ゲーム+α日記(2006年3月)

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3/30(木)

 そんな次第で、ゲーム発売ラッシュのこの3月の中でも期待の筆頭に祭り上げていた『コンタクト』とご対面した、のだけれど……
 むむ? これはずいぶんと面倒なことを求めてくるゲームであることだなあ?

 「プレイヤーの介入」という挑戦を受けて立つことにしたとき、自分はそれ以上のいっさいの情報を遮断することに決めました。そのため、このゲームが移動アクション主体ということさえ知らなかったのですが、のみならず、ここまで盛りだくさんなパラメータによる成長要素を備えているのには全く不意を討たれました。
 この一つ一つに、本当に意味があるんだろうな?
 そして操作のしにくさ、特に斜めを向いて止まらせることの難しさも、先行きを不安にさせます。どうも上下左右を優先的に向いてしまう。斜め方向固定キーでもあればいいのに。
 大丈夫だろうか。


3/27(月)

 さて、回り道も終えたところで続きに戻るか、と『ショコラ』をドリームキャストに再セット。
 そして、すでに忘却の彼方にあった翠シナリオの後半部を再読する。どう考えても主人公に不利な彼の行動をそっくりそのまま殺し文句に転換してのける手管は鮮やかなもので、これではさしも強情な翠とて参らずにはおられまい、めでたしめでたし。
 先月末のあの燃え上がりも、時を経ればこの程度のくすぶりと化してしまうのでありました。タイミングとは重要なものだ。

 それでも、ついに同級生サーガに決着を! と3周目に突入するも、さっぱり正解ルートを見出せず。
 やむなく、ゲーム内のヒントを頼りにしらみつぶしの挙に出ました。たまに画面を見る以外は手持ちぶさた。そんなときふと手元の携帯機に目が行けば、自然と手が伸びるというもの。
 新規購入品もあることだし、同時進行で味見でもしてみようか。
 そんな心得で取りかかること30分、寝っ転がって本気でかかるために、ドリームキャストの電源を落とす自分がいました。

 廉価版なんだからよりによってこのタイミングでなくても、今の時期は新作が山ほどあるだろうに、とは重々承知、それでも一旦始められた側の勝ち。気がつけば『マリー、エリー&アニスのアトリエ』に首ったけであり、週末の2日間で濃密な5年間を過ごすこととなりました。
 「素材&レシピ集め → アイテム合成 → 納入」のサイクルに、一度足を踏み入れたら底なし沼よろしくはまるはまる。予定を組んだらすぐ次の予定を入れるよう求められるので、休む暇を全く見つけられません。
 作ったアイテムを欲しがってくれ、評価もしてくれる。それは大変に嬉しいことだったのですね。

 ただし、ゲームがやめられないのは楽しいからばかりでもありません。
 複数のキャラクターが独立に働くさまは、『ダービースタリオン』で多頭数を育てているときの混雑ぶりで、それだけにプレイがすっぱり途切れることがなく、「今ゲームを止めたら進行を忘れてしまい不利になるのでは」との恐れからも、延々とゲームを続けるはめになるのです。
 何とかゲームを終えて振り返り、改めて思うのですが、いや恐ろしい中毒性だった。アトリエシリーズ初体験、長寿なだけのことはあると知りました。この作風からすると、一人だけの名が冠された旧作は、いわば1頭だけ育てる『ダビスタ』みたいな感覚だったのかな?
 しかしバンプレストは、『サモンナイト』シリーズといい、さりげなくよいパブリッシャーに育っているのですね。

 終えた、といっても、エピソードはあちこち食い散らかしだし、文字通り「最後」の課題は完成させられないままだったので、不完全燃焼な気持ちでいっぱい。2度目であれば、初回より効率よく動けることは確実。食指は動きます。
 しかし、再挑戦しても良いものか? 今週末に今月の本命と目するタイトルを控えたこの段階で?
 贅沢な悩みであります。


3/22(水)

 この休日も『プロジェクトゴッサムレーシング2』に精を出し、ついに全コースを走破。
 途中、制御のままならない大型車種やら、夜間・雨天などの悪天候やら、しきりに邪魔を仕掛けてくるライバルカーやらの障害に音を上げて、難易度を落としたレースもあったけれど(最低難易度なら操作が分かっていればまずクリア可能)、概して真面目に取り組みました。
 最終コースの、スポーツカーの聖地とやらで繰り広げられる長距離戦は、これで走り納めなのだからとの思いやりをたっぷり感じられる、エンディングにふさわしい尺の長さでした。
 いや堪能した。

