ゲーム+α日記(2007年8月)

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8/31(金)

 『アイドルマスター』では、アイドル本人の「テンション」が上がっていないと、いざ名を上げるためのテレビ出演権を賭けたオーディションでも、プロデューサーが能力を遺憾なく発揮させてあげるのが難しくなる。高得点を取るためのボタンを押すタイミングがシビアになったりするのです。
 そういうシステムの下で、テンションの低い千早に存分に歌を歌える場を設けるために、今回は合格枠の多いオーディションを多めに受けることにしました。

 上位のオーディションはほとんどが1人のみ勝ち抜けのサバイバル、しかし中にはチャンスの多いものもある。順位が下でも合格は合格、舞台で歌えることには変わりない。審査員の評判が最良でなくても、露出されればファンは増えるのです。
 ただし、敵役全員をコンピュータが務める中でその条件だと、合格に向けた緊張感がやや少ない。遊ぶなら刺激が欲しい。
 その問題は、オンラインで対人戦を多用することで補いました。定員6名のオーディションを2人の人とコンピュータで戦う。あわよくば優勝、とは思いながらもそこはプロデューサーの力不足が作用し、狙っての八百長ではなく正々堂々の戦いの末に納得の2位通過。
 そんなストーリーが展開していきました。2位にさえ届かないアクシデントもたまに含みながら。

 対人戦については、最初こそ尻込みしていたものの、こっそりオンラインで遊んでいたら乱入されたことがあり、そのときの非常な舞い上がり感と緊迫感を引っくるめて予想外に楽しかったために目覚めた次第。
 オンライン・オフラインの区別を設定できる以上、(その設定があることを知らない場合を除いて)対戦を求めないでオンラインを選んでいることはないはずで、それはまさに受け身の姿勢でいた自分の思いそのものでした。
 さらにオンライン専用戦も用意されていることから、その場で対戦を申し込んで悪いことは何もない。正確にボタンを押し合って、点数の動向を読み合って、結果に一喜一憂する。あのゲームの中で交差しているそういう一瞬一瞬は非常に貴重なものだと、今は心から思えます。

 オンライン対戦で気にかかることがあるとしたら、相手を負かすことではなく(こちらがボロ負けすることだってしょっちゅうあるのだから)、相手に負けることも込みで自分の遊び方が成り立ってしまっていることに対してです。
 圧倒的に手強い相手に打ち破られたことさえ踏み台にして、歴史が出来上がってしまう。
 ここで思い出すのが、
『ファイナルファンタジーXII』の最も印象的な台詞です。粋な空賊バルフレアが「俺はこの物語の主人公」と言い放ったような、話作りのために他人を利用している自身の傲慢さがここにあります。
 だから願わくば、お相手してくれた人も同じように傲慢であってほしいのです。わざわざ望むまでもないことであるなら、それが一番いいのだけれど。


8/28(火)

 千早は才能があるから、プロデューサーが多少テンポを外そうが戦術を間違えようが大丈夫、安心して見ていて下さい。
 ただしそのためにはレッスンして鍛えてね。
 そういう位置づけのキャラなのだろうと、『アイドルマスター』で千早と共に進めていくうちに思ってきました。
 彼女の「テンション」(やる気みたいなもの)がちょっとした挨拶の食い違いでがくんと下がるのも、テンションが低いほどレッスンに熱が入るという、よく考えればおかしな仕様の体現者であるとすれば納得できる。
 まあ彼女だって歌を多くの人に聞いてもらいたいと口にしているので、解釈に食い違いはあるのですが、いろんなアイドルからのどんなやんちゃメールも「親しみの表れ」と受け取ってしまう、底抜けに大らかなこのプロデューサーに倣って、細かいことは気にしないことにしましょう。

