ゲーム+α日記(2009年11月)

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11/27(金)

 音楽をシステムに取り入れたゲーム、それも新規タイトルなら触れていきたいと意気込んで、XboxLIVEアーケードから『0D Beat Drop』をダウンロードしてきました。
 一言で表しがたいタイトルだったので、いつも以上にまとまりなく。

 かつて、同じ出自の『EVERY EXTEND EXTRA EXTREME』を遊びました。
 自爆して敵を倒すリスクと連鎖のリターンという原作からリスクを取り除いて音楽が与えられるという変更がなされていて、原作の視点からは問題作であった一方、プレイ時間に制限が設けられたモードでは独自のルールがうまいこと噛み合って楽しく遊べたものです。
 今回の『0D Beat Drop』は、『EVERY EXTEND EXTRA EXTREME』の音楽関連システムを基本はそのまま、もう少し洗練させて、シンプルな落ちものパズルゲームに乗せたものです。
 このパズルのルーツはちょっと思い当たらないですが、「リズムをうまく取らないとブロックが消えない」今回のようなルールがない限り、落とした端から消えてしまい、ゲームにならないと思われます。パズル単体としてはそれくらい広く浅い。
 だから、消すことに関する障害を音楽の側に求めたのは、うまいこと組み合わせたと感じました。同期を取らないことをでブロックを消さずにすむから、大量消しなり連鎖なりを組む余地ができる。一人プレイも対戦相手は多くないネット対戦も、なかなか楽しい時間を過ごしました。

 ただ、どこかおかしいのです。
 生き延びることが目的なら、延々と緊張感なく遊び続けられる。これは『EVERY EXTEND EXTRA EXTREME』でもそうで、恐らく音楽に浸ることを主な目的にしたかったからだと想像します。
 一方、音楽代表の形でリズムがゲームに参加していますが、それに合わせようとして失敗するとゲームは死ぬ方向へ進む。つまり、リズムを取ることがゲームを終わらせるきっかけになっている。音楽であるために、リズムは不可欠なのに。
 終わりがあるから、その終わりを引き延ばすために頑張って、ゲームはその過程が楽しいと思っています。で、このゲームでリズムを取るのはゲームが終わるリスクを引き受けることですが、それって音楽の中にたゆたい続けさせようとする意図とは正反対に働いているんじゃないだろうか。
 『EVERY EXTEND EXTRA EXTREME』もこの『0D Beat Drop』も、作る側と遊ぶ側の意識が逆方向に綱引きをしていて、そのバランスの狭間に面白さが見出されているのを、ゲーム自体の面白さと勘違いしそうだ。
 1/20のビートの刻みに集中したひとときを経て、そんなことを思いました。



11/22(日)

 『ナムコミュージアム バーチャルアーケード』のLiveアーケード部門プレイも終盤、最後に残ったのは現代調変形ギャラガこと『Galaga Legions』でした。
 体験版を以前に遊んで、どうにもしっくり来なくて見送っていたのだけれど、改めて遊んでみてもピンと来ない。
 山ほど出る敵に押されて行き場を失い、または猛スピードで突然襲来する敵に逃げる間もなく、体当たりをかまされて死亡。いかにも「覚えて突破してくれ」と言わんばかりのシチュエーションに、わだかまりを感じていました。

