ゲーム+α日記(2004年12月)

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12/30(木)

 留守中のゲーム的話題などを収集し(PSPがこんなにも負の方向に盛り上がっているとは!)、それが一段落したところで、購入済みの『カオスフィールド』などをおもむろに取り出してみる。
 ドリームキャストを舞台にした初移植のシューティングというところで、「出してくれるだけでありがたい」とオリンピック精神をいたく刺激し、それで購入動機としては十分。
 内容にそれほど期待はしていなかったのだけれど、そして初回プレイ(アーケード版は未プレイ。と、近所にゲームセンターがない現状では、こんな注釈もつける甲斐が薄い)の印象はそんな失礼予想に沿った線だったのだけれど、何度か遊んでタイトルの示すシステムに馴染み始めたところ、意外に面白くなりはじめました(だから失礼だってば)。

 システム上の目玉は「フィールドチェンジ」なる名称で、これはボタン一発で平行に走る2つの「時空」を行き来できるという設定。表(オーダーフィールド)と裏(カオスフィールド)では自機・敵機とも攻撃形態が変わり、裏の方が激しくなる。
 とまあ、言ってしまえば『エスプガルーダ』の変種ですが、この手の「派生的な違いを設定の力で根本的な違いに見せる」工夫が好きです。

 『エスプガルーダ』のそれも好きだった。ただあちらは、己の能力を解放することでその場に力を及ぼす、みたいな設定だった。それで本当に弾が遅くなるのが面白いところ。
 しかしこの『カオスフィールド』は対象を広げて、自身ではなく世界が変化しているのだと主張する。そして、背景の色を、フィールド移動ボタンが押されるのに合わせて変えて見せるのです。
 なるほど、言われてみればそう見えてくるではないか。進行は一本道なのに、あたかも二つの時空なるものが併走しているかのように。これぞ設定マジック。

 ここで敵が同様の行動を起こさないのは惜しい、というより踏襲が不徹底です。『エスプガルーダ』はそれを垣間見せていたというのに。
 敵が突然フィールドを移動し、否応なく激しい攻撃にさらされる、ないしはショットを弱体化させられる。『エスプガルーダ』で見えてこなかったそんな演出とぜひ出会いたかった。惜しいなあ。
 いや、このゲーム、基本的に1対1の戦いの連続なのです。タイマン勝負ばかりという潔さ。その割り切りは、敵機と自機が同等、それゆえ同等の性能を発揮しうる、そんな下準備ではなかったのだろうか。

 設定はそのくらいにして、ゲームも面白いのです。
 アクセントは、一方のフィールドでは自機のショットが「弱すぎる」こと。敵を倒すためにはもう一方のフィールドに行くのが早道のようす。
 これは意表を突かれました。初回プレイ時に首を傾げたのは、なんて使えないショットだろうと感じられたから。意図的であれば納得します。

 厳しい方のフィールドでも鬼のような難しさではない、というのもポイントが高い。弾幕を回避する手段がたくさんあるのです。「フィールドチェンジ」もその一つ、しかも時間制限付きとはいえボム風に何度でも使える。
 易しければいいとは言いませんが、挑戦したくなる程良い難易度、個人的に尊重します。

 突っ込みどころは満載です。
 処理落ちのすさまじさはアイテムてんこ盛りゲーム『ギガウイング2』の4年後の作品とは思えないし、家庭用の体裁は相当やっつけ仕事で整えたっぽいし(コンフィグがあるのはいいとして「スレテオ(ステレオの間違い)」はないだろう)、説明書はストーリーの文法がおかしい上に挨拶が最終ページだし。
 それでも、ゲーム本編が思ったより遊べるもので良かった!(結局失礼に締める)

 と、こんなところで今年の更新はおしまいです。
 ラスト2ヶ月は非常な速度で過ぎていった。年を経るごとにその傾向はいや増すのだろう。それでも、何とか来年はもう少し遊ぶ時間を作りたい。
 それでは良いお年を。


12/29(水)

 やっと戻って来られたー。ってもう年末で、また留守になるー。

 先月に引き続き、そしてこれまでで最長の、テレビモニター・PC・ネット隔離期間でした(長期出張と素直に表現できないのにはどんな意趣が?)。
 そうなれば携帯機に頼らずにはいられないわけで、ちょうど新機種の時期と重なったことだし……と新ハード購入に至っていればよさそうなもの。今振り返ればそれも一つの手ではあったと思う。
 しかしお供に選んだのはなぜか、
『サモンナイト クラフトソード物語』でした。

 動機なんて希薄なもの。RPGに触れたい気持ちが少しあった。予想されたこととはいえ盛り上がっている『ドラクエ8』を遊ぶ環境にいられない、なんてことも絡んできたのかもしれない。
 そこへ、シリーズとしては名前を聞くもののジャンル以上には知識のないソフトが目に飛び込んできて、パッケージを見たら、苦手なシミュレーションではなさそうなことが分かって。隣に続編も並んでいて、次回作が作られるくらいだからそれなりに出来がいいんだろうと予想したりもして。
 続編が出たのを期にということなのだろう、1作目はメーカー独自の選定で定価が下げられたりしていて。
 ……って、結局廉価版を選んでいるじゃないか!