 そんな千早が受け持つ恋の歌がかわいらしいことに、選んで聴いて驚きました。
 歌のポテンシャルが、きちんと歌われたことによって開花したような印象。「My Best Friend」というむずがゆい曲がありますが、これを歌いこなしている様子にしびれました。実にすんなりと耳に入ってくるのです(そういう心境もどうかと思うが)。
 全くこの曲に似つかわしくない厳しい設定を、千早は与えられているというのに。それぞれの曲のイメージにキャラがどのように合わせていくかを見るのは、このゲームの大きな楽しみです。


8/26(日)

 いかにそりが合わなかろうと、アイドルには向いてないんじゃなかろうかとの思いを表に出してしまおうと、一定の成功には導くのが務め。
 『アイドルマスター』律子プロデュースは、そのようにしっくりこないまま終了しました。
 しかしながらこれは「このプロデューサーは律子に向いてない」ことの裏返し。コミュニケーションは常に互いの問題です。別れが必定のこの世界では、すっきりとしてある意味良かったのかも知れません。

 それでもどこかしらもやもやを抱えていたのは事実。それをより増幅させたのが、次の担当に選んだ千早でした。
 プロデューサーは頑張らなくていい、やるのは私だけと彼女は言います。でも、オーディションは自分の戦術が裏目に出たら負けるので、頑張らないわけにはいかない。
 いや、もしかして勝ち負けは彼女にとってどうでもいいことなのか? 確かに、孤高の歌い手を目指すなら、ファン数も知名度も関心の外だろう。きちんと話をして、理解を深めておきたい。
 曖昧な文脈の中で5秒以内に会話の接ぎ穂を探していくのって、選択肢の意味を理解するだけで精一杯なんだよなあ。それはそれで後では二度と味わえない楽しさだと思っているけれど、こういうときはもどかしくなります。
 ウェットで分かりやすかった雪歩が懐かしい。


8/22(水)

 『オブリビオン』の序盤で登場し、なし崩し的に巻き込まれて苦労しながら抜けた、そして世界中の多くの人々が不安げにその出現を噂に語っている、諸悪の根元っぽい現世と魔界とをつなぐバイパス、オブリビオンの門。
 一つ現れただけで多大な被害をもたらして大騒ぎに陥れたその門が、まさかみんなの言うように、本当に各地に出現しているとは、この目で確かめるまで思いもしませんでした。

 さしたる用もないまま地下道を抜けた地上の遙か遠くに初めて、見覚えのある、でもそこにあるはずのないあの門構えを見つけたときの衝撃。
 彼方からも紅蓮の炎に光ってはっきり視認でき、近づけばそれまでの青空がいきなり赤黒く不吉に変わる演出ぶり。これとて魔界的には上天気なのかも知れません。本日も荒天なり。
 門からちょろちょろはみ出た敵は、かつて苦戦を強いられた間柄で、それらを遠隔攻撃主体ながら問題なく倒せるようになっていたのに気づいたのは嬉しかったけれど、調子に乗って突撃してみたら屈強な敵たちに出迎えられて、命からがら退散。

 どうも敵が強すぎる印象です。正面から立ち向かっては勝ち目がない。そこでパワーアップを果たすべく、世界漫遊の旅に出ることにしました。この危機の中を。
 折々の街で呪文を買って身につける。戦利品は価格そのものではなく、価格を重量で割った値こそが重要であるというこの世界の価値観を染みこませて貯めたお金を、今こそ使うときだ。
 また、旅の過程で幾度となく殺された末に、強敵・クマと戦う術を身につけました。全力で後退しながら最弱攻撃呪文をぶつけ続けるというその戦法は、時間はかかるし狭いところでは通用しないしと、逆にこれでしか勝てないのではという恐れに陥り、自信喪失につながった次第です。
 魔法の源も豊かではない、剣技も冴えない中途半端なこの状態で、どうすればいいのだろう。打開策は用意されていると信じますが、試行錯誤は必要なようです。
 この世界の中心地「帝都」でキノコ狩りをしながら対策を考えます。それにしてもこの都は、どうしてこんなにもキノコが育ちやすいのだろうか(←考えがあさっての方向へ)。