 そうはいっても、コース取りを覚え、車種に慣れ、テクニックを磨く道はどのレースにもあって、極めようとするならそのボリュームに改めてめまいが起こります。
 その中でも純粋に楽しいのは、周回最速を競う「ホットラップ」、後先省みずに瞬間最大速度を叩き出す「スピードカメラ」、パイロンの配置に一喜一憂しつつ走行スタイル評価点のコンボをつなぐ「パイロンチャレンジ」の3種。これらに共通するのは単独走行モードであること。
 それに対して、敵車がいる場合は楽しみかたが一変、いかにうまく競争相手に被害を与えて先にゴールするか、どろどろの争いが繰り広げられます。
 1対1のレースで相手に体当たりをかまし、壁に垂直に突き立てることができれば、そのレースはものにしたも同然。まあそんなときに限って慢心がミスの連続を呼び、ゴール間際でまさかのうっちゃりを食らうのですが。
 悔しくて思わず声が出る。端から見ればさぞ楽しんでいるように見えるでしょう。

 こういったよこしまな遊び方でもいいのか、少し悩みます。ゲームなんだからいいに決まっているのに。
 自分を悩ませるのは、「走りのスタイリッシュさを競う」というこのゲームが、なぜ意図したスタイリッシュさを阻害しかねない競争相手がいるモードを用意しているのか、という、より根本的なものなのかも知れません。たぶん当方の責任ではない。


3/19(日)

 『プロジェクトゴッサムレーシング2』を遊びすぎたところ、外に出て車の実物を見ておかしくて仕方がありませんでした。
 なんでこの車たちは真面目な顔して行儀良く走っているんだろうか、と。
 車ゲーム脳で大変なことです。

 と、ゲーム自体は非常に面白くて満足なのだけれど、一方で小さな不満もないわけではない。メニューの言葉遣いから、さすが舶来と思わせる悪い風情がときおり匂ってくるのです。
 たとえばロード中、レースをうまく進めたり、目当ての車を手に入れるためのシステムの解説を、ランダムで挟んだりしてくれます。そんなに長い時間でもないロード待ちをも活用するその心配りはすばらしい。
 しかしながら、その文章が「トータルKudosにカウントされるのは、各レースの自己ベストKudosパフォーマンスだけです。」だったらどうか。何のことやらピンと来ません。

 これは、あるレースを繰り返し遊んだとき、これまでのKudos(スコアでありお金の元にもなるもの)の記録を塗り替えたら、その塗り替えた分だけが累積される(塗り替えられなかったら捨てられる)ことを指しています。
 「どんな成績でもいいからひたすらプレイするだけ」ではKudosは溜まってはいかない、というわけです。
 これと、「レースの難易度を指定して、より難しい難易度にはボーナスのゲタが履かせられる」および「Kudosの累積でもっといい車がもらえる」システムを組み合わせることで、車の性能アップに支えられながらゲームの上達が促されるので、これは優れた仕組みなのですが、それがこの文章で伝わるのかはなはだ疑問です。
 「パフォーマンス」なんて、よっぽど意図的に派手派手しくした出来事にしか使わないよなあ。そりゃスポーツカーを操るなんて非日常的だけれど、このゲームの中にあってはそればっかりなんだから日常と言えます。
 せっかく和訳して、日本語に歩み寄ってくれたのだから、その足をもう一歩前へ進めてくれたら嬉しい。たぶん直訳なのではないかな。
 あと、そのレース限りのものと累積するものと、Kudosに2種類あるのがよくない気がします。レース限りのものはそれこそスコアとかにしてしまえば良かったのでは。
 XBOX360版の
最新作はどうなってるんだろう?

