ゲーム+α日記(2012年7月)

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7/31(火)

 今、うちには川島教授が2種類います。
 3DSの
『ものすごく脳を鍛える5分間の鬼トレーニング』を初めて立ち上げると、プレイヤーは「初めまして」「お久しぶり」のどちらかから挨拶を選べます。これはDSの脳トレシリーズ以来ということなのでしょう。確かに、この角張りポリゴンな教授にはお久しぶりだ。
 しかし形にこだわらないなら、いやあなたとは本日、つい先ほどお会いいたしましたと、第三の選択肢を求めたくなります。Xbox360のアバター形式をまとった『体で答える新しい脳トレ』にて。

 Xbox360版でも計算はするのだけれど、キネクト動作と相性がいいのは、反射的に動いたり、左右の手が別の役割を担ったりする試験。とっかえひっかえいろんな問題を試したくなります。
 ただ、上位レベルでは意地の悪さが顔をのぞかせてきて、こちらもゲーム的に対処したくなる。その意味でゲーム寄りだと言えるでしょう。

 一方、3DS版ではさっそく、記憶さかのぼり算数「鬼計算」にチャレンジ。表示されている問題を見ながら覚えて、もう消えてしまった以前の問題の答えを書き込む、というものです。
 2つ前の「2バック」までは難なくこなせた。そして、「3バック」で完全に立ちすくみました。
 ソフト内の解説を参照するなら、2バック相当のメモリは積まれているが、それより大きな記憶は受け入れられない。そして、初プレイではそれらを塊で取り込もうとした結果、何一つ覚えていない結果に陥ったのだと、振り返って想像します。本当にひどくて愕然とした。

 対処として、まずは二次キャッシュを積んでみました。
 問題の答えを順に口ずさみ、一つ答えるごとに並びをずらして、今口ずさんだその答えを聞き取って、そのままを書き込んだ。
 その結果、全問正解することができたのですが、これは明らかに掟破りだろう。クリアできたところで、目的に沿っていない。メモを見ているのと大差ない。
 ここで「大差ない」と表現したのは、3つの答えを一旦外に置くときの「耳で聞いた一瞬の記憶」はどこが担っているのかはっきりしないところが、紙に答えを順次書いて見直すのとはちょっと違うと思えたからですが、いずれ正道ではない。打開策探しにと思って試してみましたが、やめることにしました。

 しょうがないので、頑張って覚えてみることに。
 その結果、少しだけやり方が進歩しました。3つのうち先頭と最後の1つずつは覚えていられるようです。真ん中の1つの答えはいつの間にか消えてしまっている。
 メモリの総量はまだ同じで、データを塊でなく分割する方法を見いだしたことになります。0点よりはマシになった。
 そのうちこなせるようになったとして、もしそれが慣れのためなら、それはメモリが増設されたのではなく、扱うデータが圧縮されて小さくなる方向に向かったためでは? とも思えてきますが、それでうまく脳が回るなら、本来の目的になるのか。
 できれば増設がいいなあ。いかにもパワーアップした感が言葉の響きからにじみ出ていて良い。それを目指したいところです。でも、そうなったかどうか、知覚できるのか? ゲーム外の行動で実感できるんだろうか。その日が来るのが楽しみです。

 なお、1〜3バック形式の問題は『体で答える新しい脳トレ』にも収録されていますが、ただでさえ処理容量的に厳しいのに、答えを示そうと体を動かした弾みで、せっかくの記憶が飛ぶ始末。体を大きく動かすのは、記憶の集中と相反する行為に思えます。
 よって、ここはゲーム的に、1問ごとにメモを援用することで対処していきたい。
 まるで不真面目です。こっちでは専ら、ままならぬ体の動きに悩まされたい。



7/26(木)

 買ったのも風の噂に妹問題の前提どこ吹く風との展開があると聞いたからだった『ALMA Complete Edition』、問題の妹・由衣ルートを、いろんな分岐やアフターシナリオまで含めて終了。