8/18(土)

 一人のイベントが集中して見られる分、デュオやトリオよりもソロプレイの方がずっと楽しい。
 組ませて踊りを観賞したりパートに手を入れたりするのは、上級の楽しみだったのだなあ。まずは手近にあるイベントからだ。
 『アイドルマスター』やよいプレイの過程でそう悟り、トリオを休眠状態にして各個撃破へ走ることにしました。
 メンバー重複のソロプレイはできないので、いずれこの組でもクリアしておかないといけないのだけれども。一人のプロデューサーが多くを面倒見過ぎてどれかが活動休止になる現象を再現しているのだろうか(行動原理が違う)。

 そんなことで、臆病娘・雪歩(ゆきほ)でクリア。会話の「正解」のわかりやすさに感激し、終始スムーズに進めることができました。めでたく、最終目的のドーム公演を成功させて終了。この子も初心者向きなのかな。
 そして一方、激烈に上級者向けと思われるのが、次に迎えた理知的メガネっ娘・律子。伊織など目じゃない角のある発言に、テンションが下がりまくりです。プレイする側の、ですが。
 彼女とは一度、徹底的に喧嘩した方がいいかも知れない。雨降って地固まるようなきっかけが欲しくて不調に喘ぐ、律子のボンクラプロデューサーがここにいます。何だこいつは!

 ところで、『アイドルマスター』ではアイドルの基本スペックを「ボーカル」「ビジュアル」「ダンス」に分けているけれども、これをゲームそのものおよびそれを取り巻く環境に当てはめてみよう。
 まず、このゲームに普通に売られている値段では済まない気合いがこもっていることを認める。
 続いて、ゲーム本編が代表している要素を想像する。画面内であらゆる角度からのモーションに備え、各曲に対応した踊りを披露してくれる、そういうメディアはひとまず他にない。ゲームの中には一通り揃っているとはいえ、これを「ダンス」で代表させてもいいだろう。
 では「ボーカル」は。これはCDやラジオドラマみたいな聴きものが相当する。多種多様な商品があるようで、それは事前の10人×16曲×3人重ね合わせという恐るべき仕込みの成果として享受できるものと言える。
 そして「ビジュアル」は、ゲーム中でキャラが着込む衣裳や身につける小物類のダウンロード販売と捉えるのが適当か。普通に遊んでいては決して手に入らない、ゲーム的には不要ながら人目を引く数々の衣類や小道具。同じアイテムでも各キャラで見え方も変わっているらしい。
 最後に、この3つの要素はゲーム中では流行廃りはあっても平等に扱われている。

 長々しい前提終わり。
 要するに、このゲーム関連にあといくらお金を掛けてもいいものだろうか、それを算出する手がかりはないものだろうか、と考え出し、ゲーム単体の3倍まではいいんじゃないだろうか? と結論づけるまでの理屈づけでした。
 分かっております。もし一旦その気になってしまったとき、そのような計算は全く無力であることを。今はまだ抑止されている。その縛りに亀裂を、こんなふうに意識的に入れなくてもいいんじゃないかと危惧しているのだけれど、果たして止まるものかどうか……


8/15(水)

 『アイドルマスター』のアイドルランクを、かなり売れっ子扱いされているにも関わらずC級のB級のとバカにしていたら、前回のデュオプレイで途中から補助役に回ったやよいからは、Cどころではなく、こともあろうにZなどという厳しい評価を食らっていたのでした。
 あの流れではやよいに不満があったのは間違いあるまいし、あるいはこれはデュオ・トリオのメンバーが一画面内で隣に並んでいても常にやりとりは1対1で他はのけ者という妥協の産物的なシステムからすれば仕組まれた不遇なのかも知れない、とも思えるけれども、アルファベットの末尾を使ってのどん底級の抗議に引っかかっていたのは事実。
 ということで、厄介トリオを中断し、やよいをソロに指名して2周連れ添ってみました。
 所要時間は、えーと延べ丸一日くらい? まあよくやったもんだ。