 どこまでも素直になれないことを自覚し、以前に書いたことを撤回したい。
 廉価版、大いに利用させてもらいます。というか、させてもらってます。せっかく安く売ってくれるっていうのに、便乗していて文句言うのはおかしい。
 もっと素直にならなければと思った、年の瀬のゲームショップでの一こまの回想シーンでありました。

 そんなひねくれ魂も混ぜながら出会った『クラフトソード物語』に、この3週間、たいへん親しみました。アクションRPGなのですが、アクション部分に心地よく接待され通し。
 言ってしまえばぬるいのだけれど、ばったばったと敵をなぎ倒して爽快、それですごいことをしたように褒めちぎられていい気分、と、おだてられる喜びを満喫した次第です。
 と、またもひねた書き方をしたような気がして、この癖も根が深いものだと思いますが、いつだって丁々発止を望んでいるわけじゃない。クリアする喜びを味わわせてくれるのも立派にゲームのいいところだと思うのです。
 その点、このゲームは実に良かった。最後まで快く遊ばせてもらいました。

 勝手に最後と決めつけたけれど、アクションとしては自分の中で一区切りつくまで遊んだつもり。
 一方、話の見せ方については、何通りもの分岐がある上に序盤でルートが確定するものが多く、イベントを重視しているのだとしたらちょっと信じられないくらいまずい構成だったので、そうは信じないことにしました。
 登場するキャラクターたちがどれも魅力的なので、やりとりを網羅できないと思えば少し心残りではありますが、それだけに、自分がそのイベント、そのキャラクターを選んだことの重さを実感できもする。そう考えればいいじゃないか。
 だって、頑張っても1プレイ6〜7時間のものを最低8回やり直せというのは、無茶としか思えません。だから、そんなことを要求されているとは信じないことにした。
 うーん、この構成をまじめに受け取るなら、時間をかけて全クリアを目指すだろう。その結果、義務感に悩まされるかも知れない。ゲームでそれはバカバカしい。素直じゃなくて良かったこともあるのかな?


12/6(月)

 『塊魂』駆け足でクリア。
 収集とかハイスコアとか、遊べる要素はあるのだけれど、何と言ってもあのインパクトが大きく、じわじわ系の面白さであるそれら付随要素にまで手を伸ばさなくても十分に満腹な感じ。
 そうそう、このゲームで意味を持たせているのは、名前・形に加えて、音。これが最重要だった。つまり断末魔における(ネタバレはもういい)

 ところで、またしばらく留守にいたします。そこで書き置きを。Memorial Games更新:ZOOO
 久しぶりとか今さらとか、気にするな!(自分が)
 そう言えばニンテンドーDSでもZOO KEEPERが出たんだよな。あちらはペン操作、そしてパネル消滅中の待ち時間なしだとか。操作系にこだわりを見せるシリーズだけに、ちょっと気になるところではあります。


12/4(土)

 BUMP OF CHICKENの「夢の飼い主」、妄想とは大違いでした。

 ところで『塊魂』に大喜びで取り組んでいるのですが、面白い一方で恐るべき暴力性に直面したりもして、大いに驚く。まさかこんなゲームだったとは。
 自分がこの前やった『パックマン』のたとえではドットにあたるものが、このゲームでは徐々に大きくなっていきます。このゲームの価値観はサイズだけです。
 ところが、それぞれのドットに、それぞれ意味が割り振られています。具体的なものとして、形や名前が与えられているのです。小さいものならネジとか鉛筆とか。それが大きくなるにつれて相応のもの、靴とか椅子とか車とか巨木とかにグレードアップしていきます。
 これが無性におかしい。一つ一つは違うものなのに、ゲーム上ではすべて平等に扱われている。ゲームを遊んだあと、外出して運転中に道路標識を見て、笑いがこぼれました。お前、そんななりしてるけど、さっきは交通上の注意なんか何も促してなかったじゃないか、と。
 ゲームには山ほどの種類のものがあって、だから何を見てもおかしくてしかたないのでした。

 しかし、その中に生き物も含まれているとなると、ただおかしいだけでは済まなくなってくる。
 先ほどの比喩をしつこく続けると、ドットを食べていくとプレイヤーは太って巨大化します。それがかなりのところまで成長したところで、フィールドであるところの街に乗り込むというシチュエーションがありました。
 目が点に。
 こんなことが、こんな不謹慎な面白さが目の前に展開していることが信じられませんでした。これでいいのか。

 ここまで暴露しておいて何ですが、この衝撃はシステムよりは意味がもたらしていて、だからお話を追っていくようなネタバレの性格を帯びています。
 振り返れば設定にはラストから遡って考えられた点も見受けられるし、ゲームの狙いに乗せられるのは自分の大の得意技だからというところはあるにしても、このアイディアは本当にすごいと思う。大興奮の出会いでした。



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