ゲーム+α日記(2006年12月)

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12/28(木)

 この前の日曜日には有馬記念があったものですが、当方の『ダビスタ』でも所有馬がタイミング良く同グランプリを制覇。
 面白いことに、突然火が入った『ダビスタ』熱が、それをもって収束していったのでした。
 最初から確信はあった。自分は今回もまた、『ダビスタ』の目標であるGI全制覇などには目もくれないであろうことを。そのような、ゲームを終わらせようとするための目標を第一に置くなんてことは、楽しみの妨げにしかなりません。

 やりかけゲーム多すぎ問題を一つ解決し、もう一つの引っかかりも解消しようと、久方ぶりにまとめてみました。Memorial Games更新:CROSS†CHANNEL(PS2版)
 いいね、年末の大掃除だってこうは片付かない(←掃除能力薄弱)。

 ところで、もういい加減長く続けているのだから、ちょっと種明かしでもしてみよう。
 自分があるゲームについてまとめてみようとするとき、その近くで遊んでいた別のゲームのことを混ぜて書くことがほとんどです。もちろん、主題は一つのゲームですが。
 単体では貧しくてふくらまない話でも、複数のゲームにまたがって成立する事柄であれば、少しは汎用性も出て内容が伝わりやすいだろう。どうしたらネタ切れを防ぎつつ伝わる可能性を増やすか、結果的にそのような手段にたどり着いていました。
 あまねくゲームに共通の基本事項が見つかるならすごいことなのだけれど、そこまでゲーム全般に明るくもないし、そんな大前提がほいほいと新発見できるはずもない。
 少しだけ変わったことを、「それもありかも知れない」と思ってもらえるように書く。ささやかな目標です。
 ちなみに今回の縁の下の力持ちは『ダビスタ』でした。偶然なのか必然だったのか、縁は異なものというところでしょうか。所有馬だけが歳を重ねていく、同じ一年の繰り返し。このゲーム進行はもう、そのものだと言えます。

 はあ。一仕事した気分。
 本年の更新はこれでおしまいです。それでは良いお年を。


12/23(土)

 何だか妙なソフトが出るものだ、そもそもゲームじゃないのか?
 よく分からないながら音楽ものだということでとりあえず試してみよう、そんな軽い気持ちで
『弾いて歌えるDSギター"M-06"』で、コードというものを何となく理解し始められた気がしました。
 いくら本物の楽器じゃないからって、そういう基本は共通だろう?

 『"M-06"』は、方向キーと1ボタン(利き手対策あり)で音階を決めてDSの下画面を縦にこすると、そのコードのアコースティックギターの音が鳴る、というソフトです。
 サンプル曲から唯一馴染んでいる曲であるスピッツの『冷たい頬』を選んで、さっそく流し弾き。指示されるアルファベットと数字と記号の組み合わせを見て、適当なテンポでひっかきながら、ついている歌詞を口ずさむ。
 ちょっと嬉しい。それは、知っている曲が流れるからであり、弾いているっぽく感じられるからでもある。
 イヤホンを通して流れるギターの音は、本物と比べる知識はないけれど、真に迫って聞こえます。上下の方向で音の出る順番が微妙に変わるし、こする速度で音量も調節できる。
 しかしこの嬉しさは、あくまで指示通りにボタンを押せたことにご褒美をもらえたことへの嬉しさでした。導いてくれる手本がなかったら、その手はさっぱり動かない。楽譜を閉じたらさっきまでのにぎやかさはどこへやら、たちまち沈黙に包まれます。
 寂しい。

 その後、「耳トレ」というものに取り組んでみました。
 練習モードであり、これも指示通りに短いフレーズを弾く、のですが、このモードでは例の記号は弾くべき場所には位置していない。耳で聞こえた音色がどの記号に対応するか、画面の隅にあるどれかを押して弾いてみて、確認しながら進めます。
 対応がつかないので間違えて当たり前。最初は総当たりも辞さない覚悟です。ちょっと情けない気もしますが、他に手も思いつかない。誰が見ているわけでもないし、それでもいいだろう。

 2つ3つの和音がいろいろと組み合わされて出題されるのにしばらく付き合っているうちに、ちょっとひらめいたことがありました。
 この記号は和音そのものなのだと。かき鳴らすといっぺんに鳴るあの音のセットが、一つの記号に対応しているのだと。これを分割することはできないし、そもそもそんなことは考える必要がないのだと。
 そして、これは推測ですが、オクターブの移り変わりをあまり気にしてはいけないのではないかと。