 真っ先に専用エンディングをたどったときは、なんと唐突な、ガチンコな、そして趣味の悪い進み方だとだけ思ったものでした。
 しかし、脇に逸れる選択も漏れなくたどっていき、突然に見えた由衣の行動を理解したとき、同時に反省することしきりでもありました。
 彼女にそういう行動を取らせたのは、主人公に穏やかに、しかし絶え間なく彼女を焚きつけ続けた分岐の選び方にあった。よりによって恋人気分など喚起せず、ふつうの兄妹として、しっかりものの兄として接していれば、無事に脇道エンドに向かうことができたのに。それはほとんど確実だったはずなのに。
 このシナリオは脇に逸れてこそ平和、個別エンディングは、その後を考えない修羅の道。そんな道に二人を踏み込ませてしまったことを、いたたまれなく思います。反省すべきはお兄ちゃんじゃなかった。いや、自制の効かなかった彼にもちょっとは反省してほしいとは思う。でも、完全に否定しきれない気持ちのかけらを与えてしまったのは、他ならぬ自分だ。
 エピローグ以降の当人たちが、これまたすんごく幸せそうなんだよなあ。でも、いくら嬉しそうでも、この先に待ち構えるだろう艱難辛苦とよく渡り合えるよう願うほど、当方は吹っ切れなかった。
 好奇心から二人にその可能性を開いたことに、自責の念を覚えています。

 結末では、願う言葉の微妙な綾が主人公を救い上げたのでしょうかね。
 その直前までの問答通り、「由衣が助かる」ことだけを望んでいたなら、関わる誰も幸せにはなれなかった。「由衣の幸せ」を望んだからこそ、主人公もまた助かった、なぜならあの時点での由衣の幸せを主人公と分けて考えることなどできないから
 と、最後のご都合主義的展開をそのように解釈していますが、まだ知ることのできていない秘密が主人公にあるようだし、解明を焦ることもないだろう。
 おとなしくゲームを進めることにします。

 あと、降りしきる雨の中にあの体でいたら、異常は丸見えだろう。でも、主人公の親友はそのことを口にしなかった。異常がバレて問題になるというとき、「バレる」ことの定義は曖昧だけれど、ここでは「本人がバレたと悟ったとき」くらいか。だから、たとえ気づいたとしても、指摘されなければ何も問題は起こらない。そして、彼は異常を知った上で、黙って協力した。
 大事な場面の、霊感や第六感にあまり頼らない解釈をメモ。後で読み返して、どれくらい分かるものだろう。



7/24(火)

 なまじ読み物ゲームは文章の送りと順番が内容の大半を占めているから、実際に遊んでいなくたって、印象的なフレーズや筋書きを頭の中に広げれば、ほとんどゲーム体験を持ち出しているようなもの。
 必然的に感想も増えるのです。この手のゲームの番で日記が長くなるのは、必然だった。

 その中には、前回自分で書いた事柄への疑問点まで含まれるから、さらに中身がふくれあがる。このジャンルはそうやって、転がして膨らまして遊ぶととても面白い(そうやって遊べないとつまらない)。
 『ALMA Complete Edition』の幼なじみシナリオに『つよきす』を持ち出すなら、「ここでは今ひとつ伸びきれなかった同性幼なじみ参戦の手筋が、2年後の『つよきす』で良きものとして花開いた」と発展的な表現をすべきでした。
 実際に参考にしたのかどうかはともかく。そこは遊び手が気にすべきところでもない。

 また、『ALMA CE』における自分的な新手は、「幼なじみがプライベートではメガネをかける」だったことも、書き落としてはなるまい。効果は、まるで別人と認識させ、場面の展開について行けず混乱する。
 事実、初めてメガネ装備を見たときは、その前の場面でいたのとは別の近所のお姉さんだと思い込み、ゲーム序盤だし、また登場人物が増えた、くらいに捉えていました。
 この影響がシナリオに大いに生かされたか、というと、変装だの双子の姉妹だのといった踏み込んだ変化は持ち込まれず、やや拍子抜け。ただ、見慣れないおしゃれ着への主人公の対応がその後の展開を分けるというシーンが後半にあり、身なりの変化と見慣れなさの点で、小さな共通項がいちおう見いだされました。
 そういう人なんだ、という性格を説明するやり方として、これはこれで味があったように思います。

