でも気になる。
 それを解く鍵がゲーム中にあったのに素通りしたのではないかと恐れる。何しろ単語に気を取られるあまり、イベントに入ってもさっぱり集中できなかった。イベントがほとんど記憶に残っていないのはそのせいだろうか。
 もう一度遊び直すのか。今いち気が乗らないが、何か見つかるかも知れない。やってみるか。

 ところで、ゲームクリア直後に、ラストのあれがドリームキャスト移植に伴う神業的な追加収束シナリオだったのではないかと思い、検索して回っていました。
 で、オリジナルからそうだったことを知って、先の疑問がさらに強くなったところで、調べついでに移植による小さな変更点を見つけました。
 薬草摘みのさなかに蛇にかまれて女の子がへたり込んでしまうシーンがある。PC版の公式サイトに載っているイベント画像を見る限り、オリジナルではふくらはぎあたりを咬まれたらしい。ところが移植版では咬み跡がふとももへ移動しているのです。
 この場面では、その子に同行した主人公が、兄として当たり前に妹の窮地を救うべく傷に口を当てて毒を吸い出すのだけれど、心底どうでもいいそんなところへのこだわりに、呆れながらも感心しました。そういうのを神は細部に宿るというのか。


6/16(月)

 残していたCGもおまけエピソードも全部見て、『プリンセスホリデー』終了。
 今なら至って穏やかな心でテキストに接していられる。だというのにゲームはもう終わり。プレイ時間の大半をいらいらして過ごしてしまったのは精神衛生によくなかった。真意を教えてくれるのが遅すぎます(自分のシナリオ選択順が悪い)。

 考えてみればPC版はアダルトゲームだった。となれば、相場が高いのはそっちの価値によるものだろう。あんな奇をてらった種明かし編にそこまで思い入れがつくわけがない。おとといは間抜けなことを書いた。それだけ興奮していたのだ。
 しかし、このネタの隠しぶりや、ゲームの外の事情をシナリオに取り込んだ作られ方という観点だけなら、個人的には
『Ever17』級に評価したいのです。二作品とも最後にきっちり、謎の落とし前をつけたのだから。
 自分にあってはどちらも平等なのだけれど、他の人にとってはそうではないだろう。謎が公的か私的か、そこに両者の違いがある。それが想像できるだけに、ここで念を押しておく気になる。
 謎が明かされない『Ever17』に意味がないくらい、シンフォニアルートのない『プリンセスホリデー』には意味がないと。
 ……誰に向かってだ。


6/14(土)

 さっさと全キャラクリアしてCGを全部見たら売っ払ってしまおうと息巻きながら、『プリンセスホリデー』をガンガン進める。
 他のキャラの話も総じてレティシアルートと同じ印象を保って低い期待に応える中、酒場の看板娘・レイチェルの話が、共通の設定をひとひねりした生かし方でようやく読めるものになっていた、あたりでゲームを終えたつもりになっていたのだけれど。
 どうもCGが思ったほど集まってこないので、念のため各ルートの再読を試みる。どうやら同じキャラでもエンディングが二種類あるみたいだ。そしてお姫様ルートから派生した個別ルートに進んで1時間後。
 また自分は頭を抱えることになる。昨日とは逆の意味で。やられた、参った。

 簡潔に述べるなら、6/11に嘆いていた両取りが成っていたのです。
 自分のやり切れなさも了解済みでできていたシナリオにしびれて、どう言葉にしたらよいのか分からない。目の前に展開されている話が信じられない。全くあり得ない。
 そのあり得なさに我慢しきれず、この「シンフォニアルート」から一文を引用します。シンフォニアはお姫様の正式な名字。こんな芸のないネタバレ、本来ならしないほうがいい。これ以上はしない。これだけで抑えるから、勘弁してください。

2059年
入念な実験航宙後、アルファケンタウリを巡る惑星ケイロンへ最初の移民船団が出発。2万人級移民船10隻。
 こんなシナリオ。
 これらにどれだけのリアリティがあるのか、自分には判定できない。ただ、自分の思いがシナリオに関連していたことが重要で、あるタイトルを特別視するってのはそういうもんだと思う。というか、ごめんなさい。それが最初だろう。とにかくごめんなさい。
 売り払う? とんでもない。手放したりはしないし、特典のカードだって電池が切れるまで聴き返すことでしょう(いやそれはやり過ぎ)。
 いくら注目していたタイトルだからって、こんなふうに楽しむなんざ、先月の自分も思っちゃいめえ。

 PC版からこうだったんだろうか。なら秋葉原で見た中古価格が高かった(7000円くらいだったか)のもうなずけるというものです。


6/13(金)