 その過程ではいろいろと書きたいことがふくれあがっていたのだけれど、さてひとまずプレイを終えた今になって、不思議と頭の中にあまり残っていません。
 これもシステムからは考えられていないはずのアルバムへの言及が、ゲーム中の選択式イベントのそこかしこに登場していて感心したとか、やよいは保護者扱いを求めてきて公私混同に悩まされてずるいとか、ゲームを進めていくとファンからの贈り物という形で服や小物が増えていき、途中でセットが揃ったりもするので、揃った段階でそのときのキャラがまとめて身につけることが多くなって、そのキャラの持ち物的な意識が生まれるのは面白いとか、オーディションで相手の途中経過が見えないのはネットワークといっても即時応答しなくていいし読み合いの面白さが生まれるしでいいことばっかりだとか……

 まとまりません。断片がそのまま浮いている。
 まるでアイドルとプロデューサーの朝の挨拶のようです。三択の正解・不正解はなんとランダムで決定されるらしく、正反対の対応をされても同じようにゲームが進行するためには、選択肢の内容がその後に影響してはならない。
 それって文意がまったく通じなくても構わないというわけで、ずーっとそれに触れ続けていたら、意味づけに鈍感になってきても仕方ないのかも知れないと、まだ僅かに残る理由探しの力で思いました。


8/12(日)

 アイテムの種類を山ほど用意しておいても、なまじコンプリートに報酬なんか考えると、全て取り尽そうと努力させてしまうかも知れない。
 アイテムの重要度なんてその都度変わる。必要なときに取ればいいのだ。欲張らないこと。
 というメッセージかどうか分かりませんが、『オブリビオン』では無駄としか思えない多種多様なアイテムがあって、あれもこれもと片っ端から持ち運ぶ気をなくさせます。
 だってどれも生活必需品ばかりなのだから。大事な使命を抱えている今、畑仕事やら夜なべやらに使いそうな道具を担いでいたって仕方ない。
 各アイテムには「重量」が設定されていて、キャラが耐えられる以上は持ち運べない、というシステムと合わせて、取捨選択が求められます。
 手元に置いておきたがりの自分にはやや辛い仕様。しかしながら最終的には持っていなくてもいいやと諦める。ゲームに説得されてしまいました。

 もちろん対抗策はある程度あって、できるだけ武具を軽くして、重量の空きを他のアイテムに割り当てています。
 だから「重装備」よりは「軽装備」が好み。さらに、重さの概念がない魔法に頼る度合いが高まる。その一方でも斬り合いの醍醐味は味わいたいので片手剣くらいは所持。
 ……といった具合にプレイの方向性を今になって自覚したのではもう遅いのですが、こういう想像をもっと早め、ゲーム開始直後のチュートリアルの段階で逞しくしたとき、このゲームの「クラス」の仕組みはその想像によく応えてくれます。
 21種類の既定のクラス、さらに求めるならもっと細分化することも可能。キャラメイキングの最初にこう知らされたとき、なんてめんどくさい手法を取ったものかと取っつきにくく感じました。それぞれのクラスに対応した成長路線がずっと敷設されているのだと勘違いしたのです。21種類のクラスに一見職業のような名前がついているからなおさら。
 そうではなかった。この「クラス」は「気質」だと思えば良かったのです。

 チュートリアルの最中は、主人公にクラスはありません。白紙の身でこの地に降り立った、いわばただのエキストラです。教習が終わってクラスが与えられるのは、世界の一員として認められた証。きっと、ここで最初の実績がもらえるのもそのためでしょう。
 クラス決定時に、ほんの最初のプレイスタイルから一つが、ゲーム側からもっともらしそうに提示されます。それが、少しの間行動を共にした他人から見たプレイヤーの気質。
 それらは、あたかも公務員から生真面目さが導かれるような、職業に例えられた性格なのですね。そして、自分はそうじゃないと思えば、違う気質を自己申告もできる。
 旅立ちのあのとき、おまえは僧兵っぽいな、と呼びかけられたのですが、僧兵のうちわけ(弓に強いとか素手で戦いやすいとか)を眺めて、どうも違和感を覚え、処刑人だと訂正した次第です。