 重箱の隅をほじくりついでにもう一つ言えば、このゲームはタイトルがいけません。特に「ゴッサム」。英語だったらかっこいいのかも知れないけれど、片仮名にすると何だかサムそうだ(←よそのことは言えまい)。
 ここを見ると、開発コードをそのままタイトルにしてしまったそうだけれど、やはりタイトルは大事だと思いました。
 今回のは「レーシング」が入っているだけ、初代(『プロジェクトゴッサム』。突き放された感でいっぱい)よりまだましと言えるのかも知れませんが。

 しかし我ながら細かいいちゃもんなことだ。でもそういうところにしか粗が見えないのだから仕方ありません。


3/15(水)

 『プロジェクトゴッサムレーシング2』の画像のリアルさが主に生かされていると思われる、運転をしくじってガードレールやら建物やらにぶつけたりするたびに車が破損していくさまを、はしゃぎながら楽しんでいます。
 一度の衝撃でナンバープレートは吹っ飛ぶ、ライトは片方つかなくなる、ボンネットはゆがむ、と大騒ぎ。クラッシュを重ねていくと、しまいにはフロントガラスにひびまで入る始末。お高いスポーツカーが見るも無惨な姿に変容していくのは、車好きには正視できないかもしれません。
 それでも一線を越えてエスカレートすることはないのを、コースを逆走して、対向車となったライバルと軸を合わせて正面衝突させることで確認しました。
 時速100km/hを超えるどうしがぶつかりあえば、たちまち鉄塊と肉塊のできあがり、と思いきや、乗り上げるか弾かれるかしてしまい、文字通り致命的なビジュアルショックは回避されるのです。ここまでドライバーの命を保証させるとは、自動車の安全規格の厳しさを垣間見た思いです(←ゲーム開始前の「よい子は真似しないでね」という忠告を100回読み直せ)。

 ときに、ゲームが進んでいろんな車やコースが解禁されていくにつれ、それらデータの蓄積がいとおしく感じられてきました。
 それと同時に、今遊んでいるこの本体は借り物だからいずれ返さねばならず、その際にはこのデータも手元から失われる、という未来の宿命が頭に浮かんだのです。
 それを惜しいと思った自分はさっそくゲーム屋に足を運んでXBOXを求めましたが、時機を逸したか在庫切れ。
 うーむ、他の店舗を回ってあくまでオーナーを目指すか、限られた時間の中でベストを尽くして思い出を大事にしていくか。判断に迷います。


3/12(日)

 たまには普段遊ばないジャンルでも遊ぶかと、珍しく開拓者気取り(←本物に失礼)で『プロジェクトゴッサムレーシング2』などに手を出したところ、あまりに面白いのでうつつを抜かしているうちにいつの間にか外はとっぷり暮れておりましたとさ。
 始めたのが夕方だった、というオチではありません。それが本当であれば、今日は他のことをもっとした日として残ったのかも知れない。

 何といっても、レースゲームといえばスーパーファミコンの『F-ZERO』以来といってもいいほど遠ざかっていた分野素人のこの自分が、遊んでみてクリアできるところから徐々にやりごたえを感じられるような出題には、感謝と喜びでいっぱいです。
 リアルさを求めた果てのような画面(2年以上前のゲームであっても、こちらが進歩してないからねえ)、続編であること、そしてXBOXというハードからして、初回から血のにじむような練習を課してくるものかと、半ば覚悟しつつもびくびくしていました。
 そうではなかった。リアルさは、全てゲームが引き受けていてくれたのです。当方はただ、ハンドルとアクセルとブレーキにだけ注意していればいい(ギアチェンジもオートマな横着者)。

 言ってしまえば左右と2ボタン、たったこれだけの入力を縦横無尽に使わせて、ライバル車を抜き去ったりタイムや速度を競ったりパイロン(工事現場に置いてある円錐のアレ)の間を通ったりします。
 その組み合わせやタイミングが、計測を信じるならそれこそ1/1000秒の単位でめまぐるしく入れ替わる。その中から最適解なんて、そうそう見つかるものではありません。敵車なんかが割って入ってきたりしたらなおさら。
 そしてこのゲームは、入力のしかたを直接教えてはくれない代わりにその効果を、これができればクリアがぐっと近くなるという形でやんわりと教えてくれます。いや、そのように感じました、というのが正確か。
 高速でコーナーに突っ込んで曲がれず、それでも無理矢理進んでいた頃から、ドリフトで一応曲がれるようになり、あるいは減速しても最短距離を曲がった方が結局は効率が良かったり。
 その役割を担っているのが、ステージ制と、高性能な車を使えるようにするためのお金のようなものなのだけれど、これがまたうまいことできた仕組みだこと。

 リアルな見た目は、余計なものを省いたリアルさを準備しておくから身一つでいらっしゃいという意思表示だったのですね。すばらしい。
 右折も信号も渋滞も、路線変更も死亡事故も縦列駐車もない運転は、それはもう楽しくて最高です。