 ともかくも一人、お忍びのお姫様・レティシアルートをクリアしたのだけれど、『プリンセスホリデー』への印象ときたら、率直に言って頭を抱えるほかない。
 ほんとにもう、絵が8割、残りはいかにも秘め事がありました(姫だけに)ってなシーンを全年齢版ながら示していたこと、このルートの価値は極論すればただそれだけだと思いました。
 ここで懐かしく思い出されるは初代『ドラゴンクエスト』の名場面。囚われのローラ姫を救い出して即お城へお届けせずに一泊した翌日、宿屋の亭主が呼びかけた有名な一言、「ゆうべはおたのしみでしたね」。あれから17年、ただその場面をかわいい止め絵で再現するためだけに、このゲームは生まれたというのだろうか。
 ひたすら切ない。

 この調子ならあっという間に遊び終えるだろうけれど、世界構成から難を抱えているのでは、攻略対象を他のキャラに変えたところで果たして逆転があるものだろうか。激しく疑問です。
 設定も話もこれだけなおざりにして、それでも表したいことがエロ以外にあるはずだと、一縷の望みをかけてはみたいのだけれど。


6/11(水)

 なんでこれを見初めちゃったんだろうなと心で血涙流しながら、『プリンセスホリデー』プレイ続行。
 だめだ、やっぱり語の使われ方に馴染めない。これは「何でもありの一つの世界」じゃなくて「あるときはファンタジー、あるときは現代日本」みたいな混合物のようです。でも両取りなんてそうそううまくいくもんじゃありません。

 肉挟みパンなんて言葉が出てくる。それを出したことのメリットはちゃんと拾っていかなきゃ、ただ語感が悪い引っかかりを残すだけになってしまう。専用の品名がないことについて、そういうふうに食べる風習があの地方にはなくて、つい最近の誰かの思いつきが流行っているのか、あるいは素材と調理法を重ねるように命名するのがこの国の料理のしきたりなのか、想像しかけたところで、おもむろに「ハンバーグ」が登場するのです。
 あるいは。この国の一週間は月・火・水……ではなくて風・炎・海……らしいです。その成り立ちを巡ってはなにか伝承でもあるんだろう。7日で一周ってのもまあいいと思う。しかしそれらをまとめて「曜日」って呼んでしまうのはいかがなものか。身近で神秘的なものの象徴とかじゃないのか。それじゃただの変換じゃないか。

 ハリーポッターでも読んだ方がいいのかなあ。でもあれに挿絵なんてないだろう(←両取りはうまくいきません)。
 かわいい女の子たちがあんな不憫な常識の中にいて、それを特に気にせず毎日を過ごしているなんて、気の毒でしょうがない。だから、罪を憎んで人を憎まずの精神で、もう少し続けてみよう。


6/8(日)

 なまじゲームを遊ばなかっただけに、ある程度の時間があって(病院の待合室とか)、こんなものに発展しました。Memorial Games更新:ゆめりあ。はじめに題名ありき。

 ところで、もっと早く『ゆめりあ』になれたかも知れない問題作をここで振り返らなければならない。『まじかるで〜と』まで遡らなくても、ドリームキャストにそれはあったのだ。
 と思い立ち、『カードキャプターさくら 知世のビデオ大作戦』を立ち上げて再評価を試みました。
 うーん、やはり見返してもゲーム以前というか、マラソンなのにスタート直後の競技場でスタミナ切れみたいな無念さは否めませんが、しかし最低限の形にはなっているではないか。
 少なくとも初見の時よりは、このゲームのポリゴンキャラに理解を示せるようになったみたいです。いいことかどうか分かりませんが。
 しかしオープニングの歌はいい曲だなあ。こんな曲を使っているというだけで、アニメも面白いに違いないと思いかけます。


6/7(土)

 そんなふうに「社会」人らしからぬ愚痴を言っていても仕方ないので(というか、本当に社会人か?)、『プリンセスホリデー』を少し遊び始めてみる。
 ぐ。英語が、英語が! これはもしかして駄目なのでは?

 ……まあ、お姫様の通称が「レティシア・アップル」なんていう時点で分かってはいたのだけれど、ファンタジーの世界で会話に英語が挟まると違和感爆発。基本を日本語にしたなら、やっぱり可能な限り言い換えて統一していただきたい気持ち。「ビジネススマイル」「プレミア」「イエッサー」とのっけから飛ばしまくりで、ショックのあまりゲームを中断しました。
 オリジナルの世界じゃなくて、何でもありだと捉えるべきなのだろう。「転がるりんご亭」というネーミングはすばらしいと思ったのに。りんごの木を見てとっさに、というあたり、かの地に英語はすっかり浸透している様子で何よりです(肩を落としながら)。子供にはアルファベット教えてるし。
 もっとも、身分を隠そうというお姫様がとっさに口にした偽名が名字だけで名前は本名、という別な問題点はあります。頭隠して尻隠さずを地で行く箱入りぶりですが、みんな気付こうよ。そこをスルーしちゃうのは、優しさとは違うと思います。


6/6(金)

