ゲーム+α日記(2010年4月)

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4/25(日)

 難しい曲となると親の仇とでもいうように刻みの細かい音符が降ってくるので、耐久試験でもしているようにひたすらガチャガチャとギターコントローラーのストラムバー(弦に見立ててはじく棒)を上下させています。
 左手のボタン群の効きの方が、接触不良気味で厳しくなってきているのに対して、こちらのバーは意外と長持ち。一通り全曲は演奏する、くらいの履歴で、もう9作も生き長らえています。
 数え上げてみれば、ギターヒーローシリーズが3、2、World Tour(4に相当)、Aerosmith、Metallicaの順、その間にRock Bandシリーズ(ギターヒーローシリーズを作ったメンバーが別会社で出しているソフト。ほぼ同様の操作で遊べる)からThe Beatles、無印(1)、LEGO、が適宜挟まって、今回の『Smash Hits』と。
 ひどい遊び散らしようです。何がひどいって、この日記に出てきていないタイトルが多いこと。文章が生まれないような遊び方は気が入っていない。「楽しみながら洋楽、というか未知の楽曲に親しむ」というくくりでまとめられてしまうからとはいえ、何かあるだろう。
 コントローラーがいつ壊れた、そんな思い出で初めて登場するのだとしたら、ちょっと各タイトルが気の毒です。しかも現状は「まだ壊れていない」ことで名前がちらっと出る程度だなんて、なおさら。まるでコントローラーが主役のようで、主客が転倒しています。

 そんな中、あえて書き出すなら、Queenっていうのは偉大なんだろうなあ、ということでした。
 いや、予備知識がないのはいつものこととしても、これまでのように、どこかで耳にした曲だったから、なんて自分基準からではありません。上記の中にQueenに特化したタイトルがあるわけじゃないのに、専用の実績やモードがくっついていることが多いのが目を引くのです。
 『Smash Hits』と『Metallica』では「うまく歌えたで賞」的なもの、『LEGO』に至っては、通常1バンド1曲なのに2曲入っていて、しかもその2曲がセットになったイベントがあって、さらに2曲目を終えると確かアンコールでもう一度1曲目が流れるという好待遇ぶり。

 ……えー、これは「このようなやり方でしか偉大さを理解できないひとがいる」ことを示すに過ぎないですね。蛇足だとは思いますが補足しとこう。
 あと、上述の『LEGO』こと
『LEGO Rock Band』は、曲をこなしていくとこれまで手に入っていた楽器やツアー用の乗り物やスタッフなどのご褒美がみんなレゴブロックで出来ているという設定の、コンセプトの外しっぷりで『Smash Hits』と肩を並べる一本で、使われている楽曲はともかく、こういうのがリリースされたくらい海外の音楽ゲームは盛り上がっていたんだなあ、と数年後に語られるものになりそうです(と、多くを今語れないことの無力さを先送りしてごまかす)。



4/18(日)

 ゲームは、見て聞いて操作してといろんな感覚を使って楽しむもので、それらはゲームが動く装置やコントローラーに大きく左右される。
 だから以前の体験の再現を狙おうとしても完全になんて初めから出来ない相談で、そうしようと思うなら現物に当たるべきだ。
 装置を変えてコンテンツを持ってくるならそれに仕様を合わせればよくて、その変更要素が豪華ならリメイク、最低限以下なら移植という感じになるだろう。

 また、装置を変えないで同じコンテンツを二度売りするなら、二度目は値段を下げるのが、再生産が楽になってきた光学メディアを使うようになってからの伝統で、ゲームの分野だったら「ベスト版」は「廉価版」と同義。
 機械が進化する関係で体験に鮮度がつきまとってしまうから、価値が下がると判断される。そのへんが、進歩とあまり関わってこなかった音楽との売り方の違いなんじゃないかと思う。