 後は、主人公の行動を通じて直接的に彼女を選ばせる選択肢が出てきたこと、これはこのゲーム内の特徴か。
 まだ2人分しか遊んでいないけれど、少なくとも妹シナリオではそういう直接的な区切りはなかったから。
 そこに、主人公から進んで踏ん切りをつけなければ、立場を変えて前に進むことはできない、という意味をつけることも、できなくはないだろう。全て遊び終えてから振り返って、そう思えるかどうか。

 長くなったから、妹シナリオについては次回に回そう。それまでお兄ちゃんに反省させときます。



7/23(月)

 最近、実に久しぶりに将棋の情報に触れました。
 戦法の解説書が、共用の本棚に置いてあるのを見つけて、手に取ってみたのです。
 将棋などそれこそ中学時代にまでさかのぼらないと接点が見つからない。しかしその当時は好きだった。毎週日曜日のテレビ放映も欠かさず見ていたものでした。
 そんな懐かしさからその本を手にとって、しかし内容に思わず腰が引けた。

 最初の数手で方針を定めたら、あとは数十手に渡って有利不利が明らかな様子が記されています。
 考えられるいくつもの分岐=指し手候補に、これはこういう理由で不都合、こちらは用意の一手がぴったり、この手はいい勝負なのでさらに深く解説、と続く。
 終わりまでたどればもはや終盤であり、この一連の流れを見る限り、将棋の手順はもうほとんど定まってしまったようなものなのではないかと、閉塞感を覚えました。

 いくつもの考え方がある。
 これが一例に過ぎず、数百年を経て未だにただ一つの解に定まっていないどころか、100人を超える専門家をプロとして抱えられるほどの豊かさがこの競技に含まれていることに驚いてもいい。
 また、将棋に限ったことではなく、どんな分野も先端の研究はそれまでの研究を参照してさらに先へ伸びるものであり、成長するためには基礎となる土壌が必要なのだ、と一般化してもいい。
 前者なら驚いていればいいけれど、後者の立場なら、基礎を知ることでさらに面白くなりそうな気がしました。どれほどを「基礎」に含めればいいのか見当がつかないけれど、将棋ならまずは初心者向けの解説書あたりから。
 その先端の違いを実戦で感じられるようになれると最高なんだろう。

 ところで、他の分野への応用なんてことを思い立ったのも、これまた久方ぶりに遊んだ読み物タイプのアダルトゲーム『ALMA Complete Edition』(Bonbee!)で、献身的な幼なじみを目にしたからでした。
 開始直後は圧倒的に違和感のあるその甲斐甲斐しさが、読み進むにつれ普通に受け入れられる。おかしなものだと思いますが、この場合おかしいのはゲームなのか、そんなかつてのステレオタイプを今もって受け入れられる自分の方なのか。

 せっかくついているボイスも全飛ばしする勢いで読み進めた結果、3時間ほどもあれば一ルート終われることが分かり、以後の進展に明るい兆しが生まれました。
 また適当に投げ出すんじゃないかと恐れていたから。それでどれだけのプレイ待ちゲームが生まれていることか。やはりある程度は気合いで、その気合いをためるには時間がいる。
 たまたまこのゲーム・このジャンルについては長時間が必要だった。手元にあるのは1年後リリースの廉価版であるものの、何しろオリジナル版は2003年発売とのこと。2012年の今から見れば、丸10年寝かせておいたものがよみがえったことになります。そりゃいろいろと感慨深い。