 ここ数日体調を崩していて、ゲームとも遠ざかっている。
 リズムがいつも通りでなくなることで、どれだけ多くの人が自分に関わっているかがやっと実感される。本当にそれはもう、愚かしいとしかいいようのない「やっと」さで。
 ただ寝っ転がってうなっているだけだって、もう影響は表れている。変調を伝えたり、代役を頼んだりの直接行動は言うまでもない。
 自分は社会の中に生きている。自分が好んで使う「世界」という言葉、そこに人間を足した「社会」の中に。一般的に(他の人にとっては)、自分の思っている「世界」は「社会」なんだろう。「社会」という言葉を、鍵括弧なんかつけずに自然に使えるようになりたい。

 自分は、他人に渡す言葉の準備をあまりにしないまま今日まで来た。一年後の自分にだったら何とか今の気持ちを伝えられるようになっているかも知れない。この場でやってきたことの結果は、そこまでだ。
 あの会話というほんの数秒のサイクルの中で、思いを逃さずに伝えられるというのが信じられない。それを実現させているのは、その場における瞬間的な思いの検索能力なのだろうか。待ってましたとチャンスを逃さない思いの強さだろうか。
 今の自分にはどちらも足りない。ただ、遅れてとはいえ伝えようとすることが出てくるのはまだ希望が持てる。もしかしたら自分にも、他の人が扱ってくれているように、人の間にいられる資格があるのかもしれないと思える。
 検索能力と思いの強さだったら、自分が得意とするのは後者だと思う。でも、そこまで来て初めて、同じ事情がすべての人に当てはまることにもようやく思い至って、人と人とが綱引きを始終繰り広げている様子が浮かぶ。だから、前者の習得に力を注がなければならないのだろう。あのすばらしい能力を手に入れられる日を夢見て。


6/3(火)

 一月ほど前だったか、今年初めて出かけた秋葉原のゲーム売り場で、『月は東に日は西に』(オーガスト)というタイトルのアダルトゲームのポスターが大きく貼られているのを見ました。
 絵柄のかわいさもさることながら、そのときひときわ印象に残ったのは題名の公式略称でした。「つきひは」とか思い浮かべてしまうボンクラな自分とは役者が違います、さすがプロ。月は東に日は西に、略してはにはに。
 はにはに〜! その語感に腰砕けになり、またそれが自分にヒットしてしまった理由に思い当たって二重に衝撃でした。なんだかんだ言って、意味なんか考えるより、柔らかな世界にただ浸るのが好きなんだろうと、漢字をすべて引っこ抜いてひらがなだけ残すという荒技をもって、こちらを見透かすように突きつけられたと感じたからです。
 発音、[waniwani]じゃないだろうな? URLを見るに杞憂のようですが。

 そんなわけで、ついにタイトル買いを超えて略称買いするゲームが現れたか、と売り場へ足を向けかけましたが、残念ながら発売はまだ先とのこと。
 そんな折、画風の同じゲームがドリームキャストに移植されることを知り、まずはこちらでお手並み拝見、と待ち構えていたのでした。
 それが『プリンセスホリデー』、本来なら先月の本命として発売即購入即プレイ開始となったはずの一本。まさか『ゆめりあ』にここまで引っかかるとは思いもよらず、またここ数ヶ月にわたり、そう息も継がせずギャルゲーに漬かりきりなのもいかがなものかと思うので、買ってから数日寝かせてみているところです(その程度の抑止力)。

 代替品として遊ぶのはゲームに失礼というものですが、この『プリンセスホリデー』も期待できるところ大。絵柄が共通なのもそうだけれど、こちらの場合はキャッチフレーズが秀逸だと思いました。
 お姫様が
 恋をした―――。
 これはPC版の惹句らしいけれど。
 この言葉を口にするのは誰か。お姫様と同じ世界に生き、ときには姿を見かけたりする人の台詞ではないはず。彼らなら、本作のヒロインのことを「お姫様」とは呼ばないでしょう。階級に応じて「姫」か「姫様」か、あるいは本名か。
 「お」までつけて呼ばれるとき意識されているのは、特定の人間ではなく、手の届かない世界にある地位の特別さだと思えます。そのような地位と「恋」とが結びつくとき、それはイベントに満ちた物語を生むに違いありません。
 だからこれはこの短さで、ファンタジックな世界に触れようとしている(当然、お姫様とは別の世界にいる)プレイヤーの思いを代弁したゲームレビューに、きっとなり得ているのです。

 そんなふうにゲームの方は楽しみにしているのだけれど、しかし売っていたのが限定版だけだったとはどういうことか。このご時世にドリームキャストのソフトが店に並ぶこと自体を尊ぶべきだとはいえ、ただでさえ安くない費用がさらにかさむのはいただけない。
 とりわけ限定版の特典である「声の出るカード」には泣きたくなりました。押すとヒロインの声が聞けます、って聞いてどうするよ? キャラの描かれた白いカードを耳に当ててひび割れ音声を聞き取る姿はわびしすぎます。
 しかも内蔵電池が切れるとともに声の聞けないただのカードに大幅格下げする始末(寿命は約200回とのこと)。こんなもののために1000円余計に出すなんて……とほほ。普通にCDとかにしてくれればいいのに。



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