 自分の音楽との接点はピアノです。ピアノで和音を弾くとき、自分は一番下の音を基準に覚えていました。
 ド・ミ・ソもド・ファ・ラも起点はドであり、両者は土台が共通なのだから部分的なアレンジで対応できるものです。どちらも、まずドを弾いて、その上に音を重ねていきます。
 両方とも、使う指が右手なら親指・中指・小指で共通だということもあるのだと思います。音の幅の広がりは、指の広がりが吸収してくれるのです。

 それに対して、この「コード」というのはそうではないようです。
 音の幅は常に一定であり、一定の幅を取るときに一番低い音が起点となり、そこに対応するアルファベットがコードであるようです。
 だからド・ミ・ソとド・ファ・ラは「全然違う」。というか、ド・ファ・ラなんて並びはここには存在しない。
 同じように、ピアノでは近所だと思っていたシ・レ・ソも、ギターの世界ではド・ミ・ソの左隣にはいない。

 以上が、C・F・Gの3種のコードと戯れている過程で得られた驚きでした。一つだけの音が存在しない世界があるとは思いもよらなかった。これがパラダイムシフトというやつか。
 なお、「耳トレ」を進めていたときに「方向キーに割り当てたコードの並びは役割通りになっている」といった趣旨の文章に出くわしました。
 コードに役割? これまたよく分からない言葉だ、と思い、その場は聞き流しました。
 その後も練習して、基本の基本くらいは慣れたろうと自由に弾いてみようとし、同じスピッツで取っつきやすそうなのはないかと脳内検索して、『ジュテーム?』という曲がさっぱりしているのを思い出し、それっぽい和音を当てはめていきました。
 そしてそれが、正確には別のコードが正しいのかも知れないにしろ、曲の進行に妨げがないと感じられる、くらいの大ざっぱさで弾いていったとき、1小節ごとに時計回りに進んでいくようにコードが並んでいるのを見て、この並びに意味がありそうだということにも実感が出始めてきたのでした。
 「役割」を知るまでには至っていないにしても。

 このコードとやらを自在に操ることが出来るようになったとしたら、それはとても楽しいことなのではないだろうか。
 そう思わせてくれたこのソフトに、出会えて良かったと思いました。


12/19(火)

 これはまたずいぶんと前回の日記から間が空いたものですが、
「なかなか忙しくゲームの時間が取れなかった」
「たまに遊ぶにしても『ゼルダ』の進展が牛の歩みで、瞠目すべき次のステージへたどり着けない」
「『CROSS†CHANNEL』の2周目をようやく終え、面白かったものの未だその思いが言葉まで届かない」
「一度に山ほどいろんなゲームを買ってしまい、どれに対しても公平を期すためどれも遊ばずにしまいこむ」
「かと思えば、唐突に取り組み始めたのが過去にさんざん遊んだサターン版『ダービースタリオン』であり、しかも楽しくてたまらずやめられない」
といった諸事情が重なって、今日までの更新ご無沙汰となった次第です。

 まあそれにしても『ダビスタ』は面白い。
 まだ走らぬ仔馬に注がれる素質コメントから三冠制覇を夢見て、その夢にとても厳しい現実(骨折により不出走)からやっぱり厳しい現実(一番人気でハナ差2着)まで様々な実際で応えてくれるこのゲームを、リリース時期中古市場対応ハードおかまいなく愛しています。
 配合から調教までの人事を尽くし、レースで天命を待つ。そしてほとんどは無情な天命にがっくりする間もなく1年は巡り、続々と新たな馬がやってくる。
 繰り返されつつも進む時間の中で、ひとり虚像と戯れています。とても楽しい。


12/11(月)

 『ゼルダ』をちまちま進めては離れ、合間に『CROSS†CHANNEL』を読み直す日々には、日記に書くような新奇な展開など早々は現れません。
 それでも、あれだけ明確にエンドマークを打たれたにもかかわらず読み返す気にさせるだけの魅力が、『CROSS†CHANNEL』にはあります。見落としていた記述に出会って小さく理解が深まったり、五里霧中の感覚で世界の謎に思いを巡らしたり。
 最近のブームは、主人公もその気を見せていたけれど、プレイヤーはこのゲームを確実に「攻略」しているし、そうなるように仕向けられている、という考えです。
 このゲームが道中通して一本道だと感じられたなら、なぜ一本道になるように遊べてしまったかに思いを巡らすのが良さそう。
 「攻略」とは「先へ進む」ことに他ならないのです。