 その思いは、タイトルへの固定観念を外すことで解消できたように思います。
 ギャラガの名を冠しているから、てっきりシューティングだと思い込んでいた。しかしこれはパズルゲームと捉えた方が馴染む。
 思えば、プレイ前のモード選択で唯一選べるのが、ショットを自動で常に撃ち続けさせるか手動で撃ちたいときを選ぶか、というもの。そんな選択、シューティングなら問わない。
 撃ち続けることは前提として、それでどれだけ敵の大軍をしのげるかも計算に入れて、自機の位置取りで敵を誘導し、またそれと関連してこのゲーム独自の切り離しオプション「サテリテ」をどこに・どの向きに配置するかに集中する。
 それが重要で、ショットを気にせずそれに専念する方が遊びやすいことを仄めかすために、この自動ショット「オートファイア」モードがあるのだと思われます。
 少なくとも全ステージクリアまでは、これで全く支障がない。「撃つ」ことを、逆に言えば「撃たない」ことを選ぶのは主にその先、敵をまとめて倒すなどして高得点を狙いたいときです。
 パズル視することの何よりの利点は、シューティング扱いで、つまりショットで切り抜けようとするよりも、配置次第で進行がだいぶ楽になること。覚えるべき事柄が減るのです。
 全て覚えればクリアできるのは当たり前、いかに覚える負荷を減らすかが大事、との思いを信条にしておりますが、これはその方向性に沿った方針転換なのでした。

 自機をいじって敵の動きを制御させるのと同レベルの優先度で、プレイヤーのプレイへの誘導にも力を入れてあれば良かったのに、と感じました。
 そういうところでこそ実績の設定に頼っていいところで、「オートファイアモードでサテリテで敵を1ステージ内に○体撃墜」とか「敵の軌跡上にサテリテを○回設置」くらい露骨でも良かったんじゃないだろうか。
 一方に「サテリテを1ステージ内で一度も使わない」という条件があり、これによって衛星オプションで自機を守るときの強さが測れるのだから、守備と対になるように攻撃に対しても教育を施せば、うまいことバランスが取れていいと思う。
 あとは、各ステージ単体でプレイする「チャンピオンシップ」モードを「練習」モードくらい敷居を下げて呼んであげたい。ゲーム自体の難しさが変わらなくても、取っかかりにはなってくれるでしょう。
 いや、シューティングだとまだ信じていた頃、オートファイアを選ぶのに気持ちの抵抗がとても強かったもので、ついゲームに愚痴ってしまいました。撃つのを担当してもらうことへのメンツが気になるなんて、器の小さいことだ。



11/18(水)

 画面下に向かって掘り進んでいくポップなアクションゲーム『Mr.DRILLER Online』にて、「このエリアでは決して死なないように」「このエリアではアイテムを使わないように」などの指示が出るたびに、「ホームランを打て」とサインを送る野球の監督を思い浮かべます。
 より長く生き延びられるように導入されているアイテムなのに使うなとか、言われるまでもなく生き延びるのを目指して頑張っているのに一度死んだらゲームオーバーになるよう制限を強めるとか、負荷のかけ方が一本調子で下手っぴだと思う。
 『ミスタードリラー』は楽しいゲームだけれど、この「クエストモード」は一度触ったら十分な感じです。

 依然続く大忙し期間のなか、『ナムコミュージアム バーチャルアーケード』所収のゲームで細々と遊んでいます。



11/10(火)

 今月はとりわけ忙しい、だからせめて手短に終われるゲームをたくさん遊ぼう!
 ということで、
『ナムコミュージアム バーチャルアーケード』を買い、最も楽しみにしていた『ドラゴンスピリット』を遊んだところ、1面も突破できずに全滅と相成り、ある意味望み通りに1プレイを終えられた次第です。
 そんなことを望むもんじゃなかった。ゲームは一本一本と向かい合って、納得できるまで遊ぼう。

 そんな反省を込めて、Liveアーケードで配信済み、かつXbox360では未プレイのタイトルを順にこなしていく。
 「納得できる」の基準が、これら再収録品にのみ設定されている実績の解除、と解釈しているあたりにも違和感はあるけれど、それによって通り一遍以上に遊ぶのも事実。
 ゲーマースコア(実績解除によってもらえる点数)の総計が内容を伴わずただ増えるのは恥ずかしい思いがあり、何とかして固有の思い出をそれぞれに付加していきたい。
 例えば、『ニューラリーX』の「全景を把握できないのにそのことを敵の挙動が分かっていないっぽい『パックマン』」ぶりがもたらすイライラ感を噛みしめたり、とか。『パックマン』と続けて遊んだ今回のような機会で、そのことがより強く実感できたと思います。



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