 荷物の重量制限に絡めて、そんなことを思い出しました。
 処刑人気質といえば通じる世界というのは、なかなか面白いものです。


8/9(木)

 『アイドルマスター』2周目は、ラストコンサートであえなく失敗、討ち死に終了となりました。

 少し前の自身の思いを振り返らずにはいられない2周目の、というよりあずさ中心のプレイでした。
 
このようなことを口にしていたところに触れたあずさの気持ち。それは先方が与り知らないことだからこそ、この上ない意趣返しとして襲いかかってきたのです。
 あずさに悪いところなんてなにもない。今思えば、失敗が必然だったと解釈できるような、笑ってしまうほどの己の浅はかさでした。
 その時点で分かることもできたはずなのに、デュオなんだからもう一人のメンバーであるやよいに目を掛けることだってできたはずなのに、どうして、吸い寄せられるようにそちらに向かっていったのだろうね。なにか夢でも見てしまったのでしょう。あずささんのその動きが、俺に夢を見させたんだ!(はいはいもう済んだんだから引きずらない)

 ところで、今回はリセット繰り返しで順調に進んでいったから余計に、1年経って突然の活動停止という扱いはなかなか納得できない。それはもう、宣告されたアイドルのショックは実によく分かります。
 だから次は、まあこれだけ頑張ってその程度なら解散でもやむを得ないか、と思える流れを作りたい。
 手を抜くのではありません。できる範囲で努力して、それでも叶わない望みがある。そういう、プロデューサーの実力の限界を感じるようなシナリオを築いていこう。
 ということで、ちょうどトリオも組めるようになったことだし、見た目(パラメータではなく)で最も手を焼きそうな方から3名選出、そしてリセットなしで過ごしてみようと思います。
 てんやわんやでうまくいかないいらだたしさをどれくらい楽しめるか、プロデューサーの度量が問われます。ほら、効果てきめん。表裏持ちの伊織嬢の手のひらを返す言動に、さっそく腹が立ちました!(←喜んでいるのか)

 それにしても、導入以来主役の座を譲る気配のないXbox360は、全くお薦めできるハードではありません。
 ゲーム漬けにならずにいられない。どのゲームも、本気で取り組んだところで、目に見える範囲でさえ、作りが大きすぎて組み尽くせる気がしない。やりかけのゲームに食いつかれている中で、今このハードが故障したらと想像するのが恐ろしい。
 ん、Xbox360が、というのではないか。それを元にした作り手がみんな気張りすぎに思えます。罪作りなことだなあ。


8/6(月)

 さて、『アイドルマスター』第2ラウンドに入ったところ、2名を組ませたユニットを扱えるようになったとのこと。
 せっかくだから挑戦しようと思い、まずは『GAME SIDE』8月号に別コーナーで2度登場していた(特に「ゲーム日本史」という各年代をフィーチャーしたゲームを紹介するコーナーで、無理矢理ねじ込まれた「やよい時代」のページは、フォントをゲームそっくりに合わせた凝り方ともども最高でした)のが印象に残っていたことから、元気娘・やよいを選択。
 そこに、お姉ちゃんがいた方が心強かろうとの思いやりから、候補生最年長のお色気担当(?)、あずさを組ませてプロデュースを試みました。

 しかし、勝てない……これは勝てないよ……
 全く異なる歌を選んでいるから一概に比べられないと言っても、ピンで戦っていた前回の春香がどれだけ舞台で強い魅力を放っていたかを、改めて思い知らされることになりました。
 はつらつさと色香、それぞれの特徴が束になっても、舞台でのどんなツーショットも正統派アイドルを捉えた一枚に及ばない。
 結局記念にと写真を残しはしましたが、どれを捨てるか、断腸の思いでした。