12/5(火)

 酔い醒ましも含めてある程度まとまった時間が取れないと、『ゼルダ』が遊べやしないなんて、困ったものだ。
 こんな日は追悼でもしてみます。

 『6インチまいだーりん』で受けた最悪のイメージを払拭した『My Merry May』プレイ明け、このソフトを中古で購入していたことから、自分はこのゲームに関連した次回作を新品で購入することを決めました。
 それが、メーカーとしての『Ever17』、作者としての『erde』、そして作品としての『My Merry Maybe』と三分割されるとは思っていませんでしたが、まあ好きなゲームは3作祟るってやつだ(祟る?)。
 これで一応の恩返しをした気になり、『Ever17』には楽しみもした。ドリームキャストを拠点に粘ってくれていることもあり、このときのキッドに、当初のネガティブさから反転した最も強い印象が残っています。

 DC市場が事実上終結するとともに、いくつかのメーカーが一旦意識から外れました。
 そして時が経ち、ゲームの発売日欄上で再びメーカーとして意識するようになったとき、キッドは自ら廉価版を出す会社になっていました。
 他のゲームに比べて目立つ技術を使わない読み物ゲームは、最初から地味な分だけ古びるのも遅い。いつ遊ぼうが面白いものは面白い、それはこのジャンルには特に顕著に効いてきます。
 読むのを邪魔しない快適なシステムを携えていればなおさら。
 待てば安価に再登場することを予想した上で買い渋る、それがファンの心得に反するというのなら、安く出ているのを知って驚いて買いに走るようになってしまっていたこの身をどうすればいいのだろう。
 安ければ買う、それはそうながら、好んで身を落とさなくてもいいのにと思っていたのも事実。再発売は、もう新作を出す予定がないときに最も有効な、タコが自らの足を食べるような手段だと思います。

 ギャルゲー専門メーカーなのに不器用。キッドは真面目で気の毒なメーカーでした。
 ファンじゃないとか混ざった、こんな追悼文のできそこないしか供えられないところが特に気の毒(←お前が悪い)。


12/4(月)

 『ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス』に1時間連続プレイまで耐えられるようになってきました。それ以上はまだ無理。
 我慢が効かなくなってきてプレイを止め、画面から顔を背け、力なく倒れ伏す情けないさまは相変わらず。
 これは名人現象か。ゲームは一度に1時間。

 しかし、そんな朦朧とした視界にも、今回の『ゼルダ』に出てくる狼の挙措はとても愛らしく捉えられていました。
 地面を掘る仕草とか、訳の分からないやつに背中に乗られた上に好き勝手に指示されて、きっ!と振り向いて見上げる目とか。うん、特に目が印象深い。
 かわいい一辺倒ではなく、戦っている様子は獰猛ではあるけれども、そこには何かにまっすぐに向かっていく強さが宿っているようです。


12/2(土)

 儀式的にゲームキューブ本体のほこりを落としなどしながら気分を盛り上げ、ついに遊戯初日を迎えた『ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス』でしたが……準備万端整えたと思った矢先、障害は思わぬところに潜んでいました。
 酔った。もう散々の画面酔い。

 ゲーム開始直後、リンクを動かしはじめて間もないところで早くも違和感を覚え、馬に乗って移動するチュートリアルで悪寒が結実してまいりました。
 その間たったの30分。これから没入する世界が物珍しいからと周囲をぐるぐるお上りさん感覚で見回すのが、そんなに罪だったというのでしょうか。
 何とかセーブして、電源を切って、しばらく何も出来ず、ただ寝転がって気分の回復を待った次第です。1時間もかかったんだ、これが。

 例えば個人的に前回体験であった『風のタクト』のときにそれほど酔った記憶はない。同じ酔うでも己がプレイの鮮やかさに酔いしれた方だろう(←そんな記憶だってないはずだ)。
 体調不良か何かがあって、それが引き出されたんだろうか。それとも受け手の経時的な適応能力の減少、寄る年波というやつか。願わくば前者であれ。一過性のものと信じたい気持ちでいっぱいです。
 そうでないのなら、高まったこの期待感にどう対処したらいいのだろう。悲しすぎます。



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