ゲーム+α日記(2007年1月)

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1/29(月)

 『クロニクルオブダンジョンメーカー』が止まりません。

 ちょっと試しにと大ボスのいたさらに奥を進んで、4フロアを制覇した段階でふと経過時間を見れば10時間追加。
 当初からの目標が消えてしまいながら、それでもこれだけ熱中できるのは、ひとえにゲームの内容のたまものです。
 というより、今思えば大ボスは完全な折り返し地点に過ぎなかった。あのエンディングがこざっぱりしていたのは、ゲームの方針もあっただろうけれど、何よりちっとも終わっちゃいなかったところに原因があったのでしょう。

 わらわらと湧いて出る敵を一閃ではじき飛ばす「無双」的な爽快感さえ追加され、アクションが楽しさ方面に傾く。
 ときおり見つかる未知のアイテムが、ゲームを遊ぶこと自体へ向けられた正当な動機に花を添える。
 そんなとき、ゲームと正面から向かい合っている感覚があります。
 クリアによってプレイヤーを引っ張る力が弱くなったから、その先にたとえばストーリーを用意したりして牽引力を補強すべきだ、と思ったこともありました。しかし、そうする必要はなかった。
 物語で拘束せず、いつでも別れられるように思わせながら引きつけ続けるとは、偉大なゲームです。


1/27(土)

 やっと週末、というのを枕詞にしてもいいような最近の生活の中、風邪を引きかけながらも無事今週を乗り切れたのはまことにめでたく、その余勢を駆って『クロニクルオブダンジョンメーカー』でも大ボスを退治しました。
 これまでのボスと違ってどうにも小手先では対処できそうにない大技ばかりを隙なく仕掛けてくる手強さだったので、ヒットアンドアウェイの戦いは早々に諦める。
 こっちのせいじゃないんだからなオマエが悪いんだからな大人げなく攻めてくるオマエが悪いんだからな、と大人げない言い訳を自分にしながら一旦地上に戻り、準備として持てるだけの薬品を買い込みます。
 そして実戦では、相手の攻撃をかぶせられても無効にならない魔法攻撃を連発してごり押し。体力魔力が減るたびに薬で補給するドーピングプレイで押し切りました。
 我ながら見苦しい勝ちの拾いっぷりだった。いやだからこっちのせいじゃ(略)

 エピローグ的な短いやりとりがあり、予想通り簡素なスタッフ名だけのエンディングを見て、さてこれで終了、なかなか長いこと遊んだ、記録によれば40時間オーバーか、そんなにかけたと思えないほどが時間が早く過ぎ去っていく面白いゲームだった……といつまで感慨にふけり続けても、ゲームは「これでおしまい」的な表示を出してこない。
 そこは見慣れた街の光景。そして告げられたのは、これまでと同じ深さのダンジョン構築容量がこの地下には残されているとのご託宣。
 うわーどうしようか。気持ちは終わりに向けて落ち着こうとしていたのに。なまじ面白いだけにこれは贅沢な悩みです。


1/21(日)

 やっと週末であり、ここぞとばかりに全力を傾けて『クロニクルオブダンジョンメーカー』を遊ぶ。
 別に早くクリアしたいわけではありません。あえてどうしたいというなら、全力で楽しみたい。
 楽しんだかどうかは後からしか分かりませんが。今回は合格、はなまる級でした。

 何しろ限られた資源を組み合わせてくるゲームだ。仕組みを目的へと転倒させたのか、はたまた題材から発想が広がる部分もあったか。どちらにせよ、面白い関連ぶりです。
 敵のグラフィック色替え、属性変わりは当たり前として、金色の狼にビームを吐かれたときには唖然としました。意味づけから入ったら、どこの獣がビームを撃つんだ、で一蹴されるアイディアに違いありません。よく生かされたものだなあ。


1/13(土)