3/7(火)

 久々に宇多田節が帰ってきた! と、宇多田ヒカル「Keep Tryin'」を大喜びで聴いています。
 いい調子全開で押し通す様子といい、分かるようで分からないようで分かる気がする(←分かってないだろ)歌詞といい、「traveling」の跡継ぎとして最高。
 大ヒット御礼のゴールドディスクも脳内で配られる騒ぎです。この進行形が世の中を浮き足立たせてくれるのか。

 なんて呆けてるから、先月の日記を誤って上書きしてしまうのかもしれない。間の抜けたことだ。
 もう取り戻せないかと焦りましたが無事解決。これでまた呆けていられるというものです。


3/4(土)

 ところで、最近すっかり音楽ゲームづき、かつニンテンドーDSづいてもいるところへ店で見かけたものだから、少し昔のだが確か評判良かったからさわってみよう、と、衝動的に『大合奏!バンドブラザーズ』をプレイしてみました。
 そしてそのストイックさに腰が引けた次第です。

 うーむ。十字キーやABXYボタンそれぞれに違う音を当てて、音の引っ張りも押しっぱなしで対応、さらには半音・オクターブ変動も同時押しで思いのまま。
 そんなにも自由度と敷居の高いデモプレイを見せつけられ、本気の音責めを覚悟しながら、とりあえず本編に入ってみる。
 初見でどこまで先に進めるかを競うゲームとして遊び、不出来な演奏ながらどうにかクリアを許可され続けるも、キングプレイヤーとやらへの挑戦(9ステージ目?)でついに力尽きました。

 いやー、プレイ中はヘボ曲が流れっぱなしで悲しいことといったらない。今さらながら、『押忍!闘え!応援団』の加点法がいかにプレイヤーに優しかったかが思い起こされました。これが演奏する当事者と応援する第三者という立場の違いか。いやしかし今は『応援団』の話ではなかった。
 DSの十字ボタンがこんなに押しにくいものだと実感できたのは収穫と言っていいものか。新型機はどうなのだろう。画面の暗さは気にならないけれども。いやいやしかし今は新型機の話ではなかった。
 楽譜ではなく現在地が一方向へ移動する方式は、どうしても楽譜内をワープしなければならなくてテンポが取りづらい。でももしかしたら楽譜が移動するのはコナミ限定のお家芸、とかいう事情があるのかもしれない。あるいは、こんなふうに画面を楽譜が埋めているのは、できるだけ曲の先まで見渡せるようにとの配慮の末なのか。いずれにせよ、今は他の音ゲーの話ではなかった。

 そんな感じに話がこのゲームから逸れるのを止められず、一旦ゲームから逃げ出して、「これは果たして面白いのか?」との疑問を胸に、説明書を読んでみることにしました。
 説明書がなくても遊べるのは衝動プレイにはとても嬉しいものです。でも、やはり読むのが基本。ほら、重要なことが書いてある。
 『「大合奏!バンドブラザーズ」は音楽を楽しむために生まれたハンディ楽器です』と。太字も原文ママ。
 つまりこれは道具なのだと。そりゃストイックにもなる、というより、楽器であるためには、狙った音色が出せなかったり、曖昧さがあっては困る。
 そして、この道具は、大勢で集まって「セッション」するときに力を発揮するようです。各人がパートを一つずつ受け持って一曲を合奏する。楽しさはその場の雰囲気の側にあるだろう。ほら、タイトルにも「大合奏」ってあるじゃないか。
 最低限の予備知識は拾っておかなければダメだなあ。

 もっとも、周辺情報の全てが正しいかというとそうでもないようで、パッケージ裏にある「リズム感に自信がなくても、手に取ったその日から音楽の本当の楽しさが実感できる」には首を傾げました。
 ある程度に楽器である以上、これで音楽の楽しさを実感するのはそれなりの修行がいるのではないか。少なくとも「手に取ったその日」のうちには難しいと見ました。
 あと、マイク経由で鼻歌を音に再現し、さらに楽譜に直してくれる機能があり、試してみたらほとんど再現した科学の力には驚きました(←発売は1年以上前だ)。そんなところも含めて、道具であることは間違いありません。
 でもごめんなさい、君の真の実力は知ってあげられそうにないよ……



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