 いや、どうせボロが出るんだから話を広げるつもりじゃなかったのに、書いてるうちにあらぬ方向へ行きかける。
 肝心なのは、音楽ゲームはゲームの一員であることがよりはっきりと自覚されたことで、そのきっかけを作ったのが
『Guitar Hero: Smash Hits』だった、ということなのです。
 それまでにリリースされたギターヒーローシリーズから曲をピックアップしてひとまとめ、あら贅沢な構成、だからこれまでのと同じ値段で買ってね、というアピールを目にしたとき、その発想がまるで理解できなかったのですが、同様だったらしい販売側がバーゲンセールをやってくれたのを受けて遊んでみるまでは、それについて突っ込んで考えてみようとはしなかった。
 音楽のように売ろうとしていたのですね。
 これが「このハードじゃ遊べない旧作を、前にはなかった歌パートやドラムパートをつけて、ネット対応まで果たしてリメイク!」だったら、すとんと腑に落ちた。そうだったら全曲収録が求められて、それが無理なら売価に反映されるべきだという問題は出るかと思いますが、そういうゲームっぽい売り方だったら、方針が了解できる分、あるいはもっと早くにプレイしていたかも知れないのに。
 プレイにたどり着く前のコンセプトの段階で大幅に減点された補正込みかもしれないにしろ、楽しく遊べており、実際は上記のような内容(曲は削られているけれど)だから、とてももったいないと思います。
 対戦でも合奏でもネット上の出会いがさっぱりないあたり、特に。みんな本編に行ってしまっているのだろうけれども。

 リンク先が商品名からして違うあたり、あるいはメーカーもあんまりやる気なかったのか。それが表に出てはまずいだろうと思いますが。これ公式サイトだよな。



4/14(水)

 両者がジャンル分けされるとはとても思えないほどにFPSとTPSの違いが分からないシューター初級者の当方ですが、『EAT LEAD』がTPSである理由は推測がつく。
 このゲームの主役はあくまで、主人公のマット・ハザード。プレイヤーは、彼が活躍できるようにうまく補佐するだけ。マットが画面上にかなりの存在感を占めているために、見たい方向の視野が開けない場合がよくあって、そんなときは360パッドの右スティックを押し込むことで、彼が今いるのと逆側にカメラが寄る。それはまるで彼が「何だこっちが見たいのか? しょうがないな、じゃあ俺が映るように、よっこらしょっと」とカメラを動かしているかのようだ。
 そこが、例えばHaloシリーズをきちんとパロディに出来ていると思えるところで、偉大ではあってもあちらはFPS、彼の大活躍を見ることが出来ないならば価値がない。このゲームでは、TPSの形式が採用されなければならないはずなのです。
 …割と本気で、一人称と三人称の視点の違いが、設定や物語が反映された結果としか思えていません。逆にそれならよく分かるのだけれど、と、これは日本の誇る一人称形式である読み物アドベンチャーの、いろいろ工夫を凝らしてきていたシナリオに触れてきての実感。

 そんなこんなで一通りクリア。難しいモードを遊ぶ気がしないので、これが楽しみ納めとなりそう。後は恒例の、実績の落ち穂拾いだ(←「高難易度クリア」実績に興味がない程度の執着)。
 そしてクリアするまでダッシュの存在に気がつかないボンクラぶり。ブランクのせいにしてごめん、彼の動きが鈍いのは当方のせいでした!
 そういえばネタバレになるけれど、このゲームはストーリーの途中とラストで実在しないステージのクリア実績が入るという演出があって、これは実績の使い方として一ひねりされていると感心しました。
 ないものをあるように見せる魔法はあたかも、「ここから濡れ場に突入です、でもご家庭用につき省略」なんてほのめかしながら次の日の描写へとつなげる読み物アドベンチャーのようではないか。ここでもまた和洋の接近を感じた次第です。



4/11(日)

 発売直後に入手しておきながら、『セイクリッド2』に集中するためにおあずけにしておいた『EAT LEAD マット・ハザードの逆襲』を、ついにと意気込んで遊び始めたところ、おおむねバカバカしくていいものの、若干ながら複雑な気分になりました。