 そして、将棋について思ったように、この時代、このメディアを問わず、幼なじみから恋人への転換というシチュエーションには数々の研究がなされていて、それらの改良形が日々生み出されている(いた)に違いないと、しばし想像したのでした。
 一本のゲームの背後に、ずらりと事例が並ぶ。このタイトルではこう来てプレイヤーに良し、こちらではひねりを加えたもののちょっと落ち着かない。そういった研究の成果が、1本1本に現れているに違いない。
 どんなゲームだって読み物だって、歴史を考えればあだやおろそかには扱えないのです。
 面倒くさい意識ではあるし、自分自身の記憶を超えてその楽しみ方を広げようとは思わない。そういう独善さを加えて、自分だけの楽しみが個別のタイトルに追加され、それらは他人からは理解されないものとなっていく(伝わったら最高だけれども!)。
 他者の研究書として眺めるのもいいけれど、やはり実戦の中に積み上げを感じるのが面白いのではないか。まるで同じ手順の再現だとがっかり来るけれど、何かしらの新手があれば、願わくばうまく見いだせますように。
 将棋も、実戦で楽しめるよう、もうちょっときちんと基礎と向き合おう(←己の対エロゲー基盤を過信していないか?)。

 正直なところ、『ALMA』の幼なじみを巡る問題は、うまく解決されているとは思えなかった。投げ込まれた初球の微妙なコースに首をかしげているうちに、次のとんでもない変化球に注意をそらされてしまった感じです。
 そこへ行くとオリジナルが2005年という『つよきす』(遊んだのはPS2版なので)は、後発なだけあってよく工夫されていたのだと、おぼろげな記憶を探りながら感心しました。
 いずれ現在からは遠く離れた、ほとんど文献調査の範疇に収まりそうな、かび臭い比較。そういう地道な営み、嫌いではない。1本が割と速く片付くし(←繰り返しに垣間見られる積みゲーへの罪悪感)。

 ……ところで、ここんちの妹さんは、なんだってこんなにも急にアグレッシブなんだ?(さっそく次のルートへ)



7/19(木)

 なぜ『アスラズラース』のステージの途中でアイキャッチが入るのか、理解できませんでした。
 いや、最初は理解を拒んでいたのだと思う。ゲームという側から入って、それっぽくないでしょ、という演出によってアニメとのいいとこ取りを目指すのかと思いきや、映像作品+クイックタイムイベント主体だなんていう残念な潔さに直面して。

 そのうちふと思い当たったのは、各ステージの折り返しまで来たことをプレイヤーに知らせて、残り所要時間を見積もらせる役割でした。
 なるほど、このくらい遊べば一段落、というのは、まとまった遊び時間の取れない向きには計画的で好都合だ。
 そこでまた、終わらせることを第一義に考えて作られるゲーム、なるあり方に疑問を抱くのでした。時の経つのを忘れて世界に浸ってもらうためにゲームは作られているものだという保守的な考え方の元に。

 どうせテレビ放映を模すなら、アイキャッチの間にコマーシャルを入れればいいのに。
 ダウンロードコンテンツ、発売中! スキップしようとボタンを押したら購入画面へ行ってしまう罠つき。買えば以降は現れない方式で、スキップの目的は果たせるだろう。



7/16(月)

 スポーツバラエティゲーム『MotionSports』の残り2種目は、『Kinectスポーツ』と重複するボクシングとサッカー。

 ボクシングは非常にシンプルに、攻撃を受けた直後に反撃して当たったらラッシュを繰り返す、というもの。相手が変わり、タイミングがシビアにはなっても、これで最後まで押し通すあたり、多様なモードを用意できていた他の競技に対して、やや息切れを感じました。
 もっとも、この種目で最も印象に残ったのは、ダウンロードコンテンツで攻撃力が上がるグローブが手に入ること。お金を払うのではなく、発売元のUBIが展開しているUplayなるシステムに登録すればいいのだけれど、今ひとつ釈然としない仕組みではあります。
 ネットにつなげさせる実績が欲しいのだろうけれど、素直にアンロック方式にしてくれればいいのに。有利さが段違いです。陸の孤島組には厳しい仕打ち。海外のLive接続率はそんなに高いのか。