 もっとも、束になった「から」上回れなかったとも言えます。
 二人の特色は足して伸びる方向へは向いておらず、むしろ足を引っ張り合う逆ベクトルの合わなさを露呈。プロデューサーの見識が足らず、反省しきりです。
 13歳のパワフルさを生かした元気ソングを丁寧に歌いこなす7歳年上のあずさが「うたのおねえさん」的で面白かったのは意外な収穫でしたが、あずさ寄りの歌で同等の歌唱力をやよいに求めるのは酷だった。
 自然とその手の選曲ではメインをあずさに委ね、バックダンサーを務めるけなげなやよいです。

 ついでに、デュオというのは半端な位置づけで、ソロで臨むよりファンは獲得しやすくてもそのうち出てくるだろうトリオには及ばず、踊りでも明らかに一人分の空白があるのが目立って「ああこれは一人欠けている舞台なんだなあ」と寂しさを覚え(最初から一人なら気にならなかったのに)、かつ個々のイベントは分割されつまみ食い状態、と、過渡的な立場の自分を意識せざるを得ませんでした。
 それがつかみ切れていない段階で、よしこれで今度こそトップをとの思いが募るあまり、ついに禁じ手のリセット連打に手を染める始末。
 ひたぶるな(プロデューサーの)努力により、この凸凹コンビが偽りの連勝街道をひた走り、幻の人気を築き上げます。ついにA級アイドルだ。
 それでも、まだその先にあるのだろう本当の頂上へは届きそうにありません。厳しいゲームだなあ。

 デュオで遊ぶのは、オーディションの追加ルールである「3種の要素へ細かく点を振り分けるための連続アピール」と、ごほうび舞台での追加要素であるメンバーへの歌詞割り振りやカメラ演出を学ぶように、とのお達しと受け取っています。
 だんだんシステムの説明を端折るようになってきました。あまり一度に多くのことを言おうとしてはいけない。ただ、情報量が多すぎて、一列に並べきれないのです。
 要素が断片であふれ出てきて、次の更新の時には消えてしまうかも知れない。一応書き付けておけば、後で拾って再利用することもあるでしょう。メモ書きで満足して終わるかも知れませんが。

 まあしかし面白いゲームだ。身が持たなくなりそうなくらいです(←意地張ってやり直しすぎで精根尽きた)。


8/4(土)

 『アイドルマスター』初回プレイは、春香のアイドルランクがもう一歩先、Bに上がったところで時間切れ。
 幕引きに至るにもなかなか盛り上がり(B級ゆえに最後の舞台を最大のドームにせず、難易度が落ち、それでもぎりぎりの成功、など)、幾分かの無念は残しつつ適度にさっぱりしたお別れで、さっそく次のプロデュース活動に取りかかりたいと思わされました。
 ところで、対象が変わっても、オーディション合格後のステージの写真やビデオは持てる最大数が固定で、前のを捨てなければならない。これは何ごとか?
 私の帰りのハードディスクには、写真の5枚やビデオの1本、何の苦もなく収められる隙間が空いてます。1年間付き添ったアイドルとのお別れの際には、記念に持ち帰らせて下さい、頼むから。

 ところで、アイドルたちの表情の変化に一喜一憂する(プロデューサーが。プレイヤーはほとんど喜んでしかいない気がしますが)『アイドルマスター』だけれど、表情の変化を読み取ってゲームを有利に進めていくフィーチャーとくれば、『オブリビオン』が黙っちゃいません。
 『オブリビオン』を始めるに当たって、主人公の顔の作りを、目の位置やら頬のこけ方やらアゴの割れ方やら眉の寄り方やら、ずいぶん細かく決めました。
 それらは、少なくとも今のところ自分視点でばかり進めるこのゲームでは、さっぱり反映されません。自身の顔は見えない。鏡があった覚えもないし。
 しかしながら、いろいろなパーツをいじれることを利用して、ミニゲームが用意されているのでした。

