ゲーム+α日記(2004年10月)

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10/19(火)

 アジアン・カンフー・ジェネレーションが久々にやってくれたー!
 と、新曲(あ、でももうアルバム出るのね)『君の街まで』を聞いて喜んでいます。

 地声の高音部と裏声の低音部はある程度重なっているので、その境界の音を出すには、地声と裏声の二通りが選べます。地声で高音を出す場合は、声を大きくすることで音域を高く広げられるので叫び調になる傾向があり、声高に主張できますが音が荒れます。一方、裏声で低音を出すと、音は狙い通りに出ますがボリューム不足になります。
 以上の素人経験から素人考えを広げるに、そのぎりぎりの音程を放つに際して叫んでしまうのは、威勢良く聞こえる反面、音の出し方という点ではごまかしに通じるものがあるんではないかと感じておりました。
 そんなわけで、『君の街まで』において、裏声の頼りなさと背中合わせの、真面目に音を当てに行くひたむきさを感じて喜んだのだと思います。
 頑張れるってのは貴重なことだ。

 ところで私事ですが、といっても私事でない文章などこのサイトには存在しませんが、どうやらしばらく留守にする公算が大きくなりました。
 未来に関する予測はいつも外れる方向に働く、それが自分のこれまでだった。今回もそうであれば嬉しい誤算、それがない限り、これよりしばらくのご無沙汰をいたします。


10/17(日)

 せっかくよりを戻したのだからもうひと踏ん張り、ここで会ったが百年目。実際は二年目だけどね!
 とばかりに、『月は東に日は西に』、スーパー幼なじみ・保奈美シナリオもクリア。すごい、自分もやればできるじゃないか。

 それにしてもこの保奈美という子は、何もかもをこなすというレベル以上に仕遂げてしまえるように描かれているのだけれど、そこに抑えこまれた何かを感じずにはいられません。
 こんな子と幼なじみであるのは、いきなり空から女の子が降ってくるのとタメを張れるくらいの奇跡的な知り合い方ではあるだろう。しかしそちらよりも、彼女がよくできていすぎることの方が気がかりです。
 他の人には達成が難しいことが彼女にできるとして、なぜそれができるのかを、彼女は逐一説明できるだろう。スジの良さはあるにしても、みんなに振る舞っているのは努力の成果であって、なぜそれができるのかを尋ねられるのだろうと首を傾げる天才ではない。
 ここで、雑誌「ファウスト」で読んだ小説『ECCO』(滝本竜彦・著)が思い出されました。ここにも出てくる優等生ヒロインの内幕公開場面では背筋が凍ったものです。そういう話でなくて、本当に良かった。


10/10(日)

 思えば、自分は『ファイナルファンタジーXI』をプレイ中はずっと緊張し通しだったのだと、久々に『月は東に日は西に』(オーガスト)を、時間を多めに取って遊んでみて改めて実感しました。
 知らない誰かからの内容不定な発言が、いつ飛び込んでくるか分からない、そんな状態にずっとさらされていることが、そこまで疲れをためるものだとは思わなかった。
 それに引き替えれば今なんて、同じく文章専用ウインドウに次々現れる記述を読み取る行為に、こんなにも安らいだ気持ちで臨んでいられます。

 もっとも、両者の違いは、その文章がどちらを向いていると感じているかによる。避けようもなくまっすぐこちらに向かってくるメッセージに相対するのと、ゲームの世界内を流れる文章に寄り添って解読していくのとでは、こちらの立場が違う。
 どんなにどうでもいい内容であっても、通信に対して誰かを仮想して返答するなんてことは、ゲームとしては稀なことなのであって、稀であるはずのできごとが何度も起きるのは、画期的ではあっても疲れも感じてしまう。
 一般生活とゲーム世界が同じようなもので、かつ一般生活で通用するようにゲーム内でもやりとりできる、といった留保でもついていなければ、なかなか大変です。後のほうの条件が難しい。

 そんなわけで『月は東に日は西に』、美琴ルート終了……なんだろうな、これは。
 同じ意見のキャラどうしが協調して、テンポ良く会話を進める様子が、このゲームの楽しい特徴だと思っているのだけれど(意見が食い違っているところを見た記憶がない)、意見どころではなかったか。締めはそれでいいのかと思ったり、当人が納得しているならいいかと思ったり。
 あと、「義理の」姉弟という設定は必須だったんだろうかといぶかしんだあたりに、汚れた自分を感じました。


10/3(日)

 やるべきことの洪水に流されてにっちもさっちも行かなくなってさえ、やるべきことを減らすなんていうのは選択肢に現れてきにくい。自分がどうにかできることじゃないと思えばなおさらのこと。
 ただし、このまま頑張って解決するには、どうやらこなす能力が頭打ちのようだ。やることを削る方の能力を伸ばす必要が切実に出てきた。
 できることってのは、こんなふうに年月とともに減っていくものなのだなあ。

 そんな昨今の主な楽しみは、GO!GO!7188の既発オリジナルアルバム3枚・最近のシングル2枚の聞き直し(新しいことに挑戦していない)。新アルバム発売と聞いて気持ちが盛り上がりつつあります(このくらいなら何とか)。
 ロックの音色をもって繰り出されるのは、オクターブをまたぐ音のシフトとメロディの進行の一致(「ドタン場でキャンセル」とか「瑠璃色」とか)、そしてこぶしを利かせたり(ほとんどの曲に通ずるか)いきなりタンゴ調になってみたり(「ピエロの悲しみ」)はたまたパッヘルベルのカノンよろしく繰り返してみせたり(「こいのうた」)と、多様なジャンルを感じさせる(←無知が丸バレ)混ぜ込みぶり。
 そうやって生まれるメロディの豊かさが、このバンドの曲たちから自分が魅了される理由なんだと思う。
 もちろんキレた歌詞も忘れてはいけない。明らかに人間じゃない立場から人間に説教する「めみみはなくち」なんてもう最高。いったい何者なんだ。ときおり混ざる普通の恋愛ものが新鮮です。

 余談ながら、自分が人間外の立場を歌ったものが好きなのは、他の人間の思いだってそれくらい丁寧に伝えようとしてもらわないと分からないことの裏返しなんだろうと思います。
 情けないオチだ。



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