 そしてサッカーでは、ネタ切れ感がさらに強く打ち出されてきました。ほぼ全てシュート練習。ほんとのバラエティ番組よろしくの、ゴールに点数を敷き詰めて狙うものやら、動く的を狙うものやら、風向きを計算に入れるものやら。置いたボールを目指す方向へ打つものばかりで、ほとんどゴルフです。
 たまにゴールキーパーになってシュートを阻むモードがあって、それは蹴られた瞬間のスローモーションを見て対応できるのが面白かった。それでも、総じて単調なのは否めませんでした。息抜きにはちょうどいいとは言えます。
 『Kinectスポーツ』とサッカーゲームのシステム同士を比較すると、言うなればゴルフvs野球。サッカーだというのに予想外の対決ですが、組み合わせの新鮮さで『Kinectスポーツ』に軍配が上がります。再利用と発明ほどの違いに思える。
 ただ、サッカーゲームをまともに遊んだことがない弱みが頭にちらつきます。『Kinectスポーツ』のシステムが、有名どころのそれらと共通であったなら、とんだ間抜け発言ということになる。これもまた宿題としよう。

 サッカーでちっとも汗をかかないまま終わったのは拍子抜けでしたが、ゲーム全体を通してみれば、(低めの)期待を大きく超えて楽しく遊べました。
 即効性の疲労でなくても、足を振り抜いた痛みが明日出るかも知れない。しかしそれもまた良し。筋肉痛も、キネクトゲームの華の一つだ。



7/12(木)

 あれ、これ思ったより面白いのでは? いや、面白いよ! 良かった!
 舶来産のキネクトゲームに疑念を持って接する態度が身についてきた中、『MotionSports』にも恐る恐る触れたのですが、予想は裏切られました。
 個体認識のスマートなインターフェースにそれまでとは違う雰囲気も漂いながら、いや重要なのは中身だと気を引き締めてプレイ。
 
『Kinectスポーツ』と競技が重ならない、乗馬・スキー・アメフト・ハンググライダーの4種目を遊んだところでは、ときに妥協を挟みながらも、基本的に楽しく過ごすことができました。
 一番のお気に入りは、それなりのスコアでは冷静に解説する一方、ハイスコアだと熱狂して叫ぶアナウンサー。同じ人かと疑うほどのテンションの変わり具合が楽しく、その興奮ぶりを聞きたさに高得点を狙いたくなるくらいです。

 肝心の競技面では、最初に遊んだ乗馬が印象深い。
 馬関連と言えば楕円形のコースを走る競馬形式しか馴染みがなかったけれど、これは庭の中を決まった順番で障害物を飛び越え巡ります。
 タイミング良くジャンプ、その際に両手も振り上げて着地で振り下ろすとスピードが落ちないようだ。手綱を追ってスピードアップ、片手を上げて向きを制御。ジャンプも含めたそれらの案配をうまく調節できたとき、まさに折り合いのついたプレイができたと感じられます。この名演技には馬もきっとご満悦。

 問題があるとすれば、最高の評価を得るには厳しすぎるというところですが、遊び込みの余地を残しているとも言えます。その辺りが各人の妥協のしどころ。
 あるいは、リリース初期ではうまく制御が効かなくて、アップデートで改善されたりしたのかも知れない。プレイに支障を来すほど問題のあるシーンは、今のところ出てきていません。
 もっとも、『Game Party: In Motion』で鍛えられたハードルの低さゆえの納得感、というバイアスの存在は否定できない。あれの100倍は楽しめます(「あれ」に0点をつけないやさしさ)。



7/7(土)

 『Just Dance Kids 2』には、ひたすらプレイせよとの目標がある。
 求められているプレイ回数がこのゲームには分不相応に多いと思えたので、真剣にプレイせずにその目標をクリアできるか実験中。
 そういう態度をゲームが感じ取ったか、よくフリーズするのです。データセーブ直後、メニュー画面を読み込むときに頻発する。そういうところに駄々っ子っぽさを感じて、子供向けのゲームに似つかわしいと何だか納得できます。
 セーブデータが飛んだりしたら手のひらを返して怒るのでしょうけれども。

 そんなわけでXbox360をこちらに占有させている最中、せっかくの時間だから同時並行で別のハードでゲームをしようと思い立ち、長年の課題であった『serial experiments lain』を遊んでいます。
 何年越しになるんだろう。やる気にならない性格で本当に申し訳ない。なお、PS3をゲーム用途で稼働させたのはこれが今年初めて。PS1用ソフトのために働かせるとは、贅沢だこと。
 しばらく"serious experience"だと思っていたのはここだけの話。