 クソ忙しかった日々を越えて、ゲームに没頭できる週末がとても嬉しい。
 『クロニクルオブダンジョンメーカー』が面白いから、なお嬉しいのです。

 アクションで進めるこのゲームの戦いでは、最初こそ敵もおとなしくやられてくれるけれど、次第に手の込んだ攻撃を仕掛けてくるようになる。
 そして、どうにも腹立たしい敵が山ほど現れるようになりました。その名はOTIMUSHA。どうもこのゲームのセンスは独特で、他にもNEKOMATAなんてのがいます。にゃあと鳴きながら術を飛ばしてきたり素早くひっかいたり蹴りを加えてきたりワープしたりと、これまたにぎやかしく腹立たしい敵ではありますが、今は猫又の話ではなかった。

 落武者の攻撃パターンは、こちらに向かって突きを繰り出してくるというもの。
 少しの間、刀を構えて動きが止まったら、それが攻めてくる合図。ややあって、ぐっと一歩踏み込んだダブルヒットが飛んできます。
 踏み込んで攻撃してくるので、その準備は踏み込んだら届く位置から始まります。その間合いは、威力の高い斧を使う当方からは届くか届かないかぎりぎりの距離。
 ここに、戦闘の基本ルールである「敵味方を問わず、攻撃モーション中は自由には移動できない」「攻撃モーションは攻撃が当たったら潰れる」「ただし、敵の必殺技は自分の攻撃を当てても潰れない」が絡むと、いやらしいバランスが実現します。

 1対1であればさほど苦労もしませんが、4人で徒党を組んできたりもする。このときは厄介です。敵の動きがまた巧妙で、広い部屋であればプレイヤーを囲むように横にばらけるのです。
 角度とタイミングが異なる突き攻撃が相次いで繰り出されるこの事態をどう乗り切るか。
 下手にこちらが攻めて空振りすれば、硬直中に相手の突きは確実に当たります。かといって、万全を期すために敵との距離を詰めると、敵が必殺技を放ってきたときに避けることができない。ヒットアンドアウェイの原則のためには、適度な間合いは必須なのです。
 強引なボタン連打は効かない仕組み。多方面から、こちらの攻撃の暇も与えられずにちくちくとつつかれ続けるのは、数値上も気持ちの上でも、ダメージがたまるというものです。

 きちんと横に回り込みながら、敵が多ければ退きながら、時には遠距離攻撃なんかも使ったりして、丁寧に応対していけば勝てる。それを怠ったらやられる。
 分かっていながら労を惜しんで攻めて、袋叩きに遭う。気を取り直して原則に忠実に戦い、気がつけば以前よりずっと軽傷で済ませられている。
 上達の喜びが味わえるひとときです。
 色遣いの暗さが時に敵のモーションを見誤らせ、方向キーの押し心地の固さが時に斜め移動を困難にするけれど、それも込みでの遊びだと思えるくらい、この落武者軍団との抗争では楽しんでいます。
 それにしても、そんな長時間遊んだわけでもないのに、左手の親指が痛い。悩ましいゲーム機であります。


1/7(日)

 新年の初プレイは、昨年『だんじょん商店会』との争いに敗れたまま順番待ちの座に着いていた『クロニクルオブダンジョンメーカー』で楽しんでおります。
 買って放置プレイの山を、今年は崩すよう頑張っていきたい。

 さて、その昔『ウィザードリィ』では想像によって冒険する楽しさがふくらんだものですが、こちらは創造によって冒険の枠が広げられていく……!
 とは、おとそ気分を引きずった今だからこその戯れ言。
 それはともかく、とても面白い構成のゲームです。
 ダンジョンのパーツを買ってきて、地下の入り口から徐々にダンジョンを奥へと広げていく。大きく深い迷宮の中には、やがてモンスターが棲みつくようになる。そいつらをやっつけて身につけていたアイテムを集めて売り、軍資金でさらに多くのパーツを買って……
 とやっているうちに、いつしか「放浪の大魔王」さえも入居してしまうというのです。むしろそれが狙いなのだとのこと。