 パロディTPSというB級臭は大好きで、そういうコンセプトだけで買って悔いはないけれど、遊んで無条件に楽しいかというとそうでもない。
 特に画面が暗いのが気になりました。ゲーム内のオプションでどうにかなるものではなく、モニターを頑張ってぎんぎんに発光させてどうにか部屋の壁の見当がつくかどうか、というレベル。
 どこに行っていいか迷うと、とりわけそれが屋内だと、決まって3D酔いとイライラに苛まされていけません。大半が屋外だったのが不幸中の幸い。

 それ以外は、即死トラップが出てくるのは初見で抜けられても楽しめないだろうとの思いやり、ないし選択肢を間違ったらバッドエンド一直線のアドベンチャーよろしく、ただし実技をガンシューティングでこなすような感覚と納得できたし(クリアできないでいるうちはもちろんストレス真っ最中)、主人公の動きがもったり鈍いのは久々の・突然の主演に至るまでに体調管理が不十分なのを資質でカバーしているのだと解釈したり、右スティックで照準を合わせる己の技量のふがいなさには難易度を落とすことで対応したり。
 いろいろとありますが、どれも順応できる程度の不満ではあります。

 見どころはやはりパロディ部分で、このゲームでは全編笑かしに来るのではなく、あくまで他のゲームの一要素を借りながら自前の(かつてのゲーム内ヒーローに仕組まれた陰謀とそれを乗り越えての復活という)話を辿っていく形式なので、その手の要素は当初の予想ほど多くはなかった。
 ただ、Haloもどきとスーパーマリオもどきはやはり強烈でした。とりわけ前者、本人自体よりむしろそのステージ全体のHalo色が。銃の種類がいきなりプラズマタイプに早変わり、さらにあの半透明バリアも大登場。円形じゃなく長方形だからいいのか。
 出色だったのはBGM、どちらもそれっぽくて微妙に違う不思議ぶり。器用な人はいるものだなあ。

 まだクリアを果たしておらず、でももう少しで終わりそうなので、短時間で楽しく遊んで終われるいい気分転換になりそうです。ゲーム本編が難しくならない限り。
 気づいていないネタがどれくらいあるのかは気になります。遊び終えてからちょっと調べてみようか。
 あ、主人公を引っ張る案内嬢が、舶来ものには珍しく、割とかわいらしく見えました。主人公も丸顔で愛嬌があるし、この辺はからかうつもりでファイナルファンタジーもどきを練習してたら日本調が移った、なんてことはないだろうか。
 演出のノイズ含みが目の錯覚を引き起こしているだけかも知れませんが。



4/4(日)

 『セイクリッド2』の2本のメインシナリオをめでたく遊び終え、プレイに一通りの区切りをつけた今から振り返ると、先日このゲームに覚えた感慨は、どうやってこれが作られたかに依っているのではないかと、少し思い至りました。
 おそらく、シナリオとマップは同一人物の手によるものではないだろう。それぞれに管理者がいて、すり合わせはされているにしても気質の上では個別の方針のもとにできあがった、あるいは、先に仕上がったマップをシナリオが参照して作られた、そのような事態を想像します。

 世界のあらゆる要因が、シナリオなり謎なりを解くのに使われるような、数学の問題や詰め将棋に通じるようなゲームは、そのまとまりのきれいさを貴く思います。
 ただ、それとは違って、世界が主人公の方を特別には向いていない、主人公のために作られているわけではない、一人がいなくなったところで変わらぬように続いていくタイプの作物には、それ由来のリアルさが感じられて、現実をなぞるものとして優秀だと受け取れるのです。
 そこにリアルさを感じるのは、これは純粋に年を食ったからに違いない。他の場面で発揮されてほしいのに、こういうときばかり、ふと顔を覗かせます。



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