 プレイに先立ち、まずは予備知識でDVDを鑑賞。
 これ本当にテレビで放映していたのか。何とも実験的だとしかいいようのない、アニメを見つけないからという以上に違いないと思うのだけれど理解の範疇を超えるものでした。

 見ていれば1日で済む映像作品とゲームとは違う。
 映像版とは主人公(の声と髪型)だけが共通と思われる世界観のもと、ネット上に散らばるファイルをひたすら開けて、断片的な情報を見たり聞いたりしていきます。データベース集という趣。
 ファイルが楕円形で示され、円筒の表面に緩く配置されるという謎すぎるインターフェースですが、これこそキネクトでつかみ・回して選びたいと思わされます。ずっとさくさく進むだろう。
 現実は、パッドの4方向ボタンでカーソルを回りくどく動かしたり、円筒をのろのろと回したりしていく(円筒の側面にファイルがあると選択できないので!)。コンセプトが突出していて、操作は後からついてくる、というところが興味深く、そういうものだと思って楽しんでいます。

 しらみつぶしにファイルをチェックしていって、ひとまずエンディングムービーまで見たのだけれど、こちらもまた、分からせようというものではない感じだ。
 インターフェース同様、そういう現象だったのだ、くらいに捉えようかと思います。
 エンディング以降におまけファイルが出てくるのだけれど、これが非常にきつい。こんな「ずっと一緒」を幻に見るというなら、確かに心も病むかも知れません。



7/3(火)

 急にレースものが遊びたくなって、何か持っていないかとXbox360のハードディスクから電子的な在庫を探したら、『Hydro Thunder Hurricane』が見つかりました。
 さっそく遊ぼう。

 始めてから、どうも自分が遊びたかったのは、ボタンを押すとミサイルが飛ぶようなゲームだったように思われてきて、そういう車ゲームをきちんと探すべきだったかと、欲望を探りきれなかった反省タイムがしばし訪れましたが、『Hydro Thunder Hurricane』が面白かったので、それもやがて薄れていった。
 このままならぬ水上走行ぶりがもどかしい。ただ、うまくいかない挙動には納得がいくので、当方の腕前のせいにせざるを得ず、頑張ろう、練習すればうまくなるだろうと希望も持たせてくれる。
 レースモードを一通り終えるまでは、やる気と上達がリンクして、順調に楽しめました。

 しかし、そこから先はだめだった。
 慣性を読みながら、またブースト資源の残量とにらめっこしながら、目の前だけでなく一手先を読んで、高速展開するレースを切り盛りしていく。
 何より、このスピード感にふるい落とされました。
 ここから先はきっと、頑張って得られるスキルがゲームの求めるレベルに達するのに、ゲームが嫌いになるくらいの猛特訓が必要になるだろう。それによって開けてくる新たな愛着がありうることを否定しませんが、ここで思い切って踏み込めないのが、以前とは変わったところなのかも知れません。
 その変わり方はほとんど生物学上の要因でありそうなのが、無念ではあります。楽な方へ流れがちになってきた。

 あるいは、ゲームがクリアを求めてきている、と自然に感じているところが、変わった点なのか。
 ゲームは基本的に、プレイヤーにずっとこの場に留まってもらいたがっているはずだ。水の動きのおかげでいい意味でランダムさが与えられ、数多く遊べばいいときも悪いときもある。毎回少しでも違った結果が得られる、それはゲームの一つの理想の形。
 それを安定性に対する枷と感じて、ここから抜け出したいと思うのなら、ちょっとゲームに対して外様な立場にいることを自覚しなければならない。それが、いくつものゲームを一括してリンクする実績システムに慣らされた結果であり、個々のゲームに割ける意識のパイが縮小している証拠であることも。
 自覚すれば御しきれると思うのだけれど。全否定も全肯定も、自分が損をする。もうしばらく付き合いたいことだし、何とかバランスを取ってやっていきたい。



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