 主人公に対して友好的でない人物と相対し、商売なり情報収集なりを有効に進めたいとき、このミニゲームに取り組むことができます。
 味気なくこのミニゲームを説明すると、++、+、−、−−の4つに影響度の重みをできるだけ素早く決めて掛け算を行い、算出した4つの値を合計して高いほど得、というゲームです。
 その正負の符号に、表情が割り当てられているのです。+が微笑み、−が怒り。ここで、面相決定時に登場した顔の各パーツが自在に動いて、同じ人が感情を剥き出しにしてきます。

 きっとこれは、いろんな表情をリアルに表現したい思いが先にあって、それが実現した後でくっつけられたシステムなのでしょう。
 それを「ミニゲーム」なんて呼ばないで、世界の一つのルールに納めているのが、このゲームの懐の深さです。
 語りかけて感情を揺り動かす要因に「賞讃」「冗談」「脅迫」「自慢」の4種類を選び、各人がそれぞれに対する好みの正負を持ち、各要因を用いた語りかけの熱意を重みで表す。脅したりすかしたりと、一度に全ての要因を使い切らなければならず、聞き入れられる影響度もなかなか思い通りにはならない。
 『オブリビオン』の世界でこの行為は「説得」と呼ばれています。
 その定義に納得してしまうのです。なるほど。


8/1(水)

 『オブリビオン』のように描き込まれた景色であってさえ、その中に有用なものを見つけようとしたら、結局は記号に頼る。
 かなりの部分まで、例えば道ばたの草木がただの雑草なのか摘んだら薬の元になる素材なのかが見分けられるまで作られており、絵の力はこれまで遊んだロールプレイングゲームに類を見ず強いものなのだけれど、それでも最終的には白い手(ボタンを押せば手に入れられるアイテムの印)やら赤い手(手に入れられるけど犯罪行為と見なされるから後で覚悟しておけの印)やらのアイコンが判断の手助けをしてくれます。
 見るのに疲れたなら、アイコンに頼るのがいい。

 そこへ行くと、全てを見続けて観賞することが楽しく、つまりそれを求められる『アイドルマスター』のライブ画面は本当に目の毒だ。
 「オーディション」と定義づけられた、持ち歌のリズムと競争相手の動向に合わせたアクションゲームを首尾良く抜けると、そのアイドルにはテレビ出演のご褒美が与えられます。
 歌番組であるところのそのコーナーは、一曲を丸ごと歌って踊っての独占舞台。そこでは、絶えずシフトしあるいは切り替わるカメラアングルが、我らがアイドルを一心に映し出します。
 そこでプロデューサーがするのは、何よりも「見る」こと。

 アピール(きらきらした光・音とともにアイドルが超アップになり、ポーズを決めたり投げキッスしたりで彼女はカメラに応える)や写真撮影(取り溜めできず捨てなければいけないのが信じられない)もあるけれど、ここで披露されるいちいちの動きに魅せられ、画面に釘付けになります。写真撮影の枠も邪魔になって、消してしまうくらいに。
 最初に見たときからじわじわと、どの角度から見ても破綻なく動く女の子たちに驚きが増していくのを実感しています。
 特に目。ぱっちり大きな目が、マンガ的な中にもさらにコミカルなあの「目を閉じてにっこり笑う」表現にスムーズに移行するさまに直撃されています。にこにこするときに目を閉じるなんてアニメの中にしかないはずなのに、それが、他にはまあ現実にあるかもしれない表情に入り交じっているのがおかしくて仕方ない。片時も目が離せません。
 まあ、これをギャップと思って楽しんでいるのは、アニメをほぼ見たことがない不勉強から来るのだろうけれども。

 そんなオンステージを見たさに、今日もオーディションに励みます。
 ようやくアイドルランクCへ昇格。しかし誰もが感慨深げであっても、「C級アイドル」だと残念感ばかりが募る。もう一歩上に……行けるのか? かなり厳しそうです。



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