ゲーム+α日記(2005年4月)

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4/25(月)

 結局、今の自分にとって、他人とのパーティープレイは、それまでのゲームでは得られなかった極めて新しい、けれども楽しくはない体験、という位置づけに落ち着いていることを、『ファイナルファンタジーXI』のソロプレイを遊んでいて思う。
 面白がろうとした。これが楽しいのだと思いこむべく頑張った。自分としてはかなり意識したし努力もした。でも、進んで身を投じたい気持ちには今もってなれない。
 そして、その原因は、その体験が常に新しく感じられ続けていることにあるのだと思う。

 『ファイナルファンタジーXI』のパーティープレイとはほぼ戦闘なのだけれど、いつだって、以前と同じことは決して起こらない。たいていはキャラの成長に伴って戦いの場が変わるし、仮に同じ戦場であっても、メンバーが固定されていることなどめったにない。
 いや、戦場やメンバーが異なるプレイについて限定すべきなのだろう。全て同じであれば、それは個人プレイとそう変わりない。得られる楽しみも似たようなものだろう。

 自分は、これまで生きてきた年月によって、自身のルールを作り上げてきた。そこに慣れ親しんでいる限り、ルールに沿ってプレイすることができる。
 それに対して、他人の介在は、異なるルールの侵入を意味する。異質なルールに戸惑っているうちは、それに振り回されるのが関の山で、遊ぶ余裕などありはしない。
 そして、ようやくそろそろコツをつかみかけてきたかと思えたところでパーティーは解散となり、努力の営為は水泡に帰する。

 ルールが分からない不安定な状態がたまらなく嫌なのだ。
 新たなルールに順応して得られる楽しみがあることは、新しいゲームにじっくり取り組み、ついにルールを理解し応用できたときの喜びから想像がつく。
 しかし『ファイナルファンタジーXI』では、自分の順応速度がプレイ時間に比べて著しく遅いことが障害となって、パーティーへの参加をためらわせる。

 おそらく、個別に対応すべきルールより上位のレベルに、「個々の新しいルールに対応するための決まったルール」みたいなものがあるのではないかと思う。いや、あったらどんなにいいだろうと思う、のほうが正確か。
 もしかしたら、他の人たちは、その上位ルールを身につけていて、それであんなにスムーズに組織を編めるのではないだろうか。
 そういうものがあったとして、下位から上位へのランクアップは可能なのだろうか。試行錯誤しているうち、いつの間にか、何を悩んでいたかが分からなくなったりするものなんだろうか。
 それは大いにうらやましい。しかし、そこへ至る険しい道の脇には、気楽なソロ稼業の広場があって、ついついそちらへさまよい出てしまう。
 それをとがめるものは、何もない。

 どうしたって今さらなことかもしれないけれど、もうそんなこと慣れっこですよ。今さら感に満ちあふれてますよ。言うなれば今さらの王ですよ。
 ああもう、そんなことをうっかり忘れ、ふと魔が差す一瞬が訪れないもんだろうか。そのときこそパーティープレイの絶好の機会なのに。


4/17(日)

 はぁ、確率ごっこは楽しいなあ……

 少ない暇時間で何を遊ぶかと思えば、数あるゲームをさしおいて『ファイナルファンタジーXI』だったりするのでした。
 オンラインゲームながら他の人とパーティーを組まなくなって早半年、一人で戦えばコツを思い出す間もなく叩き伏せられる。ない尻尾を巻いて街まで逃げ帰り、することといえば専らアイテムの合成です。
 合成リストとにらめっこして作るものを決めて、素材を買って、しばしの試行回数ののち、出来たアイテムをお金に戻す、その繰り返し。
 賭けの景品は、普通よりちょっと優れたアイテムだったり、質は同じだけど個数が増えるボーナスだったり、より高度なものを作れるようになるスキルのポイントだったり。
 傾向は決まっている、でも個々の結果は先取りし得ない、そんな一喜一憂がとても楽しくて、引きの弱さから時にはゲーム内通貨を損することもあるけれど、「遊んでいる」というのはそんなときのがっかり感も含んでいるのに違いないのです。
 ほらその証拠に、あっという間に時間は過ぎていき、また新しい週が始まろうとしている。

 うーむ。


4/9(土)

 「トライアングル・サービスがピンチです!」に始まる公式サイトの経営窮状訴えを、トップページを介さず初めて読んだとき、題の表現からてっきり他社に手を差し伸べる内容だと思い込み、自社紹介だと分かって仰天したことを覚えています。
 この文章を目にしたことで購買意欲はだいぶ低下したものの、結局は予定通りドリームキャスト版『トライジール』を買ったことで、自分がゲームを巡る領域の場末にでもひっかかっていたいのだと、改めて自覚した次第です。

 そんな「ドリームキャスト最後のシューティング....かもしれない」が宣伝文句の『トライジール』、しかし遊戯前の恒例行事である取説タイムにおいて、既に値段の元は取った思いがしました(←数年後に読んで後悔しないだろうな?)。
 少し触れても大きなネタバレになること必至な本作のストーリー、ただ一言「白い」とだけ述べて、以後の感慨はしばらく胸のうちにしまっておきます。
 こんなスマートなハッタリと、あんな煮え切らない惹句と。なぜにこの二つが表裏一体なのだろう。ふしぎふしぎ。

 さて、ゲームを遊んでみるか。一日でここまで進むとは、我ながら意外でした(その癖は直すように)。


4/4(月)

 『翼神』の痛手を引きずりながら過ごす期間は、『ティンクルスタースプライツ』新作の情報を見たことにより、1週間で終止符を打ちました。
 移植ではなく続編というところで既に意外でしたが、それに伴ってかキャラが増えており、旧作キャラが裏に回っているような印象。特にロードラン、とびきりの明るさを絶えず振る舞っていた主役が見せているひそやかな態度に、予想外の衝撃を受ける自分がいました。

 例によって確かなことの何もない妄想で恐縮ですが、『ティンクルスタースプライツ』はシステム主導のゲームだったと思います。「謎の生物」とか「悪の帝王の親衛隊」といった大ざっぱな設定を見ていると、バラエティに富んだ攻撃方法がまず確立され、それぞれを担うキャラがその後で生まれたのではないかとの想像が湧いてくるのです。
 シューティングとは思えない浮いた絵柄がそこへ加わり、違和感は強烈になります。ただしその分、ひとたび気に入ってしまえば、このゲームを愛せることを誇れるようになり、ギャップが思い入れの深さに激変するのです。

 だから、キャラがゲームを引っ張り、あんまりかっちりしたお話が入るのが続編の形だとしたら、それはどうかな、と、少しだけ心配しています。あのタイトルを継ぐのであれば、それが取り越し苦労に終わるのはほぼ間違いないのですが。
 いやもう、重い設定を背負わせてロードランを悩ませるなんて実にけしからんですよ。そんな悩みは、我らがドラゴンスター、リアリー・ティルが吹き飛ばして見せますよ。いや、「我らが」なんて複数形ではなくてむしろ(略)

 絵柄ががらりと変わってますが、これも障壁に見えて、その実さらなる深みを呼ぶための深慮遠謀と見た。
 年齢よりはるかに小児な見た目で、ちょっとこれには対応しづらい。しかしこれもやがて快感に転じるはず、我慢我慢(我慢?)。

 発売前のゲームでこれだけ盛り上がるのもちょっと珍しい。おかげで『翼神』のことはきれいさっぱり忘れ……
 と、名前を出したから思い出しちゃったよ!(←しつこい)



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