 上へ建てるならともかく、地中に通路や部屋を導入できることとか、大魔王ともあろうものが放浪していることとか、そういった興味深い設定へのお話の肉付けは、どうやらない様子。
 デモムービーさえ現れず、いきなりゲームが始まるところなど、ゲームの骨格が剥き出しになっているところは、とても去年発売の品とは思えません。
 メインのダンジョンの他にあるのは一つの街のみ。この形態は奇しくも『だんじょん商店会』に似ています。
 しかしあちらと違い、物語による彩りのなさは徹底している。何しろ登場人物に名前さえ振られていないのです。そもそも設定がないのだろう。よく割り切ったものだと思います。

 作るときは直線とか曲がり角とか三叉路とかのパーツを指定し、神様気分で気軽に拡張していくのに対して、冒険者として実際に歩いてみると意外に広く感じます。そのため、自作の建家なのにちゃんと探索気分が味わえるのが面白いところです。
 他にも、迷宮構築と探索を含んだ1プレイの区切り方とか、戦闘はアクションですが適度に自力本願で行けるところなど、いろいろとうまく噛み合っていて、ゲームが楽しく進んでいきます。
 ただ、アクションについては、方向キー右下を押すとその下のアナログパッドが左下に押され、どちらのキーでも移動できるためにキャラが横方向を意図と逆に動いて被弾するときがあって、それは気になりました。
 気をつければ回避できる問題ではあるものの、夢中になって避けているときほど手元への意識がおろそかになって頻発するので参ります。しかしハードの特性ではいかんともしがたいか。
 アナログパッドの機能をオフにできればいいのに。

 しばらく本腰入れて取り組もう。エンディングがどのくらい簡素か楽しみになってきました(←ゲームを楽しめ)。


1/4(木)

 明けましておめでとうございます。

 帰省の移動中に『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(J.D.サリンジャー、村上春樹訳、白水社)を読んでいて、去年末のことを思い出していました。

 仕事で心得違いをやって怒られた。ある行動を取るための考え方が一致していない、当初の目的からずれていると指弾されたのだった。
 今考えればその通りだと思うし、実のところ、怒られている現場にいてさえ、それを納得していた。しかし、狙いがずれていたのは、他ならぬ自分自身だった。そして、言い訳めいてその理由を口にしたとき、そのずれがはっきりと示されたものだから、どうにも言い逃れできなかった。
 しかし不思議だった。あのときなぜ、おかしいとすぐに分かるような理由を口にしたのか。
 自分はそのずれた目的を前々から心に置いていたわけではなかった。正確には、最初に決めた目的のことは忘れてしまっていて、何も心に置いていなかった。
 だからなのだろうか。自分が取ろうとしていた行動の正当化として、もっともらしい理由がすぐに形作られ、口をついて出てきた、そのように感じられた。
 発言したまさにその瞬間は、その発言は自分にとって真実であり、その点では以前から確信していたのと何の違いもなかった。時間の流れを切り離してその一瞬だけから判断すれば、そうとしか見られなかった。そして、その違いは、自分と一瞬だけ交差する他人には判別しようがないはずだ。

 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』ですが、こんなにひどい心境から見える世界に延々と付き合わされることになるとは思っても見ず、これ本当に名作なのかと、最初は読みながらいらいらしていました。それがやがて一回りし、いちいちくどく念を押さなければならない主人公のことを気の毒に思えてきた頃が、物語の終わりでした。
 嘘つき坊やな彼が、嘘をつくそのときだけは「混じり気なしに本気だった」とこぼすところに、上述の事情で真実味を感じた次第です。
 それにしても、暴露編なんか用意されなくて、ちらちらと他人の発言から主人公の見られ方を明かすに留めるとは、底意地の悪いこと。
 と、ここでちらりと、ちょうど一年前に遊んだ
『シンフォニック=レイン』のことを思い出しました。あの底意地の悪さは、溜めに溜めてからだめ押しされる分かりやすいものだったなあ。

 こんな始まりですが、ゲームに少しでもつながっていきたいと思っています。
 今年もよろしくお願いします。



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